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第41話 義娘の助け

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「お、お嬢様……!」


ローゼン公爵の侍従アルベルトがほっとしたような声でローゼン公爵の娘であるアレクシアを呼んだ。

真紅の髪を結い上げたアレクシアは、夜会のための装いのせいか以前白花はくかの館で顔を合わせたときよりも貴族の令嬢らしく見える。


「これはこれは、ローゼン公爵令嬢」


バルトル侯爵の弟であるユリウスはアレクシアに一歩近寄り、慇懃無礼にいきなり声をかけてきた。しかし、アレクシアはまるでユリウスがそこにいないかのように一瞥もせず、床に座り込んだままのクリストフに歩み寄った。


「なっ……!」


ユリウスは怒りの表情もあらわに目を見開いた。


「今夜は幸いの女神様への献身を特に大切にされている家門の方々がお集まりの場と聞いて伺いましたが、
わたくしの思い違いでしたでしょうか」


アレクシアは手に持っていた扇を口元に当て、集まった観衆を見回した。


「倒れた者に手も差し伸べず、高みの見物とは。我がアルムウェルテン王国が奉る幸いの女神は、苦境にある者への慈悲や救済を重んじられます。日頃の徳は行動でのみ積むことができるのではありませんか?それとも、金銭で売買されているものなのですか?」


細められた紫色の瞳がユリウスの身につけた装飾品に向けられる。


「ぶ、無礼な……!」


ユリウスは顔を赤くして声をあげた。

観衆の中の一人の男が、さすがにまずいと思ったのかクリストフに手を貸そうと前に出た。さらに、バルトル侯爵がその男を押し除けてクリストフを立たせようと手を差し伸べる。クリストフは思わず目の前のバルトル侯爵の手を取ろうとし、しかし鳴らされた小さな音に顔を上げた。

扇についている飾りが揺れている。アレクシアは今度はユリウスではなくクリストフを見ていた。

左眉が僅かに持ち上げられた彼女のその表情は、ローゼン公爵譲りのものだろう。嫌味な婚約者の顔を思い出した途端に、周囲の重々しい澱みが払われていくように感じた。

一人で立つこともできないのかと、クリストフの婚約者であるローゼン公爵ならそう言うはずだ。誰かの手を借りてばかりではいけない。

クリストフは差し出されたバルトル侯爵の手を頭を振って遠慮して、自ら立ち上がろうと全身に力を入れた。緊張から関節に力が入らず震えさえしたのだが、それでも、つい先ほどまでは重石でも入れられたかのように鈍かった体が、何故か軽々と立ち上がることができたのだった。


「無礼なのは貴殿の方では?ユリウス卿」


持ち直したクリストフの様子を見てから、アレクシアはユリウスに向き直った。


「貴殿の姪であるミルシュカ嬢のせいで窮した第三王子殿下を、こともあろうに上からなじるような卑怯な真似をするなど。もっとも清廉さを必要とされる聖騎士だとは思えぬ所業ですわね」

「それを言うなら第三王子殿下はどうなのだ!ミルシュカは無理に踊りに誘われたのだ!王族という立場を利用されれば、断ることなどできないだろうが!」


怒りの視線がクリストフに向けられる。クリストフがちらりとアレクシアを見ると、紫色の瞳が応えるように瞬いた。


「……お、俺、」


アレクシアが小さく咳払いをする。クリストフも真似をして咳払いをし、別の言葉を探った。


「……ぼ、僕は、その子、じゃなくて、彼女を無理やり誘ったりなんかしてないよ」


クリストフはなんとか言葉を紡ぎ出した。


「彼女が一緒に踊って欲しいって言ってきたんだ。彼女のお姉様に貴族として馴染もうとしているのを分かって欲しいって。だから、ぼ、僕は彼女と踊っ」

「嘘よ!」


ミルシュカが素早く叫んだ。


「同じ平民だった者同士、君となら気軽に踊れる気がするからって、どうしてもって!私はお断りしたんです!なのに、自分は王族だからいうことを聞いてくれないと困るって……!」


大きな目に涙を浮かべるミルシュカの姿に、観衆の中の若い男性達が数人、クリストフに非難の目を向けた。

白い頬を伝う雫は会場の華やかな灯りを反射して煌めいて、ミルシュカの可憐さを際立たせている。だが、人前で大声をあげてクリストフの非を訴えて泣く姿は、儚げなのに何故か有無を言わせぬ勢いを持っており、クリストフは思わず圧倒されそうになった。


「私、怖くて……」

「ミルシュカ……」


線の細い美男子でミルシュカに「カミーユ様」と呼ばれた男がミルシュカを胸に引き寄せた。ミルシュカは彼の胸で泣いている。




これではまるで、クリストフが彼女を襲ったかのようだ。女性を手籠めにするような男だと誤解されるのはごめんだ。特に、クリストフの婚約者には。

思わずローゼン公爵がいるであろう方向を振り返る。

人々の顔の向こうに黒い髪が見えた。先ほどまではクリストフのもとに向かおうとしていたくせに、今は黙ってこちらを見ているだけだ。どうして助けてくれないのだろう。

クリストフがほんの少しの不満をローゼン公爵に向けて感じた瞬間、状況を見かねたアルベルトが我慢できなかったのかクリストフの少し後ろから前に出ようとした。アレクシアも扇を閉じて口を開こうとしている。

クリストフを守ろうと戦おうとしてくれている二人。それなのに、クリストフはただ何もせずローゼン公爵に不満を感じているだけだ。

身に纏わりつく自己不信と積もる弱音が何倍にも膨れ上がり、その姿をクリストフ自身にさらけ出す。

見るに耐えない嘆かわしい姿だ。

もし母であるローナが生きていたとしたら、こんな男に成長した己を見せたくはない。そして、婚約者であるローゼン公爵に、こんな男だったとがっかりされたくもない。湧き上がる怒りは内へと向かい、クリストフを突き動かした。




どうやり返すのか、策はないが気概はある。アルベルトを片手で制し大丈夫だと頷いてみせ、アレクシアにも視線で合図を送る。


ローゼン公爵に抱いた不満は理不尽で我がままなものだとすぐに気づくことができた。アレクシアとアルベルトのお陰だろう。二人は貴族の社会についてはクリストフより経験がある。それでも、生きている年数でいえばクリストフが年長者だ。おまけに、立場でいえば一番上にいるのはクリストフなのだ。守られるのではなく、アレクシアとアルベルトを守る立場にすらいる。

そしてこれは、クリストフ自身が引き起こした問題だ。クリストフこそが反論しなければならない。だから、ローゼン公爵も静観することにしたのではないか。それならここで、クリストフ自身の力で解決してみせる。

か弱さを装う令嬢の涙が作り出す世界に飲まれていたが、次第に視界が開けてきたようだった。




「あのさ、あんたがなんでそんな嘘をつくのかは分からないけど、俺はあんたを無理やり誘ったりなんかしてないからね」


貴族らしい口調は後回しにした。

まだそこまで頭が回らないのは情けないことではあるが、今証明しなければならないのはクリストフが女性に無体を働くような男ではないことだ。まずは正々堂々と言い返す。


急にクリストフの口調が強くなったからなのか、ミルシュカはびくりと肩を震わせた。


「俺は女の人に無理に言うことを聞かせたりなんてしないよ。それは絶対にしちゃいけないことだって自分で決めてるから」


ミルシュカだけでなく、周囲に集まった貴族達も見渡して主張する。


「それに、俺はあんたと踊る前、とんでもなく下手なダンスを見せちゃったんだよ。ここにいる人は皆、俺にがっかりしたと思う。俺もすごく落ち込んだし。その失敗を忘れて、あんたを無理やりダンスになんか誘えるわけないじゃん」

「で、でも、殿下は私をダンスに」

「それはあんたが踊って欲しいって言ったからだよ。俺みたいに平民出身だっていうから、なんとか助けたくてあんたの誘いに乗ったんだよ」

「姪のせいにするつもりですか!」

「俺は今この子と話してるの。あんたは現場を見てないだろ。黙ってろよ」


割って入ったユリウスは、クリストフの赤い瞳に鋭く睨みつけられ、次の言葉を飲み込んでしまった。


「私は殿下と踊りたいなんて言っていません!」


ミルシュカが反論した。クリストフもひるまず言い返す。


「どうして嘘つくんだよ。あんたは、婚約者に踊りたくないって酷いこと言われて、お姉様ってのにも平民だって嫌われてるって泣いてた。それでダンスを上手く踊って、少しでも貴族の世界に馴染もうとしてるのをお姉様に分かって欲しいって言って俺に頼んだじゃないか」

「私はそんなこと言ってないわ!」

「そこまであんたが認めないならいいよ。辛い目にあってるから嘘をついたのかもしれない。でも、俺のせいにされても困るんだ」

「ミルシュカ、いい加減になさい」


観衆の中から深緑色の髪と淡い水色の瞳を持つ令嬢が出てきた。


「あんたは?」


令嬢はクリストフに向かって深く礼をした。


「バルトル侯爵が娘、オティーリエにございます」

「もしかして、この子のお姉様ってやつ?」


オティーリエと名乗った令嬢は頷いた。


「この子はあんたに平民だから嫌われてるって言ってたけど」

「とんでもございません。私は姉としてミルシュカのマナーを注意してきたまで。市井の出であることを厭うなどということはありません。幸いの女神様はこのアルムウェルテン王国の民を等しく愛してくださいますし、国と神殿は、貴族と平民の方々が力を合わせて支えてくれているものだからです」


オティーリエは静かに答えた。


「じゃあ、この子がお姉様に嫌われているって言ってたのは誤解ってことだね?」

「う、嘘よっ!人がいないところで、私のことを馬鹿にしたじゃない!」

「人前で注意すれば貴女が恥をかくでしょう?我がバルトル侯爵家の醜聞にもつながります。ですから、貴女と二人になったときに注意したのです」

「注意じゃなかったわ!馬鹿にしたわ!」

「殿下、オティーリエはいつもそうなのです」


嘆くミルシュカを胸に抱き、カミーユと呼ばれていた線の細い美男子がクリストフに話しかけてきた。それをオティーリエがたしなめる。


「カミーユ様。意見を述べたいのであれば、まずは殿下に許可をいただいてください。問われてもいないことを急に発言するなど、場を乱しているのではありませんか?」

「君はいつもそうだ。家門のことや礼儀のことばかり。ミルシュカに対して姉としての情はないのか?」


互いに冷たい視線を向け合う二人。ふとクリストフが疑問を口にする。


「礼儀を気にするのと情があるかどうかは別の話なんじゃないの?」

「えっ?」

「ローゼン公爵はマナーを口うるさく言ってくるけど、俺に優しいときもあるよ?彼女が優しくないのは別の理由じゃないの?」

「し、しかし殿下!」

「っていうかさ、あんたも酷いんじゃない?」

「は?」


クリストフは言い募ろうとしたカミーユに厳しい視線を向けた。


「この子が言ってたよ。婚約者と踊ったら、品がない見た目だからもう踊りたくないって言われたって。婚約者ってあんたのことでしょ?せっかく婚約してるのに、女の子の見た目を悪く言うってのは酷いよ」

「な、なんのお話ですか?」

「だからさ、婚約者の」

「殿下、こちらのドゥネーブ伯爵令息カミーユ殿はミルシュカ嬢の婚約者ではありませんが……」

「えっ?」


アルベルトが指摘する。クリストフは改めて目の前の男女を見た。


婚約者でもない男の胸に抱かれているミルシュカ。
婚約者でもない女性を胸に抱いているカミーユ。


「じゃ、なんで二人は抱き合ってるの??この子の婚約者は??」


クリストフはわけが分からなくなり、アルベルトに尋ねた。


「ミルシュカ嬢の婚約者は、こちらのマルラン伯爵令息オラース様です」


アルベルトはミルシュカとカミーユの僅か後方にいる肩幅の広い男を紹介した。

そういえば、彼はクリストフと踊ったミルシュカに対して「何をやっているのか」と怒鳴りつけていた男だ。そのオラースだと紹介された男は、苛立っているらしくクリストフを睨みつけてくる。


「あぁ、そういえばそんなこと言ってたような……」


ミルシュカとカミーユ、オラースを見ながら、クリストフは名乗られた場面を思い出そうとしたが頭に浮かんでこなかった。ダンスを失敗して倒れ、追い詰められていたときだからだ。


「殿下、紹介を受けたにも関わらず忘れるなど、言語道断ですわよ?」


アレクシアが苦言を呈す。


「ねぇ、それは分かったけどさ、これってまずいんじゃないの?」

「まずいとは?」

「だって、これって浮気でしょ?」


クリストフの言葉に、その場が静まり返った。





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