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神殿を後にして着替えた二人は、今は無人になってしまった町を歩いていた。廃墟とまではいかなくとも、どの家も荒れて草が生い茂る。
「人が住まなくなった家は荒れる、と聞いたことはあるけど」
レイが辺りを見回しながら、眉を寄せる。
――これだけの家があって、生活していた人もいただろうに……。
一際大きな家は、小高い丘の上にあった。ぐるりを囲う壁には、大小様々な傷跡がある。
「ここは、村長みたいな役割の家だったそうだ」
神崎はその傷を撫でながら、ふぅと息を吐く。
「この傷は……、強制退去になった住人たちに、ここで生きた証を刻む意味でも、悲しみをぶつける意味でも、好きに付けていいと言ったそうだ」
そこには、崩れてしまって読めない文字も、抉るように深い傷もある。壁の角が欠けて丸くなった所は、道具で力任せに殴った跡だろうか。レイはそれらを見つめ、触れて、目を閉じた。
「……ここにいた人たちは、どこへ行ったのかな」
神崎はレイの頭をぽんと撫で、優しく抱き寄せる。抵抗なく触れ合う熱を愛しく思いながら、レイの額に口付けた。
「少し離れた街に家を用意されたそうだ。そこに住む人もいれば、親戚を訪ねて移った人もいたらしいよ」
神崎が答えれば、レイは表情を緩めて「そっか」と笑う。神崎の腕の中でぐるりと見渡せば、草がさらりと音を立てて揺れる。
「賑やかなうちに、来てみたかったな」
神崎とレイの声が重なる。ね、と顔を見合わせて、レイが神崎に顔を寄せる。ちゅ、と軽く触れ合う唇。神崎がレイの髪を撫で、レイは恥ずかしげに微笑んだ。
「連れてきてくれてありがとう。私はずっと……、見捨てられたと思ってたから」
荒れ果てた町を見下ろし、神殿に目を向ける。
「私はここで、ちゃんと……愛されていたんだね」
もう伝え聞くことしかできなくなった施設長の思い。
――叶うなら、貴方にお会いしたかったです。
レイの頬に涙が伝う。神崎がそれを優しく拭うと、レイが神崎に抱きついた。
「ああ。お前はずっと、愛され続けてきた。今までも、……これからも、ずっと」
愛しているよ、と口付けが降ってくる。レイが柔らかく微笑み、小さく頷いたのを見て、神崎もレイを抱きしめる。
しんと静まり返った丘を、そよ風が撫でていく。
しんみりとした帰りの車内で、神崎が前を見たまま口を開く。
「レイ。ヤヒロたちの前で、結婚式でもしてみるか?」
冗談とも本音とも取れる言葉に、レイが瞼を瞬かせる。
「ヤヒロはお前の親で、スタッフたちは家族みたいなものだろう?だから、と思ったんだが、……」
神崎はそこまで告げて、ふと口を噤む。
――玲が男娼から抜け出したことで、スタッフたちの間に諍いや心理的な負担がかかるのは良くないか。
裏を辞めたいスタッフが、客に必要以上に奉仕したために客の立場が強くなったりするかも知れない。それは神崎の望むところでは無いし、ヤヒロに負担をかける訳にもいかない。
「気持ちは嬉しい、けど。やめとく方がいいと思う」
レイも神崎と似たような考えに至る。そうだな、と頷く神崎に、レイも頷いて返す。
「あの場所は……、希望を持つには過酷な所だから」
レイは憂いを帯びた目を閉じた。レイとて、神崎と出会うまでは、こんな穏やかな気分で過ごすことなどなかった。目まぐるしく変わる環境の中で、その日をやり過ごすのが精一杯で。
――未来など、考え始めたのは……健が連れ出してくれたからだ。
見知らぬ誰かに身体を明け渡すことに、抵抗はなかった。あの場所はそういう所だと、連れていかれたその日に知らされたから。媚薬に酔わされ、ヤヒロが止めに入るまで、ひたすら見知らぬ客に嬲られる日々。
――この人は、本当に……人たらしだ。
じっと、運転をする神崎を見る。精悍な顔が甘く蕩けるのを、長い指がレイを甘く蕩けさせてしまうのを、もう知ってしまったから。
「私はね。貴方に出会って初めて、感情というものがどういうものか、知ったんだ」
初めて身体を重ねたあの日。欲のままに抱けばいいと投げ出したはずの身体と心を、仮初の愛情で包まれたから。その心地良さと温かさが、レイを変えてしまった。
――ただ肌と肌が触れることが、あんなに心地いいとは知らなかった。
神崎の視線がレイに流れる。束の間、ハンドルから片手が離れ、戯れるようにレイの髪を撫で梳いていく。
「笑わなかった私の表情が、柔らかくなったとか。張り詰めていた雰囲気が、少し親しみやすくなったとか」
スタッフたちにも驚かれた。それを思い返し、レイはふっと笑う。
「人形がやっと、命を得たとか言われたときは……失礼なことだと思ったけど」
赤信号で止まった車。レイは、神崎の手に手を重ね、甲をするりと撫でる。
「私はきっと、初めから……貴方でなければ駄目だったんだ」
するりと持ち上げられた神崎の手は、レイの口元へ。甲に柔らかく温かい口付けが落とされる。
「愛してるよ。健。貴方となら、ずっと先の未来を信じられる」
神崎は真剣な表情のまま告白を聞き、一瞬だけ目を閉じる。
「俺も、愛している。……レイ」
その名を呼ばれ、レイの吐息が乱れる。ふっと笑った神崎の手が、ハンドルを操る。途中、進路を変えた車がどこへ向かうのか、その呼び名だけで分かってしまった。
「人が住まなくなった家は荒れる、と聞いたことはあるけど」
レイが辺りを見回しながら、眉を寄せる。
――これだけの家があって、生活していた人もいただろうに……。
一際大きな家は、小高い丘の上にあった。ぐるりを囲う壁には、大小様々な傷跡がある。
「ここは、村長みたいな役割の家だったそうだ」
神崎はその傷を撫でながら、ふぅと息を吐く。
「この傷は……、強制退去になった住人たちに、ここで生きた証を刻む意味でも、悲しみをぶつける意味でも、好きに付けていいと言ったそうだ」
そこには、崩れてしまって読めない文字も、抉るように深い傷もある。壁の角が欠けて丸くなった所は、道具で力任せに殴った跡だろうか。レイはそれらを見つめ、触れて、目を閉じた。
「……ここにいた人たちは、どこへ行ったのかな」
神崎はレイの頭をぽんと撫で、優しく抱き寄せる。抵抗なく触れ合う熱を愛しく思いながら、レイの額に口付けた。
「少し離れた街に家を用意されたそうだ。そこに住む人もいれば、親戚を訪ねて移った人もいたらしいよ」
神崎が答えれば、レイは表情を緩めて「そっか」と笑う。神崎の腕の中でぐるりと見渡せば、草がさらりと音を立てて揺れる。
「賑やかなうちに、来てみたかったな」
神崎とレイの声が重なる。ね、と顔を見合わせて、レイが神崎に顔を寄せる。ちゅ、と軽く触れ合う唇。神崎がレイの髪を撫で、レイは恥ずかしげに微笑んだ。
「連れてきてくれてありがとう。私はずっと……、見捨てられたと思ってたから」
荒れ果てた町を見下ろし、神殿に目を向ける。
「私はここで、ちゃんと……愛されていたんだね」
もう伝え聞くことしかできなくなった施設長の思い。
――叶うなら、貴方にお会いしたかったです。
レイの頬に涙が伝う。神崎がそれを優しく拭うと、レイが神崎に抱きついた。
「ああ。お前はずっと、愛され続けてきた。今までも、……これからも、ずっと」
愛しているよ、と口付けが降ってくる。レイが柔らかく微笑み、小さく頷いたのを見て、神崎もレイを抱きしめる。
しんと静まり返った丘を、そよ風が撫でていく。
しんみりとした帰りの車内で、神崎が前を見たまま口を開く。
「レイ。ヤヒロたちの前で、結婚式でもしてみるか?」
冗談とも本音とも取れる言葉に、レイが瞼を瞬かせる。
「ヤヒロはお前の親で、スタッフたちは家族みたいなものだろう?だから、と思ったんだが、……」
神崎はそこまで告げて、ふと口を噤む。
――玲が男娼から抜け出したことで、スタッフたちの間に諍いや心理的な負担がかかるのは良くないか。
裏を辞めたいスタッフが、客に必要以上に奉仕したために客の立場が強くなったりするかも知れない。それは神崎の望むところでは無いし、ヤヒロに負担をかける訳にもいかない。
「気持ちは嬉しい、けど。やめとく方がいいと思う」
レイも神崎と似たような考えに至る。そうだな、と頷く神崎に、レイも頷いて返す。
「あの場所は……、希望を持つには過酷な所だから」
レイは憂いを帯びた目を閉じた。レイとて、神崎と出会うまでは、こんな穏やかな気分で過ごすことなどなかった。目まぐるしく変わる環境の中で、その日をやり過ごすのが精一杯で。
――未来など、考え始めたのは……健が連れ出してくれたからだ。
見知らぬ誰かに身体を明け渡すことに、抵抗はなかった。あの場所はそういう所だと、連れていかれたその日に知らされたから。媚薬に酔わされ、ヤヒロが止めに入るまで、ひたすら見知らぬ客に嬲られる日々。
――この人は、本当に……人たらしだ。
じっと、運転をする神崎を見る。精悍な顔が甘く蕩けるのを、長い指がレイを甘く蕩けさせてしまうのを、もう知ってしまったから。
「私はね。貴方に出会って初めて、感情というものがどういうものか、知ったんだ」
初めて身体を重ねたあの日。欲のままに抱けばいいと投げ出したはずの身体と心を、仮初の愛情で包まれたから。その心地良さと温かさが、レイを変えてしまった。
――ただ肌と肌が触れることが、あんなに心地いいとは知らなかった。
神崎の視線がレイに流れる。束の間、ハンドルから片手が離れ、戯れるようにレイの髪を撫で梳いていく。
「笑わなかった私の表情が、柔らかくなったとか。張り詰めていた雰囲気が、少し親しみやすくなったとか」
スタッフたちにも驚かれた。それを思い返し、レイはふっと笑う。
「人形がやっと、命を得たとか言われたときは……失礼なことだと思ったけど」
赤信号で止まった車。レイは、神崎の手に手を重ね、甲をするりと撫でる。
「私はきっと、初めから……貴方でなければ駄目だったんだ」
するりと持ち上げられた神崎の手は、レイの口元へ。甲に柔らかく温かい口付けが落とされる。
「愛してるよ。健。貴方となら、ずっと先の未来を信じられる」
神崎は真剣な表情のまま告白を聞き、一瞬だけ目を閉じる。
「俺も、愛している。……レイ」
その名を呼ばれ、レイの吐息が乱れる。ふっと笑った神崎の手が、ハンドルを操る。途中、進路を変えた車がどこへ向かうのか、その呼び名だけで分かってしまった。
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