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 無。
 完全に虚無ったおれは置物のように母さんの到着を待った。

「あっくんって、お父さんにも似てる」

 莉子が話しかけてくるけれど、置物はしゃべらない。しゃべれない。

「そうね。顔はお母さんで、スタイルはお父さん似だね」

 莉子のおばさんがおれの代わりに答えた。
 それ、よく言われるやつな。
 顔が母さん寄りなのは、なによりの救いなんだ。強面の父さんに似なくてよかった。長身なのは父さん譲りで、それはありがたいと思う。思うけれど……またゾワッとした。おれより背の高い父さんが距離を詰めたあの瞬間を思い出して脳が拒否る。

「っめえの女とやらが来ましたよ」

 ボソっと口に出た。なんかもう、気配でわかるんよ、おれの親。
 母さんが来るまでに、先生たちは保険関係に必要な書類を揃えてくれていた。
 滑り込むようにして頭を下げる母さんの背中をぼーっと眺める。父さんと違って当たりが柔らかくコミュ強だ。異なるやり方で、あれよあれよと必要事項をまとめる。

「はあああ」

 長いため息が自然とこぼれた。これは安心というのだろうか。緊張感が薄れる。ようやく本当に終わりが見えて、帰られるという安堵を得た。
 母さんは、先生たちに感謝され、警察官に敬礼され、意味不明のうちに恐縮しまくっていた。母さんのやり取りが終わるまで、椎名家も残っていた。ファミリーカーでおれたち親子を送ってくれるらしい。
 ようやく学校を出て、今度は椎名一家から感謝と賛辞を受けまくる。
 もういい。
 お腹いっぱいだ。
 先生たち然り、うちの父さん贔屓がとんでもねえ。
 詳細知らずの母さんはうまく受け流している。こういうとこ、正直うまいと感心する。
 だがおれは知っている。
 家に着いたら、事件のあらましより父さんの詳細を知りたがることを!
 頼むて。
 おれはもう疲れた。

「ただいまあ」

 玄関先で座り込みたくなる。

「お疲れ。今日はもう出前とろうか。彬、何がいい?」
「なんでも」

 と言いかけて考え直す。

「なんでもいいから早いやつ。腹へった。死にそう」

 はいはいとあしらって、母さんはフードデリバリーの検索を始める。

「あ、今のうちにシャワーしちゃえば? 傷は上からラップ巻けばいいでしょ」
「うん」

 手当ての段階で拭き取ってはもらったものの、血を流しただけに気持ち悪さはある。母さんに言われるまま、されるがまま、おれは従った。

「で?」

 さっぱりして戻ると、母さんに詰められる。おれはしれっと事の次第をかいつまむ。あれこれ突っ込まれるけれど、母さんは莉子と面識あるし、龍のことも朧気ながら記憶にあるらしく話は早い。
 出前のタイ料理も机に並んだ。カオマンガイがおれ、母さんはガパオライス。パッタイと生春巻きも付けてくれてる。おれの食欲、わかってる。サンキューでぇす。

「いただきます」

 手を合わせて、食べながら続きを話す。
 龍の父親が残念極まるところで、父さんが感謝されまくった意味も理解できたらしい。警視庁のくだりには「わかる~」と笑い声すらあげた。

「あ、やべっ。トッシーたちに連絡するの忘れてる」

 父さんに言われた通り、トッシーにはおれから、日野さんと亜紀ちゃんには母さんから電話してもらう。それぞれ「大変だったね」なんて、でもそこまで心配はみせなくて「よくやった」ってトッシーみたいな労いをしてくれた。母さんもからりとしたもんだった。

「ごちそうさま」
「彬。肝心のお父さんにはちゃんとお礼言った?」

 食い終わったおれに、母さんは追加注文をする。

「言った!」

 強めになったのはおれの主張。
 ちゃんとお礼を伝えたし、これで報告は全て終了の合図だ。
 母さんが料理からおれに視線をあげる。天然おばさんにあるまじき鋭さが刺さる。

「なに」
「……明日から大丈夫そ?」
「ったりまえ」
「ならいいんだけど。しばらく注意しなさい」
「わかってる」
「莉子ちゃんのこともね」
「……そやな。わかった」

 おれの反応に母さんは満足そうに微笑む。この空気感がいたたまれないっつーか、なんというか。変に居心地が悪くてそわそわしてしまう。

「それはそうと」

 なんだよ。もう今日のことはこれで終わりでいいだろ。

「徹さんったら学校にもファン作っちゃったっぽくなあーい?」

 キター……はじまったよ。
 これが嫌でしかたないんだおれは。ともあれ、今日に限っては父さんの存在がありがたかったのはマジだから、返しに窮する。

「徹さんかっこよかったみたいだもんね」
「ふつう」

 なんならちょっと疲れて見えた。おれの怪我という余計な呼び出しに、激務な職場から駆けつけてくれたのだから当たり前か。

「なによ普通って。そんなわけないでしょ」
「ふつうはふつう。いつもの疲れた父さんだった」
「ああ~残念! 徹さんったら、くたびれてくると色気増すんだよね~」

 知るか。聞いたら負けだ。
 耳を閉じて、この後のことを考える。
 食事の後片付けは母さんに任せて、おれは部屋で宿題でもするかな。帰り際、担任が今日は無理するなと言ってくれたけれど、部活サボって疲れていないし、やらないのもどうかと思う。
 
「もうっ。聞いてるの!? 私だって徹さんに会いたかった!」

 うるせえ。聞いてねえわ。
 酒飲んでもねえのに、よく自分の夫でニヤニヤできるな。
 実の母に珍妙な生き物を見る目を投げつける。

「なによー」
「なんも言ってねえじゃん」
「なにか言いなさいってことよ」

 なんか言ったら言ったで被せてくるくせに。

「……ったく、メンドクセエ」

 おっと。思わず心の声が。
 叱られると思ったけれど、意外にも母さんは何も言い返してこない。どしたん?
 ちらっと母さんをうかがうと、驚いたように固まってこっちを凝視している。

「母さん?」
「えっ。いや、なんでもない。うん。ちょっとびっくりしただけ」
「何に?」

 はっきりしないのが気持ち悪い。突っ込んで聞いてみたら、母さんはもう一度おれをじっくり眺めはじめた。

「彬、徹さんにそっくりなんだもん」
「ごふっ」

 飲みかけの麦茶にむせる。
 マジ止めろ。それはない。
 自分がくった分の容器とまとめて台所に立つ。置きっぱにしてゴメンだけど、母さんの惚気を聞き続けるのはもっと御免だ。

「ごちそうさま」

 そう言って、一目散に自室へ向かう。背中に母さんの「歯ぁ、磨きなさいよー」という気の抜けた声がかかった。
 ったく。今日はなんて日だ。
 最後の最後にとんでもない疲れを感じる。
 せっかくだし、宿題するのやめよっかなー。
 怪我の違和感はあれど、今夜はよく眠れそうな気がした。



 了
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