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第一章 学生編
あの日の答え
しおりを挟むいつの間にか彼は私の近くから一歩遠ざかっており、黙している。そんな彼を見る事が出来ず、足元へ目線を落としたまま沈黙の時間が流れる。
どうしよう、気まずい。何か言わなきゃ。でも何話す? と言うかこの場合須我君が言う所なんじゃないの? 私から話を切り出す? でも聞く勇気が出ない。
怖い。嫌だ。断られるに決まってる。でも、じゃあどうする? 曖昧に話を逸らせて帰ってもらう? それも嫌。そんな事したらこの先、もう向き合える自信が無い。はっきりとさせて欲しい。私が進むためにも。
乱雑な思考から一片の決意を掬い取り、固める。ようやくそれで彼の顔を見る勇気が湧いた。
足元から徐々に目線を上げ、顔を見る。すると彼も何か意を決したような表情で口を開こうとしている所だった。
「早水さん、ごめん! 本当にごめん」
何を謝っているのだろうか。それとも断りの言葉なのだろうか。日本語の嫌な所だ、一つの言葉が幾つもの意味合いを持っていて判然としない。
「俺、早水さんに最低な事をしてた、危険が迫っていた時に助けられたからその勢いで言ったんだ、なんて勝手に決めつけて。だから少し時間が経てば有耶無耶になるかもしれないって。そんな風に考えて答えを出さなかったんだ」
やや早口で須我君は言う。
「でも、そうじゃないって教えられた。告白するのがどれだけ勇気のいる事なのかって。早水さんの気持ちを俺は自分の都合で曖昧なものにしようとしてたんだ。だから、本当にごめん!」
そう言って勢いよく上体を折る。ごめん、はそういう意味だったのか。そっか。
早鐘のように心臓が鳴っているが、不思議と冷静さを取り戻していた。ようやくまともに向き合える気がする。
「うん。そうだね、確かにすごい失礼な奴だと思ったよ。告白する側の気持ちなんてまるで分かってないんだろうなって」
どうだろうか、本当にそう思えていたかは怪しいが準備していた台詞のように滑らかに言葉が流れ出る。
「でも、今日来たのはきっと答えを言う為だよね」
冷静に、冷静に。ともすれば冷淡な態度になっているかもしれない。でも、コントロールできない。
「その通りだよ。俺なりに決めたから、言おうと思う」
そうして折っていた身体を起こしてこちらを見据える。猫のような、大きく鋭い目が俄かに光を帯びているように見える。
見た目は少年のようで、目つきも悪いしそこまで整った顔立ちでもない。同世代の超人高校生達と並ぶと霞んでしまうような普通の人。そんな彼だけど、何故かこんなにも眩しく私には映ってしまう。
どこにでも居そうな人なのに、何でだろうか。まじまじと向かい合ってそんな事を思ってしまう。
私のそんな思考を知らないであろう彼は、固く結んだ口を緩めて小さく息を吸い込む。先程の絵美の様子を思い出す。
少し二人の仕草が似ていて、きっと自身の葛藤と決別する言葉を言おうとする時、同じようになってしまうのかもしれない。
「早水さん」
「はい」
「俺」
「うん」
「俺は」
ここからだろう、私も意思を固める。
「俺は、早水さんとは付き合えない」
ああ。やっぱり。
予測が出来ていたが故にすんなりとその言葉が沁みた。そうだろうと思っていた。分かっていた。諦めていた。
だから本当は落胆する所じゃない。心構えは出来ていた筈なんだから。だから。
思考に反するように込み上げてくる感情が抑えきれず、目頭が熱くなりすぐに頬に涙が伝うのが分かる。胸の奥が痛み、頭も痛み、どうにもできない苦痛が押し寄せる。痛い、痛い、痛い。
「ごめん、早水さん。言い訳がましくなるけど、聞いて欲しい」
胸を押さえる自分の手と、染みを作るシーツ以外目に入らなくなった視界の中で、彼の声がぼんやりと聞こえる。
「俺、今の生活で精一杯なんだ。周りの皆に追いつけなくてずっと焦っていて、それでもここを辞める気にはなれなくて。だから、今は付き合う事はできない。きっと早水さんの事を蔑ろにしてしまうから。多分、大切にできないから」
嗚咽だけは必死に抑えて、彼の言葉を聞く。痛みはより強く、涙はより止まらなくなっているが。
「俺みたいなどうしようもない奴の事を好きになってくれてありがとう。初めてだったんだ、好かれるなんて。これまでの人生で考えられない事だったから。俺も、早水さんの事は好き……なんだと思う。でも、ごめん」
本当に言い訳がましくて聞くのも嫌になる。でも一語一語、一音一音が聞き逃せず拒絶できず全て届いてしまう。
自分の事で精一杯だと言われた。
付き合えないと言われた。
大切にできないと言われた。
好きと言ってくれてありがとうと言われた。
人生で初めてだと言われた。
私を好きだと思うと言われた。
それでも、断られた。
じゃあ私はどうするべきなのか。何を言うべきなのか。このまま泣いていたらきっと彼は去ってしまうだろう。そしてきっとこの先話す事もできなくなってしまうだろう。もう、終わってしまうだろう。だから、だから。
「須我君」
口を開けば嗚咽が出てしまいそうで、激流のような感情と胸を抉られる痛みに耐えながらも彼の名前を呼ぶ。
「うん」
そんなみっともない状態の私に対し、気遣うような響きの返事が返ってくる。
「私は、貴方が好き。私にとって初めての恋だから」
そこまでで言葉を区切る。少しでも気を緩めれば叫び出しそうな衝動を必死に堪える。
「だから、きっと諦められないと思う」
「うん」
同じように優しい返事。柔らかな音。
ここからが正念場、私の今の気持ちを伝える。こんな状態でちゃんと言えるか分からないけど、踏ん張るしかない。意を決して口を開く。
「貴方を好きじゃなくなる時まで、好きでいても、いい、ですか?」
これが私の正直な気持ち。
断られた今、本当はきっぱりと身を引くべきなのは分かっている。それでも簡単には諦めきれない。
私の気持ちに整理がつくまではきっと、私を変えられない。だから、だから。
「これからも、これまでのように、仲良くしてくれますか?」
涙はいつの間にか止まっていた。
あれだけ暴れ回っていた痛みも、狂いたくなる程の悲しみも、今は凪のように静かに潜めている。
今ならば、と少し顔を上げるとそこには困ったような、安堵しているような、微かに笑っているような、そんな表情を浮かべる須我君が居た。
「本当に、俺なんかには勿体ないよ。でも、ありがとう」
その言葉にはどんな意味が込められているのだろうか。
「俺からも、これまでのように仲良くしてくれたら嬉しい。それから……うん」
何かを言いかけて一つ頷く。
「それから……よろしく」
明らかに口に出しかけていた言葉と異なるであろう言葉を発し、ぎこちない笑顔を作って向けてくる。
こうして振られた今でも、彼への恋心が消えていない事の実感がある。胸の深い深い部分で疼くような痛みがあるものの、それでも彼が好きだと言える自信があった。
ああ、本当にこの感情はどうにもならないものなのだと、改めて思う。
暫く向かい合ったまま沈黙の時間が流れる。
どうしよう。何を話そう。
帰って欲しいという気持ちともう少し傍に居て欲しいという気持ちとでどうにも要領を得ない。でも、このまま黙っていたら帰ってしまう気がする。
既に目的は終えているし、きっと須我君にとっても充分な結果を得られていると思う。長居する必要はきっとない筈だ。
でも何と声を掛けたらいいだろう、早く決めないと。
今度はそんな焦りが湧き上がり必死に話題を探す。
「ねえ、早水さんさえ良ければ少しここに居てもいいか?」
彼から意外な申し出があり、それに対しコクコクと頷く。
「ありがとう、ここに座ってもいい?」
そう言ってベットの脇にある小さな丸椅子を指差すので「どうぞ」と返す。
返答を聞いた須我君はややぎこちない動きで椅子に腰を下ろした。
「早水さんになら話してもいいかなって思って。俺の事。ただ、他の人には言わないで欲しいんだけど」
椅子を前後に揺らしながら、頭を掻いてもごもごと言う。
「嬉しいけど……急にどうして?」
「今まではぐらかし続けて悪かったって思ったのと、早水さんなら口堅いかなって思って」
純粋な疑問に対し目線を逸らせながらの返答。多分動機はもっと別な所にある気もするが、それを突っ込んだ所でどうする事もないだろう、と思考する。
今では平静さも取り戻し、まともに受け答える事ができそうだ。
「分かった。私を振った男の話、聞いてやろうじゃない」
「うえ? 急に復活?」
腕を組んで踏ん反り返りながら言ってやる。それぐらいの虚勢を張れる元気も出てきた。
今はただ、そう、今はただ。二人だけのこの時間を目一杯満喫してやろう。そんな気持ちになって、二人きりの病室を眺める。
ついでにこれまで聞き出せなかった彼の秘密を知れるのだ。
実の所凡その予測は出来上がっているのだが、答え合わせをこれから済ませよう、といった心持ちだ。
胸の奥にある痛みを抱くように掌を胸に置く。この痛みとは、もう暫く付き合っていかなければならない。須我君への気持ちが消えるまで、きっとずっと抱えていくものだろう。
だけど、今はその痛みすら愛おしく感じる事が出来る。全てひっくるめて、私の初恋なのだ。
大人になったら懐かしく思うだけなのかもしれないが、今の私にとっては全力の今である何よりの証。
だから大事にしよう、大丈夫、私はきっとそれも受け止められる。
少し言い淀んでいるものの、この学校に来る前の話を始めている。二人で共有する秘密の話。少しばかり浮かれながら、須我君が語る過去の話に耳を傾ける。
外は真夏の盛り。射すような強い陽光が差し込む病室の中、どこか気が晴れたような表情を互いに浮かべ、互いを語り合う時間が過ぎていく。
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