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作戦を練ろう
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ユイが小さくため息をついた。ドラゴンに向けられた視線を遮るように、少し成長した体を割り込ませて、ほほ笑んだ。
「ぺーんーたー」
「な、なんだ、気持ち悪い顔して!?」
「気持ち悪いってひどい。……一度戻ろ」
ユイがしゃがんだ。低くなった位置で真正面から視線を合わせた。
ペン太の目がきっと吊り上がる。
「いや、ぼくは手に入れて見せるぞ。最後のチャンスかもしれないんだ。――って!?」
パチンと乾いた音が鳴った。ユイが両手でペン太の顔を挟んだ。
「なにを?」ペン太がぽかんと口をあけた。
ユイが、ゆっくりと言い聞かせるように言った。
「今のペン太はペン太じゃないよ。あこがれの図書ペンギン司書って、ばれなきゃ何でもしていいの? それがペン太が目指すもの?」
ペン太が、「あっ」とか細い声をあげた。
みるみる気まずそうに瞳が揺れる。
「カンニングって知ってる?」
「……知ってる」
「ペン太は試験中って言ってたよね?」
「……言った」
「なら、堂々と合格する方法を考えよ。私も協力するから。ね? あのバッジって時間がたつと、なくなるの?」
「いいや、場所はずっと同じだよ。ユイの世界で、本が絶版にならない限り、あのバッジもこの本の中に残ったままだ」
「じゃあ、急がなくても別にいいね」
「……うん」
ユイはにかっと笑う。ペン太のしょんぼりした手をすくいとって、「よしっ、帰ろ」とゆっくり立ち上がった。
「出口はあるの? グランドキャニオンでは見つけるの手こずってたけど」
「大丈夫。もうバッジが反応してる」
ペン太がバッジを片手に乗せた。銀色のそれは、淡い水色を強く放っていた。
細い光が一点に伸びた。地面に二重の輪が描かれた。
ラシンバンが誘導するように、すうっとその場所に着地し、地面をくちばしでつついた。
「あそこが出口だ。普通はすぐに発見できるものなんだ」
ペン太があきらめ顔で言った。
ユイが手を引いた。
「もう何年も我慢してきたんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、あとちょっとだけ我慢しよ。私も考えるからさ」
「うん」
ペン太が前に歩き出した。ふと、名残惜しそうにピロスをながめた。
何も知らない大きなドラゴンは、森の仲間の声援を一身に受けて、重々しい音を響かせて、森の中を歩いた。
「すぐに戻ってくるからな」
ペン太の瞳は強い意志を感じさせた。
二人は白い光に包まれて消えた。
*
聞きなれた学校のチャイムが鳴る。ようやく六時間の授業が終わった。
夏休みまであと二日。明日からは給食のない昼までの授業に変わるので、とても待ち遠しい。
夏休みには毎年たくさんの宿題が出て嫌になるが、ユイはそれほど心配していない。いつも母親に、自由研究以外は七月中に終わらせるよう厳命されるからだ。
キャメル色のランドセルを背負い、エアコンがきいた涼しい教室を出ると、廊下は驚くほどに暑かった。この気温の中、重い教科書を背負って帰ると思うとぞっとする。
ユイは窓から下をのぞいた。
正門前の空気がゆらめいているように見えた。かなり暑そうだ。
視線の先で、サッカー部の生徒がユニフォームに着替えて運動場に駆けていった。
同じ六年生の男の子だ。
彼は夏の暑さをものともせず、毎日すごい速さで教室を出ていく。いつも授業が終わる三十分前からそわそわしていて、とてもわかりやすい。
サッカーに夢中の彼は、授業の内容なんんて頭に入っていないだろう。
「運動部ってほんとすごいなぁ。――あつっ!」
窓枠に置いた肘を、あわてて引っ込めた。熱したフライパンみたいだ。運動場もかなりの暑さだろう。
ユイにはとても彼と同じことはできそうにない。強い日差しの中では、十分で干からびる自信がある。
「まあ、かわりに私は本を読むから」
ユイが誇らしげに胸をはった。声が自然とはずんだ。
軽い足取りで階段に向かう。
生徒の波が上からどんどん降りてくる。ユイは広い階段の左端に寄って、流れに逆らって一歩一歩昇った。
塾は夕方からだ。二時間くらいは大丈夫だろう。
図書室にはまだまだ読めていない本がたくさんある。
図書界から帰って、少しでも興味をひく本には、がんばって目を通すようにしている。卒業までに、できるだけたくさんの本に触れることがユイの今の目標だ。
そうしなければ――きっとペン太とは対等に話せない。
ユイはそんなことを考えながら、廊下を歩いた。
ちょうど、今日の当番の図書委員が、図書室のカギをあけたところだった。
足音に気づいたのか、ユイのランドセルについたアクセサリーの音が聞こえたのか、名村真央が不思議そうな顔で振り向いた。
「あれ? ユイ、当番じゃないよね?」
頭の後ろで束ねた、茶色がかった髪が揺れた。
「うん」
「また読書?」
よく続くなあ、と顔に書いた真央の言葉にユイは頷いた。
「だって、楽しくって」
「楽しいのはわかるけど、もう四日目でしょ?」
真央が首をかしげた。
ユイは連日、図書室に足しげく通っていた。
ユイが図書委員として受付カウンターに座る日は、本当なら来週の水曜。つまり、もう夏休みで当番はない。新学期に持ち越しなのだ。
「みっちゃんから昨日も来てたって聞いたけど、そんなに読みたい本があるなら借りて家で読んだら?」
「読みたい本が一冊だけじゃないから、図書室で読んだ方が早いの」
「ふーん」
唇をまったく動かさない返事。きっと納得してないだろう。
けれど、図書界を見ていない真央には自分の気持ちを説明してもわかってもらえないだろうと思って、そそくさと図書室の扉をあけた。
エアコンを動かす前の熱気と紙の匂いに顔がほころんだ。
「そういえば、そのペンギンかわいいね」
「そう?」
ユイが振り向く。顔がゆるんだ。
「ジェンツーペンギンっていうの」
ユイはランドセルを背中で軽く振って、サイドに取り付けたアクセサリーを揺らした。薄いピンク色のペンギンがカチャカチャと音を立てた。
「前に水族館で買ってもらったんだけど、ずっと引き出しに入れてて忘れてたんだ」
ユイはうれしそうに言う。
真央が「へえ」とあいづちを打って、室内に進む。
「あれ? 誰かいるじゃん? カギ……今あけたのに」
「も、もしかしてあいてたんじゃない? 昨日、帰る時に閉め忘れてたとか」
怪訝な顔になった真央に、ユイはどもりながら言った。
視線の先には、見慣れたずんぐりした黒い体が見えた。
「ぺーんーたー」
「な、なんだ、気持ち悪い顔して!?」
「気持ち悪いってひどい。……一度戻ろ」
ユイがしゃがんだ。低くなった位置で真正面から視線を合わせた。
ペン太の目がきっと吊り上がる。
「いや、ぼくは手に入れて見せるぞ。最後のチャンスかもしれないんだ。――って!?」
パチンと乾いた音が鳴った。ユイが両手でペン太の顔を挟んだ。
「なにを?」ペン太がぽかんと口をあけた。
ユイが、ゆっくりと言い聞かせるように言った。
「今のペン太はペン太じゃないよ。あこがれの図書ペンギン司書って、ばれなきゃ何でもしていいの? それがペン太が目指すもの?」
ペン太が、「あっ」とか細い声をあげた。
みるみる気まずそうに瞳が揺れる。
「カンニングって知ってる?」
「……知ってる」
「ペン太は試験中って言ってたよね?」
「……言った」
「なら、堂々と合格する方法を考えよ。私も協力するから。ね? あのバッジって時間がたつと、なくなるの?」
「いいや、場所はずっと同じだよ。ユイの世界で、本が絶版にならない限り、あのバッジもこの本の中に残ったままだ」
「じゃあ、急がなくても別にいいね」
「……うん」
ユイはにかっと笑う。ペン太のしょんぼりした手をすくいとって、「よしっ、帰ろ」とゆっくり立ち上がった。
「出口はあるの? グランドキャニオンでは見つけるの手こずってたけど」
「大丈夫。もうバッジが反応してる」
ペン太がバッジを片手に乗せた。銀色のそれは、淡い水色を強く放っていた。
細い光が一点に伸びた。地面に二重の輪が描かれた。
ラシンバンが誘導するように、すうっとその場所に着地し、地面をくちばしでつついた。
「あそこが出口だ。普通はすぐに発見できるものなんだ」
ペン太があきらめ顔で言った。
ユイが手を引いた。
「もう何年も我慢してきたんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、あとちょっとだけ我慢しよ。私も考えるからさ」
「うん」
ペン太が前に歩き出した。ふと、名残惜しそうにピロスをながめた。
何も知らない大きなドラゴンは、森の仲間の声援を一身に受けて、重々しい音を響かせて、森の中を歩いた。
「すぐに戻ってくるからな」
ペン太の瞳は強い意志を感じさせた。
二人は白い光に包まれて消えた。
*
聞きなれた学校のチャイムが鳴る。ようやく六時間の授業が終わった。
夏休みまであと二日。明日からは給食のない昼までの授業に変わるので、とても待ち遠しい。
夏休みには毎年たくさんの宿題が出て嫌になるが、ユイはそれほど心配していない。いつも母親に、自由研究以外は七月中に終わらせるよう厳命されるからだ。
キャメル色のランドセルを背負い、エアコンがきいた涼しい教室を出ると、廊下は驚くほどに暑かった。この気温の中、重い教科書を背負って帰ると思うとぞっとする。
ユイは窓から下をのぞいた。
正門前の空気がゆらめいているように見えた。かなり暑そうだ。
視線の先で、サッカー部の生徒がユニフォームに着替えて運動場に駆けていった。
同じ六年生の男の子だ。
彼は夏の暑さをものともせず、毎日すごい速さで教室を出ていく。いつも授業が終わる三十分前からそわそわしていて、とてもわかりやすい。
サッカーに夢中の彼は、授業の内容なんんて頭に入っていないだろう。
「運動部ってほんとすごいなぁ。――あつっ!」
窓枠に置いた肘を、あわてて引っ込めた。熱したフライパンみたいだ。運動場もかなりの暑さだろう。
ユイにはとても彼と同じことはできそうにない。強い日差しの中では、十分で干からびる自信がある。
「まあ、かわりに私は本を読むから」
ユイが誇らしげに胸をはった。声が自然とはずんだ。
軽い足取りで階段に向かう。
生徒の波が上からどんどん降りてくる。ユイは広い階段の左端に寄って、流れに逆らって一歩一歩昇った。
塾は夕方からだ。二時間くらいは大丈夫だろう。
図書室にはまだまだ読めていない本がたくさんある。
図書界から帰って、少しでも興味をひく本には、がんばって目を通すようにしている。卒業までに、できるだけたくさんの本に触れることがユイの今の目標だ。
そうしなければ――きっとペン太とは対等に話せない。
ユイはそんなことを考えながら、廊下を歩いた。
ちょうど、今日の当番の図書委員が、図書室のカギをあけたところだった。
足音に気づいたのか、ユイのランドセルについたアクセサリーの音が聞こえたのか、名村真央が不思議そうな顔で振り向いた。
「あれ? ユイ、当番じゃないよね?」
頭の後ろで束ねた、茶色がかった髪が揺れた。
「うん」
「また読書?」
よく続くなあ、と顔に書いた真央の言葉にユイは頷いた。
「だって、楽しくって」
「楽しいのはわかるけど、もう四日目でしょ?」
真央が首をかしげた。
ユイは連日、図書室に足しげく通っていた。
ユイが図書委員として受付カウンターに座る日は、本当なら来週の水曜。つまり、もう夏休みで当番はない。新学期に持ち越しなのだ。
「みっちゃんから昨日も来てたって聞いたけど、そんなに読みたい本があるなら借りて家で読んだら?」
「読みたい本が一冊だけじゃないから、図書室で読んだ方が早いの」
「ふーん」
唇をまったく動かさない返事。きっと納得してないだろう。
けれど、図書界を見ていない真央には自分の気持ちを説明してもわかってもらえないだろうと思って、そそくさと図書室の扉をあけた。
エアコンを動かす前の熱気と紙の匂いに顔がほころんだ。
「そういえば、そのペンギンかわいいね」
「そう?」
ユイが振り向く。顔がゆるんだ。
「ジェンツーペンギンっていうの」
ユイはランドセルを背中で軽く振って、サイドに取り付けたアクセサリーを揺らした。薄いピンク色のペンギンがカチャカチャと音を立てた。
「前に水族館で買ってもらったんだけど、ずっと引き出しに入れてて忘れてたんだ」
ユイはうれしそうに言う。
真央が「へえ」とあいづちを打って、室内に進む。
「あれ? 誰かいるじゃん? カギ……今あけたのに」
「も、もしかしてあいてたんじゃない? 昨日、帰る時に閉め忘れてたとか」
怪訝な顔になった真央に、ユイはどもりながら言った。
視線の先には、見慣れたずんぐりした黒い体が見えた。
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