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第19話 花婿の反省
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ローゼン公爵とココアの夜が明け、その翌朝、クリストフはローゼン公爵に内緒で先触れの出し方や女性を訪問する際のマナーについてイルザに相談した。
以前ローゼン公爵に習った気もするが、あまりに興味がなさすぎて耳から耳へと流してしまっており全く記憶に残っていない。好奇心が向かないことには頭が働かないのがクリストフだった。しかし今回はそういうわけにはいかない。これはクリストフを受け入れようとしてくれた女性達に無礼を詫びるために必要なことだからだ。
クリストフは母の教えと独学で学んだ拙い文字で、先日、白花の館を訪れた女性達に丁寧に手紙を書いた。ローゼン公爵には形が崩れていると何度も口うるさく注意されたクリストフの文字だ。このときばかりは嫌な指摘を思い返して慎重にペンを運んだ。
手紙を書くのが初めてというわけではない。もっと幼いころ、文字を勉強するという目的で母に手紙を書いたことがある。クリストフは手紙をしたためながら、懐かしくその時のことを思い出した。
母への手紙があたかも外から届いたように見せかけようと、一緒に計画してくれたのは娼館で働いていた猫背の中年男だった。雑務を教わるという名目で男とクリストフはこっそりと外出し、手紙用の紙を買いに行った。綺麗な便箋は少し高かったのに男が無理にお金を出して買ってくれた。
クローバー模様があしらわれた便箋にクリストフは「おかあさんへ」と書いてみて、それからさらに男宛にも密かに手紙を書いた。母へ手紙を届ける日が待ち遠しくて寝られなかった。
計画通りに猫背の男が母に手紙を渡した日、喜ぶ母の姿を想像して目を輝かせたクリストフが封を開ける母を見ていると、慌てて男が駆け込んできた。手紙を読んだ母が大笑いしたところで、男が母への手紙と男への手紙を間違えて持ってきたことが明らかとなった。
こっそりと男の持ち物に入れておいた手紙を、クリストフの母への手紙だと男が勘違いしたらしい。男はしきりにクリストフに謝ったが、クリストフは計画が失敗して腹を立てむくれてしまった。すると母が手紙を朗読し始めた。母への手紙と男への手紙をどちらも声に出して読んでくれた。
朗読が終わったあと、封筒から出てきたクローバーに母は大喜びをした。母への手紙には男と二人で一生懸命に探した四葉のクローバーを入れた。男への手紙にもクリストフが一人で見つけた四葉のクローバーを入れた。母はクローバーをしおりにすると言った。
男は母の朗読を聞いて大泣きしてしまった。クリストフは腹を立てている場合ではなくなってびっくりして慰めてやると、自分が作った借金のせいで息子と生き別れたと、男は切々と話し始めた。過去を反省し、息子を思いながら慎ましく暮らしていたあの男は今はどうしているだろう。騎士達に連れて行かれるクリストフのことを、今にも大泣きしそうな目で見ていたあの男は。
淑女会の女性達に手紙を出すと「是非に」とそれぞれの屋敷に招かれた。クリストフの侍女エレナが王都で女性に人気の菓子店を教えてくれたので一人で買いに行こうとすると、クリストフの単独行動に慌てたローゼン公爵の侍従アルベルトが王家やローゼン公爵家に出入りしているシモーナ商会のウーゴにそれを伝え、ウーゴが一番人気の焼き菓子を菓子店から取り寄せてくれた。
「公爵閣下にバレても知りませんよ」
女性へのプレゼントだと話すと、何を勘違いしたのかウーゴはびくびくしながらクリストフに菓子の箱を渡してきた。エレナとアルベルトの姉イルザとお茶のマナーを復習し、それぞれの屋敷で先日の非礼を詫びると皆温かく受け入れてくれた。
「初めてのことですから」
イルザはそう釘を刺してくれてクリストフもそれを理解した。屋敷を訪れたクリストフに丁寧な礼を見せてくれた子どもがいた。ブレンドル伯爵夫人の娘だ。母に甘えたそうにしながらも懸命に客人であるクリストフをもてなそうとしている。こんな幼い子どもでも人に対する礼節を守ろうと必死だ。母のために緊張を抑えて微笑む少女にクリストフの自戒の念は強くなった。
淑女会の女性達は皆誰かの母であったり大切な娘であったりするのだ。だから礼を持って接するべきなのだ。この女性が自分の母であったなら、と。
自分の心に絡みついている悲しみに必死になってしまうクリストフだが、人々の愛情や想い、大切な生活があることへ少しずつ意識が向くようになってきていた。
ローゼン公爵はクリストフの謝罪の訪問を知っていて何も言わないのか、最後にコルマフ子爵夫人の屋敷を訪問した日の夜、黙ってココアを二杯もいれてくれた。そして喜ぶべきことに、その夜は新しい「ご褒美」もついてきた。
初めて貴族達との交流を無事に終え、気持ちが一区切りついたクリストフがローゼン公爵におずおずと例の魔道具を見せると、期待した称賛の言葉はない代わりになんとローゼン公爵はビスケットをくれたのだ。最初こそ子ども扱いしていると少し腹を立てたものの、想像以上に美味しいその味にクリストフはすっかり上機嫌になった。
ただ、その美味しさが次のビスケット事件を生んだ。
クリストフはビスケットがあまりに美味しいのでアルベルトにその話をしたのだが、早とちりしたアルベルトがウーゴに大量にビスケットを発注したのだ。何箱も届いたビスケットに慌てたクリストフは、アルベルトと一緒にビスケットをクリストフの部屋に隠すはめになった。もちろんそんなものが見つからずに済むわけがない。ウーゴへの支払いはローゼン公爵家がしているのだ。
ビスケットのことを思い出すたびに、背筋がぞっとするあの夜の瞬間がクリストフの頭をよぎる。欲張って三枚もビスケットを口に入れながら、こぼれた食べかすにも構わず魔法陣を描いていたクリストフの背後に、いつの間にかローゼン公爵が立っていた。
あの冷たく光る目は生涯忘れられないだろう。次の日からクリストフの食事のサラダは倍に増やされ、おまけににローゼン公爵が良いというまでココアは禁止となったのだから。アルベルトにも何らかの罰がくだされたようで二日間ほど肩を落としている姿を見た。
「殿下、ブレンドル伯爵夫人が魔道具について殿下のお力を借りたいとのことです」
ローゼン公爵がそう切り出したのは、ビスケット事件からしばらくたったある日のことだった。
以前ローゼン公爵に習った気もするが、あまりに興味がなさすぎて耳から耳へと流してしまっており全く記憶に残っていない。好奇心が向かないことには頭が働かないのがクリストフだった。しかし今回はそういうわけにはいかない。これはクリストフを受け入れようとしてくれた女性達に無礼を詫びるために必要なことだからだ。
クリストフは母の教えと独学で学んだ拙い文字で、先日、白花の館を訪れた女性達に丁寧に手紙を書いた。ローゼン公爵には形が崩れていると何度も口うるさく注意されたクリストフの文字だ。このときばかりは嫌な指摘を思い返して慎重にペンを運んだ。
手紙を書くのが初めてというわけではない。もっと幼いころ、文字を勉強するという目的で母に手紙を書いたことがある。クリストフは手紙をしたためながら、懐かしくその時のことを思い出した。
母への手紙があたかも外から届いたように見せかけようと、一緒に計画してくれたのは娼館で働いていた猫背の中年男だった。雑務を教わるという名目で男とクリストフはこっそりと外出し、手紙用の紙を買いに行った。綺麗な便箋は少し高かったのに男が無理にお金を出して買ってくれた。
クローバー模様があしらわれた便箋にクリストフは「おかあさんへ」と書いてみて、それからさらに男宛にも密かに手紙を書いた。母へ手紙を届ける日が待ち遠しくて寝られなかった。
計画通りに猫背の男が母に手紙を渡した日、喜ぶ母の姿を想像して目を輝かせたクリストフが封を開ける母を見ていると、慌てて男が駆け込んできた。手紙を読んだ母が大笑いしたところで、男が母への手紙と男への手紙を間違えて持ってきたことが明らかとなった。
こっそりと男の持ち物に入れておいた手紙を、クリストフの母への手紙だと男が勘違いしたらしい。男はしきりにクリストフに謝ったが、クリストフは計画が失敗して腹を立てむくれてしまった。すると母が手紙を朗読し始めた。母への手紙と男への手紙をどちらも声に出して読んでくれた。
朗読が終わったあと、封筒から出てきたクローバーに母は大喜びをした。母への手紙には男と二人で一生懸命に探した四葉のクローバーを入れた。男への手紙にもクリストフが一人で見つけた四葉のクローバーを入れた。母はクローバーをしおりにすると言った。
男は母の朗読を聞いて大泣きしてしまった。クリストフは腹を立てている場合ではなくなってびっくりして慰めてやると、自分が作った借金のせいで息子と生き別れたと、男は切々と話し始めた。過去を反省し、息子を思いながら慎ましく暮らしていたあの男は今はどうしているだろう。騎士達に連れて行かれるクリストフのことを、今にも大泣きしそうな目で見ていたあの男は。
淑女会の女性達に手紙を出すと「是非に」とそれぞれの屋敷に招かれた。クリストフの侍女エレナが王都で女性に人気の菓子店を教えてくれたので一人で買いに行こうとすると、クリストフの単独行動に慌てたローゼン公爵の侍従アルベルトが王家やローゼン公爵家に出入りしているシモーナ商会のウーゴにそれを伝え、ウーゴが一番人気の焼き菓子を菓子店から取り寄せてくれた。
「公爵閣下にバレても知りませんよ」
女性へのプレゼントだと話すと、何を勘違いしたのかウーゴはびくびくしながらクリストフに菓子の箱を渡してきた。エレナとアルベルトの姉イルザとお茶のマナーを復習し、それぞれの屋敷で先日の非礼を詫びると皆温かく受け入れてくれた。
「初めてのことですから」
イルザはそう釘を刺してくれてクリストフもそれを理解した。屋敷を訪れたクリストフに丁寧な礼を見せてくれた子どもがいた。ブレンドル伯爵夫人の娘だ。母に甘えたそうにしながらも懸命に客人であるクリストフをもてなそうとしている。こんな幼い子どもでも人に対する礼節を守ろうと必死だ。母のために緊張を抑えて微笑む少女にクリストフの自戒の念は強くなった。
淑女会の女性達は皆誰かの母であったり大切な娘であったりするのだ。だから礼を持って接するべきなのだ。この女性が自分の母であったなら、と。
自分の心に絡みついている悲しみに必死になってしまうクリストフだが、人々の愛情や想い、大切な生活があることへ少しずつ意識が向くようになってきていた。
ローゼン公爵はクリストフの謝罪の訪問を知っていて何も言わないのか、最後にコルマフ子爵夫人の屋敷を訪問した日の夜、黙ってココアを二杯もいれてくれた。そして喜ぶべきことに、その夜は新しい「ご褒美」もついてきた。
初めて貴族達との交流を無事に終え、気持ちが一区切りついたクリストフがローゼン公爵におずおずと例の魔道具を見せると、期待した称賛の言葉はない代わりになんとローゼン公爵はビスケットをくれたのだ。最初こそ子ども扱いしていると少し腹を立てたものの、想像以上に美味しいその味にクリストフはすっかり上機嫌になった。
ただ、その美味しさが次のビスケット事件を生んだ。
クリストフはビスケットがあまりに美味しいのでアルベルトにその話をしたのだが、早とちりしたアルベルトがウーゴに大量にビスケットを発注したのだ。何箱も届いたビスケットに慌てたクリストフは、アルベルトと一緒にビスケットをクリストフの部屋に隠すはめになった。もちろんそんなものが見つからずに済むわけがない。ウーゴへの支払いはローゼン公爵家がしているのだ。
ビスケットのことを思い出すたびに、背筋がぞっとするあの夜の瞬間がクリストフの頭をよぎる。欲張って三枚もビスケットを口に入れながら、こぼれた食べかすにも構わず魔法陣を描いていたクリストフの背後に、いつの間にかローゼン公爵が立っていた。
あの冷たく光る目は生涯忘れられないだろう。次の日からクリストフの食事のサラダは倍に増やされ、おまけににローゼン公爵が良いというまでココアは禁止となったのだから。アルベルトにも何らかの罰がくだされたようで二日間ほど肩を落としている姿を見た。
「殿下、ブレンドル伯爵夫人が魔道具について殿下のお力を借りたいとのことです」
ローゼン公爵がそう切り出したのは、ビスケット事件からしばらくたったある日のことだった。
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