世にも甘い自白調書

端本 やこ

文字の大きさ
上 下
16 / 42
東京編

仲直り(上)

しおりを挟む
 橙子は納得していなかった。
 俊樹が昼休憩を待たず電話をかけてきたことで、徹を怒らせたままであると知った。不本意ながらも徹の家に向かうのは、自分で行くといった手前があるからだ。
 珍しく徹の方が先に帰宅していた。
 着替えもせず、ソファを広く使って寛いでいる。

……ソファで一人寝してんじゃん。

 自分のことは全力で棚に上げる徹にモヤる。長い脚を投げ出して、袖捲りをした腕を組んで眠る徹を睨みつけてみるも、橙子は自分の弱さを噛み締めるだけだった。大好きポイントを刺激されて、ついつい顔がほころんでしまう。
 惚れた弱みってやつか。
 橙子は徹の背後に回る。多分に気がついているだろう徹に咎められる前に、首に腕を回して、にやける顔は徹のうなじに寄せて隠した。

「とーるさん、起きて」

 先手必勝。
 正面を切ったら、また言い争いにならんとも限らず。橙子は姿勢を貫いて先を続ける。

「この前はごめんなさい」
「反省してねぇだろ」

 徹の厳しさは持続中だが、橙子を振り払おうとはしない。

「そんなことないよ。まだへそ曲げてる?」

 懐柔の兆しとみえて、ほっとした笑みがこぼれる。図らずとも橙子の吐息が徹の首元をくすぐった。

「尾野に話すな」
「あ! ふふっ。揶揄われちゃった? だって怒ったままだなんて思わなかったんだもん」

 ふんと鼻を鳴らした徹が「こっちこい」と手の甲をひと撫でした。ソファの前に回った橙子は誘導されるがまま、いつもの、抱きかかえられるポジションに収まった。

「叱られる要素しかない」
「ぐえ。またお説教?」
「今度聞くっつったよな?」

 気が向いたらと言ったはずだと、橙子は口にできなかった。橙子を囲う腕が張りつめ、緊張とは違う切実さを訴えている。

「自衛してくれ。どうしてもひとりにさせる」

 ああ、そうか。
 橙子の腑にストンと落ちるものがあった。

「心配性だなあ」

 俊樹もだけど、と付け加える愚は犯さない。けれど、茶化さなければ泣いてしまいそうだった。

「犯罪者より犯罪が身近なだけだ」

 言わせてしまった。自分の間抜けさが恨めしい。
 橙子は全面的に自分に非があると自覚した。
 刑事という職業上の制約は理解しようと心がけていた……つもりだった。仕事によって構築される想いまで考え至らず、徹を苦しめてしまった。
 徹はただの空き巣にとどまらず、軽犯罪の延長線上に凄惨な現場を目にしているはずだ。そこに知人を重ねてしまう辛さに、橙子はようやく気がついたのだ。

「ごめん。徹さん。本当に、、、ごめんね」

 橙子はカラダを捻り、正面から徹に抱き着いた。謝罪するのは違うような気がするが、他に言葉が見つからない。

「急にどうした」

 徹の声に容赦が滲んだ気がする。
 甘い、と思う。
 徹の底なしの優しさにほだされていると痛感させられる。

「たぶん、わかった」
「そうか」

 ならいいと、後頭部を撫でられる。橙子はもう声を出せなかった。徹の首元で頷くことしかできない。
 徹も黙って橙子のしたいようにさせておく。
 橙子は天然要素が濃いだけで賢明だ。噛み合わない会話を理不尽に思っていたのは徹だけではないはずだった。徹の想いに気がついて受け入れたのだから、しばらくのうちに消化吸収するに違いない。

「……怖がらせたか」

 橙子の呼吸が落ち着いたのを見計らって、一番気になっていた拒んだ目の意味を問いただす。徹にとって、橙子の顔が見えない体勢なのは都合が良かった。

「怖いだなんて、一度も思ったことない」

 橙子から含み笑いが洩れるぐらい、見当違いだったらしい。
 変なヤツ。今日も一日、職場の女に怖がられて過ごしたってのに。
 徹も、橙子にばれないように口を閉ざして笑う。

「けど、疲れてるなら無理に相手するのは止めて欲しい。私に気を遣い過ぎなのはほんっと嫌!」

 首元から顔を上げた橙子が真剣な眼差しで訴える。橙子を理解するのに疲れている暇はない。
 徹は脳をフル回転させ、記憶を呼びだし、噛み砕こうと試みる。

 駄目だ。
 わからん。

 橙子の言葉に思い当たる節は微塵も見当たらなかった。

「気を遣ったことも、無理をしたこともない。第一、俺にそんなこと出来るわけがない」
「ぅえっ⁉ 疲れてる時はそう言って欲しいって話なんだけど」

 怪訝な顔で覗き込まれ、徹は橙子を撫でていた手を止めた。
 
「まぁ、疲れてはいるぞ。んなもん、働いている以上お互い様だろ」
「疲れてる時、私が居たら鬱陶しくない?」

 徹を慮っての言葉だった。橙子自身は、疲れている時こそ徹を求めてしまう。甘えたくて、ここへ足を運んでしまうのだ。徹がどう受け止めているのかはわからない。

「俺の癒し担当だろうが。常に疲れて帰ってくるんだから居ろよ。ここに」

 徹の溜息が柔らかくなった。
 橙子の鼻の奥がツンと熱くなる。真正タラシ出た、と落ち着かなくなる。愛を語らず、愛情を伝えてくれる。徹そのもので、何度だって惚れ直す。

「ねぇ、とーるさん」

 と、橙子は両頬を包み込んで額同士をくっつけた。本当は徹にして欲しかったのだが、恥ずかしがりな男が甘えるわけがない。だったら私からすればいいんだ、と橙子は徹の真っ直ぐな目を見つめてゆっくりと口づける。

「後からナシって言うのナシだよ?」
「言わん」

 不明な返しが出てくる前に、徹からゼロ距離に詰め直した。橙子は見極めようとしているのか、瞬きしない目が微かに潤んできた。
 橙子の熱を帯びた目に怯えも憂いもないことを確かめて、徹は心底ほっとした。
 この先も橙子を傷つけることもあれば怒らせることもあるだろう。挽回できる類のことを恐れるものか。
 なによりも橙子に拒まれるのが一番堪えるのだと身に沁みた。
 拒まないでくれとは言えず、

「もう勝手に出ていくな」

 そう呟くだけが精一杯だった。
 橙子がもう一度短く唇を合わせてきて──徹にははっきりと了承の意だと届いた。

「ご飯食べに行こっか。徹さん何がいい?」
「はあ?」

 徹から渾身の馬鹿にした音が出た。飯の心配をする状況か、と徹は虚を突かれてしまった。意味が分からないどころか、空気が読めなさすぎる。
 
「ご飯とお風呂が先!」

 空気を読んでいなかったわけではないらしい。
 が、却下だ。

「飯食ったら、まぁた腹が出るだのなんだの言うだろ。んなもん付き合ってられるか」
「だめっ。後回しにしたら何もできなくなる」
「一食抜いても死なん」
「ムリムリムリムリムリっ」

 橙子が慌てて徹の首に回していた腕を解いた。徹はほぼ反射でその腕を掴んだ。

「むぅ」
「諦めろ」

 眉根を寄せて真っ直ぐ睨む橙子がどことなく情けなく、徹はついつい笑ってしまう。
 雰囲気がぶち壊れたついでに、徹は「よいしょ」っと立ち上がった。

「オジサンのくせに元気ありすぎ」
「オッサンでもいちおう警官なんで。そもそも刑事なんて体力勝負でしかない」
「オバサンはただのOLなんだけど」

 橙子の非難はあからさまな無視を決め込んだ。
 オバサンでもOLでも噛み合わなくとも気にしない。徹が求めるのは橙子であって、橙子であればいいのだ。
 ただの橙子の手を取って寝室へ移動した。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...