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呪縛からの逃亡
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【前回の簡単なあらすじ】
「僕の言う通りにしないと嫌いになるよ」
そう告げた義兄デゼルは嫌がるアンリセラの身体を翻弄した。経験したことのない感覚はアンリセラを混乱させ彼女は泣き叫ぶ。唯一の救いは純潔だけは守られたという点のみ。しかしそんな救いでさえもデゼルの言葉によって掻き消えた。
「続きは僕が帰ってきてから」そう告げた兄は寮制の憲兵学校へ通うため家を出る。「僕を待っているんだよ、じゃないと"嫌いになる"よ」アンリセラにそんな呪縛を落とし、デゼルは旅立ったのだった。
——————————————————
デゼルが消え数ヶ月経ち、アンリセラの人生に平穏が戻った。……かのように思われたが、事態は既に悪い方向へ向かい始めていた。
デゼルから与えられた刺激はそれからもアンリセラの身を苛み続けていた。解放されることのない熱は、いつまでも下腹部に残り続け、ふとした瞬間にアンリセラを翻弄した。この疼きを治める方法は兄の手によって知ってしまっている。一人残された彼女は持て余している欲を自ら慰め続けた。
慰めと言っても、快楽の波に攫われそうになる度に未知の世界への恐怖に怯み手が止まってしまうという恐ろしく拙い自慰ものであった。結果として解放されることのない熱は永遠に持て余されることとなり、更に彼女を蝕む悪循環が続いていた。
絶え間ない疼きに支配される日々を過ごすアンリセラからは、静かな色気が滲み出るようになった。悩ましげな視線や、ふとした時に浮かべる切ない表情は、同年代の男たちの目を引いた。男の欲をくすぐるような仕草は、彼女を馬鹿にしていた同性でさえ目を奪われる程だった。
いつからか彼女を食事に誘うなど正当な流れを踏む者がちらほらと現れ始めた。もちろん彼女にその気はない。が、否を唱えようとするたびに兄の呪縛が甦る。結局幾人もの男たちと食事を共にした。次第に、アンリセラが幾人もの男に粉をかけていると言う噂が広まり、心無い者達の手によってアンリセラは淫売だという噂に形を変えられた。根も歯もない噂が次第に真実味が込められたものに変化し、結果、それを信じた男たちが強硬手段に出ようとすることも増えた。
流石にこのままではいけない、と思ったのは、彼女の両親である。部屋に引きこもったアンリセラに彼らは幾許かの金を与え、この町を出るように勧めた。心身共にボロボロになり痩せ細ってしまった娘を見ていられなかった。母に泣かれ、父に諭されたアンリセラはやっと決意をした。
兄の呪縛も、心無い噂も無い、ずっと遠くに行きたい。
自分らしく、生きたい。
そんな希望を持った彼女の瞳に、やっと生気が戻った。
明け方を迎えてすぐに、アンリセラは息を潜めるようにして町外れにたどり着いた。女の一人旅は危険だからと父が馴染みの行商に話をつけ、荷台の空いたスペースに乗せてもらうことが決まっている。既に馬の準備も整っており、あとはアンリセラがその身を滑り込ませれば出発である。
そうして彼女が荷台に手をかけた瞬間、
——アン、ちゃんと待っているんだよ
「……っ」
不意に、兄の声が蘇る。絶対にない、あり得ない。そう思うのに、まるで耳元で囁かれているかのような幻聴は、彼女を酷く動揺させた。途端に腕から力が抜け、革鞄がゆっくりと落ちていくのが見える。全身が震え出し、アンリセラはその場にしゃがみ込んでしまった。尋常ではない娘の様子に、見送りのため連れ添っていた両親が駆け寄ってくる。
「大丈夫。きっと大丈夫」
母が何度も背をさすってくれ、そんな母ごと父が抱きしめてくれた。
「きっと、幸せになれる」
温かい二人に抱きしめられながらアンリセラはボロボロと涙を流して何度も頷いた。
幸せになりたい。ここではダメだったけれど。
きっと、どこか、遠くの土地で。
みんなから好かれて、幸せに、なりたい
いつのまにか震えは止まっていた。なんとか荷台に乗り込んだアンリセラは両親にお別れを言い、故郷から逃げ出した。
故郷の地から離れ、兄に見つからぬよう人口の多い街を転々と渡り歩いたアンリセラがしばらく身を置くことにしたのは、王都にある城下町であった。田舎とは異なり、様々な人種で賑わうそこはちっぽけなアンリセラの気配など容易く消してしまう。気のいい初老の夫婦が経営する小さな飲食店に頭を下げて住み込みで雇ってもらうことが決まり、アンリセラはようやっと長旅を終えた。
新しい生活は学びの宝庫だった。対応ひとつで良くも悪くも反応が変わる客商売の中でアンリセラは多くのことを学んだ。
関わる距離が近ければ近いほど相手の関心を引いてしまう。そんな当たり前のことさえ、女将であるカトリーネに諭されて気がついたアンリセラは、自分を守るための技を磨き始めた。目を逸らし、必要以上の声かけはしない。店の主人であるアントンが、極度の人見知りだと客に紹介してしまえば、無愛想な若い店子に皆納得した。休みの日の買い出しでも同じことだった。フードを目深にかぶって仕舞えば訳ありと察知した相手が深追いしてくることはなかった。
好意に発展する前段階で交流を止めて仕舞えば、これほど楽に生活できるのだ。それを学んだアンリセラは生まれて初めて、心穏やかな日々を過ごすことができていた。
雇用主である夫婦の存在も大きかった。まるで血のつながった娘のように彼女に接してくれる。これからも三人で店を盛り立てていけたらこれほど幸せなことはないと、彼女は満たされた人生を予感した。
そのまま彼女は穏やかに暮らし、めでたしめでたし、
……とはならなかった。やはり彼女に対して現実は甘くないらしい。
彼女が第二の母と慕うカトリーネが流行り病に倒れたのだ。適切な治療をすれば全快する者も多いというその病は、高額な治療費がかかると聞く。夫婦の貯金では賄いきれず、諦めの表情を浮かべたアントンは店をたたみ、残りの余生を妻と共に過ごすことを考えていた。
カトリーネの体調は増悪の一途を辿った。最近では横になる時間が多くなり、全身に痛みが走るのか、顔を顰めることも増えた。そんなカトリーネに寄り添いながらアンリセラは甲斐甲斐しく看病をした。
「こんなんでも十分に生きれたさ。私のことはいいから、アンリセラは幸せになるんだよ」
いつもは活力のみなぎる女将が力なくそんな言葉を告げたのはある日のことで、アンリセラは堪えきれずにポロポロと泣いた。どうにかして自分にできることはないか。そんなことばかりを考えていたアンリセラの元に一つの情報が入る。
ついにアントンが店をたたむことを決意した日のことだった。馴染みの客の一人が見送りに出たアンリセラに耳打ちしてきたのだ。急に近くなった距離に、忌々しい過去が蘇る。即座に身体を固くしたアンリセラに構わず、その客は言葉を続ける。
「君にその気があるのなら、大金を得る方法がある。女将の病なんてとっとと吹き飛ばしてしまう額になると思う」
思いもよらない言葉に、勢いよく顔を上げたアンリセラは食い入るように男を見つめた。いつの間にか男の胸元を握りしめていることすら自覚せず、「方法を教えてください!」と詰め寄る。既に本来避けるべき距離の近さなど吹き飛んでいた。
自らより歳も背も低い娘に迫られる形になった男は苦笑して両手を上げる。長年通い続けてくれているその男。ふとした時に出る流れるような所作や、身に纏っているものからかなり身分の高い相手だろうと以前アントンが話していた。
「やる気があるようで結構。なに、悪い話ではないよ。少し偏屈な男の世話係を探しているんだ」
その話を聞いたアンリセラは一も二もなく飛びついていた。
◆
心配する夫婦をなんとか説得し店を出たアンリセラが案内されたのは、忌々しい魔法士の塔の一つであった。城を囲むようにして立つ四つの塔は、互いに国を護るよう協調しているようにも、お互いに睨みを聞かせているようにも見える。遠く離れた田舎町で伝説上のお話としてしか把握していなかったアンリセラは実際に『忌々しい魔法士』が存在することを知り目をパチクリとさせた。
馴染みの客、—— エスターと名乗ったその男は、柔らかく微笑みながら、塔の入口を示した。塔に入るために必要だと言う小さな石のついたペンダントを受け取ったアンリセラが目を凝らすと石の中に薄く魔法陣が記されているのが見てとれた。
「塔の入り口を越えて、階段を上がった先、一番にある部屋が使用人部屋なんだ。必要なものはそこにあるから、身支度を終えたら、階段をさらに上がって塔の一番上、てっぺんの部屋に我らが魔法士様がいらっしゃるので、きちんとご挨拶をしてね」
我らが魔法士様と言うワードに茶目っ気のある声を足した男は、何がおかしいのかくすくすと笑ってみせる。緊張で身を固くしたアンリセラを笑ったのか、それとも他のことを思い出したのかはわからない。ともかく、とエスターは言葉を続けた。
「彼がなんと言おうと、"エスターに雇われた"で押し通すんだ。そうしたら彼も何も言えまい。……そうそう、魔法士と言っても彼は持たざるものだから安心して」
「持たざるもの、とは?」
「器が小さすぎて、魔法を操れるほど魔力を持たない者のこと、と言えば分かりやすいかな?」
それはつまり魔法士と言えないのでは……?
首を傾げたアンリセラにエスターは微笑んだ。
「その代わり彼のてっぺんには素敵な頭脳がくっついている。我々の知らない多くの可能性を持った古代魔法を、この世に蘇らせられるような、ね!だから僕は彼にとても期待しているんだ。あとはひ弱な性格だから、そう言った意味でも安心材料になるかもね。間違っても、君が押し倒されるようなことはない、ことは確約しておこう」
やや早口で告げたエスターは、役割は終えたとばかりに、エスターは身を翻す。無意識に彼を止めようとしたアンリセラに視線だけ向けた彼は優しく微笑むと、「早く女将に回復してもらわないとね!僕はあの店の味が大好きなんだ」そう声をかけ、ト、と地を蹴った。
「っ!?」
その瞬間、エスターの姿は文字通り、掻き消えた。彼が『忌々しき魔法士』の一人であることをアンリセラが知るのはもう少し先のことである。
「僕の言う通りにしないと嫌いになるよ」
そう告げた義兄デゼルは嫌がるアンリセラの身体を翻弄した。経験したことのない感覚はアンリセラを混乱させ彼女は泣き叫ぶ。唯一の救いは純潔だけは守られたという点のみ。しかしそんな救いでさえもデゼルの言葉によって掻き消えた。
「続きは僕が帰ってきてから」そう告げた兄は寮制の憲兵学校へ通うため家を出る。「僕を待っているんだよ、じゃないと"嫌いになる"よ」アンリセラにそんな呪縛を落とし、デゼルは旅立ったのだった。
——————————————————
デゼルが消え数ヶ月経ち、アンリセラの人生に平穏が戻った。……かのように思われたが、事態は既に悪い方向へ向かい始めていた。
デゼルから与えられた刺激はそれからもアンリセラの身を苛み続けていた。解放されることのない熱は、いつまでも下腹部に残り続け、ふとした瞬間にアンリセラを翻弄した。この疼きを治める方法は兄の手によって知ってしまっている。一人残された彼女は持て余している欲を自ら慰め続けた。
慰めと言っても、快楽の波に攫われそうになる度に未知の世界への恐怖に怯み手が止まってしまうという恐ろしく拙い自慰ものであった。結果として解放されることのない熱は永遠に持て余されることとなり、更に彼女を蝕む悪循環が続いていた。
絶え間ない疼きに支配される日々を過ごすアンリセラからは、静かな色気が滲み出るようになった。悩ましげな視線や、ふとした時に浮かべる切ない表情は、同年代の男たちの目を引いた。男の欲をくすぐるような仕草は、彼女を馬鹿にしていた同性でさえ目を奪われる程だった。
いつからか彼女を食事に誘うなど正当な流れを踏む者がちらほらと現れ始めた。もちろん彼女にその気はない。が、否を唱えようとするたびに兄の呪縛が甦る。結局幾人もの男たちと食事を共にした。次第に、アンリセラが幾人もの男に粉をかけていると言う噂が広まり、心無い者達の手によってアンリセラは淫売だという噂に形を変えられた。根も歯もない噂が次第に真実味が込められたものに変化し、結果、それを信じた男たちが強硬手段に出ようとすることも増えた。
流石にこのままではいけない、と思ったのは、彼女の両親である。部屋に引きこもったアンリセラに彼らは幾許かの金を与え、この町を出るように勧めた。心身共にボロボロになり痩せ細ってしまった娘を見ていられなかった。母に泣かれ、父に諭されたアンリセラはやっと決意をした。
兄の呪縛も、心無い噂も無い、ずっと遠くに行きたい。
自分らしく、生きたい。
そんな希望を持った彼女の瞳に、やっと生気が戻った。
明け方を迎えてすぐに、アンリセラは息を潜めるようにして町外れにたどり着いた。女の一人旅は危険だからと父が馴染みの行商に話をつけ、荷台の空いたスペースに乗せてもらうことが決まっている。既に馬の準備も整っており、あとはアンリセラがその身を滑り込ませれば出発である。
そうして彼女が荷台に手をかけた瞬間、
——アン、ちゃんと待っているんだよ
「……っ」
不意に、兄の声が蘇る。絶対にない、あり得ない。そう思うのに、まるで耳元で囁かれているかのような幻聴は、彼女を酷く動揺させた。途端に腕から力が抜け、革鞄がゆっくりと落ちていくのが見える。全身が震え出し、アンリセラはその場にしゃがみ込んでしまった。尋常ではない娘の様子に、見送りのため連れ添っていた両親が駆け寄ってくる。
「大丈夫。きっと大丈夫」
母が何度も背をさすってくれ、そんな母ごと父が抱きしめてくれた。
「きっと、幸せになれる」
温かい二人に抱きしめられながらアンリセラはボロボロと涙を流して何度も頷いた。
幸せになりたい。ここではダメだったけれど。
きっと、どこか、遠くの土地で。
みんなから好かれて、幸せに、なりたい
いつのまにか震えは止まっていた。なんとか荷台に乗り込んだアンリセラは両親にお別れを言い、故郷から逃げ出した。
故郷の地から離れ、兄に見つからぬよう人口の多い街を転々と渡り歩いたアンリセラがしばらく身を置くことにしたのは、王都にある城下町であった。田舎とは異なり、様々な人種で賑わうそこはちっぽけなアンリセラの気配など容易く消してしまう。気のいい初老の夫婦が経営する小さな飲食店に頭を下げて住み込みで雇ってもらうことが決まり、アンリセラはようやっと長旅を終えた。
新しい生活は学びの宝庫だった。対応ひとつで良くも悪くも反応が変わる客商売の中でアンリセラは多くのことを学んだ。
関わる距離が近ければ近いほど相手の関心を引いてしまう。そんな当たり前のことさえ、女将であるカトリーネに諭されて気がついたアンリセラは、自分を守るための技を磨き始めた。目を逸らし、必要以上の声かけはしない。店の主人であるアントンが、極度の人見知りだと客に紹介してしまえば、無愛想な若い店子に皆納得した。休みの日の買い出しでも同じことだった。フードを目深にかぶって仕舞えば訳ありと察知した相手が深追いしてくることはなかった。
好意に発展する前段階で交流を止めて仕舞えば、これほど楽に生活できるのだ。それを学んだアンリセラは生まれて初めて、心穏やかな日々を過ごすことができていた。
雇用主である夫婦の存在も大きかった。まるで血のつながった娘のように彼女に接してくれる。これからも三人で店を盛り立てていけたらこれほど幸せなことはないと、彼女は満たされた人生を予感した。
そのまま彼女は穏やかに暮らし、めでたしめでたし、
……とはならなかった。やはり彼女に対して現実は甘くないらしい。
彼女が第二の母と慕うカトリーネが流行り病に倒れたのだ。適切な治療をすれば全快する者も多いというその病は、高額な治療費がかかると聞く。夫婦の貯金では賄いきれず、諦めの表情を浮かべたアントンは店をたたみ、残りの余生を妻と共に過ごすことを考えていた。
カトリーネの体調は増悪の一途を辿った。最近では横になる時間が多くなり、全身に痛みが走るのか、顔を顰めることも増えた。そんなカトリーネに寄り添いながらアンリセラは甲斐甲斐しく看病をした。
「こんなんでも十分に生きれたさ。私のことはいいから、アンリセラは幸せになるんだよ」
いつもは活力のみなぎる女将が力なくそんな言葉を告げたのはある日のことで、アンリセラは堪えきれずにポロポロと泣いた。どうにかして自分にできることはないか。そんなことばかりを考えていたアンリセラの元に一つの情報が入る。
ついにアントンが店をたたむことを決意した日のことだった。馴染みの客の一人が見送りに出たアンリセラに耳打ちしてきたのだ。急に近くなった距離に、忌々しい過去が蘇る。即座に身体を固くしたアンリセラに構わず、その客は言葉を続ける。
「君にその気があるのなら、大金を得る方法がある。女将の病なんてとっとと吹き飛ばしてしまう額になると思う」
思いもよらない言葉に、勢いよく顔を上げたアンリセラは食い入るように男を見つめた。いつの間にか男の胸元を握りしめていることすら自覚せず、「方法を教えてください!」と詰め寄る。既に本来避けるべき距離の近さなど吹き飛んでいた。
自らより歳も背も低い娘に迫られる形になった男は苦笑して両手を上げる。長年通い続けてくれているその男。ふとした時に出る流れるような所作や、身に纏っているものからかなり身分の高い相手だろうと以前アントンが話していた。
「やる気があるようで結構。なに、悪い話ではないよ。少し偏屈な男の世話係を探しているんだ」
その話を聞いたアンリセラは一も二もなく飛びついていた。
◆
心配する夫婦をなんとか説得し店を出たアンリセラが案内されたのは、忌々しい魔法士の塔の一つであった。城を囲むようにして立つ四つの塔は、互いに国を護るよう協調しているようにも、お互いに睨みを聞かせているようにも見える。遠く離れた田舎町で伝説上のお話としてしか把握していなかったアンリセラは実際に『忌々しい魔法士』が存在することを知り目をパチクリとさせた。
馴染みの客、—— エスターと名乗ったその男は、柔らかく微笑みながら、塔の入口を示した。塔に入るために必要だと言う小さな石のついたペンダントを受け取ったアンリセラが目を凝らすと石の中に薄く魔法陣が記されているのが見てとれた。
「塔の入り口を越えて、階段を上がった先、一番にある部屋が使用人部屋なんだ。必要なものはそこにあるから、身支度を終えたら、階段をさらに上がって塔の一番上、てっぺんの部屋に我らが魔法士様がいらっしゃるので、きちんとご挨拶をしてね」
我らが魔法士様と言うワードに茶目っ気のある声を足した男は、何がおかしいのかくすくすと笑ってみせる。緊張で身を固くしたアンリセラを笑ったのか、それとも他のことを思い出したのかはわからない。ともかく、とエスターは言葉を続けた。
「彼がなんと言おうと、"エスターに雇われた"で押し通すんだ。そうしたら彼も何も言えまい。……そうそう、魔法士と言っても彼は持たざるものだから安心して」
「持たざるもの、とは?」
「器が小さすぎて、魔法を操れるほど魔力を持たない者のこと、と言えば分かりやすいかな?」
それはつまり魔法士と言えないのでは……?
首を傾げたアンリセラにエスターは微笑んだ。
「その代わり彼のてっぺんには素敵な頭脳がくっついている。我々の知らない多くの可能性を持った古代魔法を、この世に蘇らせられるような、ね!だから僕は彼にとても期待しているんだ。あとはひ弱な性格だから、そう言った意味でも安心材料になるかもね。間違っても、君が押し倒されるようなことはない、ことは確約しておこう」
やや早口で告げたエスターは、役割は終えたとばかりに、エスターは身を翻す。無意識に彼を止めようとしたアンリセラに視線だけ向けた彼は優しく微笑むと、「早く女将に回復してもらわないとね!僕はあの店の味が大好きなんだ」そう声をかけ、ト、と地を蹴った。
「っ!?」
その瞬間、エスターの姿は文字通り、掻き消えた。彼が『忌々しき魔法士』の一人であることをアンリセラが知るのはもう少し先のことである。
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