夫を殺されたので、絶対に、復讐します。

いちのにか

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或る大天使の話

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 ディールートはため息をついた。

「全くもって、馬鹿げてる」

 目の前には頽れた大天使の姿。その頭をぐりぐりと踏みつけながら、ディールートは嘲り笑った。

「テメェの子飼いが妙な狩りをしてる話は耳に挟んでいたがな、まさかテメェ自身がここまで馬鹿だとは思わなんだ」

 今度はご自慢の四対羽を踏みつけてやる。くぐもった悲鳴が辺りに響いた。

「お前の馬鹿げた企みなんぞ、とっくにはお見通しなンだよ。それでも放置されてた意味を、よーく、考えろっての」

 言葉に合わせて踏み躙られた羽根は埃まみれである。瞬きと共に幾つかの鎖を具現化したディールートは再度長いため息を吐く。息を吐き切る頃には、ひとりでに動いた鎖が、アズエニラエルの身体を羽交締めにしていた。

「親父からの伝言だ。喧嘩をするのは構わないが無垢な魂を弄ぶなだと。ひとまずお前は仕置き部屋行きだとよ」

 ディールートの言葉が届くや否やアズエニラエルは狂ったように暴れ出す。当然だろう。ディールートは、ソコに行ったことはないが、酷いところだと聞く。

「じゃーな。哀れなよ」

 抵抗も虚しくアズエニラエルはディールートの放った鎖によって足下に空いた穴に引き摺り込まれていく。苦虫を噛み潰したような顔で眺めるディールートの背には、がはためいていた。

 そう、ディールートは決して悪魔などではない。それなりの地位を持った高位の天使であった。


 ほぼ同時期に覚醒したディールートが、自分より先に階級を上げた兄になった事が気に入らなかったのだろう。
 アズエニラエルは狡猾な嫌がらせをしてくるようになった。

 そのうちの一つが、スーザレナの夫の件である。夫は人間に擬態した悪魔だった。完璧に人間界に溶け込んだ悪魔を見つけるのは並大抵のことではない。しかしディールートは、今までの戦闘で培った勘を最大限に研ぎ澄ませ、彼を見つけた。狡猾な悪魔らしく、表では人当たりの良い夫を演じていたが裏では自らの欲望に忠実に振る舞っていた。スーザレナは気がついていなかったようだが、夫は義妹と一線を越えていたのだ。スーザレナよりも愛らしく甘え上手な妹に鞍替えしようとして、妻に毒を盛るというクズさである。そして、それを妹も望んでいたというのだから、更に始末が悪い。体調を悪くしたスーザレナでさえ、何の違和感も覚えなかったというのだから、皆揃って本当におめでたい頭の持ち主だった。


 悪魔は人間の絶望や憎しみを糧にするときく。今は、スーザレナが絶望するまでのシナリオを、丁寧に組み立てている最中であることが窺えた。
 もちろん、敵の計画の遂行を待ってやるほどディールートはお人好しではない。既に心核まで侵食されていた妹も眷属化の末路しかないことを見越して、悪魔と共に葬り去ることにした。

 五対羽を持つディールートにとって二人を追い詰めるのは容易いことだった。逃げきれないと知るや否や、義妹を盾にした悪魔に、妹は錯乱しディールートに色目を使って悪魔を裏切ろうと目論んだ。結果悪魔は激昂し、義妹を自ら始末した。壮大なシナリオを立てていた割には短絡的な行動をとる討伐対象にため息をついたディールートは、一瞬で任務を終えた。

 悪魔殺しのディールートと呼ばれる彼はそんな任務ばかりをこなしていた。対象は人間界に潜む悪魔である。見つけるや否やバッサバッサと切り捨てていたため、一つ一つの案件など覚えているはずもない。サボり症の弟とは違い、彼は働き者なのだ。だからまさかその時の妻が自らを仇として動き回っていることなど知る由もなかった。

 アズエニラエルはソコに目をつけたのだろう。自分がディールートに敵うわけもない。しかし彼は非業の死を遂げたスーザレナの命をわざわざ天界に掬い上げてまで計画を実行しようとした。ディールートを悪魔に仕立て上げることで、兄の破滅を画策したのだ。

 どこの世界にも裏技というのは存在する。百人の悪魔の命を用いた契約は、天界では有名なものだった。百人の悪魔を仕留めると、父の名の下、内容問わずその願いは叶えられるのだ。

 実際に挑戦する命知らずなどいなかった。
 そう、今までは。

 その点アズエニラエルは、彼女の執念について理解しきっていたといえる。彼女がディールートの破滅を願ったその瞬間、父の名の下にディールートは何できずに消え去っていただろう。

 アズエニラエルは幼い頃から何かにかけてディールートを目の敵にしていた。それが面倒であり、しかしその報われなさが面白くもあったのに。父のから察するに、やはり今回はやり過ぎのようだ。

 弟を無事に送り届けてすぐに、ディールートの身体も光り始める。そろそろ転生の時間のようだ。やはり父も約束を違えることはできなかったのだろう。自らの羽がまた一枚消える感覚に、ディールートは再度ため息をつく。

 どうやらここで父に仕えるのは打ち止めのようだ。完全に消え去る直前、彼が呟いたのは父への感謝であった。

「世話になったな」

 皆に崇められている父に向けるにしては、ひどくガサツな言葉が、彼の姿と共に落ちて消える。その後すぐに、大きな風が巻き起こった。それは何者かが、彼の『終わり』を嘆くかのような、冷たい風だった。



 城下町の外れ、所謂スラム街の一角にて生を受けた彼は、親に捨てられた時も全くもって動じなかった。生きるか死ぬかの生活は、転生前と比較しても生ぬるい環境に思えるほどで、どちらかといえば彼の気性に合っていた。腹が減れば山に入り、前世から受け継いだ力で魔物を倒して好きにかっ喰らった。腹を満たせばその場で眠りこけ、兎に角やりたいようにやっていた。

 大通りを通りかかった際に一度聖女を見かけたことがある。彼が転生するきっかけとなった女性。同時期に転生したにもかかわらず、やりたい放題の彼とは違いしがらみの多い道を選んだようだった。柔らかく細められた瞳も、薄く微笑んだ口元も、まるで人形のように思えた。決して本性を悟らせまいとしているようだった。

 多かれ少なかれ見つかるのは時間の問題だと思っていた。これでも前世は立場のある天使だったのだ。迷える子羊にはきちんと決着をつけさせてやるのも務めであるともうっすら思っていた。

 だから彼はあえて彼女の前に現れた。前世を忘れて今世を楽しんでいるならば、そのまま捨て置こう。そんな考えもあった。しかし、そんなに都合良くはいかないらしい。久しぶりに見たその顔は、まるで死人のように蒼白だった。誰一人として——彼女の横にいた神官でさえ——気がつかないことに違和感を覚える。体調でも悪いのかと思ったが、その理由はすぐに理解した。

 何から何まで、と似ているのだ。


 決して鮮明ではない。しかし薄ぼけた記憶の中で折り重なる悪魔と妹を眺めたあの日の再来のようだった。きっと彼女の魂は永遠にあの日に囚われたままなのだろう。決して時間が動き出すことはないのだ。誰かが、終わらせてやらなければ。

「世話の焼ける、」

 大きなため息を一つ吐き終えた彼は。
 彼女をことにした。




 彼という存在に気がついてから間髪入れずに怒りをあらわにする彼女も。彼に敵わないと知り、心からの絶望に濡れた瞳を向けた彼女も。

 コロコロと変わる表情は、なぜか彼の欲を煽る代物だった。もっと感情を吐き出させたい。そんなことを考えている自分に驚きが生まれる。特に彼女のネガティブな感情はあまりにも甘美であった。彼がまるで本当に悪魔になったかのような錯覚を覚え——

 それを馬鹿げていると思う反面、当初考えていた真実を伝える救いを与えることもせず、彼女を絶望させる行動を実践しているあたり、あながち、間違いではないのだろう。

 ディールートの腕の中で快楽に身体を震わせる彼女に愛着すら覚え始めた時は、流石の彼も自身の変わりように苦笑が止まらなかった。魔物の肉を食べすぎたためだろうか?ひどく人間らしい欲に、感情に。踊らされる自身にも好感を覚えていた。

 このまま彼女と人生を共にしてもいいかもしれない。父の信者達が遺した二対聖痕夢物語の設定は知っていた。国民の記憶を一瞬にして改変した彼は、全ての内容をに整えた。

 つまり、これから彼は剣聖なるものに身をやつし、お国のために尽くすことになるのだ。勿論彼女も同様に、聖女役として国の発展に人生を捧げることになるだろう。



「そんな気、さらさらねーけどな」

 まあでも、と彼は思い直す。国の存続が危うくなった時くらいは手を貸してやってもいいだろう。二人の愛の巣は守らなければ。

 しかし、今の彼にとっては彼女と共に過ごす時間が何より優先されるべきものだ。聖痕を持っていようが、今世は生身の人間なのだ。寿命を終えれば死ぬ。

 それならば、短い生涯、楽しく生きたい。彼女と共に過ごすことで、しばらくは、飽きることなどないだろう。


 そして、いつか、時がきたら。


 腹の内を明かして真実を説明して見せても面白いかもしれない。その時彼女はどんな顔をするのだろう。また一つ増えた当分先の楽しみを噛み締める。

 こちらの隙を窺い、今にも殺そうとしてくる最愛に気がつかないふりをして、ゆうるりとディールートは嗤った。




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