年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

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第32話 貴賓室での攻防

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屋敷に着いたクリストフ達一行は、会場ではないただの部屋に案内された。

と言っても、そこは高い天井に宝石と見紛う照明が吊るされていて、大きな絵画や不可思議な形の像などの美術品もある広い部屋だ。

夜会とやらはどうしたのだろうか。クリストフがきょろきょろとしていると、落ち着きがないとローゼン公爵に叱られた。


「王族や特別に招待を受ける上級貴族は、すぐに夜会の会場には入りません。まずは貴賓室へ通され、主催者からの挨拶があったのち、会場へ案内されます。そして主催者から夜会の参加者全員に向けて、殿下がお越しになったことが伝えられるのです」


ローゼン公爵の説明によれば、それがアルムウェルテン王国でのマナーになっているとのことだ。


「どうしてそんな面倒なことするの?」

「夜会のマナーの復習のときに、ご説明いたしましたでしょう?第二代目国王の御代、当時の王妃陛下が夜会への招待を受けた際、会場で」


長ったらしい歴史の講釈が始まろうとしていたとき、貴賓室の扉が叩かれた。アルベルトが扉越しに誰かと問い、それに答える男の声が聞こえる。アルベルトの姉イルザが主催者が訪れたとローゼン公爵に告げた。クリストフは大きなソファに腰掛けて足をぶらぶらさせながら、ローゼン公爵を見上げた。


「入れ」


ローゼン公爵はクリストフの視線を受けるや否や、いつもクリストフを叱るよりもよほど怖い声を扉に向けた。

静かに扉が開き、現れた白髪頭の男はどうやら主催者のバルトル侯爵だと思われる。まずはクリストフに深々と頭を下げ、バルトル侯爵本人であると名乗った。その姿勢はさすがにクリストフを擁護する神殿派に属しているだけのことはある。たまに王宮内で出会う貴族とは違って、クリストフを馬鹿にする様子は一切窺えない。クリストフは少しほっとした。

クリストフが挨拶をどうしようかと逡巡していると、バルトル侯爵は次にローゼン公爵に挨拶をしようとして、すぐにその表情を引きつらせた。


「此度の夜会は久方ぶりに開かれたのでしょう?さすがは弟君が聖騎士をやられているだけのことはある。社交よりも女神様への信仰に家門を捧げているようで結構なことですな」


それはどうやら嫌味らしかった。ローゼン公爵の左眉が持ち上がっている。バルトル侯爵は再度丁重に頭を下げた。


「ご案内が大変遅くなりましたこと、申し訳ございません」


だが、ローゼン公爵の口は止まらない。


「殿下を招待しておきながら、到着確認の手配をおろそかにするとはどういうことか。貴君の所属する派閥の強化に殿下を利用したいのではなかったのか?それとも方針を変えたのかね?」

「私どもはそのようなことは……!」


バルトル侯爵の背後には使用人達が数人控えており、彼等の怯えた表情が目に入る。クリストフは使用人たちもバルトル侯爵のことも少し可哀想になってきた。

あれだけ多くの馬車の中から王族の馬車を見つけるのは容易なことではないはずだ。確かに王家の紋章が入った豪華な馬車ではあるが、それでも他の馬車と基本的な形は大して変わらない。子ども向けの絵本で見たことがある間違い探しのようなものではないか。

ひと言口添えしてやろう。そう思って口を開きかけたとき、彼等の陰に隠れる白い何かが目に入った。

そう、クリストフは見つけてしまったのだ。使用人達が用意している台の上に乗った、背の高いケーキを。しかもそれはただのケーキではない。側面に塗られたクリームにビスケットがくっついているではないか。


「貴家の初代当主殿は第二十七代目国王ブルクハルト陛下の御代、大飢饉の折に領地に住まう神官等の尽力により、神殿より無償で種芋が提供され、領地を建て直したのであったな。我が第三王子殿下の御母上ローナ様は、若くして神殿を支える巫女となり、その存在は我が国の貴族や民達の心をさらに女神様と神殿に集める力となった。そんな御母上の奉仕のお心を継ぐ我が殿下に、何故このような無礼を働いたのか」

「面目次第もございません。当家の……、私の手抜かりでございますれば」


そこにあるのはケーキだけではない。隣の台の上には、クリストフが見たこともない軽食が乗っている。初めて見る食べ物だとしても、その味は美味には違いない。クリストフには分かる。繊細にかけられたソースの光がクリストフに訴えてくるのだ。否、クリストフの「胃」に訴えてくるのだ。


「貴君が重んじる神殿の力をより広めようとするのは結構。好きにすれば良い。だが、さらなる力を手に入れようと目論もくろむのであれば、それなりの行動を取ってもらわねば困る。どのような覚悟を持って此度の夜会に殿下をお招きしたのか伺いたいものだ。殿下は王宮にご帰還されてから初めての夜会である。それを承知しているのであろうな?」

「もちろんですとも!ですから、当家としても殿下にお喜びいただこうと、入念に準備いたしました。今宵は必ずやお楽しみいただけるかと」

「準備に余念がないのは結構なことだ。しかしそのことで出迎えが遅れるなどあってはならない。我が殿下を野次馬共の目に晒すことになると分かっていてやったのであれば、当家としても正式な抗議を」

「ねぇ、もういいでしょ」


クリストフは二人の間に割って入った。怒られて、謝っている。これ以上この会話は何も進展しない。それよりも、クリストフを待っているあのご馳走達を早く持ってきてもらうべきだ。


「殿下」


ローゼン公爵はじろりとクリストフを見た。


「謝ってるじゃん。もういいよ」

「貴族の謝罪とは言葉だけで済むものではありません」

「じゃあ後ですればいいでしょ。正式な抗議?っていうのをさ」

「よろしいですか、殿下。もしこれが他国の要人が相手であればどうなることでしょう?この無礼は国際問題となり、戦争にまで発展する可能性もあるのです。力を持つものは、常にそれなりの責任を取る覚悟が必要で」

「それはそうかもしれないけど」


今は状況が違う。クリストフは他国の要人ではないし、戦争をする気もない。肝心のクリストフがそうなのだから、この場での押し問答をしたところで、どうやって決着をつけようというのだろう。それなら後からローゼン公爵が手紙でもなんでも送った方が話が早いはずだ。長ったらしい嫌味な文でも書いてやればいい。ローゼン公爵なら得意そうではないか。

こんなことより今クリストフにとってもっと大きな問題があるのだ。あのクリームにくっついているビスケットが落ちやしないかという問題が。


「何だか大袈裟だよ。俺は気にしてないよ」

「これはあり得ないことなのです。殿下に対して二心ふたごころを抱き、あえて無礼な行いをしたという疑念も」


「疑念ってのがあっても、わけも聞いてないし、本当かも分からないのに処罰するの?」


ローゼン公爵は続けて何かを言おうとしたが、口を閉じた。バルトル侯爵は瞬いて、黙り込んだローゼン公爵を見てから急に笑顔になった。


「で、殿下!温情賜り誠に恐縮でございます!」


クリストフはちらちらとケーキと料理に視線をやった。何やら色のついた飲み物まである。市井では高級品だった果実を搾ったジュースかもしれない。朝食に出るようになったのがどんなに嬉しかったことか。あれはいつものものと
は色が違う。どんな味なのか気になって仕方がない。

大きな咳払いが聞こえて視線を戻すと、ローゼン公爵がクリストフを冷たい目で見ていた。ケーキを見ていたのがばれたのだろう。


「……分かりました。本件は不問に付しましょう。バルトル侯爵、このような盛大な夜会の前に、お家問題ぐらい片付けておいて欲しいものです。つい先日、私の耳にも入ってきましてな。まさかそれが原因で殿下のご案内が遅れたということはないかとは思いますが。貴君は由緒正しいバルトル侯爵家の当主という立場だ。それをお忘れなきよう」


ローゼン公爵のその言葉を受けてバルトル侯爵は深く礼を取り、そして使用人達に言いつけてケーキと料理をクリストフの目の前に並べさせた。


「ほう、これは随分と豪勢な」


ビスケットで彩られたケーキを見てローゼン公爵が笑みを浮かべる。


「えぇ!第三王子殿下がビスケットがお好きだとお聞きし、ご用意を」

「どこから聞いた?」

「……は?」

「誰から聞いたのだ?」


再びローゼン公爵の厳しい追及が始まって、待てなくなったクリストフはそっとケーキについているビスケットに手を伸ばそうとした。しかし――

急にローゼン公爵がクリストフの手をつかんでそれを止めた。


「ちょっと!何するんだよ!」

「バルトル侯爵、もてなしはありがたく受け取ろう」


クリストフの抗議も無視して、ローゼン公爵はバルトル侯爵を部屋から追い出した。そして、クリストフをひと睨みすると、あろうことかクリストフが食べようとしたビスケットをローゼン公爵が口に入れたのだ。


「あぁっ!!」


クリストフの手はローゼン公爵に抑えられたままだ。クリストフはその手を払いのけようと自分の手を振り回した。


「離せよ!何で俺のビスケットを」

「毒味です」


毒。

その言葉に急に全身が総毛立ち、今度はクリストフは慌てふためいてローゼン公爵に飛びかかった。





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