「残念だけど、諦めて?」

いちのにか

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憐れみ、もしくは。

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 腕をかざし彼女の身体を清めたセテンスは、既に整えていた自身の寝台にアンリセラを横たえた。繰り返し甘い責め苦に翻弄された娘は、小さな寝息を立てている。

 セテンスはその寝顔をじっと眺めていた。



 なんだか妙な気分だった。

 最初は、他人の好意に翻弄され過ぎる娘に違和感を持った。その瞳から一切の光が消え、人格が変わったかのように縋られた時は戸惑った。簡単に男を誘って見せた時は、その貞操観念に不安を持った。違和感と、不安と、戸惑いは、時間を置き苛立ちに姿を変えた。娘に甘い責め苦を与えながらも、胸に蔓延る苛立ちは消えなかった。

 甘やかな喘ぎ声が耳についた。眉を顰めながらも、彼は手を止めなかった。そうでもしなければ、彼女が駄目になってしまうと思ったから。そんなことを考えているうちに、苛立ちは、――。




 耳障りなはずの声が、何故だか耳に馴染んで。
 もっと、聞きたい。
 甘やかな声で満たされたい。
 彼女を、満たしたい。
 否、彼女を、乱したい。
 その潤んだ瞳の中に自分だけを映していたい。

 そして、……そして。

「絶対に、君のことを、嫌いにならない、

  だから、」

 だから。

 掠れ切った声は、音にすらならず消え去った。言いかけたその先は、表現すらできなかった。彼自身が自覚しきれていないそれらは全て、勿論彼女に届くことはなく、彼女は彼を残し、自分だけの世界に旅立ってしまった。





 こうして一人置いて行かれたセテンスはじっと考え込む。まだ、他にもしがらみが残っていた。

 何度も何度も快楽の渦に落とされたはずの娘は、羞恥に頬を染め、信じられない粗相に顔を青ざめさせ、快楽に目を蕩けさせて、最後にセテンスに縋るような目を向けた。涙で潤み切ったその瞳は、ただその感情だけをセテンスに伝え続けていた。

 嫌わないで!嫌わないで!嫌わないで!

 気を失う直前ですら、セテンスの腕を握り締めた彼女は、恐怖に怯えているように見えた。

 何度も、何度も何度も伝えたはずなのに。

 先ほど胸に溜まった物悲しさはいつのまにか消え去り、今彼を支配するのはほぼ真逆の感情だった。喉の奥のあたりがちり、と焦げ付き、セテンスの色素の薄い瞳の奥からはゆうらりと炎が灯される。

 なぜ?
 純粋な疑問と、苛立ち混じりの疑念。
 なぜ彼女はこうも他人の好意に縋る?
 一体どんな教育をされて、どんな経験をしてきた?

「あぁ、リセ。足りない、少な過ぎる」

 セテンスは、彼女のことなど、何一つ、知らなかった。


 ぶわり。

 不意に部屋の温度が下がり始める。セテンスの髪の毛がふわりと浮き上がり、身体に青黒い炎のようなものが纏わりつく。瞳の奥から顔を出したワインレッドカラーが不気味にゆらめき始めた。まるで絵の具をこぼしたような一点の濁りが血溜まりのように広がり、瞳の色が完全に侵食される。

 それらを自覚していない彼は尚も考えを深め続ける。視線は常に娘に向けられている。今となっては先ほどの淫蕩とした雰囲気は消え去り、あどけない少女のような寝顔を見せる彼女。セテンスを誘った淫売のような色など、最早どこにもない。あの瞬間、確かに彼女は手慣れているように見えた。かと言って、あの膣口の硬さ、明らかに純潔は保たれている。

 しかし。明らかに説明がつかないのだ、

 あの男を誘うような視線も、羞恥に頬を染めながら、それでも秘されるべき場所を晒したあの瞬間も。彼女は確かに、経・験・した者でなければ、出せない色気を纏っていた。

 誰に、
 何のために?

 彼女が世話になっているという老夫婦?いや、やましいことがあれば何よりエスターが黙っていないだろう。奴はそう言うことに鼻が効く。

 では、彼女の肉親?虚な目をした彼女はあの時、何を呟いていた?

 いっそのこと彼女の脳を探ってようか?恐怖に身をすくませてしまうほど恐ろしい記憶であれば、記憶を書き換えてしまうのもいいかも。もし、あのようなやりとりがお好みなら、欲望を管理してやってもいい。セテンスが嫌わない、と告げたあの瞬間だけ、表情が和らいだ?つまり、少しは安心、できたのだろうか?

 だったら。
 いっそのこと、誰からも害されることのない、この塔ココで、大事に大事に匿って。一歩も外に出さずに、ずっと。


——それは、ダメだ。

 不意に頭の中に声が響く。あどけないその声は、それでいて力強く彼の耳を打った。

「ひゅ、は」

 我に返った瞬間、新鮮な酸素が肺の中に充満した。同時にセテンスから漏れ出た魔力が蒸散する。彼の私室どころか、塔内全体に充満していた魔力は、酷く冷たいものであった。目を見開いたセテンスは激しく咳き込み、崩れ折れた。

 考えに没頭するあまり、いつのまにか呼吸すら止めていた身体はひどく消耗していた。少ない量を補完すると決めた魔力もあらかた流れ出してしまっていた。悪いことはそれだけではなかった。


 何を。俺は一体、なぜ?なんで、
 いつのまにかが解けかけている。

 彼の幼少期を象徴する呪われたそれが、今にも身体の中を駆け巡ろうとうずうずしていた。

 「違う。私は、奴とは違う……!」

 よろめくようにしてセテンスは部屋を出て行った。






 すう、と目覚めたアンリセラが、最初に目にしたものは、馴染みのある書物だった。ついでインクの匂いが鼻いっぱいに広がった。

 ひどく充実した気持ちだった。ここまでぐっすりと眠れたのは久しぶりかもしれない。そう思って起きあがろうとした瞬間、いくつかの映像が頭をよぎる。

「っ」

 あられもない格好をした自分。自ら秘部を曝け出し、はしたなくおねだりしてみせた自分。そして、呆れ返りながらもそれに応じてくれた彼。

 そして、そして。がばり、と寝台を確認するが、すでに彼女の粗相の跡は消え去っている。彼・が処理してくれたに違いない!

 彼女はガバリとベッドに逆戻りした。枕を抱え込み、声にならない悲鳴をあげる。恥ずかしくて恥ずかしくて死んでしまいそうだった。耳まで真っ赤に染め上げた彼女が最後に思い出したのは、彼の、真剣な表情。

 彼が何度も何度もくれた、言葉。
 彼女が何より欲した、言葉を彼だけがくれた。
 真正面から向き合って、アンリセラにくれたのだ。


 じわじわと浮かんできたのは、ひどく幸福な気持ちを表すそれで。彼女は少しだけ泣いた。





「目が覚めたか」

 部屋から出た彼女を出迎えたのは、部屋の持ち主だった。恥ずかしすぎて顔が見られない彼女は、ガバリと頭を下げ、「大変失礼しました」と告げた。お仕えするはずの相手にとんでもないことをしてしまった過去は消えない事実である。あの時、彼は「嫌わない」と言ってくれたが、最悪の事態だってないとはいえなかった。青ざめながら宣告を持つ彼女に、彼は一言、「手伝ってくれると助かる」と告げた。

 何のことかと顔を上げると、キッチンには、少しだけ焦げたトーストと、つぶれた目玉焼きが出来上がっていた。ポカンとしたアンリセラは、思っても見なかった状況に、羞恥心すら忘れ、思わずセテンスを見上げた。

「腹が減った、から。作ってみたんだが……、中々、思うようにいかなかった」

 決まり悪そうに眉を下げた彼は、いつも通りの彼で。思わずアンリセラは笑みを浮かべ、「ただ今」と食卓の準備を始めた。


 その日は今まで以上に和やかな日々だった。セテンスの作った食事は、少しだけ苦かったり、固かったりしたが、アンリセラにとって今まで囲んだ食卓の中で一等満たされたものだった。

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