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第50話 倒れた第三王子
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頭の中身がかき混ぜられているかのようだった。
自分は動かないでいるはずなのに、それ以外のもの全てが、クリストフの周囲の空気すらひたすらにぐるぐると回り続けているように感じる。
体が異様に熱かった。それとも、この部屋の気温が高いのか。
何かが響いているが、クリストフには何もはっきりとは聞こえない。 もわりとした低い音が耳の奥でひたすら鳴っていた。体のあちこちが焼けるようにひりついて、呼吸をすると喉がちぎれてしまいそうだった。
目を開けようとしたが、開けられたのか閉じたままなのか判然としない。暗い色の中に歪んだ白いものが浮かんでいるだけの視界だ。
クリストフはこの状況をやり過ごすだけで必死だった。クリストフがクリストフだということも今は考えられなかった。
だから、誰かに助けを求めるという手段など思いつきもしなかった。ただ、時折苦しさの中に胸を締め付けるような寂しさが現れて、自分がひどく孤独だと感じた。
次第に、周囲に名も知らぬ音が増えていき、遠くなったり近くなったりした。クリストフは空間を埋め尽くすその音に追い詰められた。
意識を白い波が覆った。
「昨日、お帰りになってからすぐにお休みになられて……!」
「その時のご様子は」
「顔が少し赤く見えました。とても眠いと仰っていて」
ひどく動揺したクリストフの侍女エレナの肩に手を置くと、ローゼン公爵はベッドに横たわるクリストフを見た。そっと額に触れれば燃えるような熱さが伝わってくる。滲む汗と漏れる苦しげな呻き声を聞き、ローゼン公爵はきつく眉を寄せた。
朝になっても一向に食事の間へと下りてこないクリストフの様子を見に行ったエレナが、クリストフの呻き声を聞いて慌ててローゼン公爵のもとへ飛んできたのだ。
部屋に入ってすぐにベッドに倒れ込んだに違いない。そう思われる痕跡が床の上に散らばっている。
魔法・魔術研究所に通うためにクリストフが持参している茶色の革の肩掛け鞄は口が開いたままそこに落ちていて、詰められていた本やら、お気に入りのペンやら、ノートやら、よく分からない部品や古い魔石などが中から出てしまっていた。靴は片方だけがベッドの脇に転がっている。
ローゼン公爵はそっとクリストフの上の寝具をどけて、左足からもう片方の靴を抜き取った。そして、靴を揃えてベッドの下に並べた。
「医師の手配をいたします。両陛下にもご連絡を」
ローゼン公爵の侍従アルベルトの姉であり、エレナの教育係でもあるイルザが、背後からローゼン公爵に声をかけた。
「いや……」
ローゼン公爵は厳しい目つきでベッドの上で丸くなり震えているクリストフを見下ろした。そして、何かを操作するように、軽く手を挙げ、すぐに下ろした。
「アルベルト、サムエルを呼んでくれ」
「えっ?サムエル殿をですか?」
ローゼン公爵家お抱えの医師の名前を出され、アルベルトが瞬いた。王族に何かがあれば、王家の侍医が診るのが当たり前だからだ。
イルザは目を細めてローゼン公爵の言葉に耳を傾けている。
「理由は追々説明する。だが、このことは誰にも漏らすな」
ローゼン公爵は険しい顔をアルベルト、エレナ、イルザに向けた。
「……我々以外の誰にも……両陛下にも、だ」
「か、閣下……?」
エレナが戸惑い、視線を上げた。
「閣下。どのようなご事情があるのかは分かりませんが、両陛下のお耳に入れないというご判断には同意いたしかねます」
目上の相手に怯まぬ諫言が、真摯な眼差しとともに向けられる。
「君の言葉は正しい」
ローゼン公爵は一度目を伏せた。
「両陛下とこの国を謀る意図はない。だが、時期を待たねば両陛下にご説明できぬことがある」
エレナはますます困惑したようで、珊瑚色の瞳が揺れている。イルザは交わらなくなった視線も気にせず、黙って空色の瞳をローゼン公爵に向けたままだ。
僅かののち、ローゼン公爵はイルザとエレナへと体を向けた。そして、二人の顔を順番に見て、厳かな声で問いかけた。
「君達の、殿下への忠誠を問いたい」
「か、閣下、それは……!」
アルベルトが上擦った声をあげた。
「何をしている。サムエルを呼びにいけと言っただろう」
「アルベルト、私は大丈夫よ。行きなさい」
主と姉の両方から促され、アルベルトは何度か姉を振り返りながらクリストフの部屋を出た。ドアがやけに大きな音を立てて閉じられた。
ローゼン公爵は黙ってエレナとイルザの返答を待っている。
「……それは、この場で始めても良いお話でしょうか」
困惑を浮かべるエレナとは対照的に、イルザは冷静だった。
「問題ない。この部屋で話したことは外に漏れないようにさせてもらった」
エレナは驚いて周囲をきょろきょろと見回した。
「だが、これから説明することは外部に秘匿された情報であり、我が国の王家の不徳とする話もある。また、我がローゼン公爵家の重要な情報も含まれる。当家の役目上、君達がこれ以上の説明を求めるならば、相応の覚悟を決めてもらう必要がある」
「あの……それは一体どういう……」
戸惑うエレナの隣から、イルザが一歩進み出る。
「私は、まだ殿下のお側に侍るようになって日も浅く……正直申し上げまして、忠誠を誓うかと言われれば分かりません。殿下の人々を救いたいというお考えは素晴らしいと考えておりますが、殿下にはまだ王族として未熟な面があるかと。ですが——」
イルザは言葉を切り、真摯な瞳でローゼン公爵を見た。
「閣下の御為であれば、この身を捧げられる所存です」
そしてイルザはローゼン公爵の前に跪いた。
「あの日、私が謂れなき不貞の罪を着せられて、婚約を破棄されるところを救ってくださった。我がシュヴァル男爵家に、多大なる慰謝料を科そうとした輩を葬り去ってくださった。父と母と五人の弟達を、私の身から出た錆に巻き込まずに済んだのは閣下のお陰です。さらには、うつけ者だと謗られていたアルベルトを取り立ててくださった。この御恩を生涯忘れることはできません」
「あの冤罪は君のせいではない。相手の男が愚かだっただけだ。それに、アルベルトはああ見えても優秀だ。君もその内、姉弟の間柄では見ることができなかった弟の優れた部分を見ることができるだろう。恩義を感じることはない」
「それでも……です」
イルザの空色の瞳に感情の影が差す。
彼女には冤罪を着せられそうになった過去があった。
領地支援のために結ばれた婚約で、イルザのことをお堅すぎると不満に思った婚約者から不貞を騒ぎ立てられ、証拠を捏造され、慰謝料まで請求されたのだ。
それを救ったのは彼女の優秀さを見込んだローゼン公爵であり、その後はイルザを王宮の財務部門に見習い文官として推薦し、娘アレクシアの夜会等における付添人を務めさせて社交界で広まった噂を払拭するという後押しまでしてくれた。のらりくらりとバイオリンばかり弾いて暮らしていた評判の良くない弟アルベルトに、侍従としての職も与えてくれた。
「……君の言葉を信じよう」
ローゼン公爵は頷き、次にエレナに視線を向けた。
「……あっ……わ、私は……」
困惑と緊張が入り混じっているのか、続く言葉が失われる。
「深呼吸を」
「は、はいっ」
エレナの肩が大きく動く。震える右手が胸元を押さえた。
「わ、私は……忠誠、については分かりません」
「言葉をもう少し選びたまえ。殿下の悪影響が出ているぞ」
ローゼン公爵が少し呆れた声を出した。エレナは顔を真っ赤にして俯いた。
しかし、なんとか声を絞り出す。
「で、ですが、私は殿下をお守りすると家族に誓いました。わ、我がハーマン子爵家は皆、その誓いを胸に抱いております。殿下の御母上であるローナ様にお会いしたことはありませんが、ローナ様は病に倒れた母の命を救ってくださいました。私が今ここに生きて存在しているのはローナ様のお陰です。母のみならず、私達家族全員が、ローナ様に救われたようなものなのです。そ、それに……」
珊瑚色の瞳がイルザをちらりと見た。
「殿下は、み、未熟ではありません。志すのは王族ではなく、ローナ様のような御方かと。そのための学ぶ環境、人材が不足していただけで、今は日々学ばれて、成長が、い、著しく」
イルザの顔に、子どもに向けるような柔らかな笑みが浮かぶ。
「学ばれている途中だから未熟だというわけなのだが……。それから、王族を軽視するような発言になっていることは理解しているか。経緯からいえば君の考えも理解できるが、君は殿下の侍女だ。もう一度言う。言葉は慎重に選べ」
「も、申し訳ありませんっ……!!」
「まあいい。君に王家への叛意がないのは分かっている。シュヴァル男爵令嬢、彼女のへの教育をもっとしっかりと進めてくれ」
イルザは表情を引き締めた。
「それで……君のその誓いは、ハーマン子爵家の総意だというわけだな。当主不在の状況にも関わらず、君はそのような発言をした。本来であれば当主の権限に対する越権行為であり、許されない。君の発言により、ハーマン子爵家の家門としての未来に影響があるのだ。恩義を返そうと誓うこととはまた話が違う。責任は持てるのか。君は父親であるハーマン子爵に会ったとき、このことを説明し、懲罰を受ける覚悟はあるのか」
エレナはぐっと拳を握りしめた。
「……はい……!父からは何度も、殿下のお役に立てることは何でもするように言いつかっています」
エレナのその言葉を聞き、ローゼン公爵は二人に少し待つように伝えた。そして、隣のローゼン公爵の部屋から二枚の紙を持ってきて、二人に一枚ずつ手渡した。
「君達には本日より我がローゼン公爵家の傘下に入ってもらう。これはその契約書だ」
イルザは静かに書面に目を通した。
「契約書は魔法紙で作成され、我がローゼン公爵家独自の誓約魔法がほどこされている。すなわち、ここに署名すると同時に、君達は誓約魔法に縛られることとなる。記載された契約内容は絶対であり、これを破った場合、また、我が傘下より抜けようと画策する場合には、君達の命を貰い受けることとなる」
「い、命……」
エレナが緊張を飲み下したのか、喉を上下させる。
「ハーマン子爵令嬢、実は君の父上にはすでに話を通してある。君に、家門の行方を左右する重大な決断をお願いする可能性があるとな」
「えっ、父に……」
「私も、軽々しく我がアルムウェルテン王国を支える貴族の運命を左右するようなことはさせない。君の行動や発言の予測は立てていた。だが、君の発言は非常に軽率だ。貴族の令嬢としては不適格である。君が責任を取るという程度の問題ではない。分かるね?」
「は、はい……」
「君は学べる人間だ。私はそれを知っている。こういったことは今回限りとしたまえ」
唇を噛み締めてエレナは頷いた。
「シュヴァル男爵令嬢、君の父上と母上もこのことは了承済みだ。アルベルトが私に仕えるようになったときと同様の手続きを行わせてもらうとな」
「はい」
イルザの返答を受け、ローゼン公爵は腕を組み、二人を見つめた。
「君達、覚悟はいいか」
ローゼン公爵はもう一度問いかけた。
自分は動かないでいるはずなのに、それ以外のもの全てが、クリストフの周囲の空気すらひたすらにぐるぐると回り続けているように感じる。
体が異様に熱かった。それとも、この部屋の気温が高いのか。
何かが響いているが、クリストフには何もはっきりとは聞こえない。 もわりとした低い音が耳の奥でひたすら鳴っていた。体のあちこちが焼けるようにひりついて、呼吸をすると喉がちぎれてしまいそうだった。
目を開けようとしたが、開けられたのか閉じたままなのか判然としない。暗い色の中に歪んだ白いものが浮かんでいるだけの視界だ。
クリストフはこの状況をやり過ごすだけで必死だった。クリストフがクリストフだということも今は考えられなかった。
だから、誰かに助けを求めるという手段など思いつきもしなかった。ただ、時折苦しさの中に胸を締め付けるような寂しさが現れて、自分がひどく孤独だと感じた。
次第に、周囲に名も知らぬ音が増えていき、遠くなったり近くなったりした。クリストフは空間を埋め尽くすその音に追い詰められた。
意識を白い波が覆った。
「昨日、お帰りになってからすぐにお休みになられて……!」
「その時のご様子は」
「顔が少し赤く見えました。とても眠いと仰っていて」
ひどく動揺したクリストフの侍女エレナの肩に手を置くと、ローゼン公爵はベッドに横たわるクリストフを見た。そっと額に触れれば燃えるような熱さが伝わってくる。滲む汗と漏れる苦しげな呻き声を聞き、ローゼン公爵はきつく眉を寄せた。
朝になっても一向に食事の間へと下りてこないクリストフの様子を見に行ったエレナが、クリストフの呻き声を聞いて慌ててローゼン公爵のもとへ飛んできたのだ。
部屋に入ってすぐにベッドに倒れ込んだに違いない。そう思われる痕跡が床の上に散らばっている。
魔法・魔術研究所に通うためにクリストフが持参している茶色の革の肩掛け鞄は口が開いたままそこに落ちていて、詰められていた本やら、お気に入りのペンやら、ノートやら、よく分からない部品や古い魔石などが中から出てしまっていた。靴は片方だけがベッドの脇に転がっている。
ローゼン公爵はそっとクリストフの上の寝具をどけて、左足からもう片方の靴を抜き取った。そして、靴を揃えてベッドの下に並べた。
「医師の手配をいたします。両陛下にもご連絡を」
ローゼン公爵の侍従アルベルトの姉であり、エレナの教育係でもあるイルザが、背後からローゼン公爵に声をかけた。
「いや……」
ローゼン公爵は厳しい目つきでベッドの上で丸くなり震えているクリストフを見下ろした。そして、何かを操作するように、軽く手を挙げ、すぐに下ろした。
「アルベルト、サムエルを呼んでくれ」
「えっ?サムエル殿をですか?」
ローゼン公爵家お抱えの医師の名前を出され、アルベルトが瞬いた。王族に何かがあれば、王家の侍医が診るのが当たり前だからだ。
イルザは目を細めてローゼン公爵の言葉に耳を傾けている。
「理由は追々説明する。だが、このことは誰にも漏らすな」
ローゼン公爵は険しい顔をアルベルト、エレナ、イルザに向けた。
「……我々以外の誰にも……両陛下にも、だ」
「か、閣下……?」
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「閣下。どのようなご事情があるのかは分かりませんが、両陛下のお耳に入れないというご判断には同意いたしかねます」
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「君の言葉は正しい」
ローゼン公爵は一度目を伏せた。
「両陛下とこの国を謀る意図はない。だが、時期を待たねば両陛下にご説明できぬことがある」
エレナはますます困惑したようで、珊瑚色の瞳が揺れている。イルザは交わらなくなった視線も気にせず、黙って空色の瞳をローゼン公爵に向けたままだ。
僅かののち、ローゼン公爵はイルザとエレナへと体を向けた。そして、二人の顔を順番に見て、厳かな声で問いかけた。
「君達の、殿下への忠誠を問いたい」
「か、閣下、それは……!」
アルベルトが上擦った声をあげた。
「何をしている。サムエルを呼びにいけと言っただろう」
「アルベルト、私は大丈夫よ。行きなさい」
主と姉の両方から促され、アルベルトは何度か姉を振り返りながらクリストフの部屋を出た。ドアがやけに大きな音を立てて閉じられた。
ローゼン公爵は黙ってエレナとイルザの返答を待っている。
「……それは、この場で始めても良いお話でしょうか」
困惑を浮かべるエレナとは対照的に、イルザは冷静だった。
「問題ない。この部屋で話したことは外に漏れないようにさせてもらった」
エレナは驚いて周囲をきょろきょろと見回した。
「だが、これから説明することは外部に秘匿された情報であり、我が国の王家の不徳とする話もある。また、我がローゼン公爵家の重要な情報も含まれる。当家の役目上、君達がこれ以上の説明を求めるならば、相応の覚悟を決めてもらう必要がある」
「あの……それは一体どういう……」
戸惑うエレナの隣から、イルザが一歩進み出る。
「私は、まだ殿下のお側に侍るようになって日も浅く……正直申し上げまして、忠誠を誓うかと言われれば分かりません。殿下の人々を救いたいというお考えは素晴らしいと考えておりますが、殿下にはまだ王族として未熟な面があるかと。ですが——」
イルザは言葉を切り、真摯な瞳でローゼン公爵を見た。
「閣下の御為であれば、この身を捧げられる所存です」
そしてイルザはローゼン公爵の前に跪いた。
「あの日、私が謂れなき不貞の罪を着せられて、婚約を破棄されるところを救ってくださった。我がシュヴァル男爵家に、多大なる慰謝料を科そうとした輩を葬り去ってくださった。父と母と五人の弟達を、私の身から出た錆に巻き込まずに済んだのは閣下のお陰です。さらには、うつけ者だと謗られていたアルベルトを取り立ててくださった。この御恩を生涯忘れることはできません」
「あの冤罪は君のせいではない。相手の男が愚かだっただけだ。それに、アルベルトはああ見えても優秀だ。君もその内、姉弟の間柄では見ることができなかった弟の優れた部分を見ることができるだろう。恩義を感じることはない」
「それでも……です」
イルザの空色の瞳に感情の影が差す。
彼女には冤罪を着せられそうになった過去があった。
領地支援のために結ばれた婚約で、イルザのことをお堅すぎると不満に思った婚約者から不貞を騒ぎ立てられ、証拠を捏造され、慰謝料まで請求されたのだ。
それを救ったのは彼女の優秀さを見込んだローゼン公爵であり、その後はイルザを王宮の財務部門に見習い文官として推薦し、娘アレクシアの夜会等における付添人を務めさせて社交界で広まった噂を払拭するという後押しまでしてくれた。のらりくらりとバイオリンばかり弾いて暮らしていた評判の良くない弟アルベルトに、侍従としての職も与えてくれた。
「……君の言葉を信じよう」
ローゼン公爵は頷き、次にエレナに視線を向けた。
「……あっ……わ、私は……」
困惑と緊張が入り混じっているのか、続く言葉が失われる。
「深呼吸を」
「は、はいっ」
エレナの肩が大きく動く。震える右手が胸元を押さえた。
「わ、私は……忠誠、については分かりません」
「言葉をもう少し選びたまえ。殿下の悪影響が出ているぞ」
ローゼン公爵が少し呆れた声を出した。エレナは顔を真っ赤にして俯いた。
しかし、なんとか声を絞り出す。
「で、ですが、私は殿下をお守りすると家族に誓いました。わ、我がハーマン子爵家は皆、その誓いを胸に抱いております。殿下の御母上であるローナ様にお会いしたことはありませんが、ローナ様は病に倒れた母の命を救ってくださいました。私が今ここに生きて存在しているのはローナ様のお陰です。母のみならず、私達家族全員が、ローナ様に救われたようなものなのです。そ、それに……」
珊瑚色の瞳がイルザをちらりと見た。
「殿下は、み、未熟ではありません。志すのは王族ではなく、ローナ様のような御方かと。そのための学ぶ環境、人材が不足していただけで、今は日々学ばれて、成長が、い、著しく」
イルザの顔に、子どもに向けるような柔らかな笑みが浮かぶ。
「学ばれている途中だから未熟だというわけなのだが……。それから、王族を軽視するような発言になっていることは理解しているか。経緯からいえば君の考えも理解できるが、君は殿下の侍女だ。もう一度言う。言葉は慎重に選べ」
「も、申し訳ありませんっ……!!」
「まあいい。君に王家への叛意がないのは分かっている。シュヴァル男爵令嬢、彼女のへの教育をもっとしっかりと進めてくれ」
イルザは表情を引き締めた。
「それで……君のその誓いは、ハーマン子爵家の総意だというわけだな。当主不在の状況にも関わらず、君はそのような発言をした。本来であれば当主の権限に対する越権行為であり、許されない。君の発言により、ハーマン子爵家の家門としての未来に影響があるのだ。恩義を返そうと誓うこととはまた話が違う。責任は持てるのか。君は父親であるハーマン子爵に会ったとき、このことを説明し、懲罰を受ける覚悟はあるのか」
エレナはぐっと拳を握りしめた。
「……はい……!父からは何度も、殿下のお役に立てることは何でもするように言いつかっています」
エレナのその言葉を聞き、ローゼン公爵は二人に少し待つように伝えた。そして、隣のローゼン公爵の部屋から二枚の紙を持ってきて、二人に一枚ずつ手渡した。
「君達には本日より我がローゼン公爵家の傘下に入ってもらう。これはその契約書だ」
イルザは静かに書面に目を通した。
「契約書は魔法紙で作成され、我がローゼン公爵家独自の誓約魔法がほどこされている。すなわち、ここに署名すると同時に、君達は誓約魔法に縛られることとなる。記載された契約内容は絶対であり、これを破った場合、また、我が傘下より抜けようと画策する場合には、君達の命を貰い受けることとなる」
「い、命……」
エレナが緊張を飲み下したのか、喉を上下させる。
「ハーマン子爵令嬢、実は君の父上にはすでに話を通してある。君に、家門の行方を左右する重大な決断をお願いする可能性があるとな」
「えっ、父に……」
「私も、軽々しく我がアルムウェルテン王国を支える貴族の運命を左右するようなことはさせない。君の行動や発言の予測は立てていた。だが、君の発言は非常に軽率だ。貴族の令嬢としては不適格である。君が責任を取るという程度の問題ではない。分かるね?」
「は、はい……」
「君は学べる人間だ。私はそれを知っている。こういったことは今回限りとしたまえ」
唇を噛み締めてエレナは頷いた。
「シュヴァル男爵令嬢、君の父上と母上もこのことは了承済みだ。アルベルトが私に仕えるようになったときと同様の手続きを行わせてもらうとな」
「はい」
イルザの返答を受け、ローゼン公爵は腕を組み、二人を見つめた。
「君達、覚悟はいいか」
ローゼン公爵はもう一度問いかけた。
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