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異変の中に
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「わ、私が?」
ユイは走りながら自分の腕や体を確認する。
言われてみれば、視点が高くなったように感じた。さっき聞こえた声も別人のようだった。
どくん、と心臓が跳ねた。
お気に入りのTシャツが小さかった。胸のふくらみも少し大きくなった気がした。ショートパンツの足回りもきつい。
なによりスニーカーが痛い。くつずれとは違う窮屈になった感覚だ。
「うそ……」
ユイの声が沈んだ。
「たぶん、物語の中で三年たったからだ。さっき、空から声が聞こえたろ」
ペン太が声を落として言った。
ユイは記憶をたどった。確かに聞いた気がする。
――テゾーロ博士は三年間、キタリスを追いかけた。
けどありえない。あの一文で三年が過ぎるなんて。
ペン太が続ける。
「今まではそうじゃなかった。どの本に入っても時間の経過は関係なかった。でもこの本は違う! 最初からおかしいと思ってたんだ。物語が始まったのに、主人公のテゾーロ博士がいつまでたっても出てこない。キタリスはぼくらが見えているし、明らかに敵として扱われてる。まずいぞ!」
ペン太がリュックの紐につけていたバッジを引きちぎるように外した。
「出口はどこだ!?」
ペンギンの上半身と「1」が描かれた本の模様の銀色のバッジが水色に輝いた。しかし、淡い光はすうっと薄くなって数秒で消えた。
「そんな……」
顔をゆがめたペン太が、ふと百メートル先の上空を見上げた。何かが空をぐるぐると舞っている。ラシンバンだった。
「ユイっ、いけるか!?」
「うん!」
ペン太が言いたいことはすぐにわかった。
急に成長した体のせいか、肘や膝がちくちくと痛む。くつは窮屈で、息も上がっている。それでも、ユイは走りだした。
大きくなっていいこともあった。少しだけ歩幅がのびて、走りが早くなった。腰を曲げて走らなければもっと早いかもしれない。
ペン太が気づいて、手を離した。
ユイは飛ぶように冷えた空気の中を駆けた。ペン太が「早いな」と後ろから追った。
「ここだ!」
たどり着いた場所には階段があった。
グランドキャニオンのだだっ広い岩場の上にある階段は、奇妙なことに崖の中に続いていた。先は暗くて見通せない。人一人がやっと通れるくらいの幅で、とても狭い。
ペン太が「ほらっ、早く降りて」と背中をぐいぐい押した。
「大丈夫なの?」
「ラシンバンが言ってるんだし間違いないよ。それに本物のグランドキャニオンにはこんな場所に階段なんてない」
ユイは戸惑った。しかし、瞬く間に近づいてくる群れの足音と鳴き声を耳にして、弾かれたように階段に足を伸ばした。
「早く、早く! 追いつかれる!」
ペン太の切羽詰まった言葉に後押しされ、ユイは腹をくくって階段を勢いよく駆け下りた。
*
「こ、ここは……どこだ?」
ペン太が大きく目を開いた。
草原が続いていた。さわさわと丈の短い植物が、スニーカーに踏まれてくしゃりと音を立てる。
グランドキャニオンとは違う、深緑の香りがほのかに漂う世界には、上空に太陽があった。
辺りを確認する。とある方向にお椀をひっくり返したようなこんもりした森があった。逆側には壁に囲まれた町のようなものもある。
ユイはどこかで見たような景色に頭を悩ませる。
「ペン太、ここどこ? 図書界?」
「……いや、たぶん違う。図書界なら空に太陽はない」
ペン太が平たい手を前に伸ばした。一緒に階段を下りて扉をくぐったラシンバンがすっと舞い降りた。
「ぼくらをどこに連れてきたんだ?」
ラシンバンが首を傾げて背を向けた。視線の先には草原の中に取り残されたような森がある。
「あそこに行けと?」
ラシンバンがわかりにくい動作でうなずく。
「これも試験なのか……ん? あれは?」
空から突然光が射しこんだ。遥か高みから、一直線に光が落ちた。
ペン太が「まさか」と驚いている。
ユイも遅れて視線を向けた。水色の光のかたまりが、ゆっくりと落下していた。
「バッジ?」
見たことのある光に、ユイが気づいて言った。ペン太がこくんと頷く。
「おそらくバッジだ……四枚目だ」
「四枚目?」
ペン太が感動の面持ちで小さく笑う。平たい手をぐっと握りしめ、少し長めの尾がぴくぴくと動いている。今にも泣きそうに見えた。
「や、やっと……やっと出会えた」
震える声でそう言ったペン太は、リュックを下ろして、荒々しく手を突っ込んだ。
中から取り出されたものは、筆箱に似た、濃い青色のケースだった。リュックの肩ひもに取りつけていたバッジを近づけると、カシャンとカギが外れるような音を立ててふたが開いた。
中には四つの丸いくぼみがあった。番号が振られている。一番左が1。そのあと、2と3の場所には銀色のバッジがはめられていて、右端に4が見えた。
ユイはペン太の言った意味が分かった。
今も空からふわふわ降りてきている水色に輝くバッジが四枚目なのだろう。それはきっと、ペン太が憧れる図書ペンギン司書になるために必要なものなのだ。
「あれを手に入れたら、試験は合格ってことなの?」
ユイの質問に、ペン太が感情を抑えた声で答える。
「……わからない。でも、図書ペンギン司書は誰でもバッジを四つ持っている。試験とは関係なくても、一人前になるのに必要なんだと思う」
少し大人びた顔になったユイがにっこり微笑む。
うれしそうなペン太を見て、心がじんわり温かかった。
「すぐ取りにいこう。見失っちゃうとまずいんでしょ?」
「ユイの言う通りだ。でも……」
ペン太が言い淀む。おそるおそるユイを見つめた。視線が頭から足に流れた。
「まずはユイの体を戻さないと……ぼくのせいだ」
揺れ動く黒い瞳が不安そうだ。
ユイは「そんなこと気にしてるの」と笑い飛ばした。
「バッジを手に入れてからで大丈夫だよ。むしろ、ちょっぴり大人になった気分で今はうれしいくらい。ほら見て、私って三年後、こんな感じになるんだよ?」
ユイはガッツポーズを作って、自慢げに胸を張った。
ペン太の表情が少し和らいだ。
「……ありがとう、ユイ」
「なんのこと?」
「……何でもない。でも、本の中で起こったことは、本の外では消えるはず。ユイの体も外に出れば……」
「治る?」
「たぶんね」
「じゃあ、なおさら後回しにして、バッジの方を急がないと!」
ユイは腰を曲げて、ペン太の腕を引いた。優しい瞳がユイを見ていた。
駆け出した二人の上空で、空が白く変化した。
何度か聞いた女性の声が発せられた。
ユイは走りながら自分の腕や体を確認する。
言われてみれば、視点が高くなったように感じた。さっき聞こえた声も別人のようだった。
どくん、と心臓が跳ねた。
お気に入りのTシャツが小さかった。胸のふくらみも少し大きくなった気がした。ショートパンツの足回りもきつい。
なによりスニーカーが痛い。くつずれとは違う窮屈になった感覚だ。
「うそ……」
ユイの声が沈んだ。
「たぶん、物語の中で三年たったからだ。さっき、空から声が聞こえたろ」
ペン太が声を落として言った。
ユイは記憶をたどった。確かに聞いた気がする。
――テゾーロ博士は三年間、キタリスを追いかけた。
けどありえない。あの一文で三年が過ぎるなんて。
ペン太が続ける。
「今まではそうじゃなかった。どの本に入っても時間の経過は関係なかった。でもこの本は違う! 最初からおかしいと思ってたんだ。物語が始まったのに、主人公のテゾーロ博士がいつまでたっても出てこない。キタリスはぼくらが見えているし、明らかに敵として扱われてる。まずいぞ!」
ペン太がリュックの紐につけていたバッジを引きちぎるように外した。
「出口はどこだ!?」
ペンギンの上半身と「1」が描かれた本の模様の銀色のバッジが水色に輝いた。しかし、淡い光はすうっと薄くなって数秒で消えた。
「そんな……」
顔をゆがめたペン太が、ふと百メートル先の上空を見上げた。何かが空をぐるぐると舞っている。ラシンバンだった。
「ユイっ、いけるか!?」
「うん!」
ペン太が言いたいことはすぐにわかった。
急に成長した体のせいか、肘や膝がちくちくと痛む。くつは窮屈で、息も上がっている。それでも、ユイは走りだした。
大きくなっていいこともあった。少しだけ歩幅がのびて、走りが早くなった。腰を曲げて走らなければもっと早いかもしれない。
ペン太が気づいて、手を離した。
ユイは飛ぶように冷えた空気の中を駆けた。ペン太が「早いな」と後ろから追った。
「ここだ!」
たどり着いた場所には階段があった。
グランドキャニオンのだだっ広い岩場の上にある階段は、奇妙なことに崖の中に続いていた。先は暗くて見通せない。人一人がやっと通れるくらいの幅で、とても狭い。
ペン太が「ほらっ、早く降りて」と背中をぐいぐい押した。
「大丈夫なの?」
「ラシンバンが言ってるんだし間違いないよ。それに本物のグランドキャニオンにはこんな場所に階段なんてない」
ユイは戸惑った。しかし、瞬く間に近づいてくる群れの足音と鳴き声を耳にして、弾かれたように階段に足を伸ばした。
「早く、早く! 追いつかれる!」
ペン太の切羽詰まった言葉に後押しされ、ユイは腹をくくって階段を勢いよく駆け下りた。
*
「こ、ここは……どこだ?」
ペン太が大きく目を開いた。
草原が続いていた。さわさわと丈の短い植物が、スニーカーに踏まれてくしゃりと音を立てる。
グランドキャニオンとは違う、深緑の香りがほのかに漂う世界には、上空に太陽があった。
辺りを確認する。とある方向にお椀をひっくり返したようなこんもりした森があった。逆側には壁に囲まれた町のようなものもある。
ユイはどこかで見たような景色に頭を悩ませる。
「ペン太、ここどこ? 図書界?」
「……いや、たぶん違う。図書界なら空に太陽はない」
ペン太が平たい手を前に伸ばした。一緒に階段を下りて扉をくぐったラシンバンがすっと舞い降りた。
「ぼくらをどこに連れてきたんだ?」
ラシンバンが首を傾げて背を向けた。視線の先には草原の中に取り残されたような森がある。
「あそこに行けと?」
ラシンバンがわかりにくい動作でうなずく。
「これも試験なのか……ん? あれは?」
空から突然光が射しこんだ。遥か高みから、一直線に光が落ちた。
ペン太が「まさか」と驚いている。
ユイも遅れて視線を向けた。水色の光のかたまりが、ゆっくりと落下していた。
「バッジ?」
見たことのある光に、ユイが気づいて言った。ペン太がこくんと頷く。
「おそらくバッジだ……四枚目だ」
「四枚目?」
ペン太が感動の面持ちで小さく笑う。平たい手をぐっと握りしめ、少し長めの尾がぴくぴくと動いている。今にも泣きそうに見えた。
「や、やっと……やっと出会えた」
震える声でそう言ったペン太は、リュックを下ろして、荒々しく手を突っ込んだ。
中から取り出されたものは、筆箱に似た、濃い青色のケースだった。リュックの肩ひもに取りつけていたバッジを近づけると、カシャンとカギが外れるような音を立ててふたが開いた。
中には四つの丸いくぼみがあった。番号が振られている。一番左が1。そのあと、2と3の場所には銀色のバッジがはめられていて、右端に4が見えた。
ユイはペン太の言った意味が分かった。
今も空からふわふわ降りてきている水色に輝くバッジが四枚目なのだろう。それはきっと、ペン太が憧れる図書ペンギン司書になるために必要なものなのだ。
「あれを手に入れたら、試験は合格ってことなの?」
ユイの質問に、ペン太が感情を抑えた声で答える。
「……わからない。でも、図書ペンギン司書は誰でもバッジを四つ持っている。試験とは関係なくても、一人前になるのに必要なんだと思う」
少し大人びた顔になったユイがにっこり微笑む。
うれしそうなペン太を見て、心がじんわり温かかった。
「すぐ取りにいこう。見失っちゃうとまずいんでしょ?」
「ユイの言う通りだ。でも……」
ペン太が言い淀む。おそるおそるユイを見つめた。視線が頭から足に流れた。
「まずはユイの体を戻さないと……ぼくのせいだ」
揺れ動く黒い瞳が不安そうだ。
ユイは「そんなこと気にしてるの」と笑い飛ばした。
「バッジを手に入れてからで大丈夫だよ。むしろ、ちょっぴり大人になった気分で今はうれしいくらい。ほら見て、私って三年後、こんな感じになるんだよ?」
ユイはガッツポーズを作って、自慢げに胸を張った。
ペン太の表情が少し和らいだ。
「……ありがとう、ユイ」
「なんのこと?」
「……何でもない。でも、本の中で起こったことは、本の外では消えるはず。ユイの体も外に出れば……」
「治る?」
「たぶんね」
「じゃあ、なおさら後回しにして、バッジの方を急がないと!」
ユイは腰を曲げて、ペン太の腕を引いた。優しい瞳がユイを見ていた。
駆け出した二人の上空で、空が白く変化した。
何度か聞いた女性の声が発せられた。
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