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第7章 陰謀、そして発展

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 退院後、橙子はさらに一週間を自宅療養で過ごすことになった。会社の厚意というやつだ。代休も有給休暇もたんまり残っているので、ありがたく享受した。
 休暇中といっても事件に付随するやりとりは必須だ。会社の法務部や顧問弁護士からの連絡はひっきりなしで、出勤した方がよかったのではと思わせるぐらいだ。
 難しい話ばかり聞かされて気が滅入ってくる。
 正直なところ、説明を聞いても理解が及ばない点が多い。橙子は早々にお手上げ状態で、矢田の仲介に助けられている。といっても、最終的には全て専門家に任せると丸投げだ。
 体力の回復と気分転換を兼ねて、ここ数日は外出するように心がけている。
 今日は昼前に寮を出て、東京駅にきた。

「淳二っ! 待って」
「橙子⁉」

 人ごみをかき分けて、橙子は探していた人物に辿りついた。
 淳二がここを経由することは、亜紀から知らされていたのだ。

「よかった。見つかって」

 淳二は榊原から助けるために力を尽くしてくれただけでなく、橙子の入院中も仕事関連の調整をかってでていたことも聞いていた。
 会えなくなる前に、どうしても直接伝えたかった。

「後処理とか、仕事も、ぜんぶぜーんぶお世話様でした」
「おっまえ、ふざけんな! 俺が見届けるって言っただろっ」

 橙子が裏の責務をやり遂げる決意を固めたのは、淳二のためでもあった。
 橙子が山藤力也に突きつけた条件は、淳二を山藤から解放しろという一点のみだった。淳二の自由と未来の斡旋を要求したのだ。
 もちろん、社長もタダで橙子の条件を飲んでくれたわけではない。橙子の退職届はその場で破棄された。少なくとも、一連の件がきれいさっぱり片づくまでは、何枚提出しても受理されないと、橙子も納得した上での取引だった。
 力也は約束を守ってくれた。
 橙子は少しも後悔していない。
 近く、淳二は蜂須賀系列の企業に移る。あっという間に転職が叶ったのは、力也が圧力をかけるどころか根回しをしてくれたからだ。淳二の意向で、蜂須賀と提携のある海外IT関連企業への出向が内定している。

「榊原が消えた今、もう私に危険はないでしょ」

 満足気な橙子の顔を見て、淳二は泣きそうだった。
 退職する前に、仕事や身辺整理が必要だ。名古屋へ帰るために、今、ここにいる。
 橙子には会わずに行くつもりだった。
 会えば決意が揺らぐ気がしていた。海外出向を希望したのは、心機一転自分の力を試したい気持ちと、過去を思い出さず、橙子を考えず、がむしゃらになれる環境に身を置きたいと考えたからだ。

「ずっと助けてくれてありがとう」

 橙子からの感謝は、事件に関することだけじゃない。ふたりの軌跡、それこそ幸せな思い出もそうでないものもひっくるめられている。
 淳二は言葉を返せない。
 今でも一緒に連れて行きたい。
 愛しているという言葉を必死に飲み込む。
 橙子を守るつもりが、総てを懸けて守られた。
 淳二はゆっくりとした動作で橙子にハグをする。橙子から受け取った気持ちと同じ想いを両腕に乗せる。

「なんかあったら小高さんに相談しろな。あの人、蜂須賀だから」
「えええっ! うっそでしょ⁉」

 耳元の内緒話の衝撃に、橙子は勢いよく体を離した。淳二が淳二らしい爽やかな笑顔で「ホント~」と笑う。

「いくら社長の力添えがあっても、こんな短期間に話がまとまるわけないっしょ。元々、小高さんが俺たちを逃す、っつーか、獲得するために動いてたんだから」
「それ言っちゃっていいの?」
「駄目にきまってんだろ。橙子次第で小高さんの窮地だな♪」
「わっるぅ! 最後にそんな爆弾投下するとかほんっっと考えらんない!」
「うるせぇよ。先にとんでもない無茶したのはお前だろ」

 もう絶対に無茶はするなと、淳二に両手を握られた。プロポーズを受けた時がフラッシュバックする。淳二の最上級の真剣さだ。
 だから、橙子も真面目に答える。

「分かってる。もうしない」

 今回の件で、橙子は自分の小ささや不甲斐なさを嫌と言うほど味わった。同時に、自分にもやれることがあるということや、助けてくれる人がたくさんいるということも知った。
 人に恥じるところなく、自分を偽らずありたい。

「それと、あの刑事だろ? 橙子の新しい男」
「んー? トッシーは周平たちと同じだよ」
「それって、あの高校の仲良し同級生ってこと?」
「ピンポーン。彼もそのひとり」
「マジかっ。あー、なるほどね。だからあんだけキレ散らかしたんか」
「キレ散らかすって?」
「グーパンで榊原ぶっ飛ばした」
「うっそ、それマズイんじゃ……」
「大丈夫。全員見て見ぬふり決め込んでた」

 警察の連携プレーは見事だったと、淳二が思い出し笑いをする。光景が目に浮かび、橙子も釣られて笑ってしまう。

「でも、そうじゃなくてさ。あの背の高い方」

 伺う視線を寄越す淳二は、断定的だ。多分、全部バレている。

「当たりだな」
「その、前も言ったけど、ちょっと微妙な関係だから」

 橙子が自信なさそうに伏目になった。見透かされて困惑していると、淳二は捉えた。
 長身の刑事は保護した橙子を、宝物を扱うように大事そうに抱きかかえ救護班の到着を待っていた。橙子は覚えていないだろうが、救急隊に引き渡されると不安げで、刑事の腕から降りようとしなかった。信頼して預けきっているのが苦しいほどよくわかった。そんな橙子を無理に引き剝がさず、刑事の男はゆっくり安心させつつ救助隊員に託した。彼の行動は愛情に溢れていた。
 橙子は間違いなく愛されている。

──だから、ちゃんと本人から聞かせてもらえ。

 淳二はあえて橙子に「大丈夫だ」とは言わずに置いた。ふられた男の最後の悪あがきだ。

「俺、この先何があっても携帯番号変えないから。何年先でも困ったことあったら連絡してこいな」
「そう? じゃ、私もそうする。淳二って危ない橋渡りたがるから、絶対怪我するもん」
「もう借り作らねぇよ」
「どうだか」
「うん。あんま自信ない」
「でっしょー。ま、用がなくても帰国した時ぐらい連絡してね」
「そうな。焼肉でも餃子でもガッツリ奢る」
「期待してる」

 寂しさはある。
 けれど、これが最後の別れじゃない。
 淳二は社交辞令を交わすような間柄じゃない。
 必ず、また会える。

「そろそろ行くわ」
「ん。元気で」

 未来に待っている再会を楽しみにすればいい。
 橙子にできるのは笑顔で送り出すことだけだ。

「いってらっしゃい」
「いってきます」

 きっと淳二は振り返らない。
 橙子は最後まで背中を見送らず、180度回れ右をして新しい一歩を踏み出した。
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