上 下
74 / 94

10-3

しおりを挟む
「空の樽頂戴。持って帰るから」
「なら俺運ぶよ。子供居るんだろ?」

壬生さんの言っていた通りビールの樽を持ってきた美晴から品物を受け取り、伝票にサインをする。

ゆったりとしたオレンジ色のワンピースの上に、店名の入った藍色のエプロンを掛けている美晴を気遣うが「これ位何て事無いから」と空の樽をひったくり、ズカズカと外へ向かってしまう。
闊達で男勝りな印象は相変わらずだが、少しお腹が膨らんでいるのが見て分かり、やはり妊婦なのだと認識する。

このまま放っておくのもバツが悪い。
とりあえず後を追い、美晴が乗ってきたシルバーの軽ワゴンへ赴く。

開かれたバックドアから中を覗き見ると、そこにはこれから配達されるであろう様々な種類の酒が入ったケースが並んでおり、妊娠中であるにも拘わらず体を労わっていないのが見て取れる。

「この酒、これから配達すんの?」
「見れば分かるでしょ。まあこれでも少ない方よ」
空の樽を置くと軽ワゴンの荷台に腰掛け一息吐く美晴。ぶっきらぼうな口調も、やはり昔のままだ。
だが声は少し太くなっただろうか。記憶を辿るがイマイチ思い出せない。

「お腹、しんどいか?」
「まあねえ。でもつわりは治まったし、だいぶ楽にはなったよ。先週から店番と配達やってるんだ」
「あんま無茶すんなよな……親御さん心配する……と。ご結婚と妊娠、おめでとうございます」
「これはこれはどうも、ご丁寧に。結婚は三年前だけどね」
嫌味っぽく聞こえてしまったのか、美晴の口調も少し棘がある。

「康平からは少し聞いてたけどさ、いつ帰ってきたのよ」
「あー……今年の二月ぐらい」
「もう半年。顔ぐらい見せたっていいんじゃないの?」
「婆ちゃんの葬儀とか遺産や遺品の整理とかで忙しかったんだよ。悪い」
「まあいいけど。あんたの車、実は何度か見てたから。……白々しくてちょっと寂しかっただけ」
「……悪い」

何となく会うのには躊躇いがあった。それで結局、機会を逃してしまった。
日々の忙しさにかこつけて、見て見ぬフリを続けていたのだ。

加えて康平から「結婚している」と聞いて、余計に会う気は無くなっていた。
だって、どんな顔して何を言えばいいのか、さっぱり想像もつかなかったから。

こうして会うと昔に抱いていた気持ちが疼くような感覚がある。
格好つけて、興味のないフリをして、それでも気になってしまって。あの頃の身悶えするような想いが、古くなったカサブタの奥から顔を覗かせているように思えた。

「康平から聞いてるか? 俺のやってる事」
「うん。キャンプ場作ってるんだって?」
「おう。東京で出来た友達と、康平と壬生さんと……あと他にも手伝ってくれる人達が居て何とか進めてるよ」
「随分人望がお厚い事で。まあ、私に比べたらゾウリムシみたいなもんだけどね」
「はは、懐かしいなそれ」

よく、自分を誇大する時に美晴が言っていた言葉だ。理科で微生物の事を習ったその日から口癖のように言っていた。
それと共にもう一つ思い出した事がある。

「魚屋さん、サンマとアジとマグロください」
「魚屋じゃねーよ、酒屋だよ! ……って何やらせてんの!」
二人で顔を見合わせて笑い合う。小学生の頃の定番ネタだ。

美晴の苗字は魚屋(うおや)なのに、家業は酒屋を営んでいるので色んな人から言われていた。

「あーあ、涼は変わんないね。なんかヒョロくなったし禿げた気もするけど」
「はあ!? そう言う美晴は太……痛っ!」
「私は子供居るからだっての!」
即座に右脛に突き刺さる美晴のローキック。かなり痛い。

「ったく、デリカシーってのが欠落してんのよね」
「お前マジで……まあいいや」
昔より体重が乗っているせいか滅茶苦茶痛いのが入った。しかし余計な事を言えば更にもう一発飛んでくるだろう。
口は災いの元だとは、天狗ちゃんとのやり取りでしっかりと学んでいる。

……まあ、活かせていないわけだけど。
右脛を摩りつつ、何を話すか考える。

「そう言えば店移転したんだな。それに商工会の顔だとか?」
「正しくは商工会の青年部の方だけどね。そっちの役員やらされてるの。店を移すのは当たり前でしょ、こんな寂れた地区で商売するより東に行った方が需要があるわ」
「そりゃそうか。康平も青年部の方で一緒って事か?」
「そうそう。でもたまにしか顔合わせないけどね。康平は随分変わったよねえ、馬鹿っぽい所はそのままだけどさ」
「あの明るい所と社交的な所は見習いたいよ正直。まあ、馬鹿だけど」
歯を見せて笑う美晴に釣られて笑ってしまう。

「涼、あんた壬生さんの所で雇ってもらったの?」
「違う違う、こっちは手伝い。キャンプ場の方を手伝ってくれるからさ、お互いに体貸し合ってるんだよ」
「何それ、いかがわしい」
「すっかり仲良しなんだぜ俺ら」
「ツッコめっての……あんたと話してると頭が痛くなりそう」

「はは。……改めて妊娠おめでとう。産まれて落ち着いたらさ、連絡くれよな。お祝いしたいから」

そう言うと美晴は意外そうな表情を浮かべる。
俺としても、こんな言葉が出るとは自分でも思わなかった。

「そんな、気を遣わなくてもいいのに。……あ、でもあんたとは一回飲みたいかなあ。東京の話とか聞きたいし」
「別に大した話なんか無いよ。でも、そうだな。その時奢らせてくれ」
「うん。旦那も紹介するからさ、皆で飲も」
旦那、という言葉を聞いて小さくチクリと刺された気分になるが、それを顔に出す事は無い程度に俺も歳を重ねている。

「是非会ってみたいね。お前みたいな暴力女をもらってくれる人なんてさ」
「言ってろ。ウチの旦那は役場務めの公務員なんだから。今や課長になって、胃痛と戦い残り少ない毛髪を禿げ散らかしてる日々よ」
「……それ大丈夫なのか? なんか色々心配になってきたんだけど」
「大丈夫。優男だけどタフだから。私が選んだ人だもの」
自身満々に言い切る美晴を見て、ああ、いい人と出会えたんだな。と安心する気持ちと微かな疼きが胸に湧く。

「今は苗字も魚屋じゃなくて”竹田”なの」
「へえ、婿に貰ったんじゃないのか。竹田さんねえ……役場で会ったかな?」
「旦那は長男だから。多分あんたは会ってないんじゃない? 地域振興課っていう村興しの担当課だから」
「なるほど、そりゃ大変な所の課長さんだ……」
高速のインターが近くに出来たとは言え、この風切は過疎が進んでいる村だ。徐々に終わりに向かおうとしている所の村興しなど、相当に気苦労が絶えないだろう。

「随分サボっちゃった。そろそろ私行くね」
「おう。……あ、スマホ向こうに置いてきちまった。後で康平から連絡先聞いとくから」
「うん、来年辺りになるだろうけど皆で集まろうね。よく分かんないけど、キャンプ場作るの頑張りなよ」
「ありがと。美晴こそ大事を抱えてるんだからさ、無理すんなよ」
「大丈夫大丈夫。軟な女じゃありませんから!」

立ち上がり右手の平を俺に向け、歯を見せて笑う美晴。

何だろうかと思ったが一つ思い当たり、苦笑いしつつ俺も手の平を見せる。
そして互いに勢いよく突き出して打ち鳴らす。ハイタッチだ。

子供の頃、何か嬉しい事があった時によくやっていた。


それからは互いに軽く別れの挨拶をして、遠ざかっていく車の背を見送った。



「ちゃんと話せたかい?」
「壬生さん、性格悪いですよ。分かってて俺に頼んだか」
背後から聞こえた声に、顔も見ずに答える。

「ごめんね。でもこうでもしないと君達話す機会無さそうだったからさ」
「……はあ、妙な気を遣わなくても大丈夫ですよ。俺らも大人なんだし」
「ふふ、どうだか」
壬生さんのからかうような言葉に、少しばかりムッとなってしまう。

「ほら、もうすぐお昼になっちゃうよ。仕事仕事!」
「はいはい。……でもまあ、一応。ありがとうございました」
作業場に戻ろうと急かす壬生さんの背中に、小さく礼を言う。

「何か言った?」
「いえ、何でも」
……あの顔、しっかり聞こえてるんだろうな。ニヤケる頬が隠せてないっての。

少しばかり壬生さんを憎たらしく思いながらも、美晴と交わしたハイタッチを何となく思い出し、昔の影を重ねた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

推理小説家の今日の献立

東 万里央(あずま まりお)
キャラ文芸
永夢(えむ 24)は子どもっぽいことがコンプレックスの、出版社青雲館の小説編集者二年目。ある日大学時代から三年付き合った恋人・悠人に自然消滅を狙った形で振られてしまう。 その後悠人に新たな恋人ができたと知り、傷付いてバーで慣れない酒を飲んでいたのだが、途中質の悪い男にナンパされ絡まれた。危ういところを助けてくれたのは、なんと偶然同じバーで飲んでいた、担当の小説家・湊(みなと 34)。湊は嘔吐し、足取りの覚束ない永夢を連れ帰り、世話してくれた上にベッドに寝かせてくれた。 翌朝、永夢はいい香りで目が覚める。昨夜のことを思い出し、とんでもないことをしたと青ざめるのだが、香りに誘われそろそろとキッチンに向かう。そこでは湊が手作りの豚汁を温め、炊きたてのご飯をよそっていて? 「ちょうどよかった。朝食です。一度誰かに味見してもらいたかったんです」 ある理由から「普通に美味しいご飯」を作って食べたいイケメン小説家と、私生活ポンコツ女性編集者のほのぼのおうちご飯日記&時々恋愛。 .。*゚+.*.。 献立表 ゚+..。*゚+ 第一話『豚汁』 第二話『小鮎の天ぷらと二種のかき揚げ』 第三話『みんな大好きなお弁当』 第四話『餡かけチャーハンと焼き餃子』 第五話『コンソメ仕立てのロールキャベツ』

護国神社の隣にある本屋はあやかし書店

井藤 美樹
キャラ文芸
【第四回キャラ文芸大賞 激励賞頂きました。ありがとうございますm(_ _)m】  真っ白なお城の隣にある護国神社と、小さな商店街を繋ぐ裏道から少し外れた場所に、一軒の小さな本屋があった。  今時珍しい木造の建物で、古本屋をちょっと大きくしたような、こじんまりとした本屋だ。  売り上げよりも、趣味で開けているような、そんな感じの本屋。  本屋の名前は【神楽書店】  その本屋には、何故か昔から色んな種類の本が集まってくる。普通の小説から、曰く付きの本まで。色々だ。  さぁ、今日も一冊の本が持ち込まれた。  十九歳になったばかりの神谷裕樹が、見えない相棒と居候している付喪神と共に、本に秘められた様々な想いに触れながら成長し、悪戦苦闘しながらも、頑張って本屋を切り盛りしていく物語。

とべない天狗とひなの旅

ちはやれいめい
歴史・時代
人間嫌いで悪行の限りを尽してきた天狗、フェノエレーゼ。 主君サルタヒコの怒りを買い、翼を封じられ人里に落とされてしまう。 「心から人間に寄り添い助けろ。これ以上悪さをすると天狗に戻れなくなるぞ」 とべなくなったフェノエレーゼの事情を知って、人里の童女ヒナが、旅についてきた。 人間嫌いの偏屈天狗と、天真爛漫な幼女。 翼を取り戻すため善行を積む旅、はじまりはじまり。 絵・文 ちはやれいめい https://mypage.syosetu.com/487329/ フェノエレーゼデザイン トトさん https://mypage.syosetu.com/432625/

「今日でやめます」

悠里
ライト文芸
ウエブデザイン会社勤務。二十七才。 ある日突然届いた、祖母からのメッセージは。 「もうすぐ死ぬみたい」 ――――幼い頃に過ごした田舎に、戻ることを決めた。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

処理中です...