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しおりを挟む「……寂れた山の小妖と侮っておったわ。やるのう」
光に目を焼かれ視界不遼に陥るが、そんな声が耳に届く。
「仕留められなかった……」
この声は天狗ちゃんだろう。悔しそうな響きが滲み出ている。
「ふん、狙いが逸れたのう。この程度の傷、妾の妖力であればほれ」
ようやく目が闇に慣れ始め、依然月を背負う女郎の姿が明瞭となる。
左手側の肩から先が喪失し、尾も数本が千切られており痛々しい姿なのだが、当の本人はどこ吹く風と言った飄々とした佇まいをしている。
そして消失した左側に濃い紫色の粒子が舞い始め、腕や尾の形を象り始める。
「この通り、元の鞘じゃ」
身体に纏わり付いた光の粒子が弾けると、腕も尾も、着物さえも元通りに復元されていた。
女郎は具合を確かめるように左手を見ている。
「お前のせいで千載一遇の好機を逃したな」
「うおっ!?」
そんな声が背後から聞こえたかと思えば、肩を掴まれ強引に後方へ引かれて放り投げられる。
自分を投げた相手を見れば、それは髭面の大男だった。
「痛ってえ!」
尻もちを付いて思わず声が出る。
「涼介なんで戻ってきた」
こちらに顔を向けず女郎を見上げる大男に、先程聞いたのと同じセリフで問いかけられる。
「そりゃあ皆が心配で……」
「人好しが過ぎるとこうなるんだな。てめえのせいであのクソ狐を殺る機会を逃した。恨むぞこの野郎」
「……ごめん」
俺が戻ってきてしまったせいだと大五郎は言う。
「いいえ、大五郎さん。例え御霊に届かせていたとしても、仕留める事まではできませんでした。だから、土井さんのせいじゃないです」
面を付けた黒翼の少女は淡々と、自分の放った技の評価を語る。
「分かっておるでないか小娘よ。確かに今の、そちが刃を逸らさずとも妾の命に届くものでは無かった。しかし良いものを見せてもらった。雷神の剣を呼ぶ技か」
女郎は天狗ちゃんを褒める言葉を投げつつも、少し不機嫌な様子を見せる。
そして女郎の体に変化が始まる。
闇色の彩色に包まれていた身体が、墨で塗り潰されていくように足元から真っ黒に変色していくのだ。
瞳の怪しい輝きだけを残し、影よりも暗い、漆黒のシルエットになり女郎は言葉を続ける。
「片手間で相手して悪かったの。ここからは妾も多少本気を出してやろうぞ」
これまで聞こえていた風の音も、木々の擦れる音も何もかもが消えて、完全な無音がこの場を支配する。
まるで山も大気も全てが恐怖し、固唾を飲んで見守っているかのようだ。
心臓が締め付けられるような静寂の中、漆黒の女郎の体がざわめき出し、膨れ上がっていく。
「おいおいおいおい、こりゃあ……」
力を使い果たして苦しそうに座り込んでいる響が、姿を露わにしていく脅威の姿に顔を引き攣らせている。
月明りに照らされた闇色の毛のようなものが膨れ上がっていき、元の女の姿の十倍程の大きさになる。
どこまで続くのかと思ってしまう膨張の段階を終えると、次第に細部を象り始め形状が安定していく。
「さあ、ここからが本番じゃ。もう暫し闘争の愉悦に浸ろうぞ」
艶めかましく、美しかった女の声は消えており、太くざらりとした悍ましい声色が山に響く。
漆黒から色彩を取り戻したそれは、巨大な狐の姿をしていた。
しかし普通の狐とは明らかに違う点が幾つかある。まず、美しい金色に輝く体毛。月明りを返し煌びやかな光を放つその様は、思わず見とれてしまう程。
そしてその巨大さ。あの女郎姿の時を普通の女性のサイズとすると、四足になったとは言え体高は五メートルを超えているのではないだろうか。
その名を現す幾本も生え揃い揺らめく尾の束は、巨大な体よりも大きく、艶やかな光を月へと返している。
だが美しく幻想的な体に対し、面を見れば悍ましい歯を剥き出して涎を垂らし、見開いたままま固定され爛々と輝く双眸。その眼窩には片方に四つずつ赤い光が灯っており、この存在の美しさを掻き消し正真正銘の怪物であるという事を強く印象付けていた。
「”鳴雷(なるいかづち)”!!」
天狗ちゃんの声に我を取り戻す。
少女はすぐに攻撃を仕掛けるようだ。
狐の頭上に青白い筋が飛び、少し留まったかと思うと地上まで一直線に落ちて巨大狐を貫いた。
匠と避難した際に聞いた雷の音によく似ている。
「その技は飽いたわ」
打たれた事など気にも留めず、巨大狐は軽やかに宙を蹴る。
弧を描く姿はまるで絵画のようで、思わず魅入ってしまう。
だが、それはただ離れた位置だからこそ言える事。
「く……うっ!」
天狗ちゃん目掛けて跳躍した狐は無造作に前肢を振り下ろし、天狗ちゃんはそれを回避できず直撃。
蠅叩きのようにして地上へ急落下する。
「天狗ちゃん!」
地面にぶつかる衝撃音。落下した位置へ駆け寄ると、幸いにも俺たちが撤去した草や蔦の上に落ちており、少女の呻き声が聞こえてくる。クッションになってくれたようだ。
しかし今度は後方で風を巻き上げる音と、質量を持った巨大なものが激突する衝突音が響き渡る。
振り返ると俺の立っていた辺りにあの巨大狐の姿があり、大五郎と響が吹き飛ばされ宙を舞う姿が目に入る。
「響! おっさん!」
二人とも散らばる丸太の上に落ちたようで痛々しい落下音が耳に届く。
クソ、どうしたらいい。俺のせいでこうなったのか?
……後悔している場合じゃない。何とかする方法を考えないと。
でもあの化け物相手にどうやって?……
「逃げ……て、ください。土井……さ」
少女がヨロヨロと立ち上がり、息も絶え絶え俺を気遣う。
しかし満身創痍だ。こんな状態であれに立ち向かうなど。
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