デラシネの風見鶏

端本 やこ

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本章

06

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 意識が飛んだ先──私は焼け落ちた家の上に転がっていた。

 焦げ臭い煙を朝日が照らし始めた頃、私は魔法使いの慟哭で二度目焼かれることになる。
 赤く爛れる私を見つけた魔法使いは、火傷を負うのも気にせず私を抱き上げた。
 一夜にしてすべてを失った彼は、ふらつき、よろけ、転んでも、私を離しはしなかった。
 私は小脇に抱えられたまま、魔法使いが自らが受けた仕打ちと同じ方法で一国を滅ぼす様を見届けた。天気を操る魔法は火の雨を降らせ、一刻の間に焦土を成した。
 業火に焼かれる人間たちの終わりはあっけなかった。
 数時間前の私たちの苦痛を味わわせてやりたかった……あの時、私たちはまちがいなく鬼畜に成り下がっていた。
 だから、きっと、永遠の逃避行は私たちが受けるべき罰なんだ。

「宇多」

 不意に力強い声で呼ばれた。
 私に意識させようとしているのだと気が付いて、薄らと目を開ける。
 良太が私の膝を割り、より濃密な精を注がんとするところだった。
 もう一度「宇多」と、今度は柔らかく頬を撫でる。

「りょ、た」

 私は彼の真名を知らない。イアンが呼んでいた名前ならば覚えている。けれど、私がその名で良太を呼ぶことはない。絶対に。

「すまない。俺にも分からない」

 魔法使いといえども生死を操ることは不可能──なはずだった。
 しかし、奈落の底に落とされた魔法使いは金属の屋根飾りを生身の肉体を持つ人間に創り変えた。
 神業を成し遂げた瞬間の魔法使いの顔は忘れない。
 怒っているように、悲しんでいるように、苦々しく歪められた顔は、丁度今と同じ。

「お前は俺なしでは生きられない。お前は俺とともに生き続けるんだ」

 歯を食いしばって私の中心に腰を沈める。
 魔女狩りを免れた魔法使いは禁忌を犯す。
 何度も、何度も、何度も、何度も。
 良太の体が私の体内に出入りしているこの瞬間だけは、良太の愛情が私にだけ向けられていると感じられる。
 そのくせ、体を揺さぶられれば揺さぶられただけ、愛情の本質なんてどうだっていいとさえ思う。
 哀れみだけで私という面倒を背負い続けるわけがない。
 私は、私は良太が抱いてくれるのであればなんだっていい。
 性を交じえれば、私は良太の傍に居続けられる。
 良太に抱かれて生きていると実感する。

 ふたり生き残ったあの日から、私の世界は良太とふたりっきりになった。
 それまで私は、良太に撫でられる仲間が羨ましかった。
 嫉妬はしていなかった。
 それは本当。
 だって幸せそうな彼らを見守るのが私の喜びでもあったから。
 けどね、触れられて初めて気付いちゃったんだ。
 心とは別に複雑な感情が芽生えた。
 恋に落ちた、のだと思う。
 人形に生まれ変わった私を初めて犯す良太に。

 自らが成し遂げた偉業に震える体。
 恍惚の光を宿した眼。
 彼は全身全霊で精を私に注ぐ。

 最高にセクシーだった。
 彼が私だけのものになればいいと本気で願った。
 私の馬鹿な願いを知ってか知らずか、魔法使いは「ウィンディ……俺だけのウィンディーネ」と名前を与え、命を吹き込んだ。
 喜びで泣けた。
 私の産声は喘ぎ声だった。
 泣いて、喘いで、喉を枯らして、私はこの人を幸せにしてやるって心に決めた。
 
 良太を感じて、喘いで、そして満たされる。
 何度味わっても最高の気分。

 良太は500年もの間、私を抱き続けてきた。
 決して手を抜くことなく、私を隅々まで検査して愛撫した。
 メンテナンス作業を終えると、決まって「綺麗だ」と言う。
 精力に満ちた私は溢れんばかりの生命力がみなぎっている。
 良太が与え、良太が恵んだ「生」が。
 生は美しい。

「ねぇ、良太。元気ついたし、明日からまたボチボチ出かけるからね。心配しなくていいから」

 引っ越し前、私は決まってひとりで外出する。
 10年過ごした街に別れを告げるためと言えば大げさだけれど、思い入れのある場所に赴いたり、気に入った料理を食べ納めるのだ。
 次に来るのが、何十年後か何百年後になるか神のみぞ知るってやつ。その頃までお気に入りが残っているとは限らない。
 とは言え、感傷に浸るのとは違う。
 変わってしまう名残惜しさはあっても、変化は受け入れる。善し悪しあってこそ、文明文化は栄えるものだから。
 散歩しながら時代を目に焼き付ける。
 小学生の絵日記と同じで記録みたいなもの。
 離れる段階になって、急に愛着が湧いたりもしてさ。結構楽しい。

「ちゃんと挨拶しとけよ」

 誰に、とは言わない。
 良太が私に何をさせたいのかは分かる。
 するつもりがないわけじゃないのだけど、畏まっったことはナシで離れようと思っていた。それがバレているのかも。
 生き物を殺め、国までも沈めた過去があるくせに、人情味なんて醸してきやがって。

「良太はいいの?」
「勘弁して」
「冷たい」
「なんとでも。今生のあいつらとは関係ないもんで」

 紗也加たちに出会う前から、良太は一度も会いたいとも謝りたいとも言ったことがない。彼女たちに前世の記憶があるわけないし、既に赤の他人であるのも確か。
 良太のように達観することも割り切ることもできず、過去にしがみついているのは私だけだと分かっている。
 それでも頭で理解するのとは別のものがある。
 少なくとも、風……というか空気を読むのは得意なほうだと思ってる。

「いいなら、いいけど」

 渋々引き下がると、いい子だと言わんばかりに頭を撫でられた。
 本当は、今回だけは一緒に引っ越し前の儀式に同行して欲しい。
 ひとりでは心細い。
 正直に言うべきなのだろうけど、言えない。
 言ったら、きっと良太は馬鹿にするか、呆れる。もしかしたら怒るかもしれない。そのどれもが怖いわけじゃない。
 私が怖いのは、、、捨てられてしまうこと。
 手に入るはずのなかった肉体を持ち、生を受けてから、ずっと恐れてること。
 そして、同じぐらいずっと、ずっと、ずーっと夢にみていることがある。
 紗也加、詩乃、理都子のおかげで、現実味を帯びた夢はどんどん私の期待を膨らませた。

 会いたい。

 どうしても会いたい。
 会って欲しい。
 私だけじゃなくて、良太にも。
 良太が会ってしまえば、私は捨てられるだろう。
 会えなくても捨てられる可能性があるのならば、会えて捨てられる方がマシ。

 ねぇ、どこにいるの?
 今、なにをしているの?
 お願い、出てきて。
 貴方に会えさえすれば、私はなにも望まない。
 どんな最後だって素直に受け入れるから。
 だからお願い。
 もう一度、私たちの前に現れて。
 お願い、イアン──
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