「残念だけど、諦めて?」

いちのにか

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後退と、再会。

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 それから、数日が過ぎた。

 したアンリセラは失望を表に出すことなく、粛々と勤務を続けていた。

 しかし決して悪いことばかりの日々でもなかった。

 アントンから手紙が来たのだ。震える手で開いたそこには、仕送りのおかげで充分すぎるほどの治療を受けることが出来た結果、カトリーネの容体が快方に向かっていると綴られていた。加えて、この調子で改善するのであれば、店に出ることも不可能ではないと医者から言われたと知った時には安堵して涙ぐんでしまったほどだ。

 そんな朗報はアンリセラのしょぼくれた気持ちを大いに慰めてくれた。想いを傾けてくれることはなくても、こうしてセテンスの元で働かせてもらえるお陰で、愛する家族の役に立つことができる。それはとてもありがたいことだ。そんなことを考えると、身勝手な恋心は途端になりを潜めた。

 多くは望まずに、感謝の気持ちを持って仕事に励もう。そんな決意をした彼女は、これまで以上に仕事に精を出した。一方のセテンスは、まるでいつも通りであった。生きるためにかっ喰らい、生活において何のこだわりもない。今まで通り、口頭でのやりとりも必要事項のみに限られていた。

 確かに一度自覚した恋心を完全に捨て去ることは不可能だった。しかし、それも時が解決してくれるだろう。どこか吹っ切れたアンリセラはそう考えるようになった。



 セテンスから休暇を取るよう申し付けられたのは、それからすぐのことだった。やはりこんな私と共にする生活は、とわかりやすく落胆をするアンリセラにセテンスはしっかりと否定する。

「きちんと働いてくれているし、世話になったと言う夫婦に顔くらい見せた方がいい」

 アンリセラの不安定さを知っていたセテンスは忘れずに言葉を付け足した。

「すべき事を終えたら、きちんと戻ってくるように」

 これだけ言われて仕舞えば、これ以上、アンリセラも余計な不安など抱かなかった。純粋に礼を告げ、そして塔を下る。その足取りは軽かった。



 一日目、以前と比べてかなり顔色の良くなったカトリーネとその夫アントンはアンリセラを暖かく迎え入れてくれた。久しぶりに顔を合わせ思い出話に花を咲かせる。医者からも店への復帰は秒読みだと伝えられたことを知り、アンリセラは安堵のあまり涙を流した。

 二日目は朝からカトリーネのリハビリを手伝う。病によって弱った身体は筋力低下が著しかった。アントンだけでは難しかったのだろう。掃除の甘いところをはじめとして家事にも力を入れた。

 三日目、いきなりエスターが来訪した。扉を開けた瞬間、「セテンスから聞いたよ~!」とニコニコ顔で押しかけてきた彼は、滋養に良いから、といって、新鮮な肉やら野菜やらを山ほど持ち込んだ。「早く店を再開させるように。でも、無理はしないように」と念押しをした彼は嵐のように去っていった。残された三人は顔を見合わせ、一拍おいてくすくすと笑いあう。その日の食卓はとても賑やかなものになった。

 四日目、明日塔に戻ることを告げたアンリセラに神妙な顔で夫婦が語りかける。辛い思いはしていないか、帰ってきたくはないか。もしアンリセラが望むのであれば、私たちはいつでも受け入れると言われ、アンリセラはひどく暖かい気持ちになった。
 今の仕事は自分で望んでいることだと告げ、雇用主エスターだけでなく、塔の主人セテンスもとても優しい人であることを説明する。穏やかな表情の娘に、安心しながらも夫婦は辛いことがあったらいつでも帰って来るよう伝えた。その日は3人で川の字になって寝た。

 五日目、涙の別れを終えたアンリセラは塔へと歩みを進めていた。その足取りは行きと同じくらい軽いものだった。

 決してこの思いは報われることはない。
 だが、それでも彼女を望んでくれる人間が待っているのだ。

 わずかに微笑みを浮かべたアンリセラは完全に警戒を怠っていた。

「やっと見つけた」



 不意に仄暗い声が聞こえ、背後から口元に布を当てられる。抵抗する間も無く、すう、と意識が遠のきはじめる。意識が途切れるその瞬間、アンリセラは想い人を求め、その手を伸ばしていた。もちろんその手が、求めた相手に届くことはなく。そのまま彼女は意識を失った。


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