13 / 31
なにかが違う
しおりを挟む
本の声が聞こえる。
”テゾーロ博士は、一日中探し回って、ようやく宝物を見つけた。足が棒になり、体はくたくただった。しかし、探し求めていた小動物――キタリス――を暗がりで見つけた瞬間に、すべてを忘れてカメラを構えた”
「テゾーロ博士って人の観察本なのかな?」
不思議そうに小首をかたむけたペン太の横を、小型のリスが通り抜けた。体調は二十センチほど。小さな三角の耳が特徴的で、ふさふさの尾を揺らしてユイに近づいた。
「人なつっこいリスだね、全然こわがってないよ」
ユイは目の前までやってきたリスをほほ笑んで見つめる。
ここに来るまでに図書界で出会った三匹のネズミを思い出した。彼らとしゃべることはできなかったけれど、雰囲気は近い。
むしろ、彼らから臆病さをなくしたような近づき方を見て、芸でもしてくれるのでは、と淡い期待がわいた。
リスがさらに一歩近づいた。
ユイが胸をおどらせ、手をのばした。
小さな小さな前足が、ユイの手に触れようとし――
「さわっちゃダメだ!」
ペン太があせって大声をあげた。
反射的にユイが手を引っ込める。
「そのリスにひっかかれたら大変なんだ!」
こんなにかわいいのに? ユイは不思議に思ったが、ペン太の顔は必死だ。
本当に危ないのだろう。ユイは危険な理由を棚上げにして、ひとまずゆっくり後ずさった。なのに、リスの方が前足を下ろして、さらにそばに寄った。
丸い瞳が不気味に光ったのを見て、ユイは得体の知れない恐ろしさにぞっとする。
「なぜ逃げないんだ」
ペン太がリスを鋭くにらみつけた。
ユイの手を引いて走りだした。
いつものぺたぺたという足音じゃない。こんなに走れるのかと驚くほどに早く跳ねるペン太は困惑顔だ。
「どうして、ぼくらに干渉する」
ペン太は前を向いたままつぶやく。「まさか、ぼくらが見えて? いやそんな……」何度も首を振って前を向いた。
わけがわからない。
ユイは肩越しにリスをのぞき見た。
どこからやってきたのか、リスの数が増えた。
気づけば、崖の向こうから小さな動物があとからあとから姿を見せている。真っ黒なたくさんの瞳が、暗がりの中で光っている。
ユイは怖くなって見るのをやめた。言葉を出さずに、ペン太の横顔に視線で問いかける。
「わからない……」
気づいたペン太が疲れた顔で首を振った。
「本の世界の登場人物たちは、ぼくらに気づかないはずなんだ。確かにそう習ったはず……」
「さっき、私を見てたよ」
リスの奇異な瞳を思い出す。確かにユイの姿を見ていた。
「だから、わからないんだ」
背後から、ざわざわと波が近づいてくるような足音が追ってくる。「キィ」というリスの鳴き声が絶え間なく聞こえる。
ユイは振り返ることができなかった。
気づけば息が荒かった。胸が呼吸のリズムを忘れたように「はっ、はっ」と短く吐く動作ばかりを繰り返し、みるみる息苦しさを感じた。
額に冷たい汗が浮き、膝ががくがくと揺れた。長距離マラソンをするよりずっとしんどかった。
まだ? どこまで逃げればいいの?
ユイは終わりの見えない崖のうえを手を引かれて延々と走った。
空から声が聞こえた。
”テゾーロ博士は、三年間、キタリスを追いかけた。楽しい時間だった。狂犬病を有する動物であるために、むやみに触れることはできなかったが、毎日彼らに会えることに心おどらせ、とうとう本を書き上げるまでにいたった”
女性の声が終わり、白く光った空が真っ黒にぬりつぶされると、辺りは再び闇に包まれた。
「どこなんだ」
ペン太が苛立ちを顔に浮かべ、あちこちの岩陰をのぞく。その度に「あそこもちがう」とつぶやく。
強い力で腕を引かれるユイは何も言わずついていった。
心配でたまらなかった。
もう何分走っているのかわからない。気を抜けば今にも倒れそうだ。ほんの少し後ろを盗み見れば、群れたリスが何百と、つかず離れず追いかけてきていた。まるで黒いじゅうたんのような大群の中で、無数の瞳がぎらぎらと光っている。
ユイはふと気づいた。ペン太の背が縮んでいる。
いつの間にか、腰を曲げなければ手をつなげなくなっていた。
「ペン太、大丈夫!? 体が小さくなってる!」
ユイは息も絶え絶えで叫んだ。
この二人しかいない世界でペン太に何かあったのかもしれない。
「……ユイ……うそだろ」
振り向いたペン太が絶句した。逃げることを一瞬忘れたのか、足を止めて驚いた。
ペン太が「くっ」と苦し気に言って、再び走り出した。
「ペン太、答えて!」
ユイが悲痛な表情で言う。
ペン太は首だけ回した。続く言葉はない。
ユイの手が「急いで」と強く引っ張られた。ペン太は力も弱くなっていた。ふっくらした丸みのおびた体が一段と小さく見えた。
「ペン太! 大丈夫なの!?」
ユイは泣きそうになった。
ペン太がまた振り向いた。ペン太も泣きそうな顔をしていた。
「ぼくじゃない! ユイが大きくなったんだ!」
”テゾーロ博士は、一日中探し回って、ようやく宝物を見つけた。足が棒になり、体はくたくただった。しかし、探し求めていた小動物――キタリス――を暗がりで見つけた瞬間に、すべてを忘れてカメラを構えた”
「テゾーロ博士って人の観察本なのかな?」
不思議そうに小首をかたむけたペン太の横を、小型のリスが通り抜けた。体調は二十センチほど。小さな三角の耳が特徴的で、ふさふさの尾を揺らしてユイに近づいた。
「人なつっこいリスだね、全然こわがってないよ」
ユイは目の前までやってきたリスをほほ笑んで見つめる。
ここに来るまでに図書界で出会った三匹のネズミを思い出した。彼らとしゃべることはできなかったけれど、雰囲気は近い。
むしろ、彼らから臆病さをなくしたような近づき方を見て、芸でもしてくれるのでは、と淡い期待がわいた。
リスがさらに一歩近づいた。
ユイが胸をおどらせ、手をのばした。
小さな小さな前足が、ユイの手に触れようとし――
「さわっちゃダメだ!」
ペン太があせって大声をあげた。
反射的にユイが手を引っ込める。
「そのリスにひっかかれたら大変なんだ!」
こんなにかわいいのに? ユイは不思議に思ったが、ペン太の顔は必死だ。
本当に危ないのだろう。ユイは危険な理由を棚上げにして、ひとまずゆっくり後ずさった。なのに、リスの方が前足を下ろして、さらにそばに寄った。
丸い瞳が不気味に光ったのを見て、ユイは得体の知れない恐ろしさにぞっとする。
「なぜ逃げないんだ」
ペン太がリスを鋭くにらみつけた。
ユイの手を引いて走りだした。
いつものぺたぺたという足音じゃない。こんなに走れるのかと驚くほどに早く跳ねるペン太は困惑顔だ。
「どうして、ぼくらに干渉する」
ペン太は前を向いたままつぶやく。「まさか、ぼくらが見えて? いやそんな……」何度も首を振って前を向いた。
わけがわからない。
ユイは肩越しにリスをのぞき見た。
どこからやってきたのか、リスの数が増えた。
気づけば、崖の向こうから小さな動物があとからあとから姿を見せている。真っ黒なたくさんの瞳が、暗がりの中で光っている。
ユイは怖くなって見るのをやめた。言葉を出さずに、ペン太の横顔に視線で問いかける。
「わからない……」
気づいたペン太が疲れた顔で首を振った。
「本の世界の登場人物たちは、ぼくらに気づかないはずなんだ。確かにそう習ったはず……」
「さっき、私を見てたよ」
リスの奇異な瞳を思い出す。確かにユイの姿を見ていた。
「だから、わからないんだ」
背後から、ざわざわと波が近づいてくるような足音が追ってくる。「キィ」というリスの鳴き声が絶え間なく聞こえる。
ユイは振り返ることができなかった。
気づけば息が荒かった。胸が呼吸のリズムを忘れたように「はっ、はっ」と短く吐く動作ばかりを繰り返し、みるみる息苦しさを感じた。
額に冷たい汗が浮き、膝ががくがくと揺れた。長距離マラソンをするよりずっとしんどかった。
まだ? どこまで逃げればいいの?
ユイは終わりの見えない崖のうえを手を引かれて延々と走った。
空から声が聞こえた。
”テゾーロ博士は、三年間、キタリスを追いかけた。楽しい時間だった。狂犬病を有する動物であるために、むやみに触れることはできなかったが、毎日彼らに会えることに心おどらせ、とうとう本を書き上げるまでにいたった”
女性の声が終わり、白く光った空が真っ黒にぬりつぶされると、辺りは再び闇に包まれた。
「どこなんだ」
ペン太が苛立ちを顔に浮かべ、あちこちの岩陰をのぞく。その度に「あそこもちがう」とつぶやく。
強い力で腕を引かれるユイは何も言わずついていった。
心配でたまらなかった。
もう何分走っているのかわからない。気を抜けば今にも倒れそうだ。ほんの少し後ろを盗み見れば、群れたリスが何百と、つかず離れず追いかけてきていた。まるで黒いじゅうたんのような大群の中で、無数の瞳がぎらぎらと光っている。
ユイはふと気づいた。ペン太の背が縮んでいる。
いつの間にか、腰を曲げなければ手をつなげなくなっていた。
「ペン太、大丈夫!? 体が小さくなってる!」
ユイは息も絶え絶えで叫んだ。
この二人しかいない世界でペン太に何かあったのかもしれない。
「……ユイ……うそだろ」
振り向いたペン太が絶句した。逃げることを一瞬忘れたのか、足を止めて驚いた。
ペン太が「くっ」と苦し気に言って、再び走り出した。
「ペン太、答えて!」
ユイが悲痛な表情で言う。
ペン太は首だけ回した。続く言葉はない。
ユイの手が「急いで」と強く引っ張られた。ペン太は力も弱くなっていた。ふっくらした丸みのおびた体が一段と小さく見えた。
「ペン太! 大丈夫なの!?」
ユイは泣きそうになった。
ペン太がまた振り向いた。ペン太も泣きそうな顔をしていた。
「ぼくじゃない! ユイが大きくなったんだ!」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
児童絵本館のオオカミ
火隆丸
児童書・童話
閉鎖した児童絵本館に放置されたオオカミの着ぐるみが語る、数々の思い出。ボロボロの着ぐるみの中には、たくさんの人の想いが詰まっています。着ぐるみと人との間に生まれた、切なくも美しい物語です。
はんぶんこ天使
いずみ
児童書・童話
少し内気でドジなところのある小学五年生の美優は、不思議な事件をきっかけに同級生の萌が天使だということを知ってしまう。でも彼女は、美優が想像していた天使とはちょっと違って・・・
萌の仕事を手伝ううちに、いつの間にか美優にも人の持つ心の闇が見えるようになってしまった。さて美優は、大事な友達の闇を消すことができるのか?
※児童文学になります。小学校高学年から中学生向け。もちろん、過去にその年代だったあなたもOK!・・・えっと、低学年は・・・?
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

こちら御神楽学園心霊部!
緒方あきら
児童書・童話
取りつかれ体質の主人公、月城灯里が霊に憑かれた事を切っ掛けに心霊部に入部する。そこに数々の心霊体験が舞い込んでくる。事件を解決するごとに部員との絆は深まっていく。けれど、彼らにやってくる心霊事件は身の毛がよだつ恐ろしいものばかりで――。
灯里は取りつかれ体質で、事あるごとに幽霊に取りつかれる。
それがきっかけで学校の心霊部に入部する事になったが、いくつもの事件がやってきて――。
。
部屋に異音がなり、主人公を怯えさせる【トッテさん】。
前世から続く呪いにより死に導かれる生徒を救うが、彼にあげたお札は一週間でボロボロになってしまう【前世の名前】。
通ってはいけない道を通り、自分の影を失い、荒れた祠を修復し祈りを捧げて解決を試みる【竹林の道】。
どこまでもついて来る影が、家まで辿り着いたと安心した主人公の耳元に突然囁きかけてさっていく【楽しかった?】。
封印されていたものを解き放つと、それは江戸時代に封じられた幽霊。彼は門吉と名乗り主人公たちは土地神にするべく扱う【首無し地蔵】。
決して話してはいけない怪談を話してしまい、クラスメイトの背中に危険な影が現れ、咄嗟にこの話は嘘だったと弁明し霊を払う【嘘つき先生】。
事故死してさ迷う亡霊と出くわしてしまう。気付かぬふりをしてやり過ごすがすれ違い様に「見えてるくせに」と囁かれ襲われる【交差点】。
ひたすら振返らせようとする霊、駅まで着いたがトンネルを走る窓が鏡のようになり憑りついた霊の禍々しい姿を見る事になる【うしろ】。
都市伝説の噂を元に、エレベーターで消えてしまった生徒。記憶からさえもその存在を消す神隠し。心霊部は総出で生徒の救出を行った【異世界エレベーター】。
延々と名前を問う不気味な声【名前】。
10の怪異譚からなる心霊ホラー。心霊部の活躍は続いていく。
忠犬ハジッコ
SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。
「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。
※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、
今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。
お楽しみいただければうれしいです。
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
Sadness of the attendant
砂詠 飛来
児童書・童話
王子がまだ生熟れであるように、姫もまだまだ小娘でありました。
醜いカエルの姿に変えられてしまった王子を嘆く従者ハインリヒ。彼の強い憎しみの先に居たのは、王子を救ってくれた姫だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる