「残念だけど、諦めて?」

いちのにか

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甘えの助長、又は踏み出す

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 アンリセラの悩みは尽きなかった。以前のどうしようもないそれに比べたら、途端に年齢相応にまで下がったそのお悩みは甘く、時に切なく彼女の胸を焦がしていた。


 多分、彼に嫌われているわけではないと思う。それは行為の最中に告げてくれる直接的な発言から—毎回付属するしつこいほどの行為も含めて—理解させられている。



 アンリセラは誰のことも嫌いになったことなどない。不思議なことに、あんな責め苦を負わせだ兄のことですら、今後顔を合わせなければいい、というような認識で、そこに嫌い、という明確な感情が存在しないのだ。『苦手』とか、『近づきたくない』とか。そういうのはあっても、嫌いだと思った相手は誰一人いなかった。

 それがこうして、彼女を翻弄する相手、でも。
 否、どこか彼女を気にかけるそぶりをしてくれる、彼はどちらかと言えば……

「っ………♡!」

ビクビクビクッ♡

「さっきから擦り付けてくる、ココ、欲しいのか?」

 今日も、彼女の調を感じ取ったセテンスは、彼女を私室に運び終え、至極真面目に尋ねる。

 性的な雰囲気が流れ始めているこの雰囲気の中、しかし、セテンスの瞳はいつものように理性を保っていた。己の欲のままアンリセラに何かするそぶりも一切ない。

 優しい手つきで、穏やかな眼差しで。

「思った通りのことを言えばいい。それが、どんなことだって、……言ったろう?君を嫌いになることはない」


 毎回繰り返されるその言葉。最近はそれを聞くだけでずぐりと下腹部が疼くようになってしまった。いつもであれば、うっとりと彼に愛撫を強請り始める頃合いだが……。

 今日の彼女の出方は異なった。湧き上がる快楽に気がつかないふりをしたアンリセラは言葉を続ける。


「でもそれって、」



『——好きじゃないって事、ですよね?』


 なんでそんな言葉が落ちたのか、アンリセラは自分でもわからなかった。

 嫌われたら職務を外されちゃう
 そうしたらカトリーネの治療費も払えなくなっちゃう

 それは不味いことだと分かっている。しかし、嫌う事はないと彼が断言している今、別に必要もないのだ。元より給料は充分なほどいただいているし、そもそも不必要な彼は馴れ合いを好まない。これ以上ない待遇に彼女の方こそ申し訳なさを感じてしまうほどだ。

 でも、今の彼女が浅ましく、求めているものは、彼からの好意だった。こんな風に強く特定の相手のことを想うのは、初めてのことだった。みんなから、ではない。今のアンリセラは、彼セテンスからの好意が欲しいのだ。

 いつもの彼女と違う振る舞いに、当の本人は珍妙な顔で首を傾げている。まただ。きっとアンリセラの想いなど一欠片も伝わってなどいない。いてもたってもいられなくなった彼女は、必死の形相で、目の前の男に縋りついた。

「私は、セテンス様のこと、好きです。だからセテンス様にも、私のことを好きになってほしいです!」

 口から漏れ出たのは、呆れるほど身勝手で、幼稚な願い。

 料理も、洗濯も、掃除も。全てを整えるアンリセラに感謝こそすれ、彼がこだわりを見せることはなかった。生きる糧として喰らい、日々色褪せた黒衣の服を着回す。部屋が汚れていたって、綺麗になったって、全く動じない。そんな彼が唯一、アンリセラ関連で、関心を示してくれた、出来事は。


 彼女の頭に浮かび上がった道筋は、明らかに異端だった。しかし、他に方法など思いつきもしない。追い詰められたアンリセラは唐突に思い立ったそれに身を任せることにした。










 不可解なことを告げた娘は、まるで親の仇のようにセテンスを睨みつけてくる。当の本人はそんな気はないのだろう、とは思う。何かまたろくでもないことを考えているに違いない。

 セテンスはひょこりと眉を下げ、面倒事がはじまりそうな空気を感じ取った。座っていた椅子がギキ、と軋む。何かまずい事になる前に、時間を空け冷静になってもらおう。そんなことを考えながら、こちらに身を預けかけているアンリセラの細い肩をそっと押し戻す。

「リセ、やはり疲れているようだから、今日はゆっくり休むと良い」

 セテンスにしては、気の利いた言葉が飛び出した。そんなことを思い、少しだけ自賛する。加えて、自らの忙しさを演出しようと彼は自らの机に目をやる。どうせさっきまで読んでいた書物が散乱しているのだ。このまますんなりと仕事読書を再開させようと、自然に身体と視線を傾け、て、

 ややだらしのない思考が、急遽途切れた。

 小さな、そして温かな掌が、セテンスの両頬をそっと包み込み、首の向きを無理矢理戻されたからである。無理矢理と言っても、わずかな力のため痛くも痒くもない。だが、そんなことをされたのはもちろん初めてで、やっぱりセテンスはあっけに取られた。そんなセテンスを真正面から見つめたアンリセラは「私はセテンス様のこと、好きです」ともう一度告げた。

 それはもう聞いた。セテンスはそう返そうと口を開く——が、それよりもアンリセラが言葉を続ける方が早かった。

「だから、セテンス様に、口付けます」






「ん、ふ、う、む……っ」

 セテンスは眉をこれ以上ないくらいに下げた。

 自分が酷く情けのない顔をしているだろうなと思う。なぜか?頬を抑えられ、年下の娘に口付けられているのだ。当たり前だ。

 娘から施されたそれは、始め、子どもがするようなリップキスだった。ちゅ、ちゅ、と音を鳴らし触れるだけのキス。そこに色気など存在せず、セテンスは『彼女の言っていた好きとは、親愛の方の好意か』と納得しかけたほどである。彼が動かないことを見てとるや、彼女はもう一度彼を

 まずい、これはかなり良くない兆候である。

 セテンスがそう判断する前に、小さな舌が彼の薄い唇をピチャピチャと舐め上げた。拙い動きの舌により、彼の唇だけでなく口の周りが彼女の唾液で、ヒタヒタにされる。ここでセテンスは『まるで話に聞く犬猫が親愛を表す好意のようではないか』と更に親愛説を強める。どのくらいの時間が経ったろうか。こうなったら飽きるまで好きにさせてやろうと思うほどには、彼も彼女にを感じているらしかった。

 段々と興味が湧いてきたのもある。少なくとも彼の家庭では家族でもこう言った親愛のキスなどしたことがなかった。不意に彼女の舌が止まり、ようやっと終幕か、と長い思考から彼女に意識を戻したその時、だった。

「ふ、っく、……ぅ……」
「っ」

 セテンスは思わず息を呑んでしまった。
 なぜか。目の前で娘が泣きじゃくっていたからだ。

 親愛の好意がうまくいかなかった、から?
 こちらが何かしたほうがよかったのか?
 この地域では当たり前の儀式でもあるのか?

 勘違いを重ねた男の思考は、こんがらがって収拾がつかない。元来勤勉家の男は自分の偏見やらプライドやらをかなぐり捨てて、尋ねてみる事にした。

「なぜ泣く?」
「ふ、…っ、好きな人に、応えてもらえないのは、……とても寂しい…っんです」

 泣きじゃくりながらも正答を告げた彼女。
 そしてその正答に首を傾げるのがセテンスらしさであった。

「何でもって応えることになる?」

 セテンスが尋ねたのは親愛の好意を示すために、である。しかし彼女が受け取るのは勿論真逆の意味であった。

「私がもう一度口付けるので、セテンス様は、口を開いてください」

 目を真っ赤にした彼女にそう言いつけられ、セテンスは頷いた。年下の娘に命令されるのも、何か知識を得るためだと思えば、苦にならない。自らの知らない知識が古代の魔法を読み解く鍵にもなり得るのだ。娘の顔が近づく。それに合わせてセテンスは唇を開き彼女を出迎えた。

「ん、……っふ」

 遠慮がちに入ってきたのは柔らかく小さな舌であった。セテンスの歯列をまるで挨拶をするように舐め上げる。そうして、口腔内をレロレロとやったのち、セテンスの舌までやってきた。おずおずと舌が伸ばされるのがわかり、セテンスはそれに応えるよう自らの舌を伸ばす。かなり高度な親愛の儀式だな、と思いながら娘の舌に自らの舌を触れ合わせ、た瞬間。

 ひくく、と娘の身体が揺れた。その衝撃でかち、と互いの歯が当たる。無意識に身を引こうしたセテンスだが、それは構わなかった。頬に触れていた手はいつの間にか、セテンスの頭部に回されぎゅと抱きしめられていたからである。ちら、と娘を見ると娘の頬は蒸気してトロついた目に薄く涙の膜が張っている。

 明らかにこれは。

 確認のために、セテンスは再度舌を絡めてやる。今度は娘の腰が跳ねた。

「ん、ふ、…ふぁ♡」

口伝いに流し込まれたその吐息は、完全に。快楽を追う色を宿していた。





 そう言えば最初から好きと口にしていたような。快楽を含めた好きと言うのはつまり男女関係のそれである。そこまで考え、セテンスの瞳が光を失った。

 では、ダメだ。これには、応えられない。

 直感的にそう考えたセテンスの表情は、戸惑いから理性的なそれへと変わる。不意に身を引こうとしたセテンスと、恍惚とした娘が拙い仕草でセテンスの舌をちゅう、と吸い上げるのはほぼ同時だった。

——か。

 視線だけを下ろし彼女の表情を確認する。どろりと濁った瞳でひたすらに快楽を追おうとする彼女からは、色気が漏れ出していた。

 誰だ?誰に躾けられた?
 こちらに好意を伝えておきながら、その瞳は一体誰を映している?

 取り戻したはずの理性は、たった今湧き上がった苛立ちによってあっという間に塗り替えられた。

「っ!……は、んぅッ」

 気がついた時には、小さな後頭部を粗雑に引き寄せ、彼女の喉の奥まで自らの舌を突き入れた。嘔吐えずきかける彼女に構わず、一番深いところをれろりと舐め上げる。

「……ッ、ぐ、っう゛っんんんっ」

 一瞬で湧きあがった激情に、彼女の声が混ざり、ずぐ、と下腹部に熱が灯る。衝動は止まらなかった。そのまま彼女を寝台に押し倒し、口内を蹂躙する。

 このまま、してしまったら彼女はどんなふうにナ・くだろう?
 自らに好意を持ってくれているのだから、これも合意に入る?
 ……それとも、感情のない欲だけの行為は厭うだろうか?それでも良い。過去に相手のことなど忘れられるような傷になるなら、尚更、

 いつのまにかセテンスは冷たい笑みを浮かべていた。満足な息継ぎも与えず、自分本位な口付けを繰り返しながら無意識に伸びた手は彼女の大腿部を撫で上げ、その付け根に指を走らせていた。反対の腕で、自らの下衣をくつろげかけた彼の頭の中、

——ダメだ。それは、ダメ。

 響き渡ったのは、いつかの力強い声だった。あどけないそれは、魔物が出たことを知らせるサイレンのように、セテンスの頭にぐわんぐわんと反響する。あまりの衝撃に、彼は目を見開いた。

 そう、だ。私の血は。この呪われた、血は。

 途端に彼の表情が無機質になる。健気に応えていた娘に気取られぬよう、何気なく娘の舌から逃れた。既に快楽に弱い娘の性質は把握していたため、わざと彼女を真似て口付ける。今度はあくまで機械的に理性を保って口付けた。娘の手から力が抜けた事を察知した瞬間、彼は今度こそ、柔らかく娘の肩を押し戻した。






 じいん、とお腹の奥底に流れくる快楽は突如終わりを告げた。やんわりと拒否をされたことに気が付き、アンリセラは絶望した。

「私の好きは、迷惑、ですか」

 涙声で尋ねる彼女に返答する声はいつもよりも優しい。

「きちんとした返事を返すならば、迷惑ではない。……しかし、」
「しかし?」

 涙目で見上げる彼女に、セテンスは無機質に告げた。

「私が、ダメなんだ」


 アンリセラには一つも理解できない返答を告げた男は寂しそうに微笑んだ。





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