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第1章 事案発生

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 二度寝は気持ちよく、徹も深く落ちていたが、昼を過ぎた頃には気がついた。橙子が自然に目を覚ますまで、徹はあえて起こさずにいた。

「んんっ」
「少しはマシになったか?」
「ん?」
「二日酔い」
「あ……えぇ。お陰様で楽になったような気がします」
「そうか」

 さすがにタイムリミットは越えた。徹にはこれ以上引き留める術がない。橙子ももぞもぞと妙に落ち着きを失くしている。二人無言で起き出して、昨夜コンビニで買った食料をリビングで食べた。

「これ。悪いな、洗濯すべきか悩んだんだが」

 橙子に酒まみれのワンピースを差し出す。普段、自分のスーツは全てクリーニングで済ます。橙子のワンピースもスーツ仕様なため、洗濯機に突っ込むのは止めておいたのだ。

「そんな! すみません。そのままで大丈夫です。着替えに脱衣場をお借りしても?」
「それ着るつもりか?」
「帰るだけですし」
「家まで送る。そのまま着てけ」

 それ、と徹は橙子が着ている自分のスウェットを指した。

「そこまでご迷惑はかけられません」

 恐縮して慌てふためく橙子に「今更だろ」と説き伏せた。
 着の身着のままだから、帰り支度といっても汚れたワンピースをコンビニのビニル袋に入れるだけだった。
 家を出る時に、橙子が忘れ物をしたと一旦部屋に戻った。
 徹は先に出て、車のエンジンをかけ、暖房を利かせて待った。

 橙子を社員寮まで送り届ける間、会話はぎこちなく、ほとんどしなくなっていた。
 どれだけ惹かれていようが、心を通わすことはないだろう。仕事が仕事だけに、徹にとって始まりは終わりを意味する。一夜限りの相手と違うのは、共通の知り合いがいるという一点のみだ。連絡先を交換せずとも、連絡を取ろうと思えば簡単に取れる。ただ、一体どう連絡をして何をすべきなのか皆目見当がつかない。
 会えば間違いなく求めてしまうだろう。
 そのくせ、はっきりと名のある関係に発展させる気はないのだ。
 体だけの関係を続ける選択はある。割り切れるのならばという注意書きつきでは、苛立ちと虚無感に押しつぶされるのは目に見えている。
 いずれにせよ、橙子にとっては迷惑極まりない話だ。最低で、傷つけるだけだ。

「本当に何から何までお世話になりました」
「いや。大したことは何も」

 徹は手に入れていないのに失うのが怖いという、支離滅裂な感情に弄ばれている。
 そもそも橙子にどう思われているか分からない。もしかしたら、決まった相手がいるのかもしれない。
 身体を知った後でも、彼女のことは何一つ知らないのだ。
 今の徹はただの意気地なしだった。
 しみったれで卑小な感情だと痛いほど理解しているのに踏み出す勇気がない。
 ガキの初恋かよ……。
 何度目かわからない自嘲を繰り返す。

「駅から二つ目の信号を右に曲がってすぐです。うちの営業所があるので、そこです」
「営業所?」
「はい。営業所の上が女子寮になっているので」
「なるほどね。あぁ、あれか」

 入口から少し手前、営業所からは見えないだろう位置に停車させた。
 橙子が何度か礼を口にして、車を降りた。
 刑事の習性で、橙子が建物に入り、部屋に入るだろうまでの時間、その場で見届けた。橙子は一度も振り返らなかった。

 橙子を送り届けた徹は真っ直ぐ自宅へ戻った。
 鍵を放り投げ、ぼすっとソファに沈み込む。今更ながら、何もアクションを起こさなかったことに後悔が押し寄せている。
 今この瞬間にも仕事で呼び出されたら、小うるさい俊樹に纏わりつかれるだろう。俊樹をみるだけで橙子を思い出してしまうような気がしてならない。そして、そんな俊樹と四六時中一緒に働かないといけないとは一体何の拷問か。
 勘弁しろよ。
 俊樹をはぐらかすに苦労はないが、自分自身はどう騙したらいいのかわからない。
 橙子がちょこんと座ってパンを齧っていた場所に視線を泳がせる。たった一晩で、この殺風景な部屋にも橙子の影が残されている。そんなことを思う自分が信じられない。
 ふと、ローテーブルに見慣れない封筒を見つけた。家を出る前には気がつかなかった物だ。
 橙子の勤める会社のロゴが入ったその封筒に、少し癖のある角ばった文字が記されている。

──ありがとうございました。タクシー代です。橙子

 嫌な予感を胸に中身を確認すると、タクシー代には明らかに多すぎる紙幣が一枚納められている。

「くっそ」

 徹は封筒ごと強く握りしめた。
 タクシー代だけでなく、迷惑料とでも言いたいのか。
 気持ちを金に換えられた気がしてやるせない。
 後悔が渦巻き、意気地のなさに苛まれた頭では悪い方にしか考えられない。
 ぐしゃりと皴寄った封筒を鍵の上に放り投げた。

 ソファに仰向けで転がり、片腕で目を覆う。思考を手放そうと努力するが怒りの混ざった寂しさが広がるばかりだ。
 金を受け取るわけにはいかないと理解しながらも、返すという面目が成り立つところまでは考え及ばない状態であった。
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