年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

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第1話 第三王子と冷血公爵

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クリストフはアルムウェルテン王国の第三王子である。

しかし、ほんの三カ月までは市井で平民として暮らしていた。いわゆる王家のご落胤とやらだ。

『聖女』との呼び声も高い神殿の巫女だったクリストフの母、ローナは平民だった。魔力の高さと稀有なる治癒魔法の能力により神殿勤めとなったが、事もあろうに現国王、当時の王太子が手をつけて生まれたのがクリストフだった。

元々アルムウェルテン王国は経済や富国に力を入れる王族派貴族と、福祉と教育に力を入れる神殿派貴族に二分されている。そこに『聖女』がお手つきとなる騒ぎが加わり、クリストフの誕生で対立がさらに深まった。

より悪かったのは、クリストフが王族たる特徴を一切その身に示さなかったことだ。母親譲りの黒髪はまだしも、不吉と言われる赤い瞳で誕生した赤子の容姿は金髪碧眼の王太子や第二王子とあまりに違うため、王族派の貴族はクリストフの母の虚言、不貞を疑った。

一方神殿派は、次期国王ともあろう男が王国を守る女神に仕える巫女の身を汚したことに憤った。当時神官長を勤めていた現大神官は、赤子の赤い瞳は国王の罪の顕れであるとまで貴族達に語った。

さらに悪いことに、クリストフは魔力を保有していなかった。誕生してから半年後に行われる魔力測定で測定に使われる水晶が一切光らず、『魔力なし』との結果が出たのだ。

王族であるアルムウェルテン王家は炎の魔法の使い手である。通常の炎とは異なる輝く黄金の炎を操る姿が王族としての権威を示すことにも一役買っている。魔力がないということは魔法が使えないということだ。

王族派はますます騒ぎ立て神殿派の色仕掛けなどと持ち出し、神殿派は『聖女』の力を受け継がなかった赤子に落胆しそれが王家の血のせいだと言い出した。

王太子だった国王はそれでも神殿派の顔色を伺ってクリストフの母を王宮へ連れて来て住まわせた。ところがクリストフが誕生して暫くすると、彼女はまだ赤子であるクリストフを連れて姿を消してしまった。

殺害や逃亡のあらゆる噂が王宮のみならず市井にも溢れたが捜索するも行方はようとして知れず、やがて母子の存在が人々の口にも上らなくなって久しくなったころ、とある小さな街の娼館でクリストフが発見されたのだ。

王宮に連れられて来たクリストフは、本人も望まぬまま王族の一人として新しい生活を始めることとなった。




「本日はこれまでにいたしましょう」


さて、クリストフの目の前でやっと分厚い貴族名鑑を閉じたこの男の名はセドリック・クロード・ローゼン。

このアルムウェルテン王国建国当初から王家に仕える五大公家の一つで『王家の守護神』などと呼ばれるローゼン公爵家の当主である。

クリストフと同じ黒髪は一糸の乱れもなく後ろへなでつけられており、細い銀縁の眼鏡を掛けている。常に首元まで襟の詰まった窮屈そうな服をかっちりと着込んだ姿はいかにも真面目そうな男だ。普段は宰相補佐の職についており仕事の手腕に関する評価は高い。

クリストフから見れば、お堅い中身に反してその見た目は人に受けそうである。切れ長の涼しげな目。眼鏡の奥でこちらを見る瞳は深い夜の闇のような色で、高く通った鼻筋に白い肌の上に浮かぶ赤い唇。そこから甘い言葉でもこぼれれば、女性はあっという間に彼の虜になるだろう。

しかしこの男の関わりを避ける貴族は多い。理由は苛烈なまでに率直な諫言のためだ。

おまけにどんな佞言を吐こうと通じない。些細な社交上のおべっかまで無下にするその姿勢は、腹芸が必要となる貴族社会に馴染むはずもなく敬遠されている。もちろん賄賂などもってのほかだ。うっかり金品を送った商人や色街での接待を申し出たどこぞの男爵家は王都から干されてしまって衰退したという話だ。

別の不名誉な噂もある。病弱な妻を領地の奥地へと閉じ込め、亡くなるまで放っておいたとか、妻の両親である侯爵夫妻の死に関わっているなどという話がまことしやかに囁かれている。

そのためか、陰では『冷血公爵』などと呼ばれているのだ。

この二カ月間、クリストフはそんなローゼン公爵のつまらぬ講義を毎日のように受けるはめになっていた。王族としての在り方から始まり、貴族の義務やらマナーやら果てはダンスの仕方まで。市井では飯の種にもならぬ授業の連続だ。

興味が持てる内容も一部はある。王国の成り立ちについては作り話めいており、娯楽としては多少面白かった。魔力や魔法について。これはクリストフが知りたかったことだったので真剣に話を聞いた。

そして一際興味を惹かれたのは魔力を原動力とする魔道具についての話だ。こういった内容の授業であれば、クリストフはローゼン公爵のお堅い口調でも耳を傾けようという気になった。


しかしこの男、クリストフが少しでも興味を示すと見るやそれを餌に「カトラリーの扱いを覚えれば教えてやる」などと偉そうな物言いである。クリストフは教育係などと称して自分の下にやってきたこの生真面目で尊大な男の相手にうんざりしていた。

こっそり王宮内をうろついて手に入れた姦しい侍女達の噂によれば、どうやらローゼン公爵は王太子である第一王子派に属するらしい。以前は王太子の教育係ですらあったとのことだ。そんな男が何故第三王子であるクリストフの教育係に任命されたのか。

一度、率直にもローゼン公爵自身に尋ねてみたことがある。彼曰く、今は亡きクリストフの母のためにもこの国にはクリストフを立派な王族に育てる責任があるとのことだった。そしてその教育には自らが適任だと言うのだ。なんとも押し付けがましい話である。

しかも母のためなどとは白々しい。クリストフの母が王宮から出奔した原因は、どうせたちの悪い虐めを受けたために違いないのだ。それなのに、初めて国王と王妃と対面した時の憐れみの視線ときたら。思い出すと今でも一言でも二言でも文句を言ってやりたくなるものだ。




クリストフは大きく伸びをした。

一週間後に控えた祝福の花嫁誕生の儀。出席する貴族達の顔と概略を覚えよと朝から始まった講義は、お茶の時間をとっくに過ぎてからやっとのことで終わる気配を見せた。ローゼン公爵はご丁寧にも各家門の当主や重要人物の簡単な絵姿まで用意して、事細かに説明してくれた。某家の誰それがどうの、この珍妙な髭の男が当主だとかなんだとか。まったくクリストフにはどうでもいい話だ

咳払いの音にクリストフが目の前の男に目をやると、眼鏡の奥の切れ長の目が咎めるようにこちらを見ていた。


「仕方ないでしょ。こんなつまんないもの覚えたくないもん」


クリストフは机の上に顎を乗せた。


「つまらないものではありません」


ローゼン公爵が壁際に控えていた侍女エレナに目をやると、エレナはあっと口を開けて慌てて勉強部屋の外へ出て行った。隣に立っていたローゼン公爵の侍従アルベルトが金髪を揺らして小さく肩を竦める。ローゼン公爵は溜息をついた。


「つまんないよ。貴族の顔なんて覚えてどうするの?」

「国を支える方々ですよ。一週間後の儀式だけでなく、王宮や夜会で顔を合わせることもあるでしょう」

「合わせても無視されるよ」

「無視した者は覚えておくのです。たとえ表面上であっても王族に敬意を払えぬ迂闊な者は後に害となります」

「仕方ないよ。貴族は平民が嫌いでしょ」


いくら国王の血を継いでいようが、平民は平民だ。

いかに神殿から大神官が挨拶に来て、巫女であったという母を絶賛したとしても、いかに神殿派の貴族が母の謙虚さや無欲さを王妃と比べて褒め称えようとも、いかに『聖女』と呼ばれていた母に癒やされたと感謝を述べる貴族が、大神官と神殿派と共に第三王子派なる派閥を作り出そうとも、母は平民で自分もその血を継いでいる。それがここ王宮では疎まれるのだ。


「平民が嫌いだなどと公言している者がいるとすれば」


誰を思い出しているのかローゼン公爵は鼻で笑った。


「もはやその家は没落したも同然ですな」


クリストフは机に頬をつけ、そのままローゼン公爵を見上げた。意外なことにこの冷血公爵などと呼ばれる男は平民を差別していない。クリストフの平民の血も魔力を示さないことも、ローゼン公爵にとっては気にならないことのようだった。

そのことについてはクリストフはこの男を評価していた。だがその顔は気に食わない。左眉を持ち上げ、薄い唇を吊り上げて笑みを浮かべる表情はいつもクリストフに嫌味を言うときのものだ。


「意味はお分かりですね?」


本当にこの男は貴族の義務やら王族としての責務とやらがお好きなようだ。国の礎である平民達のために働くのが己の役目であると、真実心から思っている貴族が何人いるのだろう。クリストフはつまらない講義にも貴族と平民の隔たりにもうんざりして目を閉じた。

ふと、鼻先をくすぐる甘い香りがした。小さく茶器がぶつかる音がする。エレナが震える両手で恐る恐る運んできたのはローゼン公爵の領地で栽培されているという紅茶だった。お茶会のマナーを学ぶなどという退屈な講義の際、初めて口にしたその味にうっかり「美味しい」などとこぼしたら毎回講義後に提供されるようになった。

喜ばしいことのように思われるが違う。つまり、毎日の講義の後にさらにお茶会のマナーの講義が追加されただけの話だ。それともこの男は、自分は賄賂を拒否しておきながらこんな紅茶ごときでクリストフに阿っているつもりなのだろうか。お茶と一緒に出されるようになったケーキの甘さすら、ローゼン公爵の顔を見ながら食べれば苦く感じられるのだった。


「高い位置で持ちすぎです」


クリストフの小さな溜息と共にローゼン公爵の容赦ない指摘が飛ぶ。エレナが両眉を下げて泣きそうな顔をした。せっかくの香りが今日も台無しだ。クリストフは所作もどこへやら、がさつに自分の頭を掻いた。





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