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閑話 セテンス君の企み
しおりを挟む少し前まで豊かな緑が生い茂り、季節に応じた花々が咲き乱れていた美しい渓谷——であった場所にセテンスは足を踏み入れた。灰と砂利が混ざった土を踏み締めた彼は、無表情を保っている。あたりには粉塵が舞い、煙が立ち、所々火も上がっている。時折、目を焼くような光線があたりに広がり、次々と小爆発を引き起こしていた。援の魔法士が張ってくれた結界がなかったら、持たざるもののセテンスなどあっという間に木端微塵だろう。その結界ですら光線を掠るたびに、ジリジリと耳障りな音を立てるのだから、心臓に悪いことこの上ない。
過去に挙げた功績によりめでたく忌々しい魔法士の座を与えられた彼。その初仕事として下ったのが辺境近くの森で起きた自然災害の調査だった。
ある日急に辺境の近くの森の一部がごっそりと削れてしまったそれは、前代未聞の出来事だと言う。近くにあったいくつかの村はそれに巻き込まれる形で消滅したらしい。初めは魔物の仕業かと思われたが、それらしい気配がしないと共に、あたりには小規模の爆発が続き国から派遣された調査部隊も近づけず、調査が難航している状況だと言う。
そこで呼び立てられたのがセテンスだった。そもそも智の魔法士が、現地視察に来ると言うのもおかしな話ではある。就任して早々の任務だと言うのだから、明らかにお手並み拝見、ダメで元々、なんなら立つ鳥跡を濁さずと言うことで下手を打ってこのまま消滅してしまっても痛くないというのが実際のところだろうか。
いや、多分。古代語を理解するセテンスを有効活用できると踏んで取り立てたはいいが、その後セテンスの持ちうる恐ろしい可能性に気づき、危惧を抱いた可能性だってあった。あの脳内お花畑な王はあり得ないだろうから、きっとあの気難しい宰相あたりの指示かもしれない。
セテンスは苦虫を噛み潰したような顔をして、少し先にいるはずの人物に目を向けた。光線を放ちまくるあの生命体は多分、人だ。
既に奴のマーキング圏内に入っている自覚はあった。この無粋な存在に気がつかないはずがない。そうなったらあの光線にハリネズミにされる可能性は大いにあった。その前にセテンスは少しでも状況把握に努めようとあたりを見回した。
さて、この馬鹿みたいな光線は一体何なんだ?やつの憎々しげな表情から察するに……この光線一つ一つが、まさか、感情を表していると言うのだろうか?
否、多分そのまさか、であろう。これほどの感情を可視化出来るほどの魔力量がストックできると言うことか。何とも羨ましい。
「ふむ、」
思わず声が漏れ、それが感知されたようだった。感知能力も素晴らしい、と更なる感想を抱きながらセテンスは自らにかけられた結界がビリビリ揺れるのを感じた。これがいつまで持つのかは分からないが、結界が破れたらその時はその時だ。亡骸を用意して死亡したように見せかけ国を出るでもいい。仕事には真面目に取り組む所存ではあるが、ここまであからさまに使い捨てにされてしまうとこちらも少々ゲンナリしてしまう。彼が生き延びるためには別にこの国でなくてもいいのだ。幾らでも手段はあった。
不意に強風が彼を襲う。その1秒後には、彼が目の前に立っていた。何も身につけていない状態であることから性別は容易に判断できた。まるで野生児のような見た目で、かろうじて藍紫の魔力を霧状に纏っている。彼のつま先が触れた岩からじう、と音がして溶け出すのがわかった。本来人間が生きていられないはずの温度の魔力を纏った彼は、その憤怒の形相を崩すことなくセテンスを睨みつけている。
纏う灼熱に害されぬよう無意識に自己防衛のための結界をかけているのだろう。表情から推察するに理性をなくしているのは確実だ。それでもこの魔力の精度。きちんとセテンスの目の前に着地したことから見ても、唸るような量の魔力をものにしていることがわかる。
「あー、その、……私はセテンスという。微力ながら君を助けに来たんだが、」
無言で見つめ合っているのも時間の無駄なので、セテンスは早速口を開き、――バチリ。危うく吹き飛ばされかけた。先ほどとは比べ物にならない程の強い光線が彼を貫きかけたのだ。防護結界が守ってくれたが、光線の強さを物語るビリビリとした痺れはきちんと全身に伝わってきた。どうやらこの命綱は予想よりも強いようだ。援の魔法士の力も捨てた物じゃないな、とどこか他人事のように考えながら、セテンスは視線を戻した。
唸り声を上げながらこちらを睨みつけてくる彼は、まるで獣だ。言葉も通じない。この調子だと対話ができるか怪しい。と言うか無理だと思う。
だがしかし、数十キロ離れたところでは援の魔法士がセテンスの指示待ちをしているし(自分で一つでも考えてから案とか提案してほしい)、更に数百キロ離れたところでは創の魔法士が、何たら視認機とか言うものを作って今この時も王と共にセテンスの状況を見守っているのだ(まるで他人任せである)。
つまり、彼が動かないとこの状況は収束しないのだ。セテンスは一つ小さなため息をつく。
頭のてっぺんから爪先まで彼を眺めた結果、いくつかの情報を得られた。強い魔力に加え、彼に染み付いていたのは、セテンスにとってひどく馴染みのある力だった。
古代魔法を使うものなど当に潰えたと思っていたが……。疑問は過去に目を通したことのある書物の記憶によって氷解した。この地には古妖精の宿る生命樹が植わっていたらしい。目を凝らしてあたりを見回すと、やはり周囲に古妖精の残滓が残っていた。
いくつかの情報からセテンスは結論づける。彼は、数百年に一度の割合で生まれる、精霊の愛子の一種と考えていいだろう。膨大な魔力を持ち、周囲にそれを分け与え、繁栄の礎となる存在。それが満足な教育も受けられずこうして森に捨てられたのだろう。持ち前の魔力で生き延びることはできたが、大方。男、——否、背格好から言って少年と称して良い年齢であろう——の瞳には激しい憎しみと怒りが浮かんでいた。自らを捨てた人間達にナワバリを荒らされた、といったところだろうか。
セテンスはふ、と息を吐いた。今回セテンスに与えられた役割がもう一つあったためだ。もし災厄の原因を解明し、場合によっては国益に役立られるか見極めると言うもの。内容を耳にしたセテンスは、不敬にもアホかと思った。だがその命令はどうやら的を得ているようだった。きっとこの少年を懐柔することは容易いと、気がついてしまったのだ。
ほんの少し面倒である。だが、セテンスの力を持ってしたら出来ないことはない。万が一ダメだったとしてもヘルメティスの洞窟あたりに飛ばしてみて辺境の民を苦しめているという死龍とぶつけてもいいかもしれない。
彼はゆっくりと瞬いた。聞こえの良い言葉を呟きながら、同時に少年の中に直接的な思念を流し込む。ありがたいことに古代魔法は魔力を司る者達にとって感知しづらい部類に入るらしい。お陰で援の魔法士に施された防護結界を通してもこうして楽々と行使できる。
セテンスの言葉に少年は瞳を瞬かせた。大方、暴走した後のことなど何も考えていなかったのだろう。「考え直してくれ」だの「私と共にきてくれ」だの外野用に適当な言葉を吐きながら、思念では古代魔法のオンパレードである禁断魔法を使用し彼の生活を保証する旨の言葉を呟く。
彼の表情がだんだんと変化し、少しずつ理性が戻ってくるのがわかった。それと同時に彼がセテンスに向ける畏怖も伝わってくる。どうやら彼の提示した禁断魔法は古妖精さえも禁じていたらしい。
そりゃそうだ。多用などしたら世界の道理が変わってしまう。そして、行使する術者だって失敗しようならタダでは済まない。上手くいったとて、重篤な副作用が起こるリスクだってあるのだ。それを把握した上で尚も彼の利益になるようなことを並べ立てるセテンスに、少年は怯えたように問うた。
なぜそこまで、するのかと。
——そんなの決まっている。それが今の任務だからだ。
優等生の自分がそう答えた。せっかく得たばかりの地位なのだ。少しばかり盤石にしておかねばなるまい。そう伝えると少年はなんとなく疑問を解消したようだった。
もし、叶うのなら。
彼の魔力を目にした瞬間。彼になら、この呪われた血を、完全に浄化できてしまうのではないかと。古代魔法でさえ限界とされるそんな人体変成をやり遂げてしまうのではないかと。そんな欲を抱いたなんて、伝えられるはずなどなかった。
腹の中で蠢くどす黒い欲望を、隠しきった彼はそっと微笑んだ。
申し出に応じた少年に、セテンスは頷いた。
『考えたんだが、……エムスティシア、と言うのはどうだろう』
不意にかけられた言葉に怪訝な顔を返す少年に、なおも思念を紡ぐ。
『もし、嫌でなければ、だが』
少しだけ思念が尻すぼみになる。
『その、呼び名がないと言うのは、不便だろう。僭越ながら、お前の名前を考えてみた』
『エムスティシア、消えることのない、光という意味だ』
過去の一場面を思い出したのか、目を煌めかせた少年は今となっては年相応のあどけなさを持っていた。友人たちと同じ気配を纏い、少しばかり聞こえの良い言葉を操るセテンスに、あっという間に心を許してしまったようだった。
警戒心のなさ、所謂チョロさに、今となっては一抹の不安を抱きながらセテンスは苦笑した。瞬きを二度繰り返したセテンスは少年になおも微笑みかける。シナリオはこうだ。激昂のあまり魔力を解放し過ぎた少年は魔力切れを起こし、気を失ってしまったことにする。
意識を危うくし始めた少年に、『またすぐに会える。今はゆっくり休め』と声をかけ、——大事なことを失念していた彼は、崩れ折れる少年の身体を受け止めた。
『私は人の名を覚えるのが苦手でね。エスター、と呼ばせてもらおう』
耳に吹き込んだそれは果たして意識を危うくした少年にもしっかり届いたようだった。微かに頷く素振りを見せ、少年は今度こそ意識を手放した。
事態の収束を悟ったのだろう。結界が解ける気配がして、援の魔法士が離れていくのを感じ取る。視認機とやらもどうやら切られたようだ。煩わしい外野たちから逃れ、ようやっと自由になった形のセテンスは身体の力を抜いた。
しかしまだ気は抜けない。調査班や回収班が直に到着するだろう。頽れた男を見下ろしたセテンスは文字通り、瞬き一つでなすべきことを終える。
念のため、彼が受け入れたらしい、名前を『きちんと縛り』、紐付けを済ませる。分かりやすく言えば簡単な従僕化である。セテンスを害することは勿論、セテンスの意に沿わないことを禁じる呪いを刻みつけた。魔力による従化ではないため、外野に気取られる心配もない。
なすべきことを終え、一息ついたセテンスは近くの岩に腰掛けた。ここから塔までひとっ飛びとはいかない。彼の身体に蓄えられた魔力量では遠すぎるのだ。後で問い詰められる可能性を危惧しておいそれと古代魔法を使うわけにも行かず、応援を待つ。こういう時程、持たざる者の不便さを感じる。
目の前で寝こける少年を眺め、彼は今後のことを考えてみた。すでに構想はあった。老齢を理由に退いた動の魔法士の後釜に丁度いい。彼の魔力を持ってしたら前任者を超える働きができるに違いなかった。そのためには、人里での暮らしを学ばせなければ。ニンゲン嫌いが確立されてしまっているだろうが、友人を蘇らせるためと伝えたら、彼は何だってするだろう。役割さえ与えてしまえば、どこか自信のない様子であったエスターも自信がついていくはずだ。
そして、……そして。
いずれは自分の血を全て浄化してくれれば良い。
あまりにも楽観的で甘ったるい考えに、セテンスは自嘲した。もし、反発するようなことがあれば。哀れではあるが紐付けを強め自我を奪い去り傀儡化しても良い。そんなことを考える彼の瞳は酷く昏いものだった。
それから数年後、ニンゲン嫌いであったはずの彼が、穏やかな笑みをたたえ、守護者としての役割を果たすようになることも。導き主のセテンスを恩人として、心から慕うようになることも。
更にはセテンスの人生を大きく変えるきっかけを作ることさえも。この時のセテンスは、知る由もなかった。
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