デラシネの風見鶏

端本 やこ

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04

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 10年一区切り。
 それが私と良太の生き方。
 世間に溶け込むには10年というスパンが丁度いい。短すぎても長過ぎても不自然。
 誰の気を留めることなくひっそりと在り続けられればいいのだ。

 良太に引越しの決意を伝えてから仕事量をセーブしつつある。
 パソコン一台あればどこでもできる仕事だから、地球上どこに引っ越したって問題はない。
 ただ、初めて滞在する地域であったり、一世紀ぶりぐらいに訪れる場合、翻訳以外の仕事を兼業する。といってもほんの少しの間、学生として学校へ通ったりレストランでバイトする程度。その時代、その地域の文化を、吸収するのが目的だ。

「ねぇ、良太。次、どこ行く?」
「中国」

 思っていたより近い。
 引っ越しには大陸を跨ぐことが多く、同じアジア圏内で移動するのは珍しい。

「もっと楽しそうなとこにしようよ。ジャングルにゴリラを観に行くとか、ウユニ塩湖の写真撮りに行くとか、マッターホルンでハイキング三昧とかさ。なんなら地球から離れてみるとか」
「中国なら違和感がないはずだ」

 現在、漢方医学で生計を立てる良太と、複数言語の翻訳をする私。どちらの生業を言い訳にしても成り立つ。それに見てくれや名前を変える必要もないだろう。
 世界中どこでも仕事ができる反面、プライベートもまた繋がる。無難に行き来ができる距離感を保てということならば、珍しく「親友」たちを人生に招き入れた私の落ち度ともいえる。

「別に帰ってくる想定はしなくても」
「この先、結婚式だのなんだの呼ばれるぞ」

 何百年も人付き合いを避けてきたわけじゃない。行く先々で、ご近所付き合いもあれば、顔見知りだっていた。不特定多数の記憶から巧く抜け出してきたのだから、今回だって……。

「そんなの」
「宇多」

 意固地になるな、と良太は言っている。
 不意に「grace」という単語が浮かんだ。
 気品、好意、恩恵、、、とでもいうのか、私が浴するもの。私を溺れさせ、どっぷり漬からせるもの。
 もう十年ここに居ようとは言わない辺り、甘やかすだけじゃない。
 けれど厳しくはない。
 絶妙なコントロールは、いつだって私を黙らせる。
 だって、これ以上の希望も文句も言えたものじゃないでしょ。

「分かった。私も物件探してみる」

 引っ越しに慣れている私たちだから、住む場所さえ決めれば簡単なもの。
 元々荷物は少ない。
 必要なものは現地で買い揃える。
 魔法でどうにでもなることにお金をかけるのは、人としての足跡を残すアリバイ作りみたいなもの。
 もう二度と理不尽な思いをすることがないように、私たちは私たちの意思で世界を旅している。
 これからも、これまでしたきたように、ずっと。

 私がまだモノ・・であった頃の記憶が脳裏を過る。
 遠い昔の、辛く悲しい物語。
 生々しい光景に苦しめられる一方で、あの事件が私を生んだのだから複雑だ。運命の糸が私に纏わりついて、絡まる。
 胸に入れた空気が重さを増して、鼻から塊となって出てきた。

 ふう。
 こんな時は気分転換。
 少しだけひとりになりたくて、私はこっそりと靴を履いた。

 夜風に当って歩くことしばし。
 過去は過去に戻っていった。
 もう大丈夫。
 景気づけにレモンサワーを仰ぎ、あたりめを引き千切るようにして噛み切る。

 1.5メートルほど隣に犬が繋がれた。頭をひと撫でされた犬は、私が握る缶に反射する光を見つめて「ハッハッハッ」と舌を出している。
 コンビニで買い物をするご主人様を待つ忠実な犬。
 野生の、しかも成獣の狼を飼い馴らすだなんて、私の知る限り偉大な魔法使いにしかできない所業だ。
 狼はいつ犬に変化して、変化した犬はいつ家畜化されたのだろう。
 人の手から餌を与えられて生きる犬の愛嬌に、紗也加を思い出す。
 短い呼吸を続けるワンコに、あたりめを一切れお裾分けしようかと思って、止めた。だって、紗也加じゃないし、そもそも犬がスルメを食べるのか知らない。

「何してんだ」

 ワンコの横にしゃがみこんでいる私を、人型の影が覆った。

「何って、日本を満喫?」

 深夜帯に女子の独りピクニックが叶うのは日本ぐらいのものだ。
 良太から吐かれた重い溜息が、私の頭上に届く。

「深夜にふらっと出てったと思ったら、ヤンキーの真似事か」
「ヤンキーって……久々に聞いたわ、その単語」
「酒とつまみぐらい買って帰ってこればいいだろ」
「美味しさは味だけじゃないの。店の雰囲気だとか環境もあってこそ」
「コンビニの駐車場が、ねぇ」

 気分転換の夜の散歩、通りかかったコンビニでおやつを買って食べていただけのこと。
 大したことじゃない。

「子どもじゃないんだから、ちゃんと帰るって」
「事件事故の類は人を選ばない」
「心配しすぎ」
「するさ」

 短い一言に込められた力強さに、私は良太を見上げた。言葉とは裏腹に、感情の読めないフラットな顔つきをしている。

「私が巻き込まれたら助けてくれるでしょ?」

 事故でも事件でもと、冗談めかして言ったのは、「当たり前だ」の一言を期待してのこと。
 それなのに、良太が言葉を発する代わりに、ワンコが「くぅん」と敗北を鳴らした。リードを張って私から遠ざかり、怯えて震える。ガタガタと目でみえるほどに。

「茶々丸! 嘘でしょ、こんなところでマーキングしないでよ」

 コンビニから出てきた飼い主が、慌てた様子で繋いだリードを解く。遠慮がちに私たちに会釈を残し、いそいそと茶々丸を引っ張って行った。

 事件も事故も起きていないというのに、良太は私の冗談を冗談として取ってはくれなかった。
 動物が怯え、あまつさえ失禁してしまうほどの殺気を放つだなんて大袈裟。

「私が襲われでもしたら犯人殺されるね」
「殺す? そんな生半可な易しさで終わるかよ」

 茶々丸の飼い主のおかげで殺気は隠したものの眼が笑っていない。
 本気なんだよね、良太はいつでも。

「ほんっっと私のこと大好きだね~」
「あぁ。宇多よりほかに大事なものはない」
「……ねぇ。今、良太と私よ? 平々凡々地味めな日本人だって忘れてない?」
「見た目なんて関係あるか」
「外で愛を語るだなんて、日本人文化からかけ離れてる」
「つべこべ言うな」

 ほら、と差し出された手にゆっくりと掴まる。
 私を引き上げる温かさに、恐怖も不安も尻尾を巻いて逃げて行く。

「ふふっ」
「まさか酔ったなんて言わないよな」
「これ一本だって」

 缶チューハイを振ってみると、残り四分の一といったところか。
 一気に飲み干して、コンビニ前のごみ箱に始末する。

「さ、帰るよ!」
「ったく」

 呆れる良太の腕に飛びついて、指を絡ませた。
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