ペンギン・イン・ザ・ライブラリー

深田くれと

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隊員ナンバー2

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 学校から家までの途中にある商店街を、ユイが視線を落として早足で歩く。
 通りには、真っ赤なトマトやひげの付いたとうもろこしを売る八百屋。カラフルなお菓子を並べる駄菓子屋や、干物からお刺身まで売っている魚屋などが並んでいる。ひと月前に豆腐屋のあとにできた怪しいカレー屋が、けばけばしい緑の窓を開け放って、いい匂いを漂わせていた。数人の大人が、テイクアウトのカレーを注文している。
 ユイが近づいてくる自転車の音に反応して、さっと道の端に寄った。
 白髪の混じった女性が、魚屋の何かに気をとられて前を見ていなかった。危うくぶつかるところだ。視線を向ける先には青いカゴ。真っ赤な文字で大きく書かれた『二百三十円』の値札がとても目を引いている。
 店の端にはのぼりが立っていた。縦長の布の上端に横棒を通し、縦を走る棒に支えられたそれは、商店街を抜ける風にゆらゆらと揺らめいている。
 黄色い枠で囲まれた『本日特売日』という大きな文字を見て、ユイは大きなため息をついた。
 今晩の夕食が決まったからだ。魚に違いない。
 母親が魚料理を出すときは、決まって「魚屋さん、特売日だったのよ」と上機嫌なのだ。きっと、のぼりを見て買っているのだ。
 ユイはぴたりと足を止めた。
 青いカゴに乗った、下あごが細長くとがった魚、平たくて馬の顔をしたような魚。にごった目をした魚もいれば、透き通った目の魚もいる。どれが新鮮な魚なのかは本で読んで知っている。しかし、ユイにとってはどうでもいい問題だ。
 焼き魚か煮魚、はたまたお刺身。どれだ?

「お母さんに頼まれて買い物かい? 今日はアジが安いよ」

 いつのまにか、人の良さそうなおじさんが腰に手を当ててユイを見ていた。優しそうに曲げられた瞳が、ちらりとユイの後ろの人物に向いて、何も言わずに戻った。

「ちょっと見てただけなんで」

 ユイは小さく頭を下げて、足早に立ち去る。
 夕食はアジだろうな。せめてフライがいいな。ユイはげんなりした。
 ユイの母親は、恐ろしいほど営業トークに弱い。小学生から見ても危ない。
 テレビショッピングでは、三万円もする布団を「快眠をお約束」の売り文句だけであとさき考えずに買おうとするし、最近は、使いもしない一万円もする腹筋マシンを「お父さんもいるかしら」と二台も買ったのだ。
『本日特売日』にふらふら引き寄せられ、おじさんに言われるままに、うれしそうな顔でおすすめの魚を買う母親の姿が目に浮かんだ。

「……ユイ、あやまるよ」

 肩を落としたユイの背後で少年の声が聞こえた。ペン太だ。
 おじさんの目にどう映っていたかはわからない。でも、少なくともペンギンには見えていないだろう。もし見えていたなら、今頃は通りすがりのお客さんたちに囲まれてスマートフォンのカメラを向けられているはずだ。

「もういいって」

 くちばしをしょんぼり下げたペン太がユイのあとを追う。小さなリュックを背負い、ぺたぺたと足音をさせながら後ろをついてくるペンギンは、親鳥を追うヒナのようにも見える。

「ほんとに怒ってないから。そういうんじゃなくて……ちょっと……恥ずかしかっただけだし」

 ユイが言葉をやわらげて振り向いた。
 そして、「そんなことより」と、ランドセルからスマートフォンを取りだした。薄いピンク色と白色が混じりあったカラフルなものだ。頭に丸い輪っかがとびだしている。子供用の防犯ブザーを兼ねたスマートフォンだ。中学に上がったら、大人用のものに買いかえてもらう約束をしている。

「お母さんが、いいって言ってる」
「いい?」

 ペン太が言った。
 ユイが腰の後ろに手を組んで笑う。いたずらが成功したような顔だ。

「うん。バッジで姿がごまかせるんだったら、ずっとクローゼットに隠れなくてもいいでしょ? ペン太を家に連れてきていいかって聞いてみたの。OKだって。私の友達ってことにしとくから」
「……え?」

 ペン太の黄色いくちばしが、ぱかっと開いた。


 *


「ユイ、待ってくれ……正体をばらすのは勘弁してくれ! 一応、図書界は秘密の世界なんだ! たくさんの人にばれて、司書資格をはく奪されたって噂も聞いたことがある!」

 慌てふためくペン太が、引かれる手を必死に払おうとする。くちばしに冷や汗を浮かべ、逃げようとあがく力は相当のものだ。

「正体をばらすなんて言ってない! 友達として招待するって言ってるの!」

 ユイは意地になってさらに手を引く。ペン太がアスファルト上に転がる小石でずるりと足をすべらせた。素早く手を放して背後に回り、今度は黒い背中をうんと力を込めて押す。家はもうすぐそこだ。

「ユイ、ほんとに待ってくれ! お願いだから!」

 ペン太の声にとうとう悲鳴が混じった。
 ユイはぜえぜえ息を吐いて、足を止めた。腰に手を当てて、見下ろす。

「もう、なんでそんなに嫌なの? 理由くらい説明してよ。バッジがあれば、ばれないんでしょ?」
「そ、それはそうなんだが……ユイの家は色々とあって――」
「色々?」
「まあ……まだそういう時期じゃないというか……」

 ペン太がもごもごと口の中で言葉を転がす。
 ユイが目を細めた。

「そういう時期じゃない? 全然意味わかんない。言いたいことがあるならはっきり言ってよ。ほんとよくわかんないんだけど」
「だから……ぼくはクローゼットにひっそり隠れていればいいってことで……」
「ダメ」
「どうして!?」

 ペン太が悲痛な顔になる。

「私が納得しないから。図書界であんなに助けてもらったんだし、せめてご飯を食べてほしいもん。ペン太……あれから何にも食べてないんでしょ? ちょっとやせたよ」

 ユイの視線が悲し気に落ちた。一歩近づいてしゃがみ、ペン太の白いおなかをなでる。
 ペン太がばたばた両手を振ってうろたえた。

「大丈夫、大丈夫! ぼくは一カ月くらい食べなくても生きられる」
「大丈夫じゃない。生きてるからいいってことじゃないの。ペン太にはちゃんと食べてほしいの……」

 ユイが心配顔で見つめる。

「ドラゴンからバッジを取る方法を見つけたら、また本の世界に行くんでしょ? おなかが減って途中で動けなくなったりしたら……心配だもん。今度こそ、試験に合格してほしいし」
「ユイ……」

 声を落としたユイに、ペン太が優しく瞳を曲げた。
 平たい手で、ぱちんと自分の胸をたたいた。「クァァァ」と高い声で笑う。

「そうか……ユイにそんな心配をさせてたとは、ぼくもまだまだだな。図書ペンギンはいかなる困難もクリアする。探検隊隊長が隊員に心配されることは一つもない」
「隊員? 私が?」

 ペン太がこくりと頷いた。
 リュックの口を大きく開き、腕をつっこんで感触を確かめる。抜いた手には、一度見た筆箱型のケース。
 ふたが開くと、2と3のバッジが現れた。1はペン太がリュックの肩ひもにつけている。

「ぼくが図書ペンギン司書になれたあかつきには、ユイを隊員ナンバー2に指名しようじゃないか」

 ペン太が「どうだ?」と胸を張った。

「い、いいの? 私も図書界に?」

 ユイが目を丸くする。

「ずっと一緒についてくるのは無理だぞ。ユイにはこっちの世界でもっと本を読んでもらいたいし、お母さんやお父さんも心配するだろ。でも――」

 言葉を切ったペン太が、体を横に向けた。目にそっと力を込めて、短い腕を胸の前でクロスさせる。
 そして、芝居がかった動きで言う。 

「図書ペンギン司書の仕事は楽じゃない。ネズミとの壮絶な戦いや、オアシスを巡って競争も多い。時にはドラゴンを相手にすることだってある!」

 ペン太が腰を落として、平たい手を剣のように横に振った。
 想像の何かにやられたのか、「うっ」とのけぞる。目に力をこめて、ぺたっと足を踏み出し逆の手を振る。
 ユイが感動の面持ちで目を輝かせる。

「図書ペンギン司書は体も心も強い!」

 ペン太が横目で様子をうかがい、胸に手を当てて上空を仰いだ。

「だが、そんなぼくでも、一人ではどうしようもない時がある。難しい謎解きもあれば、敵が強大な時もある、誰かの力を借りなければならないときが、きっとくる」

 流れるような動きで、ケースから2のバッジを取りだした。銀色でずしっと重みを伝えるそれは、ユイの期待にこたえるようにほのかに薄水色の光を放っている。
 ペン太が、にっこり笑って言った。

「そんなときは、隊員ナンバー2のユイに助けを求めることにしようかな」

 ユイがおそるおそる手をのばす。
 ペン太がそっと手のひらに置いた。

「これが……図書ペンギンのバッジ」
「すごいだろ? これを持てるのは、図書ペンギンだけだ。見習いのうちは銀色だけど、四つ集めて正式に司書に認められたときには、金色に変わるらしい」

 ユイがまじまじと見つめる。バッジが一瞬、強く光った。一気に重さが増した気がした。
「ふぁ」ユイは言葉にならない声をもらした。
 とてもきれいで幻想的な光だ。それに、わずかに温かい。図書室の扉の前で拾ったときは、廊下の暑さのせいだとばかり思っていた。
 ペン太が最初に「見ただけでただものじゃないとわかるバッジ」だと言っていた意味がわかった。図書界を知って、図書ペンギンを知って、本の世界に入ったユイだからこそわかる重みだ。
 ペン太と知り合えた幸運に嬉しくなった。

「ペン太、これ返す」

 ユイが笑みを浮かべてバッジを返す。ペン太がきょとんと首を傾けた。

「しばらく貸してもいいよ」
「ううん……」

 ユイは首を振った。

「無くしたら怖いもん。ペン太、また探し回らないとダメでしょ? それに……ペン太が、ちゃんと司書になった時にほしい」
「おっ、言うじゃないか」

 ペン太がぴょんと跳ねた。
 ユイの手から2のバッジを受け取り、大事そうにケースに片づける。「2は予約済みだな」と背を向けてつぶやきながら、リュックに押し込む。
 ユイが、にまにまと頬をゆるめた。けれど、結果的にペン太の演技にのせられて、あっさり機嫌を良くしてしまった自分がくやしくて、そっぽを向いて口を引き結ぶ。

「……四つ目のバッジ、早く手にいれたいね」

 それでも、ユイは素直に気持ちを吐き出した。
 想像の中でペン太の隣を走るユイは、ガールスカウトのような水色の服を着て、胸に金色のバッジをつけていた。
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