16 / 45
第一章 学生編
最後のひと時
しおりを挟む
「野木曹長、この十カ月間お疲れ様でした」
「亀井一曹こそ、お疲れ様でした。本当に助けられてばかりで感謝しかありません」
時間は十八時。須我との最後の授業を済ませて帰し、今に至る。
「野木さんはまた第三大隊に戻るんですよね」
「ええ。四日後には新しい班員との顔合わせです。しばらく現場から離れてしまったから勘を取り戻すのが大変な気がしますね」
部屋の入口に設えた食事スペースの椅子に座り、コーヒーを手元に置き向かい合って話している。
「亀井さんは高校へ行かれるんですよね」
「はい。あと一年は須我君に付く事になりますね。でも仕事の量が大分減りますからここよりは楽になるかと」
「返す言葉も御座いません」
そう言って深々と頭を下げる。本来であれば俺がやる業務も引き受けてくれたので、本当に彼女には頭が上がらないのだ。
事務官であり須我に関する管理を一手に任されている彼女は、猟特科東京校へ派遣される事が決まっており引き続き須我の専属として事務や雑務を担う指令が下りていた。
ほとんど須我の事を把握していない高校の事務官に任せるより、彼女に任せた方が効率が良いと判断されたのだろう。
「冗談ですよ。まあ、私の目が届く内は彼の心配しなくても大丈夫です。任務に専念してくださいね」
「はは、ありがとうございます」
すっかり須我の保護者として定着し、ともすれば過保護とも言えるぐらいに俺も亀井さんも気に掛けていた。
「手の掛かる子ほど、可愛いって言いますしね」
微笑みながら彼女はコーヒーを啜る。
「野木さんとの仮教員生活も、大変でしたけど楽しかったです。立派に務めを果たされたと思いますよ。私も、もし学生だったら野木さんのような教官に教わりたいなと思ったぐらいですから」
いやいやそんな事はと謙遜しながら、おや、少しイイ雰囲気なのではと頭に邪念が過る。
「俺も亀井さんとの生活楽しかったですよ。業務では勿論、精神的にも支えてもらいました。良ければこの後食事でも」
「お断りさせて頂きます。今日は夫とディナーの予定なので。私を労ってくれて随分前から準備してくれているんです」
ピシャリと言い放たれ付け入る隙が毛頭ほども無い。
夫婦二人きりだとどんな感じなのだろうか。”クールビューティ”をそのまま人間の形に取ったような彼女に、家庭的なイメージが全く思い浮かばない。
「それは失礼しました。亀井さん、須我をよろしくお願いしますね」
興を削がれてしまい、居住まいを正してお願いする。
「はい、彼の事はお任せください」
彼女はやはり顔色を変えず、再びコーヒーを口に運んだ。
静寂が事務室を支配し、掛け時計の秒針を刻む音がやけに大きく聞こえる。多少の居心地の悪さを感じつつも、話したい事が浮かばない。
まあこんな関係だよな、と思い直し温くなったコーヒーを一気に流し込む。
「それじゃ、明日明後日の片付け頑張りましょう。お疲れ様です」
立ち上がりカップを流しへ持っていく。
「はい、明日もよろしくお願いします。洗っておきますから先に上がって大丈夫ですよ」
「いや、亀井さん予定があるじゃないですか」
ディナーの予定があると言ったばかりではないか、と怪訝に思う。
「私に気を遣って二十一時の予約なんです。書類を持っていきたいのでもう少しここに居ますから」
そう言って彼女も残りを飲み干す。
「じゃあ、お言葉に甘えて。お先に失礼します」
「はい、お疲れ様です」
俺は俺で仮住まいのアパートの物をまとめておかなくてはならない。素直に引き下がり帰る事にした。
慣れない大仕事が終わったものの、この後も任務は続く。
まずは新しい班員の特徴やクセを確認し、連携パターンや作戦パターンを作り出す事から始まる。
二週間ある駐屯地での訓練期間中にある程度形にしなければならない。これはこれで時間が少なく、忙しくなる事が予想された。
……そう言や明日からは早起きをしなくても良いんだな。
外に出た時ぼんやりとそんな事を思った。
昨日まではこの時間もレーザー銃による照準訓練や、弓を使っての射的訓練をしていた。それももう無い。
寂しさが胸に去来するが、既に須我は俺の元から巣立ったんだと思い直し、外囲いのドアへ向かって歩き出す。
すると胸のポケットで振動を感じた。
振動の元であろう携帯端末取り出して見てみると、送り主は須我で『今日ラーメンでも食いに行かね? 奢るし』と表示されており、思わずにやけてしまった。
「あいつなりの労いか」
そう独り言ち、承諾の旨を打ち込みながらドアに手を掛ける。
事務室の明かりが順々に少しずつ消えてきているのを確認し、やっぱ急いでるじゃん。とも思ったがこれ以上はプライベートの話だ。踏み込む必要はあるまい。
「またいつか、三人で集まれたらいいな」
ぼそりと呟き外へ出る。
いつもの帰り道ではあるが、少し晴れやかな気分だ。春を感じさせる暖かな風が髪を撫でていった。
「亀井一曹こそ、お疲れ様でした。本当に助けられてばかりで感謝しかありません」
時間は十八時。須我との最後の授業を済ませて帰し、今に至る。
「野木さんはまた第三大隊に戻るんですよね」
「ええ。四日後には新しい班員との顔合わせです。しばらく現場から離れてしまったから勘を取り戻すのが大変な気がしますね」
部屋の入口に設えた食事スペースの椅子に座り、コーヒーを手元に置き向かい合って話している。
「亀井さんは高校へ行かれるんですよね」
「はい。あと一年は須我君に付く事になりますね。でも仕事の量が大分減りますからここよりは楽になるかと」
「返す言葉も御座いません」
そう言って深々と頭を下げる。本来であれば俺がやる業務も引き受けてくれたので、本当に彼女には頭が上がらないのだ。
事務官であり須我に関する管理を一手に任されている彼女は、猟特科東京校へ派遣される事が決まっており引き続き須我の専属として事務や雑務を担う指令が下りていた。
ほとんど須我の事を把握していない高校の事務官に任せるより、彼女に任せた方が効率が良いと判断されたのだろう。
「冗談ですよ。まあ、私の目が届く内は彼の心配しなくても大丈夫です。任務に専念してくださいね」
「はは、ありがとうございます」
すっかり須我の保護者として定着し、ともすれば過保護とも言えるぐらいに俺も亀井さんも気に掛けていた。
「手の掛かる子ほど、可愛いって言いますしね」
微笑みながら彼女はコーヒーを啜る。
「野木さんとの仮教員生活も、大変でしたけど楽しかったです。立派に務めを果たされたと思いますよ。私も、もし学生だったら野木さんのような教官に教わりたいなと思ったぐらいですから」
いやいやそんな事はと謙遜しながら、おや、少しイイ雰囲気なのではと頭に邪念が過る。
「俺も亀井さんとの生活楽しかったですよ。業務では勿論、精神的にも支えてもらいました。良ければこの後食事でも」
「お断りさせて頂きます。今日は夫とディナーの予定なので。私を労ってくれて随分前から準備してくれているんです」
ピシャリと言い放たれ付け入る隙が毛頭ほども無い。
夫婦二人きりだとどんな感じなのだろうか。”クールビューティ”をそのまま人間の形に取ったような彼女に、家庭的なイメージが全く思い浮かばない。
「それは失礼しました。亀井さん、須我をよろしくお願いしますね」
興を削がれてしまい、居住まいを正してお願いする。
「はい、彼の事はお任せください」
彼女はやはり顔色を変えず、再びコーヒーを口に運んだ。
静寂が事務室を支配し、掛け時計の秒針を刻む音がやけに大きく聞こえる。多少の居心地の悪さを感じつつも、話したい事が浮かばない。
まあこんな関係だよな、と思い直し温くなったコーヒーを一気に流し込む。
「それじゃ、明日明後日の片付け頑張りましょう。お疲れ様です」
立ち上がりカップを流しへ持っていく。
「はい、明日もよろしくお願いします。洗っておきますから先に上がって大丈夫ですよ」
「いや、亀井さん予定があるじゃないですか」
ディナーの予定があると言ったばかりではないか、と怪訝に思う。
「私に気を遣って二十一時の予約なんです。書類を持っていきたいのでもう少しここに居ますから」
そう言って彼女も残りを飲み干す。
「じゃあ、お言葉に甘えて。お先に失礼します」
「はい、お疲れ様です」
俺は俺で仮住まいのアパートの物をまとめておかなくてはならない。素直に引き下がり帰る事にした。
慣れない大仕事が終わったものの、この後も任務は続く。
まずは新しい班員の特徴やクセを確認し、連携パターンや作戦パターンを作り出す事から始まる。
二週間ある駐屯地での訓練期間中にある程度形にしなければならない。これはこれで時間が少なく、忙しくなる事が予想された。
……そう言や明日からは早起きをしなくても良いんだな。
外に出た時ぼんやりとそんな事を思った。
昨日まではこの時間もレーザー銃による照準訓練や、弓を使っての射的訓練をしていた。それももう無い。
寂しさが胸に去来するが、既に須我は俺の元から巣立ったんだと思い直し、外囲いのドアへ向かって歩き出す。
すると胸のポケットで振動を感じた。
振動の元であろう携帯端末取り出して見てみると、送り主は須我で『今日ラーメンでも食いに行かね? 奢るし』と表示されており、思わずにやけてしまった。
「あいつなりの労いか」
そう独り言ち、承諾の旨を打ち込みながらドアに手を掛ける。
事務室の明かりが順々に少しずつ消えてきているのを確認し、やっぱ急いでるじゃん。とも思ったがこれ以上はプライベートの話だ。踏み込む必要はあるまい。
「またいつか、三人で集まれたらいいな」
ぼそりと呟き外へ出る。
いつもの帰り道ではあるが、少し晴れやかな気分だ。春を感じさせる暖かな風が髪を撫でていった。
0
お気に入りに追加
45
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる