「残念だけど、諦めて?」

いちのにか

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惑う男

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 故郷に戻った彼は、見知った人間たちにこれ以上ないほどに温かく迎えられた。年嵩の人間たちはデゼルの功績の素晴らしさについて声高に語り、年頃の女たちは揃ってうっとりとした視線を向けてくる。両親だけが、どこかそわついて落ち着かない雰囲気だった。

 迎えられたその場に彼女の姿が無かったとしても彼には気にならなかった。小心者の妹は人目の多い場所を避けると予測していたためだ。そのまま町中を連れ回された彼は、日が暮れ始めたタイミングで宴会へと誘いざなわれる。祝いの席で出た食事は彼が学舎で口にしたものより、少しだけ贅沢なものだったが、修業祝いに振る舞われたそれと比較すると格段に貧しい食事ものだった。
 この時も、彼は穏やかな笑みを浮かべ皆に礼を言いながら、彼女を都市に連れて行ったらたくさん美味いものを食わせてやろうとかそんなことばかり考えていた。目論見通りというべきか、好成績を収めた彼は念願叶って王都への赴任が決まっていた。それを耳にした瞬間、女達の目の色が変わったことにも気がついていたが、彼からしたらその中の誰一人としてお呼びではなかった。

 催しも終幕となり、幾人かの女たちの誘いを断った彼は足早に自宅に戻った。

 そう、間抜けなことに、この時も彼はまだその可能性すら考えていなかった。久しぶりに目にした粗末な自宅は少しだけ小さく、色褪せて見えた。鍛えられ体格が良くなったこともあるのだろう。意気揚々と扉を開けた彼を待ち受けていたのは、一足先に帰り着いた両親の姿だった。

 改めてお祝いをしてくれるのか、と彼は両手を開いた。どこか小さく見える両親と触れるだけの抱擁をし合い、

 ……彼はやっと、異変に気がついた。



「アンリセラは、家を出たの。あなたが出て行ってから少し経ってから、心を病んでしまってね」
「見ていられないほど、酷い状況だった。あのままここにいたら、あの子は死んでしまっていたかもしれない」


 涙を流し声を震わせながらそう告げる両親は、妹に世話を焼いていた兄が悲しみに愕然としているようにしか見えなかっただろう。

 もちろん、そんなわけがなかった。彼女がなんて、簡単に予測できていたためだ。


 この僕から逃げたんだね?可愛くて愚鈍なアン!
 あぁ、なんて!君は、愚かで、安直なんだ!

 最早理性など消え去っていた。ぶるぶると拳を震わせながらデゼルはなんとか口を開いた。

「アンは、どこへ」

 必死に絞り出した言葉は、非常に情けないものだった。父曰く、町に来る行商にここから離れたところまで送り届けてもらうよう頼んだのだと。震える声音に付け足される形で父から手渡されたのは、娘が家を出た翌月に現れた行商に手渡されたという紙の切れ端だった。奪い取るように受け取ったデゼルは血走った目で一文字一文字を追った。

 拙い字体で綴られたそれは、今まで育ててくれたお礼に添えられる形で、遠くの土地に行くという一文があった。場所の特定に役立つような表記は一切無く、明らかに今生の別れを告げたと思われる手紙だった。

 思わずその手紙を握りつぶしたデゼルは、自らがどのような形相をしているかなど気づきすらしない。その晩、彼は一睡もできなかった。明け方近くになると、誰に告げることもなく彼は故郷の地から去った。



 それからの日々は筆舌に尽くしがたい。酷い日々だった。

 王都のとある地に赴任した彼は、命ぜられたお仕事をきちんとこなした。お行儀よく街の平和を守りながら、頭の中では彼女にどんな仕置きをしてやろうかと言うことばかり考えた。泣き叫んだって許してなどやるものか。

 もちろん、諦められるわけがなかった。休日や退勤後など空き時間を見つけるたびに彼女を探した。彼女を送り届けたという行商とも顔を合わせた。彼女から口止めされたのだろう。明らかに歯切れの悪い物言いに、妹を心配する悲痛な兄としての顔を見せてやれば、王都に近いところで彼女を降ろしたと口を割らせることに成功した。

 女の一人旅だ。連れの者がいなければ、そこまで遠くへは行けないはずだった。来る日も来る日も彼は彼女を探した。身元不明の女の遺体が上がるたびに確認に行き胸を撫で下ろす日々が続いた。やつれた顔で女性を探していると告げれば、仲間達も探してくれた。こうして彼は着々と包囲網を築き上げていった。


 彼女の痕跡が手に入ったのは、それから数ヶ月後のことだった。街中でお仕着せ姿の娘を見たと言う情報が入ったのだ。酷く慌てた様子で歩みを進めていたと言う彼女はすぐに雑踏の中に消えていったと言う。後から考えてみれば背格好といい、髪色、目の色がデゼルの探す娘に似てなくもない、と言う情報だった。

 やっと、見つけた。
 既に人違いなどと言う考えは除外されていた。

 デゼルの胸の中に久方ぶりの興奮が蘇る。

 さあ、どうしてやろう。

 泣き叫ぶ彼女の声が今も耳に残っている。悲痛なそれも彼に取っては下腹部を滾らせる要素でしかない。疼く股間をあやしながら、彼はその時を待った。





 彼女を見つけたのは、偶然だった。

 その日、奥方が産気づいたという同僚に急遽頼まれたのはいつもと異なる巡回ルートであった。彼女を探すために王都中を歩き回った身としては見知った道ではあったが、土地の特性上あるのは小さな繁華街のみで特段足を伸ばすことはない場所だ。陽が高いうちから呑んだくれている酔っ払い同士の諍いを仲介した以外は大した騒動もなく、彼は職務を終えた。まだ夕暮れまで時間がある。この辺りを探してみても良いかもしれない、そんなことを思った彼がふと顔を上げた時だった。

 それは、神が与え給うた奇跡、と言っても過言ではなかった。


 平民娘が着るようなチュニックワンピースを身につけた娘が少し先の路地を横切ったのだ。話に聞いていたお仕着せとは違うその姿に、彼は動きを止め、そしてその瞬間、彼の時間をも止まった。瞳の色こそ確認出来なかったが、この辺りでは見かけない白茶の髪といい、軽い足取りは確かに、


 彼に呪いを植え付けられる前の、義妹の歩き方であった。


 周辺の雑音が全て消え去る。無意識に身体が動いた。両脚はひどく軽い足取りで、しかし、周囲の景色が飛ぶように過ぎ去っていく。右手は、胸ポケットから捕縛用の薬とハンカチを取り出していた。激昂した相手も、鼻に当てた瞬間、数秒で気絶させる代物であるそれは、今まで数えるほどしか使用したことはなかった。なのに、まるで慣れ切ったかのような自然な所作で適量をハンカチに染み込ませ終える。角を曲がった先、彼女が見える。

 あ、と思った瞬間には既に彼女の後方にたどり着いていた。



 これでも。彼女を見つけたらなんて声をかけようか、なんて考えたこともある。しかし、そんなもの、必要などなかった。

「やっと、見つけた」

 ほろ、と漏れた声音と共に、後方から彼女を抱きしめた。片腕を彼女の胸元に絡ませ、空いた方の手で彼女の鼻と口を覆うようにハンカチを押し付ける。ひどく驚いた様子の彼女の瞳から光が失われていく。何かに手を伸ばすような仕草をしたのち、全身を脱力させた彼女をデゼルは再度、固く抱きしめた。押し付けた腕を柔らかく包み込んでくれたその膨らみに、思わず彼は微笑んでしまう。

——あぁ、僕のアン。
 しばらく見ない内に、こんなに女性らしくなったんだね。

 人気のない路地裏で、彼はようやっと自らの最愛をみつけた。



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