2 / 18
本章
01
しおりを挟む
停滞していた部屋の空気が動いて、苦みのある生薬の匂いが微かに鼻孔を刺激した。
「おかえりー」
パソコン作業の手を止めず、声だけで同居人の良太を迎える。
「おつかれ」
労いの言葉が返ってきたのは、私がまだ仕事中だと分かっているから。
ことんと小さな音を立て、キーボードの横にマグカップが置かれた。立ち上る湯気の中を覗くと、やけに土気色をした液体が揺れている。
「まずそ」
「集中力アップに効果てきめん」
怪しい液体を瞬時に生み出した良太は着替えを始めた。我が家の小さめな冷蔵庫から缶ビールを取り出して、私のマグカップにコツンとあてる。
無言の飲めというサインに、仕方なく作業を一時中断してマグカップを手に取った。マグから立ち上る湯気で眼鏡が曇ったのがちょうどいい。見えないまま飲むに限るのだ、怪しい飲み物は。
「イタダキマ……っ」
土気色の期待を裏切らない味に舌を侵された。
集中力アップより眠気覚ましだろうと思うぐらい、体に悪そうな味がする。
「良薬は口に苦しってな」
私の顰めっ面を見て目を細める。自分だけビールを飲んでいるのだからゴキゲンだ。
「んな顔するな。締め切り近いんだろう?」
良太が腰を屈めて、私のパソコン画面を覗き込んだ。タイプミスと、指をさされれば、確かに。
漢方薬剤師の良太と違って、私は家で作業をする。外部で通訳をすることもあるが、翻訳の仕事を基本にしている。企業向けに取扱説明書やら仕様書やら書類関係を雑多に受けるので、そこそこ収入はある。同年代の女性と比べたら高収入だ。
いつの時代も、どこにいても、お金というヤツだけは決して邪魔にならない。あればあるだけいい。
「これ納品して、明日の夜は出かけるから」
私はマグを、良太は缶を一口煽る。
無言の了承は怒っているわけではない。咎めているわけでもない。
私が会食に出かけるのは、決まって大学時代の親友たちだと決まっているから。
ただ──
「宇多、前に言ったよな。そろそろ、」
「10年」
「あぁ」
「わかってる」
わかってるよ。そんなこと。
わかってる。
話はここまでと断ち切るように、私は良太に背を向け仕事に戻った。
「おかえりー」
パソコン作業の手を止めず、声だけで同居人の良太を迎える。
「おつかれ」
労いの言葉が返ってきたのは、私がまだ仕事中だと分かっているから。
ことんと小さな音を立て、キーボードの横にマグカップが置かれた。立ち上る湯気の中を覗くと、やけに土気色をした液体が揺れている。
「まずそ」
「集中力アップに効果てきめん」
怪しい液体を瞬時に生み出した良太は着替えを始めた。我が家の小さめな冷蔵庫から缶ビールを取り出して、私のマグカップにコツンとあてる。
無言の飲めというサインに、仕方なく作業を一時中断してマグカップを手に取った。マグから立ち上る湯気で眼鏡が曇ったのがちょうどいい。見えないまま飲むに限るのだ、怪しい飲み物は。
「イタダキマ……っ」
土気色の期待を裏切らない味に舌を侵された。
集中力アップより眠気覚ましだろうと思うぐらい、体に悪そうな味がする。
「良薬は口に苦しってな」
私の顰めっ面を見て目を細める。自分だけビールを飲んでいるのだからゴキゲンだ。
「んな顔するな。締め切り近いんだろう?」
良太が腰を屈めて、私のパソコン画面を覗き込んだ。タイプミスと、指をさされれば、確かに。
漢方薬剤師の良太と違って、私は家で作業をする。外部で通訳をすることもあるが、翻訳の仕事を基本にしている。企業向けに取扱説明書やら仕様書やら書類関係を雑多に受けるので、そこそこ収入はある。同年代の女性と比べたら高収入だ。
いつの時代も、どこにいても、お金というヤツだけは決して邪魔にならない。あればあるだけいい。
「これ納品して、明日の夜は出かけるから」
私はマグを、良太は缶を一口煽る。
無言の了承は怒っているわけではない。咎めているわけでもない。
私が会食に出かけるのは、決まって大学時代の親友たちだと決まっているから。
ただ──
「宇多、前に言ったよな。そろそろ、」
「10年」
「あぁ」
「わかってる」
わかってるよ。そんなこと。
わかってる。
話はここまでと断ち切るように、私は良太に背を向け仕事に戻った。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

弁当 in the『マ゛ンバ』
とは
青春
「第6回ほっこり・じんわり大賞」奨励賞をいただきました!
『マ゛ンバ』
それは一人の女子中学生に訪れた試練。
言葉の意味が分からない?
そうでしょうそうでしょう!
読んで下さい。
必ず納得させてみせます。
これはうっかりな母親としっかりな娘のおかしくて、いとおしい時間を過ごした日々のお話。
優しくあったかな表紙は楠木結衣様作です!

シチュボ(女性向け)
身喰らう白蛇
恋愛
自発さえしなければ好きに使用してください。
アドリブ、改変、なんでもOKです。
他人を害することだけはお止め下さい。
使用報告は無しで商用でも練習でもなんでもOKです。
Twitterやコメント欄等にリアクションあるとむせながら喜びます✌︎︎(´ °∀︎°`)✌︎︎ゲホゴホ
温泉地の謎 25 完
asabato
大衆娯楽
可笑しな行動を求めて・・桃子41歳が可笑しなことに興味を持っていると、同じようなことで笑っているお父さんが見せてくれたノートに共感。可笑しなことに遭遇して物語が始まっていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる