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第一章 学生編
山岳訓練8:ヒーロー
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涙で潤み、滲む視界の先、彼の慌てた顔が見える。
しかし決壊したダムの水はまだまだ収まってくれそうにない。
本当に怖かった。
死ぬかと思った。
生きるのを諦めてしまいそうだった。
だから今、助かったのだとようやく実感が湧いてきて、何とか堰き止めていた感情の激流が止められなくなっていた。
本当は自分の腕か地面にでも顔を埋めて泣きじゃくりたかったが、身体が動いてくれそうになく、彼に支えてもらったまま泣くしかなかった。
本当にみっともない。こんな姿を人に見せるなんて。
こんなに泣けるのかと自分でも驚いているのに。
ひとしきり泣いてようやく落ち着いてきた頃、野太い声が山の中に響いているのに気が付く。
よくよく聞くと私の名前を呼んでいるようだ。
「青竹教官が来てくれたみたいだ。おーい! こっちでーす!」
気が付いた須我君も大声を出して答える。
一定の感覚で呼んでいた声がハタと止み、誰だ! と怒鳴るような声が返ってくる。
それに対し彼は首を竦め、なんとも嫌そうな表情を浮かべるが「一組の須我です! 早水さんはこっちです!」と返答した。
その姿を見て思わず口元が緩んでしまった。悪戯がバレて叱られる時の子供のような表情だったのだ。ここ数年、そんな風な顔する人と会った記憶がなく、妙に温かな気持ちになる。
そして、ああ、と思った。
須我君が気に掛かっていた理由。ようやく理解できたのかもしれない。
下から見る彼の顔を見ると、胸の奥を締め付けられるような、何かが体内で暴れているような、何とも言えない気分になる。
苦しい、けど不快なものではない。寧ろその苦しさを大切にしておきたいような、相反するけど反発しない、言葉で表現するのにはどうしても要領を得ない、そんな気持ちで満たされる。
……きっと、始めて会った時から気になっていたんだ。
同じクラスになった時、不意に胸が高鳴った事を思い出す。あれは新たな仲間が出来た喜びではなく、彼と共に時間を過ごせるようになった事への喜びだったんだ。
垢抜けなくて、びっくりする程座学ができなくて、抜けた発言も多いし、荒っぽく、そして頼りない。
大人びた周囲の男子達と比べると幼く見えて、危なっかしい弟が出来たような感覚で見ていた。
彼へ抱いていた感情はそうなのだと思っていた。
そうじゃなかった。頭も容量も良くどこか擦れたような面を持つ男子ばかりの中で、彼だけは歳相応の純粋さと変わらぬ屈託さを持っていた。
少し捻くれた所も含め、私は惹かれていたのかもしれない。
そして今日この出来事が決定打となった。たった一人、私の危機を聞きつけ必死に助けに来てくれて、絶体絶命の瞬間に現れた私のヒーロー。
これまで恋愛らしい恋愛をしてこなかった私でも、いや、そんな私だからこそ効果は抜群だった。
確信できる。私は須我 結人に恋をした。これが恋というものなんだ。
教官に向かって今尚呼びかけを続けている彼を見上げながら一つ……いや、二つ。やりたい事ができた。そうなれば後は簡単、実行するだけだ。まずは一つ。
「ねえ、ユイト君」
「こっちで……へ?」
大声を上げている途中、違和感に気づき間抜けな声を出してこちらを見る。
改めて対面すると恥ずかしくなってきてしまった。下の名前を呼んでみた事も恥ずかしい。心臓が先程とは違う理由で早鐘のように打っているのが分かる。
そう言えば私の顔どうなってるんだろう、不細工過ぎてやしないだろうか。引かれてしまうだろうか。それでも、思い立ったら吉日、即行動がモットーである私の性分故に止められない。
「本当にありがとう。助けに来てくれて。ユイト君のお陰で今生きている。どれだけ感謝してもしきれないよ」
そこまで言って一息吐く。
困ったような顔で何か言おうとした彼に対し、「謙遜はしないで。大した事はしてないなんて言われたら、助けられた私の命が軽んじられてるみたいで傷つくから」と告げると、彼は困った表情のまま少し微笑む。
彼から見て私の顔はどう映っているだろうか。心配になる。
「お礼なんてしてもしきれないけど、私に何でも言ってね。出来る以上の事をする。それだけの恩がある」
少し喉に痞えを感じる。ちゃんと言えているだろうか。でも、ここからが大事な所だ。
こんな前置き、本当は要らなかった。
間を置き、深くを息を吸い込み。
そして言葉を紡ぐ。
「私は、貴方が好きです」
「……は?」
多分、人生で見た間抜けな顔ランキングで言えば、この瞬間に見たユイト君の顔がぶっちぎりで第一位、間違いなしだろう。
しかし決壊したダムの水はまだまだ収まってくれそうにない。
本当に怖かった。
死ぬかと思った。
生きるのを諦めてしまいそうだった。
だから今、助かったのだとようやく実感が湧いてきて、何とか堰き止めていた感情の激流が止められなくなっていた。
本当は自分の腕か地面にでも顔を埋めて泣きじゃくりたかったが、身体が動いてくれそうになく、彼に支えてもらったまま泣くしかなかった。
本当にみっともない。こんな姿を人に見せるなんて。
こんなに泣けるのかと自分でも驚いているのに。
ひとしきり泣いてようやく落ち着いてきた頃、野太い声が山の中に響いているのに気が付く。
よくよく聞くと私の名前を呼んでいるようだ。
「青竹教官が来てくれたみたいだ。おーい! こっちでーす!」
気が付いた須我君も大声を出して答える。
一定の感覚で呼んでいた声がハタと止み、誰だ! と怒鳴るような声が返ってくる。
それに対し彼は首を竦め、なんとも嫌そうな表情を浮かべるが「一組の須我です! 早水さんはこっちです!」と返答した。
その姿を見て思わず口元が緩んでしまった。悪戯がバレて叱られる時の子供のような表情だったのだ。ここ数年、そんな風な顔する人と会った記憶がなく、妙に温かな気持ちになる。
そして、ああ、と思った。
須我君が気に掛かっていた理由。ようやく理解できたのかもしれない。
下から見る彼の顔を見ると、胸の奥を締め付けられるような、何かが体内で暴れているような、何とも言えない気分になる。
苦しい、けど不快なものではない。寧ろその苦しさを大切にしておきたいような、相反するけど反発しない、言葉で表現するのにはどうしても要領を得ない、そんな気持ちで満たされる。
……きっと、始めて会った時から気になっていたんだ。
同じクラスになった時、不意に胸が高鳴った事を思い出す。あれは新たな仲間が出来た喜びではなく、彼と共に時間を過ごせるようになった事への喜びだったんだ。
垢抜けなくて、びっくりする程座学ができなくて、抜けた発言も多いし、荒っぽく、そして頼りない。
大人びた周囲の男子達と比べると幼く見えて、危なっかしい弟が出来たような感覚で見ていた。
彼へ抱いていた感情はそうなのだと思っていた。
そうじゃなかった。頭も容量も良くどこか擦れたような面を持つ男子ばかりの中で、彼だけは歳相応の純粋さと変わらぬ屈託さを持っていた。
少し捻くれた所も含め、私は惹かれていたのかもしれない。
そして今日この出来事が決定打となった。たった一人、私の危機を聞きつけ必死に助けに来てくれて、絶体絶命の瞬間に現れた私のヒーロー。
これまで恋愛らしい恋愛をしてこなかった私でも、いや、そんな私だからこそ効果は抜群だった。
確信できる。私は須我 結人に恋をした。これが恋というものなんだ。
教官に向かって今尚呼びかけを続けている彼を見上げながら一つ……いや、二つ。やりたい事ができた。そうなれば後は簡単、実行するだけだ。まずは一つ。
「ねえ、ユイト君」
「こっちで……へ?」
大声を上げている途中、違和感に気づき間抜けな声を出してこちらを見る。
改めて対面すると恥ずかしくなってきてしまった。下の名前を呼んでみた事も恥ずかしい。心臓が先程とは違う理由で早鐘のように打っているのが分かる。
そう言えば私の顔どうなってるんだろう、不細工過ぎてやしないだろうか。引かれてしまうだろうか。それでも、思い立ったら吉日、即行動がモットーである私の性分故に止められない。
「本当にありがとう。助けに来てくれて。ユイト君のお陰で今生きている。どれだけ感謝してもしきれないよ」
そこまで言って一息吐く。
困ったような顔で何か言おうとした彼に対し、「謙遜はしないで。大した事はしてないなんて言われたら、助けられた私の命が軽んじられてるみたいで傷つくから」と告げると、彼は困った表情のまま少し微笑む。
彼から見て私の顔はどう映っているだろうか。心配になる。
「お礼なんてしてもしきれないけど、私に何でも言ってね。出来る以上の事をする。それだけの恩がある」
少し喉に痞えを感じる。ちゃんと言えているだろうか。でも、ここからが大事な所だ。
こんな前置き、本当は要らなかった。
間を置き、深くを息を吸い込み。
そして言葉を紡ぐ。
「私は、貴方が好きです」
「……は?」
多分、人生で見た間抜けな顔ランキングで言えば、この瞬間に見たユイト君の顔がぶっちぎりで第一位、間違いなしだろう。
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