年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

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第23話 『真実の愛』作戦、失敗する

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「殿下、どうやらくだらぬ噂が出回っているようです。お心を惑わされませんよう、お気をつけください」


数日後、ローゼン公爵の授業の時間にクリストフが王立学院でも使用されている『魔法学上級』の教科書を開いたとき、ローゼン公爵が不意にそんなことを言い出した。


「噂って何?」


クリストフの質問に、ローゼン公爵は誰に向けてなのか小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「私と殿下が『真実の愛』で結ばれているという噂です」

「えっ!!」


驚いたクリストフは思わず大きな声を上げてしまい、その自分の声の大きさにさらに驚いて、手に持とうとしていたペンを落としてしまった。

おまけにそれを取り繕おうとして、別のペンを持ったつもりが新型のポーションペンの試作品であったため、開いていた『魔法学上級』の教科書に向けてペンからポーションを飛ばし、粘度のあるポーションが教科書に引っついてしまった。


「何がしたいのですか、貴方様は……」


自分の服の袖で教科書についたポーションを拭き取ろうとしているクリストフに、ローゼン公爵は呆れて教科書を取り上げた。


「そ、その噂って」

出処でどころは不明ですが、おおかた神殿派の仕業でしょう」


それは違う。クリストフはその犯人を知っているのだ。だが誰がやったのか、ローゼン公爵に言えるわけもない。勉強部屋の壁際に控えているクリストフの侍女エレナにちらりと目をやる。


「閣下」


エレナが水差しと綺麗な布を持ってきた。


「……あ、あの、お二人はご結婚されるのですから、そのような……す、素敵なお噂があるのも、と、当然のことかと」


エレナの声が小さく震えている。当然だ。犯人だとばれれば、ローゼン公爵にどんな叱責を受けるか分かったものではない。よもや処罰されるということまではないはずだが、彼女の恐怖もよく分かる。


「ハーマン子爵令嬢、『素敵な噂』などと楽観的にばかり見てはいけない。物事には裏があり、噂には意図がある。美辞麗句で飾り立てたところで、私の存在を利用し殿下を神殿派の旗頭とする政治的な思惑があることは明白だ。君も殿下の侍女なら噂の本質を見抜けるようにならなければな」


エレナは蒼白な顔で頷いたかに見えるよう頭を動かし、すぐ壁際に戻っていった。まさか『愛の乙女』となるはずのローゼン公爵本人から、こんなことを言われるとは思わなかったのだろう。

確かにくだらない作戦ではあるが、エレナがローゼン公爵の不評を打ち消すために考えたものだ。それをまるで悪人の陰謀であるかのように扱うなど、些か不憫ではないか。クリストフは助け船を出そうと「噂なんて気にしない」と言ってみたが、ローゼン公爵は聞いてくれなかった。






その後も『真実の愛』の噂は収まらなかった。

次の日、ローゼン公爵は淑女会のメンバーに『真実の愛』を祝福されたと眉間に皺を寄せながら夕食のスープを口にしていた。『愛の乙女』とまでは言われなかったらしいが、『愛の花嫁』などと言われたらしい。

また、ローゼン公爵の侍従アルベルトの姉イルザから、彼女が試用期間として職務を学んでいる王宮の財務部門で、その噂について根掘り葉掘り尋ねられたとの報告があった。

クリストフは王宮の書庫に行く途中うっかり王妃と遭遇してしまい、気まずい会話の中で『真実の愛』の噂について聞かれ、何も答えられないままでいると、「喜ばしいことだ」などと王妃とその侍女が祝う茶会を開くなどと言ってきたので大慌てで遠慮した。

エレナは王宮の門番に、クリストフとローゼン公爵の『真実の愛』にあやかりたいと言われ、白花はくかの館の側に咲く白い花を一本もらえないかと相談されたらしい。その花を持って、かねてより密かに交際していた男爵家の三女に求婚するとのこと。王宮内の庭園にある花のため王族の許可が必要だということで、仕方なくクリストフが許可を出した。

しかも、王族が正式に許可したものは全て書面に残す決まりがあるとローゼン公爵に言われて、よく分からない書類にクリストフのサインまでした。

その書類は何枚もあったので苛々いらいらしたクリストフは、貴族の家門の印章のように自分の名前を彫ったものを作り、インクをつけて押すだけにしたいと提案したが、公式な書類の署名には手書きのサインしか認められていないと言われてしまった。おまけに、ローゼン公爵はサインの書き方にまで口を出してきた。ちなみに、花は一本では見栄えが悪かろうと二十本ほどを門番に送ってやった。

そして、事態はこれだけにとどまらず、神殿派は本当に調子づいてしまった。

女神様が祝福した婚約者同士だから『真実の愛』であることは当然だと言い出して、神殿で『真実の愛』にちなんだ女神様の御守りを販売し始めた。エレナが喜んで買ってきたのだが、そんなものに御利益ごりやくがあるはずはない。クリストフは女神に仕えるはずの神殿の商売根性に辟易した。

また、神殿派の思惑は明らかにも関わらず、とある子爵家の当主がかなり面倒な手続きを経てクリストフの支持を表明する書面を送りつけてきた。「お二人の『真実の愛』が国を救う」とのことだ。

彼は大恋愛の末に平民の女性と結婚をし、社交界で批判されたらしい。平民の妻は素朴な人柄のため、王都の社交界でストレスに晒され体調を崩してしまい、今は領地で静養しているとか。そしてクリストフとローゼン公爵の結婚と『真実の愛』の噂を聞き、貴族の意識が変わるのではと希望を抱いたという。だが彼の期待どおりにはならないだろう。僅かな期間であっても貴族の世界に触れたクリストフには、それが容易に想像がついた。

何にせよ神殿派兼第三王子派が増えてしまう結果となった。どうりでローゼン公爵が警戒するわけである。その子爵家が力がない家門であることが、ある意味救いだとローゼン公爵がこぼしていた。




その三日後のこと。

ローゼン公爵が朝の授業後に神妙な顔つきでクリストフに話しかけてきた。


「殿下、この度は大変申し訳ございません」

「どうしたの?」


クリストフはこれから昼食を取り、魔法・魔術研究所へ向かう予定だった。いきなりこの男から謝罪の言葉をかけられるとは気味が悪いことこの上ない。もしや今日の昼食に何かあったのだろうか。厨房の若い女性の料理人によると、今日のメニューはクリストフの大好きな肉とチーズのはずだ。


「アレクシアから話を聞きました」


クリストフは瞬いた。ローゼン公爵の話によると、娘であるアレクシアが『真実の愛』作戦について自分が主導したと自供したらしい。


「アレクシアはまだ恋愛などに興味を持っていませんので、おそらくはハーマン子爵令嬢の提案でしょう。ですが、私の評判を憂うあまりの策だとか。全て私の不徳の致すところです」


ローゼン公爵があまりに真剣に謝罪をするので、クリストフは内心おかしくなってしまった。ただの噂をこんな大事おおごとのように扱って、貴族というのは全く面倒な生き方をしているものだ。

しかしアレクシアには感心した。エレナのことをかばって名前を出さないとは。恋愛に興味がないとは意外だったが、あれだけ『愛の乙女』などと騒いでいたので、それはローゼン公爵の勘違いではないだろうか。


「もういいよ。悪い噂じゃないし。放っておけばいいでしょ」


所詮はたかが噂だ。そのうち消えていくだろう。しかしローゼン公爵は、謝罪をしたばかりの口で嫌な言葉を吐いた。


「よろしいですか?殿下」

「……何だよ、よろしいですかって」

「この噂は、貴方様のためになりません」

「どうして?」

「お分かりになりませんか?」


「お分かりになんぞならない」と口から出そうだったが何とか我慢した。謝罪を受け、それを許し、「よろしいですか?」まで聞いてやった。クリストフは自分がほんの少し大人になったような気がした。


「これは政治的な話ばかりでなく、貴方様の生涯の伴侶の問題でもあるのです。もしこれから夜会やお茶会で貴方様の好みの女性に出会った場合、この噂が障害となります」

「障害って?」


「お好きな女性を見つけたときに、私と『真実の愛』などで結ばれているともなれば、その女性と結ばれることができません」


しばらく忘れていたその話を蒸し返されて、クリストフの「我慢」という名の理性に一筋の亀裂が走る。


「このお話がお嫌だということは存じ上げております。ですが、今は考えられずとも、いつどこで、どのような女性と出会い、お見初めになられるか。それはご自分でも予測がつかぬものです。ですから、今からその日に備えておかなければいけません」


そんなことはクリストフだって分かっている。もしかすると、どこかで可愛らしい女の子に出会うかもしれない。母のような優しい女の子に好きになってもらえるかもしれない。

だが、結婚に関する不実だけはクリストフは受け入れることはできない。母の苦労を思えば当たり前のことだ。それはローゼン公爵だって分かっているはずだ。

だから嫌だと言ったのにクリストフを勝手に花婿にしたのはそちらではないか。クリストフの未来の結婚を台無しにしたのは神殿や、王族や、貴族や、女神様だ。黙り込んだクリストフに、諭すようにローゼン公爵は語りかけた。


「どこで御母上のような素晴らしい女性に出会うかは分からな」

「そんなの嫌だって言っただろ!」


母の話が出てカチンときた。クリストフは片付ける途中だった『魔法学上級』の教科書を乱暴に閉じて我慢を爆発させた。


「俺は国王あの人とは違うんだよ!浮気なんてしないの!」

「私が良いと言っているのですから、浮気などでは」

「俺の妻になるって言っただろ!お側にいるんでしょ!浮気を許すなんておかしいよ!」

「浮気を許しているわけでは」


何をどう反論しようと、第二夫人を持てと言う話には変わらない。しかし、クリストフにとってこの話は、男として馬鹿にされたも同然だ。どうせ妻以外の女性を好きになるだろうと、そんな男だと思われているようなものなのだ。

そう考えるとさらに怒りがこみ上げる。昼食の準備ができたと伝えにきたエレナがクリストフの剣幕におろおろとして、一週間前に完成したばかりの厨房へ、ローゼン公爵の侍従アルベルトとその姉のイルザを呼びに走り出す。


「俺はあんた以外の人となんて結婚しない!」


クリストフは高らかに宣言した。もうヤケクソだった。


「で、ですが」


さすがのローゼン公爵もクリストフの突然の言葉に戸惑い始めた。


「絶対浮気もしない!!」


そしてクリストフは魔法紙のノートを一ページ破り、そこに今言ったことを書き始めた。

「クリストフはローゼン公爵としか結婚しない」「クリストフは浮気をしない」と殴り書きをし、紙の下部に自分の名前を署名した。

最後に、紙の一番上に「契約書」と書いて、それをローゼン公爵に押し付けた。


「し、しかし殿下。私達は『真実の愛』ではないので」

「そんなの知らない!『真実の愛』だけが『愛』じゃないだろ!別の『愛』があればいいんだよ!」

「そ、そうですか……」


無茶苦茶な台詞を吐き捨てて、クリストフは昼食も忘れて館を飛び出した。護衛の近衛兵が慌ててクリストフのあとを追いかける。


勉強部屋に取り残されたローゼン公爵は、クリストフが置き捨てていった書面をただただ見つめているだけだった。






その後、クリストフは空腹に耐えかねて魔法・魔術研究所で魔法技術学を教えてくれている灰色頭からもらったお茶を飲んでしまった。

ローゼン公爵から絶対に口にしないようにと注意されていたそのお茶を飲むと、鼻の頭が赤いままになって戻らなくなり、翌日治るまでクリストフはかなり恥ずかしい思いをした。ただ、灰色頭が研究所の食堂に連れて行ってくれたので、そこで美味しい鳥肉のシチューを食べることができた。

また、後日ローゼン公爵の授業に、何故か書類の書き方が追加された。

王宮の各部門で使用されている様々な書式を見せられて、クリストフは頭が痛くなった。王族に出すお菓子に使われる小麦粉の種類を変更するための書類の様式が一から十まであり、あまりに腹が立ったのでイルザに愚痴をこぼしたところ、数日後、様式を一から九までに減らしたとイルザから報告があった。

食材を仕入れる担当者から提出する様式が一枚減ったことに対する御礼状が届き、クリストフは何とも言えない気持ちになった。





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