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しおりを挟む「壬生さん、ちょっと落ち着いてください! さすがに冗談にできませんよ」
「僕は落ち着いているよ。わざわざこの田舎の村に来た理由、君達にも話しただろう?」
少し……いや、かなり雰囲気が変わった気がする。
眼に灯る光が爛々としていながらも、どこか暗さのようなものを孕んでいる。
「龍とこの村が好きになったからじゃないのか」
「匠君、そんな理由で本当に今までの自分の人生を捨てて来れると思ってる?」
「そりゃあ……確かに腑には落ちていなかったよ。でも、あんたも充分変わり者に思える。そんな理由を堂々と話すぐらいだから」
匠の言う通り、壬生さんが来た少々理由はおかしなものだ。
身一つでいきなりバーを開店しようなどと、頭が良いこの人らしからぬ行動だと感じられたからだ。
それでも龍の話とこの村に惹かれた事が理由だと言われ、得心はいかないながらも認めてはいた。
この村に溶け込もうとしている壬生さんを見て、それ以上言及する気も起きなかったというのもある。
「違うね、そんなのは後付けだよ。僕がこの村に来たのは……強烈な衝動だった。どうしようもなく、ここに惹きつけられたんだ。そしてその理由がはっきりした。僕はその池に行くために、この村に来たかったんだ」
見開いた眼とどこか狂気じみた、捲し立てるような物言い。
俺の知る柔和な壬生さんとは似ても似つかない姿だ。
「龍に食われ、僕は川と一体になる。その為に全てを捨てたんだ」
「壬生さん……」
本当にどうしてしまったというのだろうか。ただただ困惑し、匠と康平の表情を伺う事しかできない。
「あんた、やっぱり取り憑かれちまってたか。ようやく引き出せたね」
少し低めの女性の声が聞こえたかと思うと、俺の隣に青い手が置かれるのが見えた。
驚いて見上げると、いつも奥の席で微笑んでいる青いドレスの美女が目の前に居た。
「……へ?」
「ありがとうね、あんた達。いつも美味しく吸わせてもらってるよ」
「はあ?」
艶やかに微笑む美女の言っている事がよく分からない。
「……なあ、”憑かれた”ってどういう意味だ?」
匠の冷静な声に、驚きで支配されていた頭に思考が戻る。
「その店主の眼、神を見た人間に時折ある話さ。神を見るのは魅入られた証拠、そうなった人間はどうなるさね?」
「……まさか、死ぬって事か?」
「その通り。まあ身体が引っ張られながらも、ここまでよく持ち堪えた方だねえ。無闇に山に入って消えなかっただけ、理性の強い人間って所さな」
「僕の事好き勝手に言ってるみたいだけど……」
急に現れた美女に困惑し、話の中心が自分であるのに置いてけぼりにされているのが腑に落ちない様子だ。
「でも知っちまったら早晩、あんたは抗えず消えるよ。あんた達が止めても隙を突いて山に入るぐらい訳ないだろうからね」
俺の隣に座りながら自信満々に言い放つ美女。
「……そもそもなんだけどさ、貴女は一体……?」
「ああ、まだ話した事も無いんだったか。わっちは”川姫(かわひめ)”、あんたらの言う通りの妖怪さね」
「川姫……? あっ、爺ちゃんが言ってた姫さんって」
「多分、わっちの事だろうね」
爺ちゃんが見惚れる美人……これまで”美女”と表現していた事もあり、何となく肚にストンと落ちるような感覚があった。
若かりし頃の爺ちゃんと婆ちゃんが大喧嘩した原因の妖怪だ。
「その川姫さんが、何でまたこんな人里に?」
「ここへは飯を吸いに来ていただけさね。それに随分と心地も良かった。ただ、店主が自分から食われに行くようではもう終わりかねえ」
「俺達がそんな事はさせないッス」
「ほう? あんたらが? どうやって?」
康平の息巻いた台詞にカラカラと笑い始める川姫。ささくれ立った心を逆撫でされるようで、頭に血が上ってくる。
「えーと、話が進められちゃってるけど、僕は別に正気だよ……?」
「それは無いッス」
「眼がやべえ」
「性格激変」
「わっちから見ても異常さね」
「ええー……?」
この場に居た全員から満場一致で”異常”と判定。
それはそうだ。龍の恐ろしさを伝え必死に止めるよう言っているのに、頑なに龍の元へ行きたいと言い出すのだ。その上、死んでも構わないなどとのたまう始末。
どう考えても正気じゃない。
「川姫さん、あんた何かしらの方法を知ってるんじゃないか? 話しかけてきた理由もそれだろ」
「おや、眼鏡のあんたはやっぱり賢い子さね。わっちからすると小賢しいが」
「本当に!? 方法があるのか?」
匠の指摘に少し驚いた表情を浮かべる川姫。思わず言葉を遮り尋ねてしまう。
「本当だとも。わっちのせめてもの礼さね。ついでにあんたらの願いも聞き届けてやってもいい」
「願い……?」
川姫は立ち上がり、俺達に背を向ける。
大胆に開かれた白く陶器のような背が眩しく、青いドレスが踊るように揺れる。
「水を引く話、あの蛇っころに承知させたいんだろ?」
「……あ、ああ……蛇っころ?」
背を向けたままの川姫の言に少し思考が遅れるものの、返事をする。
「彼奴はわっちの旦那さね」
肩越しに振り返る川姫は、不敵に微笑んでいた。
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