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閑話 エスター君の恩返し
しおりを挟む彼は怒った。激怒した。
友人たちと暮らしていたささやかな楽園はいとも簡単に壊された。欲に塗れたニンゲン達の手により生命の樹が切り倒された結果、力を失って次々に消えていく仲間たちを思うとやりきれなかった。
妖精と称される彼らは、自身の身が朽ち行くのを諦観と少しばかりの寂しさを持って受け入れたようだったが、彼はそうは行かなかった。怒りは脳を焼き、視界を真っ赤に染め上げた。今まさに我を忘れようとしている彼に哀れみと慈愛の眼差しを向けた友人たちは、歴史は繰り返すものなのだと囁いた。永い時を生きた彼らは、既に永遠などないと知っていたためだ。しかし、その言葉は届かなかった。目の前で起きている残酷な現実を、彼は受け入れられなかったのだ。
消えゆく妖精から受け取った慰めと寄り添いの思念をやるせない怒りに変えた彼は、そこに果て無い憎しみを足し存分に怒り狂った。怒りは山を焼き、川を枯らした。いくつもの破裂音が辺りに飛び散り、何もかもが粉砕された。周りの村々もその餌食になり、悪の権化である簒奪者たちもろとも消滅させた。
◆
森に捨てられたらしい幼子の彼は、どうやら普通とは無縁だったようだ。親が背を向ける原因にもなったのだろう不思議な力に満たされていた彼は、いわゆる魔法というやつを際限なく使用できるらしかった。
安全な寝床に加え日々の糧すら得る手段のない幼子は獣に喰われるか飢えに侵されてその命を儚くさせるのが道理であった。しかし、彼の持つ魔力はそれすら凌駕してしまった。糧を口にせずとも、常に全身に満たされた魔力がその代わりとなった。明らかに異端である彼に、敵意を剥き出しにする凡愚など存在しなかった。そんなこんなで彼が命を落とす理由などあり得なかったのだ。
それから間をおかず、彼の魔力を嗅ぎつけた友人達が接触してきたことは彼の人生において大いに役立った。
そうでなければ、存在理由すら持たない彼は幽鬼のように山々を彷徨うことになっただろう。
友人たちと出会った彼は森の生き方を知った。自身のアイデンティティを獲得した。自分、を理解して、彼らとの違いを理解した。他者と語り合うことを知った。楽しいをはじめとした様々な感情を知った。
誰にも制限されない暮らしは充実の一言に尽きた。人里に戻ることを勧められたり、森の外に出て広い世界を見て回ることも勧められたりした。が、彼はその全てに首を振った。この生活を手放すことなど考えられなかったのだ。このまま寿命を迎えるまで、友人と共にこの森で過ごすことを疑いすらしなかった。
◆
辺りには地鳴りが響き、粉塵が舞っていた。以前の色に溢れた、豊かな山々など存在しない。しかし彼にとってはこの程度、だった。目の前の景色を壊し尽くしたところで、彼の怒りは収まらなかった。
理性を失った彼は何もかもを消し尽くすつもりだった。先程は初めてだったので勝手がわからなかったが、今のである程度のやり方は分かった。よし、もう一度、と思った時にその存在は彼の目の前に現れた。
初めは余計な思念が舞い込んできた、くらいにしか感じなかった。構わない。全て壊してやる。そう思った彼は余計な思念に意識を向ける。不思議なことにその存在からは彼を害するような気配を一片も感じなかった。
どちらかと言うと、ソレが纏うのは、諦観。消えていった友人たちが残した感情に加え、どこか懐かしさのような気配も感じた。そう、ソレの根幹には懐かしい気配が染みついている。あれは……、
——友人たちが纏っていた、昔の魔力に似ていた。
余計なことをするのなら消し去ってやろうと思う気持ちは変わらなかった。しかし、興味を惹かれたのも事実だ。耳をつん裂くような音を立てて、彼は侵入者の目の前まで飛んだ。足元の岩がいくつか裂けて砕け散ったが、気にすらならなかった。
「ーーーー」
ソレは、案の定、ニンゲンだった。彼の仲間を、その命の源を焼き払ったニンゲンと同じ姿形をしていた。途端に怒りが滲み出て、辺りの空気をビリビリと鳴らした。当のニンゲンは、無表情だった。彼を目にしても慄く様子はない。ただただ観察している様子である。こちらを眺め何もしてこないソレは違和感を通り越して不気味にすら感じる。彼が困惑したことにより、怒りが蒸散した。再び戻った静寂も手伝って、彼は奇妙な感覚に襲われていた。
『君の怒りを、解放する方法がある、と言ったら?』
不意にニンゲンが口を開けた。発されたその音は理解できなかったが、同時に頭の中に直接流れ込んできた思念はなぜか理解できた。
「……?」
『君が消し去ってしまった悪者たちをこの世に呼び寄せて、きちんとした復讐を完遂してみるのは?』
『それとも、あちら側へ還った君の友人たちを呼び戻して、また共に暮らせるようにしてみようか』
『二度とこんなことが起きないように、君自身がもっと力を。そして知識を、授けるということだってできる』
酷く耳障りの良い言葉は得体の知れぬ不快感を感じさせる。だってそんなの、彼にだって無理だとわかっている。
友人たちが話していたためだ。時間の巻き戻しなど不可能だと。そして、許されないことなのだと。だが、以前に禁忌を犯した犯したものの話を聞いたことがない訳ではなかった。
——そいつは一体どうなったのだっけ?
『ふむ、君のその器に溜まった魔力では無理だろうね。力の根本がまるで違う』
『私にはできる。運の良いことに君のご友人たちと同じ手法が使えるのでね』
『禁忌、そう彼らは伝えたのだね。うむ。……許容範囲内ではあると思う。大丈夫、私が少しイカれる可能性があるだけだろうな。君には何の害も無いだろうよ』
そんな都合の良すぎる話など信じられるはずがない。
自らが害される可能性を背負ってまで、このニンゲンは、なぜ……?
『それが私の仕事らしい』
口角を持ち上げ微笑って見せた男は、まるで自ら破滅に向かっている、ような。今思えば男の見せた笑みに、告げられた思念に。男の放つ何もかもに、心を奪われ始めていたのだろう。
どっちにしろ彼は無計画だった。少し前まで全てを壊し尽くそうと考えていたのに、その後のことは完全に失念していた。目の前の人間が提示した条件がより魅力的に思えた彼は、腹を決めた。その瞬間、彼は全ての力を消し去った。敵意がなくなったことは充分に伝わったろう。
ここで更に、男は思いもよらぬものをくれた。
『考えたんだが、……エムスティシア、と言うのはどうだろう』
今のままでは不便だろう、と、彼の呼び名を授けてくれたのだ。妖精たちの習慣として、家族以上の仲を築いたものがやり取りできるものが真名であった。残念ながら種族の違う彼には、慣習に縛り付けてしまうことになるから、と与えられなかったそれを、男はいとも容易授けて見せた。
『エムスティシア、消えることのない、光という意味だ』
一度戯れに友人たちの纏う物に似せた光を紡いだことがある。それを見た友人たちは目を輝かせて彼を褒め称えた。
綺麗な光だね。
儚い思い出が蘇り、そして消えた。
『エスター、と呼ばせてもらおう』
男の声音と過去の思い出にあやされながら、信じられないほど幸福な気持ちに包まれ、緩やかな眠気に襲われた彼はなんとか頷く。後から流れ込んできた彼の柔らかな力に名を縛られたことに気がついたが、それすらも、自分にもやっと、縋れる相手ができた、そんな馬鹿げた認識をするくらいに幸せな出来事だった。
そこから先はまるで、怒涛のように過ぎ去った。
防護結界を張られた住処を与えられた彼は、『再生』された友人たちと生活を共にした。理に反する決断をした彼を、やはり諦観でもって受け入れた友人たちは、現世でも自由気ままに過ごしているようだった。与えられた住処の地下には、今もなお囚われ続けている魂が呻き声を上げているし、彼の望みは完全に果たされた。
——しかし、約束はまだ果たされていないだろう。
不意に現れたセテンスはそう告げた。再び訪れた彼だけの平穏。二度と蹂躙などされぬよう、力を、知識をつける必要があった。魔力制御や、効率的な使い方に加え、人間社会で生きていくための語学やマナーなど多くの道理を頭に叩き込まされた。
野生児のような生活を送っていた彼にとって人間社会の規律に囚われて生活を送ることは、地獄のような苦しみをもたらした。しかし、前日に得た知識が、次の日から役立つ様を実感させられてしまうとぐうの音も出なかった。学んだ順から、平穏を守るいくつもの手立てを講じることができたし、万が一不作法者が現れようものなら以前は思い浮かばなかったであろう、より理知的で凄惨な方法だって楽にこなせるようになったのだ。
そんなこんなでありとあらゆることを叩き込まれ、一年経った頃には、どこに出してもおかしく無い、ニンゲンとなっていた。
「エスター、」
男に呼びかけられ、エスターは微笑んだ。彼の友人達と同様、信頼できる唯一の人間だ。
ひとつだけ誤算であったことは、何がどうなったのか、自分がセテンスと同様、忌々しき魔法士の一員に抜擢されたことであった。決め手となったのは群を抜く魔力量である。当時席の空いていた動の魔法士の席に着くことを命じられたのだ。
ニンゲンに恨みを抱いていたはずの自分が、今となっては一国の守護者として取り立てられているのは、とても不思議な気持ちであった。そう、その頃には、セテンスをはじめとしてさまざまな人間の温かさに触れていた彼の中でニンゲンに対する嫌悪感なるものはすでに消え去っていたのである。
以前ニンゲンの生活に潜り込むためのマナーとして学んだはずの対人技術は今もこうして役に立っている。穏やかに接してやれば、誰も彼も皆が彼に心を開いた。援の魔法士にあつらえてもらったこの見た目も存分に役立った。
時は過ぎ、地位を確たる物にした彼もたくさんのしがらみを持つようになった。一見疎ましいそれは、しかし彼の生きる活力でもあった。
以前は彼を諌める側であった恩人を気遣えるほどにまで成長した。実は頑固な気質を持つ恩人はこれがなかなか、生きづらい生活を送っていた。ささやかな恩返しを繰り返してはいるつもりだが、もらった恩にはなかなか到達しない。
しかし。
そんな生活にもそろそろ変化があっていい頃だ。
エスターはにっこりと微笑んだ。通い詰めた町酒場が閉店すると知り寂しさを感じたのはほんの少し前のこと。聞けば名物女将が流行病に倒れたという。目の前には送り出しをしてくれた店子の姿がある。しょんぼりとした顔を隠しきれていない彼女は、生真面目で評判も良かった。少しばかり異性との距離が遠い彼女は時折昏い瞳を見せることも知っている。
美味い食事の代わりに少しばかり援助を、と考えたエスターが口を開きかけ、しかし言葉が紡がれることはなかった。頭をよぎった天啓としか思えないアイデアに雷に打たれたかのような衝撃を受けていたからである。
「君にその気があるのなら、」
気がついた時には言葉が漏れ出ていた。
浅慮かもしれない。特に、恩人にとっては。
ありがた迷惑なことこの上ないだろう。
しかし。何故だか、エスターの心は躍っていた。とてもいい考えだとそんなことを思った。
——願わくば。
彼の恩人には悪いがさっさと諦めて、とびきり幸せになって仕舞えばいい。一筋の希望の光を見出した彼の申し出に、娘が頷くまであと数秒。
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