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東京編
デート(下)
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橙子の提案は意外にも家電量販店だった。
「電器屋さんって楽しいよね」
「そうか?」
でしょうね。わかります。あの家だもの。
生活感がない徹の部屋を思えば、電気ケトルがあるだけ奇跡だ。橙子は率先してキッチン家電を見て回る。炊飯器、トースター、電子レンジにコーヒーメーカーと、全てが必要に思える。
「うーん。違うな。包丁とフライパンが先だわ。あとお皿も」
「お。引越すか」
「そうじゃないけど、簡単なおつまみぐらい作れてもいいかなって」
「料理すんの?」
「これでも少しは自炊してますぅ。麺類とか一品モノばっかだけど」
「で、何を買えば?」
「いや、だから。包丁とまな板」
「電器屋でか?」
「なわけないでしょ。ポンコツか!」
刃物や小物も置いてあるが、橙子としては間に合わせより選びたい。こと食器に関しては使い勝手を優先したい。
「移動だな」
「今から? 結構な荷物になるよ」
ふたりとも靴の大袋を下げているし、橙子には通勤バッグもある。
「飯、作ってくれんだろ?」
しれっとしたようで、甘い時間にだけ見せる蕩ける目をされてはたまらない。徹の色気に遭遇した橙子はレッドカードを掲げる代わりに首を振った。
「休みにゆっくり見てくる」
「そ? 頼むわ」
「言っときますけど、料理が得意なわけじゃないから期待しないでね」
「楽しみにしとく」
「聞いてた?」
「外食とコンビニ弁当で生きてきたからな」
「人間って丈夫よね。逆にあそこまで台所が空なのも不自然。元カノに作って貰わなかったの?」
そう言った瞬間に橙子は後悔した。音にした元カノという単語が深く胸に刺さる。
「俺の勤務事情知ってんだろ。今まで鍵渡したことなかったし、飯作って待たれても鬱陶しいだけだった。まぁ、相手の家で食わしてもらった気もするが記憶にない。ん? 何でお前が赤くなってんだ?」
記憶を探りながら話す徹の口調に嘘偽りがなかった。
橙子には合い鍵を渡し、ご飯を作って待って居ろとも言っているのだ。完全な特別扱いに、自惚れで体温が上がる。橙子は台所用品の買い物リストにレシピ本も付け加えた。
「今夜は食べて帰りましょ」
とんっと徹のお腹にグーパンして、橙子は嬉しさと恥ずかしさに反抗した。
***
風呂上り、徹は缶ビールを二本取り出した。リビングで、先に汗を流した橙子が真新しいパンプスに足を通して眺めている。包みを開けずにいられないほど喜んでいる姿に徹も満足だ。
隣に腰掛けてビールを渡すと、橙子はありがとうと受け取ってすぐ視線を足元に戻した。
「靴の素敵尽くしの魔法。知ってる?」
不意に問われた御伽話に心当たりが無い。聞いた当人が「知るわけないよね」と自己完結した。笑ったところをみると、そもそも期待していなかったようだ。
「素敵な男性から贈られた素敵な靴は、素敵な場所に連れて行ってくれる。素敵な場所に似合う自分であろうと努力して、素敵になって輝ける」
徹には初耳だった。どこか遠い国の言い伝えかなにかだろう。
「早口言葉か」
率直な感想だった。もう、と膨れた橙子も絵空事だと思っているに違いない。直ぐに表情を和らげた。
「私、これでもそこそこ稼ぎあるの。だから欲しいものは自分で買う。だって一番手に入らないのは『素敵な男性』でしょ! 魔法のスタートからして無理があんのよ」
徹には橙子の論点がズレている気がする。ひとまずリアリストということで納得しておく。依存性が低いのは確かだ。なんとなく支払いに細かい理由がわかった気がする。
「でも叶っちゃった。すごく嬉しくて幸せでびっくりだよ。魔法だねぇ」
「魔法ねぇ」
橙子の場合、妖術というほうがしっくりくる。パジャマ代わりに徹のワイシャツとモコモコのショーパンを着て、脚は丸出しだ。着崩した恰好にパンプスというアンバランスが艶めかしい。
悔しいかな、徹には先に片付けるべきことがある。
「全部吐け。寝れない理由と、セクキャバ通いの話も」
橙子は苦笑する。隠し事があるとばれている。内緒にするつもりでなくとも、話ていないのだから同じことだ。
全て話せば、徹は間違いなく橙子を最優先で庇う。橙子の欲しい優しさで包み込んでくれる。また甘やかされる。ダメになる。でも、逃してくれるわけがない。
「実は管理職に昇進したの。榊原部長の件があってのことだと思う」
「おめでとう。良かったじゃないか」
橙子は素直に喜べない。榊原の事件では、ボーナスに色がつけばラッキーという程度の期待しかしていなかった。まさか望まぬ役職を与えられて、正直なところ有難迷惑だった。
役職に見合った給料と一緒に仕事量と責任も増えた。プロジェクトチームの仕事はそのままに、勉強と称され未経験の営業もやらされている。
新しい学びの機会は負担でもある。
連日の接待も付随業務の一環だ。いわゆる「男性の遊び場」に連れ回されるのも、男性社会が根強い物流業界における取引先の洗礼だ。異例の若手管理職が女性となれば見極める目は厳しい。
使えるか否か、揺さぶりを掛けられていると、橙子も重々承知している。
「普段は散々怒鳴り散らして威張ってるおじさんたちがさ、はたちそこそこの女の子のおっぱいに吸い付いて喜んでいる姿を肴に酒を煽るっつーカオスね。社員が頑張って働いた分を経費で消費してんのかと思うとやるせないよ、ホント」
「社会的には珍しい話じゃないんだろうけどな」
「パブって、客にひとりは付くルールなんだってね。それで私も揉んだんだけど。揉みながら、その気のない同性を相手にしたり、キモイおじさんたちに濃厚なキスされて体をまさぐられることについて考えちゃった。お仕事としてこなす女の子たちの偉大さよ。プロだわーって感心した。そしたら自分がよけいに惨めになっちゃった。私は一体何やってんだろうって」
橙子の話は予想外の場所に行き着いた。
見たくもない男女の絡みを見せられて、仕事の専門性に考えを馳せていたのだ。橙子の悩みどころは徹の想像を逸脱していた。吐かせて正解だったと、徹は胸を撫でおろす。
「他人の土俵に上がっても無意味だ。畑違いなだけで、お前はお前でちゃんとプロの仕事をしているはずだ。そもそも接待じゃなくてただのセクハラだ。行く必要ない。訴えろ」
橙子は都度、報告をしている。上司は理解を示し、相談もできている。それでもご指名とあらば行くしかない。
「夏目次長が見兼ねてついて来てくれたの。そしたら夏目さんの前で『酒に付き合うぐらいなんだ。上司に取り入って出世したんだろう。他では枕営業もしているんじゃないか』って」
橙子は終始パンプスを眺めて一気に吐き出した。それから缶を思いっ切り煽った。口の渇き以外にも、急速な潤いを求めて。
相槌に舌打ちが聴こえた気がした。
「夏目さんは、『今まであんなのを相手にさせて悪かった。気にするな』って言ってくれた。本当に今は上司に恵まれて有りがたく思ってる。けど、疲れた……厭になっちゃた」
語尾は弱々しく消え入った。橙子のことだ、誰にも言わず溜め込んでいる。
「橙子」
口にしたら最後だと限界を超えても踏ん張ったに違いない。
「私って軽そうに見えるんかな。それともオバサンだから慣れてそうとか? わかんないけど、夏目さんたちにも徹さんにも申し訳ないなって──」
泣きたいときに泣けないのが橙子だ。
そんな橙子が唯一、徹の前では素を見せる。
「橙子!」
強めに呼ばれて橙子の体がぴくりと反応した。
こっち来い、と広げられた腕に迷わず飛び込む。しっかり抱き留められ、悔しさ、情けなさ、腹立たしさ、様々な感情が溢れだす。ずっと、ずっと、圧し潰されそうだった。仕事はおろか、自分の感情さえコントロールを失って、息苦しくてもがいていた。
徹の胸で、橙子はやっと深呼吸ができた。
「ごめんなさい」
徹の胸元を握りしめる指先が白くなるほど力が籠っている。
橙子は悪くない。邪な感情であわよくばの想いを抱くほうに問題がある。それなのに橙子はいつだって自分で自分の傷に塩を塗る。
「真面目なことぐらい知っている。わけのわからん輩の言い分に傷付くな」
徹は胸元の手を救い上げ、白く変色した指にそっと口付ける。
「力抜け。悪かった。もっと早く聞いてやればよかった」
指先に触れる唇の温かさに、橙子は凝り固まった気持ちまでも溶かされていくのを感じた。全てを話し終え、弱い部分を曝けだした。目元に滲む涙だけは見られまいと、徹の胸元に顔を押し付ける。徹はそれ以上詮索しない。髪を撫でる手はどこまでも優しい。
やはり徹は甘い。ぐずぐずに甘やかして私をダメにすると、橙子は心底震える。それでも「この人で良かった」と思う。この人を愛してよかった、と。
「徹さんも接待ある?」
「残念ながら公務員だ」
「あ、そっか」
興味本位の質問をする橙子は早々に復活を遂げたとみえる。それならばと、徹は少々乱暴に橙子を膝に乗せた。泣き顔でも見えると安心感が違う。
徹が覗き込むと、橙子から顔を寄せてきた。気持ちが楽になったのなら、後は余計な事を考えさせなければいい。上から順にワイシャツのボタンに手をかけ、橙子の胸をはだけさせていく。
「サービスしろよ?」
橙子の気づかぬ間にホックを外してしまうのは相変わらずだ。温かな手に背中を撫でられると瞬殺される。骨抜きにされた橙子の吐息に熱がこもる。
「おっパブ嬢じゃありませんー。言ったでしょ彼女たちはプロだって。私に真似できないよ」
背中を支えられて、徹の頭を掻き抱く。さっき橙子がしていたように、今度は徹が胸に擦りよった。徹の前髪が直接胸を掠めてくすぐったい。
「靴の魔法だかでなんとかなるだろ」
あ、わっるい顔。
胸元から楽し気に向けられた目が橙子を挑発する。
強面で渋みかかった素敵な男性は、素敵な靴を履いたままの私を高みに連れて行く。
それはそれは素敵な楽園に──。
「電器屋さんって楽しいよね」
「そうか?」
でしょうね。わかります。あの家だもの。
生活感がない徹の部屋を思えば、電気ケトルがあるだけ奇跡だ。橙子は率先してキッチン家電を見て回る。炊飯器、トースター、電子レンジにコーヒーメーカーと、全てが必要に思える。
「うーん。違うな。包丁とフライパンが先だわ。あとお皿も」
「お。引越すか」
「そうじゃないけど、簡単なおつまみぐらい作れてもいいかなって」
「料理すんの?」
「これでも少しは自炊してますぅ。麺類とか一品モノばっかだけど」
「で、何を買えば?」
「いや、だから。包丁とまな板」
「電器屋でか?」
「なわけないでしょ。ポンコツか!」
刃物や小物も置いてあるが、橙子としては間に合わせより選びたい。こと食器に関しては使い勝手を優先したい。
「移動だな」
「今から? 結構な荷物になるよ」
ふたりとも靴の大袋を下げているし、橙子には通勤バッグもある。
「飯、作ってくれんだろ?」
しれっとしたようで、甘い時間にだけ見せる蕩ける目をされてはたまらない。徹の色気に遭遇した橙子はレッドカードを掲げる代わりに首を振った。
「休みにゆっくり見てくる」
「そ? 頼むわ」
「言っときますけど、料理が得意なわけじゃないから期待しないでね」
「楽しみにしとく」
「聞いてた?」
「外食とコンビニ弁当で生きてきたからな」
「人間って丈夫よね。逆にあそこまで台所が空なのも不自然。元カノに作って貰わなかったの?」
そう言った瞬間に橙子は後悔した。音にした元カノという単語が深く胸に刺さる。
「俺の勤務事情知ってんだろ。今まで鍵渡したことなかったし、飯作って待たれても鬱陶しいだけだった。まぁ、相手の家で食わしてもらった気もするが記憶にない。ん? 何でお前が赤くなってんだ?」
記憶を探りながら話す徹の口調に嘘偽りがなかった。
橙子には合い鍵を渡し、ご飯を作って待って居ろとも言っているのだ。完全な特別扱いに、自惚れで体温が上がる。橙子は台所用品の買い物リストにレシピ本も付け加えた。
「今夜は食べて帰りましょ」
とんっと徹のお腹にグーパンして、橙子は嬉しさと恥ずかしさに反抗した。
***
風呂上り、徹は缶ビールを二本取り出した。リビングで、先に汗を流した橙子が真新しいパンプスに足を通して眺めている。包みを開けずにいられないほど喜んでいる姿に徹も満足だ。
隣に腰掛けてビールを渡すと、橙子はありがとうと受け取ってすぐ視線を足元に戻した。
「靴の素敵尽くしの魔法。知ってる?」
不意に問われた御伽話に心当たりが無い。聞いた当人が「知るわけないよね」と自己完結した。笑ったところをみると、そもそも期待していなかったようだ。
「素敵な男性から贈られた素敵な靴は、素敵な場所に連れて行ってくれる。素敵な場所に似合う自分であろうと努力して、素敵になって輝ける」
徹には初耳だった。どこか遠い国の言い伝えかなにかだろう。
「早口言葉か」
率直な感想だった。もう、と膨れた橙子も絵空事だと思っているに違いない。直ぐに表情を和らげた。
「私、これでもそこそこ稼ぎあるの。だから欲しいものは自分で買う。だって一番手に入らないのは『素敵な男性』でしょ! 魔法のスタートからして無理があんのよ」
徹には橙子の論点がズレている気がする。ひとまずリアリストということで納得しておく。依存性が低いのは確かだ。なんとなく支払いに細かい理由がわかった気がする。
「でも叶っちゃった。すごく嬉しくて幸せでびっくりだよ。魔法だねぇ」
「魔法ねぇ」
橙子の場合、妖術というほうがしっくりくる。パジャマ代わりに徹のワイシャツとモコモコのショーパンを着て、脚は丸出しだ。着崩した恰好にパンプスというアンバランスが艶めかしい。
悔しいかな、徹には先に片付けるべきことがある。
「全部吐け。寝れない理由と、セクキャバ通いの話も」
橙子は苦笑する。隠し事があるとばれている。内緒にするつもりでなくとも、話ていないのだから同じことだ。
全て話せば、徹は間違いなく橙子を最優先で庇う。橙子の欲しい優しさで包み込んでくれる。また甘やかされる。ダメになる。でも、逃してくれるわけがない。
「実は管理職に昇進したの。榊原部長の件があってのことだと思う」
「おめでとう。良かったじゃないか」
橙子は素直に喜べない。榊原の事件では、ボーナスに色がつけばラッキーという程度の期待しかしていなかった。まさか望まぬ役職を与えられて、正直なところ有難迷惑だった。
役職に見合った給料と一緒に仕事量と責任も増えた。プロジェクトチームの仕事はそのままに、勉強と称され未経験の営業もやらされている。
新しい学びの機会は負担でもある。
連日の接待も付随業務の一環だ。いわゆる「男性の遊び場」に連れ回されるのも、男性社会が根強い物流業界における取引先の洗礼だ。異例の若手管理職が女性となれば見極める目は厳しい。
使えるか否か、揺さぶりを掛けられていると、橙子も重々承知している。
「普段は散々怒鳴り散らして威張ってるおじさんたちがさ、はたちそこそこの女の子のおっぱいに吸い付いて喜んでいる姿を肴に酒を煽るっつーカオスね。社員が頑張って働いた分を経費で消費してんのかと思うとやるせないよ、ホント」
「社会的には珍しい話じゃないんだろうけどな」
「パブって、客にひとりは付くルールなんだってね。それで私も揉んだんだけど。揉みながら、その気のない同性を相手にしたり、キモイおじさんたちに濃厚なキスされて体をまさぐられることについて考えちゃった。お仕事としてこなす女の子たちの偉大さよ。プロだわーって感心した。そしたら自分がよけいに惨めになっちゃった。私は一体何やってんだろうって」
橙子の話は予想外の場所に行き着いた。
見たくもない男女の絡みを見せられて、仕事の専門性に考えを馳せていたのだ。橙子の悩みどころは徹の想像を逸脱していた。吐かせて正解だったと、徹は胸を撫でおろす。
「他人の土俵に上がっても無意味だ。畑違いなだけで、お前はお前でちゃんとプロの仕事をしているはずだ。そもそも接待じゃなくてただのセクハラだ。行く必要ない。訴えろ」
橙子は都度、報告をしている。上司は理解を示し、相談もできている。それでもご指名とあらば行くしかない。
「夏目次長が見兼ねてついて来てくれたの。そしたら夏目さんの前で『酒に付き合うぐらいなんだ。上司に取り入って出世したんだろう。他では枕営業もしているんじゃないか』って」
橙子は終始パンプスを眺めて一気に吐き出した。それから缶を思いっ切り煽った。口の渇き以外にも、急速な潤いを求めて。
相槌に舌打ちが聴こえた気がした。
「夏目さんは、『今まであんなのを相手にさせて悪かった。気にするな』って言ってくれた。本当に今は上司に恵まれて有りがたく思ってる。けど、疲れた……厭になっちゃた」
語尾は弱々しく消え入った。橙子のことだ、誰にも言わず溜め込んでいる。
「橙子」
口にしたら最後だと限界を超えても踏ん張ったに違いない。
「私って軽そうに見えるんかな。それともオバサンだから慣れてそうとか? わかんないけど、夏目さんたちにも徹さんにも申し訳ないなって──」
泣きたいときに泣けないのが橙子だ。
そんな橙子が唯一、徹の前では素を見せる。
「橙子!」
強めに呼ばれて橙子の体がぴくりと反応した。
こっち来い、と広げられた腕に迷わず飛び込む。しっかり抱き留められ、悔しさ、情けなさ、腹立たしさ、様々な感情が溢れだす。ずっと、ずっと、圧し潰されそうだった。仕事はおろか、自分の感情さえコントロールを失って、息苦しくてもがいていた。
徹の胸で、橙子はやっと深呼吸ができた。
「ごめんなさい」
徹の胸元を握りしめる指先が白くなるほど力が籠っている。
橙子は悪くない。邪な感情であわよくばの想いを抱くほうに問題がある。それなのに橙子はいつだって自分で自分の傷に塩を塗る。
「真面目なことぐらい知っている。わけのわからん輩の言い分に傷付くな」
徹は胸元の手を救い上げ、白く変色した指にそっと口付ける。
「力抜け。悪かった。もっと早く聞いてやればよかった」
指先に触れる唇の温かさに、橙子は凝り固まった気持ちまでも溶かされていくのを感じた。全てを話し終え、弱い部分を曝けだした。目元に滲む涙だけは見られまいと、徹の胸元に顔を押し付ける。徹はそれ以上詮索しない。髪を撫でる手はどこまでも優しい。
やはり徹は甘い。ぐずぐずに甘やかして私をダメにすると、橙子は心底震える。それでも「この人で良かった」と思う。この人を愛してよかった、と。
「徹さんも接待ある?」
「残念ながら公務員だ」
「あ、そっか」
興味本位の質問をする橙子は早々に復活を遂げたとみえる。それならばと、徹は少々乱暴に橙子を膝に乗せた。泣き顔でも見えると安心感が違う。
徹が覗き込むと、橙子から顔を寄せてきた。気持ちが楽になったのなら、後は余計な事を考えさせなければいい。上から順にワイシャツのボタンに手をかけ、橙子の胸をはだけさせていく。
「サービスしろよ?」
橙子の気づかぬ間にホックを外してしまうのは相変わらずだ。温かな手に背中を撫でられると瞬殺される。骨抜きにされた橙子の吐息に熱がこもる。
「おっパブ嬢じゃありませんー。言ったでしょ彼女たちはプロだって。私に真似できないよ」
背中を支えられて、徹の頭を掻き抱く。さっき橙子がしていたように、今度は徹が胸に擦りよった。徹の前髪が直接胸を掠めてくすぐったい。
「靴の魔法だかでなんとかなるだろ」
あ、わっるい顔。
胸元から楽し気に向けられた目が橙子を挑発する。
強面で渋みかかった素敵な男性は、素敵な靴を履いたままの私を高みに連れて行く。
それはそれは素敵な楽園に──。
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