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第42話 第三王子の逆襲

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「浮気だよね?」


クリストフが問う言葉にローゼン公爵の一人娘であるアレクシアは紫色の瞳を細め、「浮気」だと指摘された二人の男女を見つめる。それは、無言の賛同であった。


「なっ、何を」

「ち、違いますっ!」


目の前の二人の男女は焦り出し、同時に声を上げる。


「何が違うの??」

「カミーユ様は、殿下に酷いことをされた私を慰めてくれただけです」


ローゼン公爵が注意しろと言っていた、バルトル侯爵家に引き取られた令嬢ミルシュカは答えた。しかしクリストフはすぐに言い返す。


「慰めてもらうのに抱き合わなくてもいいじゃん」


ミルシュカはクリストフに酷いことをされたなどとまだ嘘をついていたが、クリストフはもうそんなことはどうでも良かった。

いくら否定してもミルシュカは勝手に作り上げた話を続けるだけで、一向に本当のことを話そうとしない。かといって、クリストフの無実を証明する証拠となるものもない。もちろんミルシュカの言葉が真実である証拠もない。あちらを嘘だと言えばこちらも嘘だと言われ、話が堂々巡りになるばかりで面倒だ。

そんな不毛な言い争いよりも、今目の前にある偽りようのない事実の方が気になって仕方がない。

婚約者がいる身で他の男とあまりに親密な距離となっている。貴族とは礼儀やマナーにうるさいのではなかったか。それなのに一体どういうことなのか。


「抱き合ってなんかいませんっ」

「抱き合ってるよ、ね?」


クリストフは聴衆を振り返った。目が合った貴族の男は妻らしき夫人の顔色を窺ってから大きく頷き返してくれた。


「ねぇ、本当にそっちの人は婚約者じゃないの?」

「殿下、こちらのドゥネーブ伯爵令息カミーユ様は、ここにいらっしゃるバルトル侯爵令嬢オティーリエ様の婚約者です」


アレクシアがさらなる情報をもたらした。


「えぇっ!??」


クリストフは目を丸くしてミルシュカとカミーユを見た。


「あんた、お姉様の婚約者と浮気してるの!!??」

「う、浮気じゃありませんっ!」


クリストフがあまりに大袈裟な反応をするので、たまらなくなったのかミルシュカはカミーユにしがみつきながら反論した。


「私たちは『真実の愛』なんです!」


どこかで聞いたような言葉が出てきて、クリストフは目をしばたたいた。主催者であるバルトル侯爵は呆気あっけに取られて立ち尽くしたままで、誰からもそこにいることを忘れ去られていそうなほどに静かだった。代わりにその弟であるユリウスがミルシュカの肩をぐいと引いた。


「ミルシュカ!やめなさい!」

「王族であられる第三王子殿下の前で虚言を弄すればどうなるのか。分かっておいでなのかしら?」


アレクシアが冷たく低い声で、ミルシュカを止めようとしているユリウスに問いかける。答えられないユリウスの手を振り切って、ミルシュカは頬を紅潮させて主張した。


「私はカミーユ様を心の底から愛しています!」


胸の前で両手を組み訴えるミルシュカの瞳は真剣そのものだ。しかし、どんなにその愛に身を捧げようが結局相手は姉の婚約者である。クリストフは少し諭すように語りかけた。


「でもさ、あんたには婚約者がいるんだから浮気だよ。それにさ、こんなことならお姉様があんたに優しくできなくてもしょうがないじゃないか。だって、自分の婚約者と浮気してるんだから」

「だから、浮気じゃないんです!『真実の愛』なんです!」


観衆から失笑が漏れた。クリストフに向けてではない。『真実の愛』を訴えるミルシュカに向けてだ。


「『真実の愛』って言ったって、やってることは浮気だよ。『真実の愛』ってのでこっちの人と付き合いたいなら、こっちとは婚約をやめればいいんじゃないの?」


クリストフはミルシュカの婚約者であるマルラン伯爵令息オラースを指差して、アレクシアに小突かれた。


「そ、それは、政略結婚は貴族にとって義務だからできなくて」

「じゃあ、貴族やめればいいじゃん。元々平民だったんだから、平民に戻れば?」


ミルシュカは答えることができずに視線を泳がせた。騒動の見物客達は互いに言葉を交わしている。


「そういえばあの令嬢、王立学院でも姉の婚約者との仲を噂されておりましたな」

「まぁ、では噂の『卑しい泥棒猫』とはあの令嬢のことなのね?」

「こうなってくると、殿下に無理やりダンスに誘われたという話も本当かどうか」

「何しろ姉の婚約者を寝盗ったという噂のある女ですからな」

「あの見た目で……恐ろしい」


クリストフを責めていた人々が今度はミルシュカの良からぬ話題を口にしている。バルトル侯爵の弟ユリウスが悔しげに口元を歪めた。


「政略結婚っていうのが大変なのは分かったけどさ。でも、貴族にとってはすごく大事なものなんでしょ?ローゼン公爵が教えてくれたよ。お互い好きじゃなくても、自分の領地を発展させたりとか領民のためになるからするんだって。

婚約者っていうのはそういう重要な相手なんでしょ?

それにさ、結婚するなら家族になるってことじゃん。せっかく家族になるんだから相手を大事にしないと。それならやっぱり浮気はダメなんじゃない?」


クリストフの言葉にどこからか拍手が飛ぶ。


「そ、そんなの、あんたに関係ないじゃない!」


ミルシュカはやけくそになったのか声を荒げた。


「大体、あんただって他に女を作るつもりなんでしょ!男同士で結婚なんか絶対に無理よ!女を抱くのを我慢できるわけないわ!」


下品な物言いにこの騒動を取り囲んで聞いている貴族達がざわついた。不快だとばかりに顔を背ける者やため息をつく者、何故か妻に責められている夫までいる。

どうやらこのミルシュカという令嬢は、男のさがとやらに思うところがあるようだ。馬鹿にしているようにすら感じるが、それならば彼女の『真実の愛』のお相手だとて同じ男である。それとも、「カミーユ様」とやらは別物だとでも言うのか。

いずれにせよ、彼女の男に対する批判はクリストフには当てはまらない。クリストフは結婚相手を裏切ったりはしない。そんな男ではないのだ。




「俺は浮気なんて卑怯な真似はしないよ。俺はローゼン公爵だけを愛するんだからね」


クリストフは堂々とした態度で、自信満々に言い切った。


「嘘よ嘘よ!どうせ、第二夫人とかなんとか、新しい女を作るんでしょ!」


ミルシュカは言い返してきたが鼻で笑ってやった。


「第二夫人なんかいらないし、作らないよ。ローゼン公爵としか結婚しないんだ。そういう契約書もローゼン公爵に渡してあるからね」



どこかで「アルベルト!」と叫ぶローゼン侯爵の声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。


「で、殿下、そうなのですか?」


急にアレクシアが口を挟んできた。

「そうだよ」と答えながら、アレクシアの顔を見てふと思い出す。『真実の愛』作戦というものを。
(第22話~第23話参照)

作戦は失敗に終わったしローゼン公爵は不服そうだったが、この目の前の浮気者二人組に比べれば、なんとクリストフとローゼン公爵の婚約関係は真面目なのだろう。こちらが『真実の愛』と言っても良いぐらいではないか。ひとつ本物の『真実の愛』を見せてやってもいいかもしれない。

クリストフは胸を張った。


「まぁ、俺達は『真実の愛』を目指してるから」


片目を閉じて、アレクシアにサインを送る。

仮にアレクシアがあとでローゼン公爵に叱られてしまおうがなんだろうが、この場はとにかく協力してもらわねば。アレクシアは気がついたのか、ぎこちなく頷き、口元に扇子を当てた。


「そ、そうでしたわね。オ、オホホホホ……」


聴衆の間を「さすがだ」という言葉が飛び交っている。またローゼン公爵の声が聞こえたような気がした。


「それに、『真実の愛』じゃなくても、色んな愛があると思うよ。政略結婚の愛もあるんじゃないの?」


感嘆の声がそこかしこで上がり始め、クリストフはさらに調子に乗った。


「大体さ、あんたもこの子の婚約者だっていうんなら、こいつより先にこの子を慰めてやらないと」


「そうだ!」という野次の中、クリストフはオラースを差してから、カミーユを「こいつ」と指差した。


「殿下、人を指差してはいけないとお父様からも教えがありましたでしょう?」


アレクシアはすぐに平常心を取り戻したらしい。紫の瞳がクリストフを睨みつける。しかし、観客の支持も得てクリストフは絶好調だった。


「だって、あんたもそう思うでしょ?」

「それは……、まぁ、そうですが」

「はっ!第三王子殿下は平民でいらしたのでご存知ないらしい」


嘲りを含んだ笑いがクリストフとアレクシアの間に割り入った。ミルシュカの婚約者であるオラースだ。


「政略結婚で義務を果たしていれば、互いに別の相手を愛しても良いのです。貴族には愛よりも優先すべきことがある。重要な責務のない平民とは違うのですよ」

「う~ん。それならそれでいいけどさ、一応婚約してる相手はあんたなんでしょ?ちょっとあんたに対してこの子は失礼だと思うよ。

もし、あんたがこの二人の浮気を許してたとしても、浮気相手と抱き合うならこんな夜会とかじゃなくて、見えないところでこっそりやった方がいいんじゃないのかな。

だって、貴族の婚約って契約みたいなもんだって聞いたよ。たくさんの人の前で浮気で抱き合うなんて、契約を大事にしてないみたいじゃん。

あとさ、別の人を好きでも婚約者同士は助け合った方がいいと思うけど。ね??」


クリストフはまた観衆を振り返った。若い男女二人が「そのとおり」と口に出し、同意を示す。それに後押しを受け、クリストフは続けた。


「俺とローゼン公爵は女神様のお告げだかなんだかで婚約したけどお互いをちゃんと大切にしてるよ。ローゼン公爵は俺が落ち込んだとき慰めてくれるんだ」


夜会の会場は再度静まり返った。




「い、今なんと」


あまりに意外な言葉だったのか、オラースがクリストフに聞き返す。


「ローゼン公爵は俺が落ち込んだとき慰めてくれるよ」


クリストフは当たり前のように繰り返し答えた。


「れ、冷血公爵閣下が?」

「ココアのおかわりをくれるんだよ。ビスケットもたくさん食べさせてくれるし」

「ど、どういうことですか!?」


アレクシアがまた口を挟んできた。


「殿下!お父様にココアをいれさせているんですか!?」

「そうだよ。ローゼン公爵は俺が寝る前にいつもココアをいれてくれるんだ」


大切なあの夜の時間のことを人前で話すのはかなり気恥ずかしい。けれど、クリストフすら浮気者だと疑うミルシュカにはよく分からせてやる必要がある。クリストフは少し頬を赤くして、はにかみながら答えた。


「毎日だよ。それで俺たちは二人で色んな話を」

「よ、夜にお父様と二人きりで?ア、アルベルトやエレナ嬢は」

「さぁ?もう寝てる時間なんじゃない?」

「アルベルトっ!」


観衆の頭の向こうから、焦りを含んだローゼン公爵の声が今度ははっきりとアルベルトを呼ぶ。だが、アルベルトは驚く貴族達を背に、俯き肩を震わせているばかりだ。




「そうだ!ねぇ、これ見てよ!」


クリストフは突如閃いた。

胸元に収まっているハンカチにはローゼン公爵が施してくれた豚の刺繍がある。物はついでだ。目の前のミルシュカ達だけでなく、この夜会の会場にいる貴族達にもこの刺繍を見せてやろう。


「これはローゼン公爵が俺を励まそうとハンカチに刺繍してくれたんだ!」


ハンカチを広げてみせると、会場にいる者達が一気に騒ぎだす。


「刺繍!?」

「ローゼン公爵が刺繍だと!?」

「ここからじゃ見えないぞ!」


クリストフの周囲に人々が詰め寄せる。やはり皆、ローゼン公爵の刺繍が見たいのだろう。


「ちゃんとした婚約者っていうのは、こういうことをしてくれる関係じゃないとね」


クリストフはハンカチを揺らし、満足げに鼻を膨らませた。


「アルベルト!何故殿下をお止めしない!」


ローゼン公爵が大きな声を上げ、人々をかき分けてクリストフの元へやってくる。


「……あ、か、閣下」


アルベルトは半分笑ったままの表情であるじを見上げた。

笑いの虫をこらえるのが余程辛いのか、腹を押さえ、目には薄らと涙が浮かんでおり、それ以上言葉が続かないようだ。


「殿下!ぜひ刺繍を拝見したい!」


クリストフの周りに集まった人々の中から、手を伸ばした男がいた。クリストフはにこにこしながらハンカチを手に男に近寄ろうとしたところで、おや、と立ち止まった。

夜会でこの男の顔を見るのは三度目のことだったのだ。

一度目はバルコニーからミルシュカを連れて会場に戻るとき、会場の明かりの眩しさに視界を遮られ、それが落ち着いたあとのことだ。この男はクリストフを見ていた。

二度目はクリストフがまだ尻餅をついたままだったとき。クリストフを起こそうと手を伸ばしてくれたのがこの男だった。

そして三度目が今だ。

貴族なのだから相手がクリストフのことを知っているのは当然のことなのかもしれない。だとしても、三度も目が合うほどにこの男はクリストフを見ていたということになる。

何とはなしに気にかかったが、すぐに思い直す。

いつも白花はくかの館にこもっている平民上がりの第三王子が初めて夜会に姿を現し、下手くそなダンスまで見せたのだ。物珍しかったのだろう。

そうして、男の手が無遠慮にもハンカチを持ったクリストフの手に伸びてきたとき、男の指先にある何かに光が反射した。

それをクリストフが疑問に思う前に、大きな叫び声とともにクリストフの視界は塞がれた。柔らかい何かが、クリストフの顔面に当たっている。


「魔獣よ!」


誰かがそう叫んだ。

と、同時にクリストフは誰かの腕の中に背後から抱き寄せられた。顔が柔らかい物から解放されたため見上げると、そこにあったのは、なんと大きな豚の尻だった。





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