「残念だけど、諦めて?」

いちのにか

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「偽善者の娘」

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 アンリセラ・ケイナーは、小さな田舎町に生を受けた。

 病弱だった父はアンリセラが生まれる前に亡くなり、お腹の大きな母が一人残された。それでも女手一つで子供を育てようと決意を固めた母と、そんな母に親身に関わってくれた後の義父の元、豊かな自然の中ですくすくと育った。

 亡き父から受け継いだ白茶色の髪に母譲りの胡桃色の瞳を持つ少女は何故かいつも自信がなさそうに眉を下げていた。決して見目が悪いわけではないが、常に物怖じする彼女はあまり目立たない存在だった。

 そんな彼女も時には口元を綻ばせて、柔らかく微笑むことがある。それは母に抱きしめてもらった時や、父に褒められた時。珍しい花を見つけた時や、少しだけ贅沢なおやつを食べさせてもらった時。そんなささやかな喜びで満たされていた彼女が、笑わなくなったのはいつの頃だろうか。
 常に暗い表情で、下を向くことが多くなった彼女は、異変に気がついた母からの労りや父からの問いにも「大丈夫だから」と繰り返し続けた。

 そんな彼女の悪癖が認められるようになった時期も丁度同じ頃だった。いつからか、アンリセラは偽善者じみた振る舞いをするようになっていた。

 相手から頼まれたら、それがどんなに不条理なお願いでも断らず、了承してみせる。大事な私物も強請られたら簡単に渡してしまうし、どんなに体調が悪くても、子守りや作物の収穫などを頼まれたら了承してしまう。

 一見、優しい娘だと称されるはずの行動も、彼女にとっては自分自身の目的を叶えるため、いわば、打算的な振る舞いでしかない。

 絶対に嫌われたくない。
 自分を良く見せたい。

 その対象者は誰であっても構わなかった。例え、顔も知らない他人や、彼女をこき下ろす相手だったとしても。どんなに嫌でも、やりたくなくても彼女は了承してみせるのだ。

 ひどく愚かしいことに、彼女自身は自らの悪癖を自覚していない。しかし小さな田舎町の中、彼女を知る者は一人残らず彼女の悪癖を心得ていた。その上で彼女は利用されてすらいた。



 彼女が倒錯した情緒に至ったきっかけとして、義理の兄であるデゼル・ケイナーが関係している。



 父の連れ子であるデゼルは優しげな笑みを浮かべる大人びた子どもだった。父譲りの赤茶の髪にこの辺りでは珍しい鳶色の瞳。体格も良く何をするにも手際の良かったデゼルは小さな頃から同性異性問わず人気があった。いつも同世代の子らの輪の中心にいた彼は常に頼り甲斐のある言動で周囲を引っ張っていた。しかし一方ではふとした時にどこか翳りのある表情を浮かべていることもあった。

 鈍臭いアンリセラが友達にバカにされて泣きながら家に帰り着いた時。涙をこぼす彼女を慰めながら、デゼルはしばしばアンリセラにこんなことを言った。

「アンリセラ、幸せになるには、みんなに好かれなきゃダメだ」

アンリセラに視線を合わせ、まっすぐとした瞳で、さも当然のように彼は告げるのだ。

「おもちゃを取られた?たったそれだけで泣いているの?いつもメソメソしていたら、みんなに嫌われちゃうよ?」

アンリセラが辛いことを打ち明けるたびに、デゼルは彼女に説いて見せた。

 決して自分勝手なことを言ってはいけない。
 嫌われないためには、相手の願いを叶えなきゃ。
 今は辛いかもしれないけど、アンリセラが幸せになるためだよ。

 それらは全て両親がいない時を見計らって行われた。アンリセラを膝の上に乗せたデゼルは小さな頭を撫でながら繰り返し言って聞かせた。ねじ曲がった道徳は、長い間時間をかけてアンリセラの中に刻み込まれた。その異常さに両親はもとより、彼女自身も気がつくことはなかった。




 他者から心無い言葉をぶつけられ、
 物を取られ、時には罪を押し付けられ。

 辛い、辛いと涙を流すアンリセラに、痛ましそうに目を細めた兄は開口一番に告げる。

「アンリセラ、何があっても笑ってやり過ごすんだ。じゃないと『みんなに嫌われてしまう』よ」

 その言葉は火傷のようにアンリセラの心をじくじくと苛んだ。







 デゼルからの呪縛にがんじがらめにされたアンリセラは不平不満を言わなくなり、常に穏やかな調子でいるようになった。時折、嫌がらせをされたり、時には悪事をなすりつけられることだってあった。そんな時も兄は周囲を諌めることも、義妹を助けることもせず、こつこつと、アンリセラに呪いをかけ続けた。

 嫌われないために。
 みんなから好かれて幸せになるために。

 そのためには、少しばかり嫌なことだって我慢しなければならないのだ。挨拶をされたらそれに返すような自然さでもって、その考えは彼女の中に染み付いていった。


 幾度も刻みつけられた呪いはある日、最悪の形でその効力を発揮することになる。

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