世にも甘い自白調書

端本 やこ

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東京編

その後輩、亜紀(下)

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 亜紀がピザを食べる。
 口いっぱいに頬張る姿は冬眠前の小動物さながらのかわいらしさがある。もぞもぞと咀嚼して、指についたソースをペロリと嘗めとった。あどけなさが残っているようで、不思議と年相応の色も含み……俊樹は男性ならではの想像を掻き立てられる。
 国枝に紹介する案は先延ばし確定だ。
 俊樹が観察眼を光らせるとも知らず、亜紀は「食べないの?」と次のひと切れに手を伸ばす。

「食べるよ。けど、おもてなし優先ですから。なんたって、今日の俺は橙子のお礼でしょ」
「そんな皮肉、意地悪ですよ」
「けどさ、なんでまた?」

 俊樹との食事を希望したのだろうか。それも橙子抜きで。
 過去に、橙子もいる席で、亜紀と男女の付き合いをする気がないとはっきり断ったことがある。仮に冗談半分だったとしても、過度な積極性を出すほどの恋心があるとは思えない。
 第一、亜紀に執着されていたならば、いくら橙子の頼みでも俊樹は引き受けなかった。

「助けていただいたから」

 ピザをごっくんと飲み込んだ亜紀は、口元と指を拭ってから姿勢を正した。思わず、俊樹も手を止める。
 俊樹が亜紀を助けたとなると、榊原絡みの事件で違いない。

「あの時は本当にありがとうございました」

 誠意のこもった感謝に、俊樹も畏まって「どういたしまして」と返す。
 亜紀が律儀なのは性格だろうが、橙子の教育の賜物である気もする。いずれにせよ、亜紀へのお礼は、亜紀からのお礼の機会でもあったのだ。
 悪い子じゃない。
 それどころか、好感指数は爆上がりだ。

「亜紀ちゃんも災難だったね」
「まっじクソ井上殴りてぇ~」

 好感度やや下がり。
 亜紀の一発で終わらなさそうな勢いが照れ隠しになって下げ止めになる。
 俊樹は少々お兄さんぶって「あとは専門家に任せなさい」と諭した。

「けど、まぁ、あれだ。お礼を言わなきゃなのは俺だよ。亜紀ちゃんが異変に気づいてくれなかったら、橙子は無事でいられなかった」
「色んな偶然って重なるもんですよねぇ」

 俊樹からのありがとうを拒むかのように、亜紀が重ねた。相当な照れ屋さんらしい。俊樹は亜紀の言葉に同意して引き下がる。

「尾野さん、本当に橙子先輩大好きですね」
「うん」
「ふられてもめげない強さが羨ましい」
「めげてるよ」

 あっさり返すと、亜紀が「ふーん」と注意深く俊樹をみてきた。揶揄い返してくると思っていただけに予想外の反応だ。
 めげてるのは本当であって、嘘でもある。
 ただふられただけならまだしも、橙子の相手はあの徹だ。俊樹の心配は尽きない。ふたりに距離が近すぎて、諦めるどころかふられた気がしていないのも正直なところだ。

「誰ですか? 橙子先輩の相手」
「え? あ、まだ聞いてないんだ」

 私には言えないのか、言えないような相手なのか、と畳みかける亜紀が眉を顰め、、、俊樹には少々痛ましく思えた。

「浮気でも不倫でもない。そこは安心していいよ」

 橙子と徹、どちらも恋に盲目になるタイプではない。徹に関しては、なんなら少しぐらい現を抜かして仕事に支障をきたしてくれたらおちょくれるものをと思うぐらいだ。
 橙子はようやく叶った恋を大切にしているのだろう。同僚で元婚約者という微妙な関係の淳二のことがあって、会社関係者には話し難いだろうことは想像できる。それに、なにより、徹と俊樹の刑事という立場を考えてのことに違いない。

「橙子本人に聞いてごらん。今なら話すと思うよ。亜紀ちゃんにはね」
「それって付き合い始めたってこと? そっかー。いいなぁ。先輩、言えたんだ。やっぱすごい、あの人」
「すごいかぁ?」

 少し前まで橙子は「告白なんて絶対しない」と曖昧なままでいようとしていた。ぐずつく橙子の姿も知っているだけに、俊樹は賛成しかねる。

「色々けじめつけてからじゃないとって感じだったから」
「あぁ。うん。それね。そういうことなら、うん。ちゃんとしてる子やでな」

 橙子に隠し事をされても信用しきっている。その点、俊樹も亜紀に同類だった。
 そして、真っ直ぐな亜紀の潔さに気持ちよく思うのは、きっと橙子と同じだ。
 食事を終えて、俊樹は寮まで亜紀を送る。なんだかんだで、寮まで来たのは初めてだ。パッと見で防犯設備が不十分だとわかる。女子寮にあるまじきと、渋い思いで見渡した。

「橙子先輩の部屋、電気ついてる。呼びます?」

 亜紀の指す部屋を仰ぎ見て、また連絡するからいいと申し出を断った。
 俊樹自身、不思議に思うが、なんとなく、橙子に会う気分じゃない。

「私も橙子先輩みたいにひた向きで、尾野さんみたく諦め悪くなってみよっかな」
「早めに白黒つけたいタイプでしょ?」
「そうだけど……それだと自分の気持ちは置いてけぼりだし、幸せ掴めないような気がする」
「攻めるね」
「憧れてばっかじゃね。少し努力してみようかなって」
「別に誰かの真似しなくてもさ。俺はそのままでいいと思うけど」

 誉める。慰める。そんな大それたことではない。俊樹は純粋に、人はそれぞれでいいと思っている。
 俊樹の言い分をどう受け止めたのか、亜紀は大きく目を開いて見上げてきた。
 息をするのも忘れて驚いて、頬まで染めて──ナニコレ、可愛い。
 はっと我に返ったのは俊樹の方が早かった。気恥ずかしさを取り繕って、低い位置にある頭に手を伸ばした。ぽんぽんと弾ませて、一方的に別れの挨拶を投げつける。

「ほら。もう行きな」

 俊樹に促され、亜紀も曖昧な言葉を呟いて数歩進んだ。
 ふいに立ち止まり、急に振り向いて足早に舞い戻ってきた。

「っ!」

 亜紀の小ぶりな左手が俊樹のネクタイを乱暴に引っ張った。
 前のめりになった俊樹の首裏を、亜紀の右手ががっちりぶら下がる。
 その瞬間、俊樹は唇に温かな感触を覚えた──。

「えっ」

 あまりに想定外な出来事に、俊樹は初心な反応でされるがままだった。

「ごちそうさま」

 ぷっくり柔らかい唇が、俊樹の少しがさついた唇の上で踊った。
 決して短くないキスの後に囁くには不釣り合いで、それでいてぴったりな挨拶だった。

──マジか。男前やな。

 適当な返しが見つからず、まごつく俊樹を置いて亜紀は走り去っていく。
 小さくも大きく見える背中が建物の中に消えてなくなるまで、俊樹は微動だにせず見送った。
 
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