年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

文字の大きさ
上 下
39 / 58

第37話 敵わない相手

しおりを挟む
第35話を加筆修正しております。(2024.1.14)
夜会の会場にエレナとイルザが同行していない流れに修正いたしました。お時間あるときにご確認いただけますと幸いです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




クリストフは羞恥と混乱の中にいた。

自分が何をしているのか、何故上手く踊れなかったのかが全く分からなかったからだ。覚えたはずのステップが、まるでなかったことかのように全て頭の中から消えてしまっていて、思い出そうとしても記憶が朧げなのだ。白花はくかの館では楽しいとすら思えたものが今では悪い夢のようだと感じられた。

クリストフのおぼつかないダンスを見ていた観衆の中から聞こえてきたのは落胆のため息と諦めの言葉だ。


「やはり難しいものですかな」

「仕方がない。お生まれがお生まれですから」

「ですから神殿の中にいていただくのが良いのです。我々のような社交ができるわけもない。お母上のように祈りだけ捧げていれば」


落ち着こうと深い呼吸をするたびに、何故か耳が冴えて聞きたくもないものまで聞こえてしまう。


「冷血公爵閣下が花嫁としてお側に侍るようになったからでは?」


クリストフは思わず呼吸を止めた。


「なにしろあの閣下は茶会ですら戦場のような扱いで物事を運ぼうとなさる。第三王子殿下も心労が重なっているのだろう」

「そういえば、新年の祝賀の儀で一風変わった祝いの言葉をいただいたことがありますよ。あの方は祝いの場のような華やかな場がお好きではないようだ」

「祝福の花嫁様というのも何かの間違いでは」


たかがダンスの失敗ひとつで、クリストフ本人のみならずローゼン公爵の評判までもが落ちてしまった。浅く息を吐き出して、ちらりと上を見上げる。銀縁の眼鏡に反射した会場の光のせいで、ローゼン公爵の表情は見えなかった。


「少し落ち着かれたほうが良さそうですね」


ローゼン公爵は冷静な声でそう言うと、そっとクリストフの背を押した。会場の一角に用意されたゆったりとした椅子のある王族専用の休憩場所へとクリストフを誘導していく。

本来であればクリストフはローゼン公爵のエスコートをしなければならないのだろう。だが、教えてもらったエスコートの作法も頭に浮かばぬほどクリストフは動けなかった。体の表面が全て過敏な神経で覆われてしまったかのように、囁きや笑い声がどれもクリストフとローゼン公爵に向けられた嘲笑に聞こえてしまう。


「殿下、少し遅れてはおりますが、まもなくアレクシアも来る予定です。アレクシアの友人で殿下と年の近い男子学生も共に参加しますので、王立学院の話でもお聞きになって、緊張をほぐされるのがよろしいでしょう」


夜会とは関係のない話題に釣られクリストフが顔を上げたとき、乾いた音が背後から響き渡った。


「結構結構!初めてのダンスにしては上出来ではないか」


明らかに嫌味だと分かる言葉。レオンハルトだ。大仰な仕草で手を叩きながら歩み出てきた彼は、背後に何人もの令嬢を従えている。皆、頬を染めながらレオンハルトにダンスの相手をと乞うていた。

ローゼン公爵はクリストフを器用に動かしながら振り返り、頭を下げた。


「だがダンスの相手にはもう少し身の丈に合った者を選ぶべきだな」


クリストフの背丈を揶揄するような言葉に、ローゼン公爵が僅かに眉を上げる。


「王太子殿下、恐れながら」

「来い、セドリック」


言葉を遮られ急に手を引かれたローゼン公爵は、クリストフの側からレオンハルトのその胸にあわや抱き止められるほどに近づく寸前で、何とか踏みとどまっった。


「ちょ、ちょっと!」


これにはクリストフも驚いて声を上げた。思わずローゼン公爵に向けて手を伸ばしても、レオンハルトはローゼン公爵の手首を掴んだまま歩き出そうとしている。


「王太子殿下、何を」

「ダンスだ」


レオンハルトは唇の端を吊り上げてクリストフを顧みた。


「兄として教えてやる。王族のダンスをな。よく見ておけ」


慌てるクリストフを尻目に、ローゼン公爵を連れ出したレオンハルトはワルツを踊る貴族達の中に入っていった。ダンス前の作法は飛ばして、すぐにローゼン公爵の手を取り、腰に手を当てる。だがその動きは、手順を踏んでいないにも関わらず優雅で堂々としていた。


「王族の高慢と無礼さを知らしめるのが殿下の学ばれた作法ですかな」

「阿保の子守から救い出してやったのだ。許せ」

「第三王子殿下は日々学ばれております。王族同士で争わず、兄として弟君を守る姿勢をお見せにならなければ国が荒れますぞ」

「本当によく口が動くものだな、セドリックよ。女とは口うるさい生き物だが、まるでお前そのものではないか。存外女役を楽しんでいるのではないか?」

「女性の気質を決めつける発言をなさるとは、為政者を志す方とはとても思えませんな。王太子妃殿下は今夜はいらっしゃらないのですか?言葉より思考を好まれるお方ですが、愛想を尽かされぬよう注意された方がよろしいかと」

「あれは例外だ。俺の前には出ぬ静かな女よ。今宵は女が主導する東部での慈善事業の会合に出ている。私も出る予定だったが……。なに、慈善事業とやらは女の仕事だろう?あれに任せておけば問題ない」


ローゼン公爵とレオンハルトは何かを言い合いながら、それでも洗練された身のこなしで踊っていた。クリストフのときとは比べ物にならないほどの美しい動きだ。周囲から感嘆のため息がもれた。

格の違いを見せつけられて、クリストフは悔しさよりも無力感で体が動かなかった。周囲の令嬢達はまだ誰もレオンハルトと踊れていなかったようで、瞳を煌めかせてレオンハルトとローゼン公爵を見つめているよもや、レオンハルトはクリストフにこんな思いをさせたくて、ダンスに参加せずに待ち構えていたのかもしれない。そんな考えが頭をよぎったのに、クリストフはただその場に立ち尽くした。

自分が恥ずかしい。そんな思いで心も頭も埋め尽くされていく。


「……クリス様」


不意にかけられた声に肩が跳ねた。アルベルトが自分を気遣ってくれている。声音からそれが分かっても、彼を振り返る気にはなれない。人の思いやりが惨めさをより一層大きなものにする。

クリストフは身を翻した。


「あっ……!で、殿下っ!」


素早い足取りで人々の中へと逃げ込む。レオンハルトとローゼン公爵のダンスをひと目見ようと集まった人々の群れが背の低いクリストフの姿を隠してくれた。逃げるクリストフの上から降ってくる視線に嘲りの色が見える。実際に彼らの目を見ているわけではないのだが、クリストフには会場にいる人々の視線全てが、自分を笑うためにこちらに向けられていると感じられるのだ。

ここから早く抜け出して白花はくかの館に戻らなければ。

人ごみから人の少ないほうへと、明るい場所から暗い場所へと、華やかな世界から孤独な世界へと。人々の熱気の中に迷い込んだかのような冷たい外気に誘われて、窓から覗く夜がクリストフを導いた。




抜け出した先はバルコニーだった。

夜会の会場がすぐ背後にあるにも関わらず、そこは別世界のように静かな夜に近かった。思い切り走ったわけでもないのに肩で息をしながら一歩踏み出す。冷たい石に手を触れて身を乗り出した。いっそここから飛び降りて一人で帰ってしまおうか。そう思ったとき——

耳に届いたのは女性がすすり泣く声だった。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。 「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」 私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。

N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間 ファンタジーしてます。 攻めが出てくるのは中盤から。 結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。 表紙絵 ⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101) 挿絵『0 琥』 ⇨からさね 様 X (@karasane03) 挿絵『34 森』 ⇨くすなし 様 X(@cuth_masi) ◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

処理中です...