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第一章 学生編
山岳訓練7:救い
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「おおおおおおおおおおおお!」
叫び声を上げながら灰色の塊が川に落下。派手に水飛沫を飛び散らせ小石を弾き飛ばし、一瞬川の水が大きく膨れ上がる。
「早水さん!」
その騒ぎの中心の者は、私の名前を叫んで驚いたような表情を浮かべている。
こちらに近づいていた熊は、突如落ちてきた謎の存在に威嚇の声を上げている。何が起きているのか理解できていないような感じだ。
そして私も熊と同じ気持ちで、何が起きているのか理解できていない。
「クソ熊やんのかごらあああああ!」
ざぶざぶと川の水を掻き分けながら彼が近づいてくる。ひと昔前の不良ドラマのようなセリフだ。
熊も負けじと立ち上がり威嚇をしているが、件の男は全く意に介しておらず歩みを止めない。
「ぶち殺されてえかあああああ!」
またもや旧時代的なセリフで熊を威嚇する。その間もずんずん近づいてくる。
相手が自分と同じ位の大きさである事、そして全く怯んでいない事を悟ったのか、熊は四つ足に戻り吠えながらも少しずつ後退していく。
男は最後の詰めと言わんばかり、膝を曲げて少しの間溜めを作ると盛大に水を巻き上げながら跳躍。私のすぐ傍で着地して拳を構える。
「相手になんぞクソ熊が!」
右足を大きく踏み出し正拳が空を打つ。
最早及び腰になっていた熊はそれが決定打となったのか、こちらに尻を向け一目散に駆け出して行った。
その後ろ姿をしばらく見送り「ふう」と、溜めていた息を大きく吐いて彼は構えを解く。
「間に合って良かった、早水さん、大丈夫?」
こちらを向いて心配そうに眉を寄せる。
「須我……くん?」
同じクラスの不思議な転入生、須我 結人の姿がそこにあった。
「これは……動かせないやつかな」
私の事を見回して困ったような表情を浮かべている。纏衣と作業服装の上からでは外傷は見えないだろうが、寝たままでいる私を見て状態を確認しているようだ。
私はと言えば体はボロボロ、顔はあらゆる液体でグシャグシャ、とても人様に見せられるような状態ではないのにそれを拭う事も隠す事もできないという状況で、様々な意味で絶望していた。
「青竹教官を待った方がいいかな」
そう結論付け、おもむろに私の背中を持ち上げる。
「痛い!」
「ごめん!」
背中から肩にかけて激痛。思わず叫んでしまい、須我君も謝る。
しかしながらそのまま私の背中を持った体勢から自身の足を差し込み、膝を立ててそこにゆっくりと横たえてくれた。
「どう? 痛みは」
「ありがとう、ちょっとだけ楽かも」
寝た体勢でも絶えず痛みに曝されていたため、半身を起こした体勢になり少しだけ楽になっていた。
……と、そこで彼の顔が間近にある事に気付き、顔を背けたい衝動に駆られる。見られたくない。
「早水さんの声、届いてたよ。そんだから場所が分かった」
こちらに気を遣ってか、熊が去った方向へ顔を逸らしながら須我君が言う。
「でも、あのさ、どれだけ高い所から落ちてきたの。なんで須我君が?」
「あー……山頂に着いた時に丁度青竹教官に連絡があって、まあ揉めたんだけど……一人で来た」
言い辛いのか若干言葉の端を濁しながら答える。
彼の言葉から状況を拾い出し整理する。私の転落の報せをたまたま聞いていて、班員と別れて一人で私を探しに来た、という所だろう。
青竹教官が来るとも言っているので、二人で行動していない所を見るに教官も知らないのではなかろうか。
「命令違反、独断専行、単独行動」
「うっ……」
思い付いた言葉を並べるとピクリと反応して顔が強張る。
分かり易い、図星か。
「でも、ありがとう。須我君が来てくれなかったら今頃私、八分の一ぐらい熊の胃袋に収まっていたかも」
「わりとあり得そうな数字で嫌だな……」
依然、私からは顔を背けたままではあるので表情は伺えないが、声色からして引いているのが分かる。
気が付けば枯れていた喉の調子が戻っていた。緊張が解けたからだろうか。カラカラに乾いていた咥内にも湿り気が戻っている。
落ち着いて来た所でもう一つ疑問が浮かんだ。
「なんか、とんでもない高さから落ちてこなかった?」
「ああー……体感、二十か三十メートルくらい?かな」
「ええ!? いたたたたた」
素っ頓狂な答えにリアクションをしてしまったがそれにより腹部と鎖骨の辺りに激痛。本当に漏れなく全身打ち付けているようだ。
「無理しちゃダメだって」
痛み訴える様子を心配して覗き込まれる。束の間、目が合って見つめ合う形になる。
「今、顔、グチャグチャだから見ないで……」
辛うじて言えた台詞は絞り出すような声で、須我君も慌てて再び顔を背ける。
直ぐにでも顔を洗って枕に顔を埋め、布団に潜りたい、ついでに思いっきり叫んでしまいたい気分だ。
そこからは暫く無言の時間となり、大波のように揺れていた気持ちも少しずつ平静を取り戻していく。
まず、無茶はどちらだと。ほぼ私が転落して転がり落ちてきた高さを「飛び降りてきた」と言った。超技術の塊である纏衣を着ているとは言え、そんな無茶をして無事なはずがない。
脚の一本や二本、折っていていてもおかしくないし、そもそも死んでいたって文句が言えない高さだ。
それなのに彼はピンピンしている。不可解な話だ。加えて教官が降りてきているはずなのに須我君の方が到着が早いのも奇妙であり、彼の陽流気が高いとは言え、纏衣の扱いと山での移動に習熟している教官よりも先に私を見つけ出しているというのもおかしい。
考えれば考える程に疑問が尽きないが、そうした事を通り越して彼への感謝の念が強くなってくる。
落ちた時の恐怖。
生きていた事への安堵。
身体を襲う激痛。
助けがいつ来るかも分からない孤独。
そして寸での所にまで近づいていた死と絶望。
彼はそれら全てを蹴散らすように現れ、そして死と絶望を掃ってくれた。かつて幼い頃に見たヒーローの姿そのもののようだった。
と、そこで力が抜け何か塞き止めていた物が外れた気がした。鼻先が熱くなる感覚と共に大粒の涙が溢れ出し、これまで感じてきた恐怖と苦痛が全て押し寄せてくる。
気が付けば声を上げて泣いていた。
叫び声を上げながら灰色の塊が川に落下。派手に水飛沫を飛び散らせ小石を弾き飛ばし、一瞬川の水が大きく膨れ上がる。
「早水さん!」
その騒ぎの中心の者は、私の名前を叫んで驚いたような表情を浮かべている。
こちらに近づいていた熊は、突如落ちてきた謎の存在に威嚇の声を上げている。何が起きているのか理解できていないような感じだ。
そして私も熊と同じ気持ちで、何が起きているのか理解できていない。
「クソ熊やんのかごらあああああ!」
ざぶざぶと川の水を掻き分けながら彼が近づいてくる。ひと昔前の不良ドラマのようなセリフだ。
熊も負けじと立ち上がり威嚇をしているが、件の男は全く意に介しておらず歩みを止めない。
「ぶち殺されてえかあああああ!」
またもや旧時代的なセリフで熊を威嚇する。その間もずんずん近づいてくる。
相手が自分と同じ位の大きさである事、そして全く怯んでいない事を悟ったのか、熊は四つ足に戻り吠えながらも少しずつ後退していく。
男は最後の詰めと言わんばかり、膝を曲げて少しの間溜めを作ると盛大に水を巻き上げながら跳躍。私のすぐ傍で着地して拳を構える。
「相手になんぞクソ熊が!」
右足を大きく踏み出し正拳が空を打つ。
最早及び腰になっていた熊はそれが決定打となったのか、こちらに尻を向け一目散に駆け出して行った。
その後ろ姿をしばらく見送り「ふう」と、溜めていた息を大きく吐いて彼は構えを解く。
「間に合って良かった、早水さん、大丈夫?」
こちらを向いて心配そうに眉を寄せる。
「須我……くん?」
同じクラスの不思議な転入生、須我 結人の姿がそこにあった。
「これは……動かせないやつかな」
私の事を見回して困ったような表情を浮かべている。纏衣と作業服装の上からでは外傷は見えないだろうが、寝たままでいる私を見て状態を確認しているようだ。
私はと言えば体はボロボロ、顔はあらゆる液体でグシャグシャ、とても人様に見せられるような状態ではないのにそれを拭う事も隠す事もできないという状況で、様々な意味で絶望していた。
「青竹教官を待った方がいいかな」
そう結論付け、おもむろに私の背中を持ち上げる。
「痛い!」
「ごめん!」
背中から肩にかけて激痛。思わず叫んでしまい、須我君も謝る。
しかしながらそのまま私の背中を持った体勢から自身の足を差し込み、膝を立ててそこにゆっくりと横たえてくれた。
「どう? 痛みは」
「ありがとう、ちょっとだけ楽かも」
寝た体勢でも絶えず痛みに曝されていたため、半身を起こした体勢になり少しだけ楽になっていた。
……と、そこで彼の顔が間近にある事に気付き、顔を背けたい衝動に駆られる。見られたくない。
「早水さんの声、届いてたよ。そんだから場所が分かった」
こちらに気を遣ってか、熊が去った方向へ顔を逸らしながら須我君が言う。
「でも、あのさ、どれだけ高い所から落ちてきたの。なんで須我君が?」
「あー……山頂に着いた時に丁度青竹教官に連絡があって、まあ揉めたんだけど……一人で来た」
言い辛いのか若干言葉の端を濁しながら答える。
彼の言葉から状況を拾い出し整理する。私の転落の報せをたまたま聞いていて、班員と別れて一人で私を探しに来た、という所だろう。
青竹教官が来るとも言っているので、二人で行動していない所を見るに教官も知らないのではなかろうか。
「命令違反、独断専行、単独行動」
「うっ……」
思い付いた言葉を並べるとピクリと反応して顔が強張る。
分かり易い、図星か。
「でも、ありがとう。須我君が来てくれなかったら今頃私、八分の一ぐらい熊の胃袋に収まっていたかも」
「わりとあり得そうな数字で嫌だな……」
依然、私からは顔を背けたままではあるので表情は伺えないが、声色からして引いているのが分かる。
気が付けば枯れていた喉の調子が戻っていた。緊張が解けたからだろうか。カラカラに乾いていた咥内にも湿り気が戻っている。
落ち着いて来た所でもう一つ疑問が浮かんだ。
「なんか、とんでもない高さから落ちてこなかった?」
「ああー……体感、二十か三十メートルくらい?かな」
「ええ!? いたたたたた」
素っ頓狂な答えにリアクションをしてしまったがそれにより腹部と鎖骨の辺りに激痛。本当に漏れなく全身打ち付けているようだ。
「無理しちゃダメだって」
痛み訴える様子を心配して覗き込まれる。束の間、目が合って見つめ合う形になる。
「今、顔、グチャグチャだから見ないで……」
辛うじて言えた台詞は絞り出すような声で、須我君も慌てて再び顔を背ける。
直ぐにでも顔を洗って枕に顔を埋め、布団に潜りたい、ついでに思いっきり叫んでしまいたい気分だ。
そこからは暫く無言の時間となり、大波のように揺れていた気持ちも少しずつ平静を取り戻していく。
まず、無茶はどちらだと。ほぼ私が転落して転がり落ちてきた高さを「飛び降りてきた」と言った。超技術の塊である纏衣を着ているとは言え、そんな無茶をして無事なはずがない。
脚の一本や二本、折っていていてもおかしくないし、そもそも死んでいたって文句が言えない高さだ。
それなのに彼はピンピンしている。不可解な話だ。加えて教官が降りてきているはずなのに須我君の方が到着が早いのも奇妙であり、彼の陽流気が高いとは言え、纏衣の扱いと山での移動に習熟している教官よりも先に私を見つけ出しているというのもおかしい。
考えれば考える程に疑問が尽きないが、そうした事を通り越して彼への感謝の念が強くなってくる。
落ちた時の恐怖。
生きていた事への安堵。
身体を襲う激痛。
助けがいつ来るかも分からない孤独。
そして寸での所にまで近づいていた死と絶望。
彼はそれら全てを蹴散らすように現れ、そして死と絶望を掃ってくれた。かつて幼い頃に見たヒーローの姿そのもののようだった。
と、そこで力が抜け何か塞き止めていた物が外れた気がした。鼻先が熱くなる感覚と共に大粒の涙が溢れ出し、これまで感じてきた恐怖と苦痛が全て押し寄せてくる。
気が付けば声を上げて泣いていた。
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