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第七章

第四五六話 元老院だよ。早速流れたよ

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 本来であれば、新任賢者の委任状鑑定が終了次第、同日中に元老院が開会され、初日に新賢者信任決議が行われて、皇帝とのご対面となるはずだった。

 ところが千人規模の鑑定団という前代未聞の過剰鑑定により、時間が足りなくなったため、その日はお流れとなった。

 ともあれ、思わぬ方向からの攻勢に耐え抜き、穂積は晴れて十賢者の一席に内定したのである。

 そして時刻は夕食時、翌朝から仕切り直しとなった臨時会議に備えて英気を養って欲しいという、侍従長チェンバルの計らいにより開催された二度目の晩餐会で。

 穂積はモテまくっていた。

「ニイタカ様~!」
「閣下のお噂はかねがね……」
「漆黒の瞳なんて素敵ですわぁ」

 何かを話し掛けられるたびにニコニコと愛想笑いを浮かべ、ルーシーの指導に則り無理を押して優雅に振る舞う。

 巨大なパルガニの爪肉を得意の蟹焼き魔法でジューシーに焼き上げ、人気取りをしているハンバルは自然体で羨ましい。

 遠巻きにされつつ気を使われていた昨日とは打って変わり、フレンドリーに距離を詰めてくる女性陣の腹の中は見え透いている。

 十賢者に内定した事実とともに帝城を駆け巡った『千人分鑑定料一括払い ~銀行手数料を添えて~』が原因だ。

 イーシュタル派閥の崩壊以降、帝国は空前の不景気に見舞われている。当初、オプシーだけは景気が良かったが、スラムの区画整理計画が完全に頓挫したことで一気に落ち込んだ。

 当然ながら、イーシュタルと縁故のあった皇族派閥も無関係ではいられない。

 そこにヒョッコリ出てきたイーナン・イーシュタルの後継者は、予想外の巨額鑑定だったにも関わらず即日即金で支払ってみせた。まるでティーセットでも買ったかのように。

 彼女たちは親や派閥の意向を受けて、社交しに来ているのだ。

「ホヅミ大使……」
「……ん? 俺?」

 ルーシーに袖口を引っ張られてそちらを見やると、順番待ちしていた優雅で華やかな女性の群れがススっと退いた。

 晩餐会の花を割って現れたのは、淡い緑を基調とした華やかながらもスマートなドレスを身に纏い、柔らかい凛々しさが香る黄土の麗人だ。

「初めまして、ニイタカ閣下。エクレール・ムーアです」
「初めまして。昨日の演説はカッコよかったですよ。エクレール第三皇女殿下」

 最低限覚えておくべき人物は事前にルーシーが教えてくれていた。淡緑の彼女は公聴会でハンバルの前に壇上に立っていた第三皇女だ。

「もったいなきお言葉。定性的なことしか申せぬ我が身を恥じ入るばかりです」

 帝国皇室の『皇子・皇女』は何らかの形で実力を認められた皇族に与えられる称号のようなもの。したがって、男なら『皇子』、女なら『皇女』となる。第一皇女や第二皇女は存在せず、若手女性皇族の中では彼女の立場が一番強い。

「わたくしと一曲いかがですか?」
「一局ですか? いいですね。指しましょう」
「あ。ホ、ホヅミ大使……!」

 勘違いに気づいたルーシーが止めるのも聞かず、穂積は動いてしまった。

 タキシードの内ポケットから折り畳み式の将棋盤を取り出して、大きな丸テーブルの椅子に座り、指先ほどの小さな駒を並べ始める。

(…………やってしまいましたわね)

 晩餐会の場に暇潰しの道具を持ってくること自体が不敬なのだが、昨日の晩餐会は確かにヒマなひと時ではあった。

 エクレールが誘いたかったのはもちろんダンスだったが、穂積に社交ダンスの経験など無く、盆踊りとラジオ体操ぐらいしか知らない。

 女性と踊ったことも無ければ、晩餐会にそうした作法があることも知らなかった。唯一、経験したドレスの女とのダンスはイソラの踊り食いだけだった。

「エクレール様。あれなるはニホン国の伝統的な遊戯『ショウギ』にございます。本来はより大きく無骨な木の台の上で興じるのですが、市井に向けてはあの様に小さく持ち運べるものも販売されております。ホヅミ大使のいつもの傾奇かと存じますが、この場で宣伝でも為さりたいのでしょう。まったく優雅さの欠片も解さぬ御仁でございますが、何卒ご容赦くださいませ」

 悪気が無かったのは分かるが少し相手が悪い。場合によっては『お前とは踊らない』と受け取られかねないし、女性からダンスに誘うのは勇気の要ること。男性に対する最大級の賛辞でもある。

「……ルーシー殿。一つ教えていただきたい」
「はい。何なりとお答えいたします」

 さすがのルーシーもかなり焦っていた。その様子を遠くから眺めて、ほくそ笑んでいるラナーが目に入るが、社交スマイルをピクリとも崩さず見ないふりで通す。

「閣下は何を思われたのか? 悪気が無いことは察せられるが、そこがわからない」
「ショウギの対戦は一戦ごとに一局、二局と申しますれば……曲と局の取り違えですわ。ショウギでエクレール様と軽く遊ぶ、くらいの感覚でございましょう……はぁ」
「はははっ。なるほど合点がいった」

 エクレールは鷹揚に頷くと、盤面に駒を並べ終わった穂積の元へ。

 穂積はルーシー・マナー講座に則って席を立ち、エクレールのために椅子を引いて「どうぞぉ~」と笑顔で席を奨めた。

(あっ! ホヅミ大使ぃ~!)

 穂積がエクレールに薦めた椅子は自分が座っていた場所の左隣りの席。晩餐会の会場、その出入口との相対位置から見て、見事に下座だった。

 エクレールは「ふっ」と笑うと、カーテシーを送って奨められた席に座る。

 その光景をチラチラ見ていた参加者たちが騒ついた。皇族たちの目から見て、皇女に下座を奨める穂積のスマイルは明らかな挑発。

 一目置かれる家柄と勝負強さを併せ持つルーシーだったが、ナツほどのフォロー力は持ち合わせていない。だからこそ厳しく躾けた付け焼き刃のマナーが裏目に出た。

「初めてですか?」
「はい。斯様な遊戯は嗜みませんでした」
「そうですか。なら、ルールの説明からしますね」

 一度並べた駒を崩して、各種駒の種類と動きを示し、簡単な詰め将棋の盤面を作って王将を取るまでの流れを説明すると、エクレールはすぐに理解して「いざ一局」と勝負を持ちかける。

 穂積は自陣の駒を並べ直した。飛車角落ちで。

「さあ、どうぞ。エクレールさんが玉ですから先手になります」
「……閣下。二つほど駒が足りぬように見受けますが、これ如何に?」
「初心者を相手にする時に適用されるハンデです。いざ始まると熱くなっちゃって……わはは」

 エクレールのこめかみがビクッと震えた。

(あ~! ホヅミ大使ぃ~!)

 エクレールは基本的に群れることを良しとしない孤高の人なので派閥は持っていないが、その気性はノーマンに近いものがある。その辺の子供を相手にするように勝手にハンデを付けられ、先手を譲られた彼女の内心や如何に。

「よろしくお願いします」
「一局、ご教示、願います」

 絶対に怒っている。ルーシーのスマイルがヒクつき始めた。だが、こうなっては割って入るわけにもいかない。ナツのようにわざと失敗してお茶を濁す手管は彼女の気品が許さない。ラナーの笑顔がムカつく。

『パチン』『パチ』『パチン』『パチ』『パチン』『パチ』『パチン』『パチ』『パチン』『パチ』

(へぇ……ホントにわかってるのか。すごいなぁ)

 ついさっきルールを覚えたばかりの人間とは思えない早指しだった。

 高貴な頭の回転の速さに舌を巻く穂積だったが、将棋の定石を知るか知らぬかで勝敗は初めから見えている。

 エクレールは攻めるのが好きなようだ。相手の飛車が飛び込んできたのでパクリといただき――「あっ」エクレールは『しまった!』という顔をしている。

「待ったですか?」
「待ったとは……よもや、悪手の帳消しを意味しておられる?」
「そうですよ。飛車、戻しますか?」
「それもハンデということですか。では時を、戻していただきましょう。高速重武装の艦艇を、無駄に鹵獲された、わたくしの悪手を無かったことに」
「わははは! それ面白い例えですね? なるほど……海戦ゲームにした方がウケるかもしれません。ラックンに言っておこう」

 遠くでノックスがあからさまに両手を掲げて×印を示しているのに、将棋が楽しい穂積は気づかない。自分はしっかりとエクレールを楽しい接待将棋の世界に招待できていると思っている。

 皇族たちの注目を感じながらも、絶対勝つことに決めたエクレールは与えられるハンデを可能な限り活用して戦い続けるが、穂積の初心者向け接待将棋は想像以上に優しかった。

「あー、それもいいですけど、俺がこう指すと……ほら。三手先で詰みでしょ?」
「むぅ……負けま「時を戻しましょうね」――っ!」

 穂積は皇族の、しかも皇女殿下が相手なので、全力で接待してあげるつもりだった。

 将棋の奥深さと楽しさを知ってもらいたい。しょうもない決着では面白くないだろう、とか思っている。

「ならばコレはどうですか?」
「それ、二歩です。禁じ手です」
「何故ですか? 小型艦の単縦陣は定石ですが?」
「何故ならば――」

 穂積の二歩講釈が始まった。

「歩が同じ列に使えるようになると色々と不都合がおき、ゲームバランスが崩れるからです。例えば――」
「あっ!」

 勝手に盤面を並べ替えてわかりやすい局面を用意し、二歩によって極端に攻めやすくなる状況を再現した。

「こんな簡単に勝負が決まってしまうと、やってる側としてはつまらないですよね? すべての駒を総動員して凌ぎ合うのが将棋の魅力なのに。あと例えば――」
「……」

 また盤面を組み替えてわかりやすい局面を用意し、二歩によって無限ループに陥る状況を再現した。

「正直切りがなくなるんです。つまんないでしょ? あと他にも――」
「…………」

 またまた盤面を組み直し、というか全部壊して、玉を角に置いて穴熊を作って見せた。周囲を二重三重に歩が取り囲んだ鉄壁過ぎる防御陣が敷かれている。

「ただでさえ厄介な穴熊が百倍厄介になりました。相手はやる気を無くします」
「………………そうですね」

 ただの二歩のルール説明のために、本気でやっていた模擬海戦を無かったことにされて、エクレールのこめかみに青すじが浮かぶ。

「じゃあ、改めてもう一局やりますか?」

 普通のご令嬢ならビンタをかまして離席するところだが、エクレールには皇女としての面子がある。

「望むところです」

 隅っこの丸テーブルに座り、何やらパチパチやっている大使殿と皇女殿下は晩餐会にあって浮いており、誰もが何気なく歓談しながら意識はしっかり向いている。

 痛ぶられて終わるわけにはいかないエクレールとしては、絶対に勝たねばならなくなっていた。

 穂積は自陣の駒を並べ直した。六枚落ちで。

「よろしくお願いします」
「……閣下。六つほど、駒が、足りぬように見受けますが、これ如何に?」
「桂と香も落ちるとかなり攻め手が限られるし、守りも厳しくなりますよ?」
「見ればわかります。よもや、ハンデであると?」
「初心者でも楽しく指してもらいたいですから。いざ始まると熱くなっちゃって……わはは」

 エクレールのこめかみがビクンッと震えた。

(ホヅミ大使……もうやめてあげて下さいまし……)

 エクレールは善戦しながらも六枚落ちの穂積に十連敗し、弁舌で二歩を認めさせてようやく一つ勝ち星を拾った。

 もちろん穂積の二歩は禁止され、一方的に歩で殴られ続ける将棋は全然面白くなかった。

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