49 / 94
7-8
しおりを挟む
「そこまでにしとけ」
不意に聞き覚えのある男の声が降ってきて我に返る。
いつの間にかうつ伏せに倒れており、体中から脂汗が噴き出していた。
「匠!」
先程腕が折れたのを見た友の名前を呼んで振り向くと、そこには幼狐を抱いたまま放心状態で尻もちをついた匠の姿が。
良かった……
と、安堵して顔を拭うと、先程折れた右手が確かにあり俺の顔を撫でていた。
足元を見れば倒れるきっかけになった左足も健在で、五体満足である事が確認できる。
「今のは……」
「化け狐の幻だ、人間。神経がぶっ壊れずに済んで良かったなあ」
声のした方向を振り向くと、そこには銀髪で濃紺の着流しを来た長身の男が立っていた。何かを引き摺っているように見える。
「甚之助さん」
「甚之助え……!」
天狗ちゃんとおっさんが名前を呼ぶ。おっさんの方は、何故か怒りの色が濃いように見えるが。
「何をごちゃごちゃとやっているかと思えば。狐共まだここに居たのか」
「甚之助殿。……今日出て行くつもりです」
「さっさと去ね。そこらの雑妖共もな」
「ええ、彼らも途中で生まれ故郷に置いていくつもりですから。それと、その九尾騙りも」
凄む甚之助を涼しい顔でやり過ごす霜夜。
あの剣幕を前にして堂に入る肝の据わり方には、正直賞賛を送りたい。
何せあの着流しの男、真っ赤に充血した目を見開き、大きく開く口とそこから覗く牙のような歯が猛獣じみており恐ろしいのだ。
丸っこい小さなケモノ耳と、細長い尻尾が生えているのが少し愛嬌を感じるが、痩せた長身と横柄な態度がそれらを掻き消している。
「ああ、ついでにこいつも連れて行け。殺しても構わんが」
と、右手で引き摺っていた物をぶら下げる。
「うお……でか!?」
「気持ち悪……」
俺と匠がそれを見て素直な感想を述べる。
それは小型犬並みのサイズがある、馬鹿でかい蜘蛛だった。
八本ある脚の内七本が喪失し、最後の一本を掴んで引き摺っていたのだ。
左右に四つずつある赤い複眼に光は無く、二重構造の牙がある顎がだらしなく開いている。
「それは……?」
「こいつも腹の中に居た奴だ。ついでに持ってけ」
「まあ、故郷に帰しはしますが……」
「伏見の出だよ。こいつも」
「何……?」
これまで能面のように表情が動かなかった霜夜が、初めて眉を顰めた。
「もしかして甚之助殿、此奴……」
「ようやく気付いたか。事の発端はこの”女郎蜘蛛”だ。おら、起きろ」
残忍な笑みを浮かべる甚之助はそう言うと、ぶら下げた巨大蜘蛛を何度か蹴り飛ばす。
「ぬう……!? クソ! この薄汚い鼬めが!」
「元気があるなあ、虫の息の癖に」
ゲラゲラ笑い執拗に蹴りを加える甚之助に、呻きながらも恨み節を吐く蜘蛛。
その声には何処か覚えがあった。そして光を取り戻した四対の複眼。
目の前の女郎蜘蛛と巨大狐が重なる。
「待ってください、甚之助殿。この女郎蜘蛛が発端と……?」
「ああ? まだ理解できてねえのか」
飽きたのか黙らせるためか、蹴るのを止めて暴れる蜘蛛を振り上げ、地面に叩きつける。
すると再び光を失い、短くなった足をピクピクと痙攣させる。
「そこのチビ狐はこの蜘蛛に”憑かれた”。それだけの話だ」
「女郎蜘蛛……そうか。確かに九尾を名乗ってた時は花魁みたいな姿だったのに、今は巫女服になっている。狐に化けた時は目が八つになっていたし、何より尻尾は八本だった」
俺なりの見解を述べると、甚之助は鼻を鳴らす。
「人間は気付いたようだな。そうだ、こいつはチビ狐に取り憑いて九尾を名乗り、妖怪共を食って肥え太った。気色の悪い狐の姿になっていたのはこいつの色が強かったからだろうよ。尾が半端に八本になったのもな」
「……それは確かでしょうな、甚之助殿」
「こいつから聞き出した。暴れ回るもんだから達磨みたいにしてやったんだがよ。今朝見たら一本脚が生えてきやがった」
「拷問かよ」
最後に呟いたのは匠だ。カラカラと楽しそうに笑う甚之助を見て、ドン引きといった表情を浮かべている。
「相変わらずの性悪だな、てめえ」
「あ?」
見ればおっさんが何故か斧を手にし、鬼のような形相で睨んでいる。
「三百年前の恨み、忘れちゃいねえぞ」
「はあ?」
巨大狐の時もかなりの怒りようだったが、今はその非にはならない。
青黒く変色した顔に見開き血走った目。全身の毛がざわざわと震えており、必死に飛びかかるのを抑えようとしているようにも見える。
「……ああ、古杣(ふるそま)か。悪いがお前さんが誰だかなんて覚えちゃいねえよ。それこそ百や二百は斬ったからな」
「ここで仲間の恨み、晴らさせてもらおうか……!」
ずん、と大五郎が足を踏み出した瞬間、どこからともなく長い布が飛んで来て大五郎を絡め取る。
腕や足を縛られた大五郎は横に転がり、依然憤怒の表情で甚之助を睨みつけているが、苦しそうに呻くのみで声も上げられないようだ。
「……大五郎さん、落ち着いてください。師匠の呪布は今も生きてるんですから」
天狗ちゃんがそう呟き、大五郎は諦めたように脱力する。
「浅からぬ因縁。って感じだな。おっさん」
他人事のようにそう漏らす匠。
少し咎めるべきなのだろうが、この短時間に様々な出来事が起き過ぎて脳みその処理が追い付いていない。気力がまるで湧かなかった。
不意に聞き覚えのある男の声が降ってきて我に返る。
いつの間にかうつ伏せに倒れており、体中から脂汗が噴き出していた。
「匠!」
先程腕が折れたのを見た友の名前を呼んで振り向くと、そこには幼狐を抱いたまま放心状態で尻もちをついた匠の姿が。
良かった……
と、安堵して顔を拭うと、先程折れた右手が確かにあり俺の顔を撫でていた。
足元を見れば倒れるきっかけになった左足も健在で、五体満足である事が確認できる。
「今のは……」
「化け狐の幻だ、人間。神経がぶっ壊れずに済んで良かったなあ」
声のした方向を振り向くと、そこには銀髪で濃紺の着流しを来た長身の男が立っていた。何かを引き摺っているように見える。
「甚之助さん」
「甚之助え……!」
天狗ちゃんとおっさんが名前を呼ぶ。おっさんの方は、何故か怒りの色が濃いように見えるが。
「何をごちゃごちゃとやっているかと思えば。狐共まだここに居たのか」
「甚之助殿。……今日出て行くつもりです」
「さっさと去ね。そこらの雑妖共もな」
「ええ、彼らも途中で生まれ故郷に置いていくつもりですから。それと、その九尾騙りも」
凄む甚之助を涼しい顔でやり過ごす霜夜。
あの剣幕を前にして堂に入る肝の据わり方には、正直賞賛を送りたい。
何せあの着流しの男、真っ赤に充血した目を見開き、大きく開く口とそこから覗く牙のような歯が猛獣じみており恐ろしいのだ。
丸っこい小さなケモノ耳と、細長い尻尾が生えているのが少し愛嬌を感じるが、痩せた長身と横柄な態度がそれらを掻き消している。
「ああ、ついでにこいつも連れて行け。殺しても構わんが」
と、右手で引き摺っていた物をぶら下げる。
「うお……でか!?」
「気持ち悪……」
俺と匠がそれを見て素直な感想を述べる。
それは小型犬並みのサイズがある、馬鹿でかい蜘蛛だった。
八本ある脚の内七本が喪失し、最後の一本を掴んで引き摺っていたのだ。
左右に四つずつある赤い複眼に光は無く、二重構造の牙がある顎がだらしなく開いている。
「それは……?」
「こいつも腹の中に居た奴だ。ついでに持ってけ」
「まあ、故郷に帰しはしますが……」
「伏見の出だよ。こいつも」
「何……?」
これまで能面のように表情が動かなかった霜夜が、初めて眉を顰めた。
「もしかして甚之助殿、此奴……」
「ようやく気付いたか。事の発端はこの”女郎蜘蛛”だ。おら、起きろ」
残忍な笑みを浮かべる甚之助はそう言うと、ぶら下げた巨大蜘蛛を何度か蹴り飛ばす。
「ぬう……!? クソ! この薄汚い鼬めが!」
「元気があるなあ、虫の息の癖に」
ゲラゲラ笑い執拗に蹴りを加える甚之助に、呻きながらも恨み節を吐く蜘蛛。
その声には何処か覚えがあった。そして光を取り戻した四対の複眼。
目の前の女郎蜘蛛と巨大狐が重なる。
「待ってください、甚之助殿。この女郎蜘蛛が発端と……?」
「ああ? まだ理解できてねえのか」
飽きたのか黙らせるためか、蹴るのを止めて暴れる蜘蛛を振り上げ、地面に叩きつける。
すると再び光を失い、短くなった足をピクピクと痙攣させる。
「そこのチビ狐はこの蜘蛛に”憑かれた”。それだけの話だ」
「女郎蜘蛛……そうか。確かに九尾を名乗ってた時は花魁みたいな姿だったのに、今は巫女服になっている。狐に化けた時は目が八つになっていたし、何より尻尾は八本だった」
俺なりの見解を述べると、甚之助は鼻を鳴らす。
「人間は気付いたようだな。そうだ、こいつはチビ狐に取り憑いて九尾を名乗り、妖怪共を食って肥え太った。気色の悪い狐の姿になっていたのはこいつの色が強かったからだろうよ。尾が半端に八本になったのもな」
「……それは確かでしょうな、甚之助殿」
「こいつから聞き出した。暴れ回るもんだから達磨みたいにしてやったんだがよ。今朝見たら一本脚が生えてきやがった」
「拷問かよ」
最後に呟いたのは匠だ。カラカラと楽しそうに笑う甚之助を見て、ドン引きといった表情を浮かべている。
「相変わらずの性悪だな、てめえ」
「あ?」
見ればおっさんが何故か斧を手にし、鬼のような形相で睨んでいる。
「三百年前の恨み、忘れちゃいねえぞ」
「はあ?」
巨大狐の時もかなりの怒りようだったが、今はその非にはならない。
青黒く変色した顔に見開き血走った目。全身の毛がざわざわと震えており、必死に飛びかかるのを抑えようとしているようにも見える。
「……ああ、古杣(ふるそま)か。悪いがお前さんが誰だかなんて覚えちゃいねえよ。それこそ百や二百は斬ったからな」
「ここで仲間の恨み、晴らさせてもらおうか……!」
ずん、と大五郎が足を踏み出した瞬間、どこからともなく長い布が飛んで来て大五郎を絡め取る。
腕や足を縛られた大五郎は横に転がり、依然憤怒の表情で甚之助を睨みつけているが、苦しそうに呻くのみで声も上げられないようだ。
「……大五郎さん、落ち着いてください。師匠の呪布は今も生きてるんですから」
天狗ちゃんがそう呟き、大五郎は諦めたように脱力する。
「浅からぬ因縁。って感じだな。おっさん」
他人事のようにそう漏らす匠。
少し咎めるべきなのだろうが、この短時間に様々な出来事が起き過ぎて脳みその処理が追い付いていない。気力がまるで湧かなかった。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


ひきこもり瑞祥妃は黒龍帝の寵愛を受ける
緋村燐
キャラ文芸
天に御座す黄龍帝が創りし中つ国には、白、黒、赤、青の四龍が治める国がある。
中でも特に広く豊かな大地を持つ龍湖国は、白黒対の龍が治める国だ。
龍帝と婚姻し地上に恵みをもたらす瑞祥の娘として生まれた李紅玉は、その力を抑えるためまじないを掛けた状態で入宮する。
だが事情を知らぬ白龍帝は呪われていると言い紅玉を下級妃とした。
それから二年が経ちまじないが消えたが、すっかり白龍帝の皇后になる気を無くしてしまった紅玉は他の方法で使命を果たそうと行動を起こす。
そう、この国には白龍帝の対となる黒龍帝もいるのだ。
黒龍帝の皇后となるため、位を上げるよう奮闘する中で紅玉は自身にまじないを掛けた道士の名を聞く。
道士と龍帝、瑞祥の娘の因果が絡み合う!

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる