お題で短編集

徒然

文字の大きさ
上 下
1 / 1

1 優しい嘘なら許されますか

しおりを挟む
「優しい嘘なら許されますか」
 リボンで飾られた小箱を手にした少女は、首を傾げながら儚げな笑みを浮かべた。どういうこと、と言いかけた僕の唇に、細い指先が当てられる。ゆるりと首を振る少女の、長い髪が揺れる。それはまるで水面を漂うように見えて、僕は人知れず息を呑んだ。

◇◆◇◆◇

 夏休みの海辺で、僕は沙羅さらと名乗る少女に出逢った。いつも飾り気のないワンピースを着て、つばの大きな帽子を被っている。手足は長く、転けたら折れてしまいそうなほど華奢だった。
ゆうくん、こんにちは」
 走り出そうとする沙羅を、慌てて止める。僕が駆け寄るのを申し訳なさそうに見る、その表情があどけなくて可愛い。
「沙羅さん、こんにちは。今日も暑いね」
 汗ばんだ手をズボンで拭いて差し出すと、沙羅は微笑んでその手を取ってくれる。浜辺に設置されたパラソルまで歩き、並んで座る。
「侑くんはいつまでここにいるの?」
 沙羅は時々、そう言って僕に視線を寄越す。僕の答えは決まって、
「この夏いっぱいは居たいな」
 なぜなら、それを聞いた君が花開くように笑ってくれるから。その為なら、他の用事が立て込んでも平気だと思えた。

 ある日、その夜は花火大会があるのだと、沙羅が広告を持って来た。駅から離れたここは穴場らしくて、いつも人が疎らなのだと。
「そのかわり、花火の正面からは、ずれているのよ」
 くすくすと笑う沙羅の横顔が、僅かに染まっていて綺麗だった。
 僕は気ままな一人旅なのをいい事に、その日はずっと沙羅と居られると思っていた。でも、沙羅は淋しそうに微笑むと、一度戻らなくてはならないのだと告げた。
「じゃあさ、屋台で何か買って六時半位にここにくるから。沙羅も来れるようなら一緒に見よう?」
 そう告げる僕に見せた、沙羅の泣きそうな笑顔に、胸の奥がぎゅっと掴まれたみたいに苦しかった。

 それからしばらくの間、ぼんやりと二人で海を眺めていた。波が陽の光に煌めいて、波頭が砕ける音が心地よい。ちらりと横目で沙羅を窺うと、とても穏やかな表情をしている。
「っ、沙羅さん……」
 でもその横顔は、大人びたというよりも、何かを諦めたように見えて、今にも消えてしまいそうで怖くなった。
「ん、なぁに?」
 こちらを見る沙羅は笑顔なのに、普段とは違うように思えて、僕は咄嗟に小指を差し出す。
「指切り、しよ。ずっと一緒に、花火を見る約束の」
「でも、毎年来れるかはまだ……」
「来れる時だけでいいから。お願い」
 約束できない理由なんて聞きたくなくて、僕は必死に言い募る。それがおかしかったのか、沙羅はくすりと笑って、細くて白い指を絡めてくれた。
「指切りげんまん……」
 二人の声が重なり、果たせるかも分からない約束を結ぶ。何となく、これで沙羅は消えてしまわないんだと、勝手に考えた。

 それから少しして、沙羅は街へと戻って行った。送る、という僕の声を優しく断って。

 約束の時間。片手に軽食と飲み物を提げて、いつもの場所で待つ。夕陽が海に溶けて、空が毒々しい赤に染まる。ちぎれた雲が黒い筋を走らせ、僕は落ち着かない気分になった。
 軽い足音に振り返ると、白い生地の浴衣を着た沙羅が手を振っていた。
「沙羅さん!来れたんだ、嬉しい。浴衣もよく似合ってる。可愛いよ」
 テンションが上がった僕の言葉に、沙羅の頬が赤くなる。夕焼けよりも綺麗な赤だった。
「侑くん、恥ずかしいから……。お待たせしてごめんね」
 大丈夫だと笑って手を差し出すと、沙羅が重ねてくれた。そのままパラソルの所の椅子に座り、テーブルに軽食を乗せた。
「食べられるものあるかな。良かったら、食べて」

 そんなやり取りをしているうちに、しゅるしゅると音が響き始めた。
「あ、始まったみたい。ね、ここ、誰も来ないでしょ」
 悪戯が成功した時のような、無邪気な笑みが花火に一瞬照らされる。僕はひとつ頷いて、沙羅の手を握った。
 そのまま、咲いては散っていく花火を眺めた。


「君の隣が息苦しい、時があるの」
 その言葉を聞いたのは確か、花火大会が終わって少ししてからだろうか。真意を聞けないまま固まった僕に、沙羅は慌てて手を振った。
「ごめんなさい、えっと、時々ね。侑くんと話してると、私の知る世界の狭さを思い知らされて、苦しくなるの」
 沙羅がどこに住んでいて、何をしているのかは僕は知らない。僕のこともきっと、沙羅は知らないだろう。それでも雑談の中で面白おかしく語ったことが、沙羅を苦しめていたのだろうか。
 僕は、言葉を出すことが怖くなった。でも、沙羅が泣きそうになりながら必死にフォローを入れてくれるから、大丈夫だよと笑うしかできなかった。

 今思えば、この時にはもう、沙羅は何かを決めていたんだろう。

◇◆◇◆◇

 僕の唇に触れていた指が外される。僕が声を出すより早く、沙羅はにこりと笑った。ついさっき渡した小箱のリボンが、しゅるりと解かれた。静かに開かれた中には、淡いピンクの小さな石が付いた指輪が入っている。それを手に取り、沙羅は嬉しそうに微笑んだ。
「侑くん、ありがとう。この夏の間もずっと一緒に居てくれて、楽しかった」
 沙羅が笑った顔のまま、静かに涙を流す。それを拭おうとした指先に、細い管が引っかかった。
「沙羅さん、好きです」
 やっと辿り着いた指先が、雫を払う。後から後から濡れていく頬に、今度はそっとハンカチを当てた。
「私は……、キライです」
 そう呟いて目を閉じた沙羅の、瞼に触れたハンカチが濡れていく。
「だから、どうか……」
 その後に続く言葉を紡ごうとする唇を、今度は僕が唇で止めた。ただ一瞬触れただけの口付けに、沙羅は固まってしまった。
「キライでもいいよ。だけど、その指輪は付けていて」
 キライだと言いながら涙を流し、箱を飾るリボンさえ大切そうに胸に抱いたままで。だからきっと、これが精一杯の嘘なんだろう。
 僕はそれに騙された振りをしながら、真っ白い部屋に囚われた沙羅の髪を撫でた。

◇◆◇◆◇

 それからも、夏が来るたびに沙羅と出会った海に向かった。毎年のように特等席に座り、二人分の飲み物をテーブルに乗せる。誰も来ないこの場所で、花火を独り占めしながら海を眺めた。
 指輪を贈ったのはもう、何年前だろう。僕はまだ未練がましく沙羅を待つ。果されることは無い約束に縋っている。
 今年もまた、花火大会が終わってしまった。溜息を一つ吐き、大きく伸びをする僕の指には、沙羅とお揃いの指輪が光る。
「好きだよ、沙羅さん」
 淡い色の石に唇を落とし、飲み物を片付けた。

 次の夏も、その次の夏も。きっと僕は一人でここに来て、きっと沙羅を思って泣くのだろう。
「会いたいよ。沙羅……」
 届くことのない呟きで、初めて呼び捨てにしてみたりして。ただそれだけのことで胸の奥が締め付けられて、また溜息が零れる。

 海は黒く染まり、月が散り散りに浮かんで消える。波頭が砕ける音が響く。色の無い静かな光景に導かれるように、波打ち際へと向かった。
 サンダル履きの足先に水が触れる。波が撫でるように足首に触れる。低く響く波の音と、それより高い水の音と。この世界にはもう、それだけしかない気がした。それだけでいい気がした。
 ちゃぷ、ちゃぷ。水の音が近くなる。何だかとても心地よくて、このまま眠ってしまいたいくらいだ。

◇◆◇◆◇

『侑くん』
 不意に、ずっと聴きたかった声が耳に入った。ゆらゆら揺れる波が黒く染まって、いつか見た沙羅の髪のようだ。視界の先で、月が頼りなげに揺れている。
『侑くん、会いたかった』
 ああ、僕も。ずっと、会いたかった。
『これからはずっと、一緒にいようね。一人きりにして、お待たせしてごめんなさい』
 大丈夫、だから、泣かないで。こうして逢いに来てくれただけでも、僕はとても幸せなんだから。
『大好きだよ。侑くん。やっと言えた。ねえ、もう一度、指切りしよう?』
 うん、僕も大好きだよ。これからはずっと一緒に……。

 ゆらゆらと揺蕩いながら、僕はそっと沙羅へと手を伸ばす。絡めた小指の隣には、僕があの日渡した指輪が光っている。

 ああ、ずっと付けていてくれたんだね。ありがとう。嬉しいよ。ねえ、沙羅、聞いて。やっと君と、永遠に過ごせるようになるんだよ。

 遂に僕は、君を得た。残る望みはただ一つだけ。

 愛しているよ、沙羅。もう二度と離さない。君に指輪を贈ったあの日から、僕はずっと……

 変わらないものが欲しかったんだ。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

男性向け(女声)シチュエーションボイス台本

しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。 関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください ご自由にお使いください。 イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

狂依存

橘スミレ
恋愛
支配したいという本能をもつdomと、支配されたいという本能をもつsub。女性・男性とは違うもう一つの性別、ダイナミクスに振り回される少女たちの歪んだ愛をお楽しみください。

処理中です...