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第六章

第三六三話 教皇猊下

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第三六七話 教皇猊下

 聖堂の裏側、五階の執務室に隣接した応接室で、一人の小柄な老人と顔を突き合わせていた。

 レギオンとは関係無く真っ白な白髪頭。ヘル婆と違って腰はしゃんと伸びている。白と黒を等分に基調とした法衣に身を包み、ニコニコと微笑む顔はオプシーやアルローの教皇大使と同じ穏和な印象を与えている。

 だが、忘れてはいけない。教皇大使の法衣は白のみを基調としているのだ。対して、この老人のは半分黒い。

「ニイタカさん。かなり吹っ掛けてきましたね」
「いえいえ、猊下。二〇〇ノットで走る船の建造費用を含めてそのお値段ですよ?」
「必要でしたか? 三日の短縮が?」
「必要でしたよ。おかげで年次会議を十日以内に終える算段が付いたんですから」

 初対面の挨拶と互いの自己紹介を済ませて、早速に始まったのは御車代の精算だった。普通は御車代を明細片手に請求したりはしないが、額が大きいので数字を見ながらでなければ話が進まない。大使館には金がいるのだ。

「教会にも先立つものが必要なんですがね」
「毎年、鑑定料がガッポリ入ってくるじゃないですか。説法にお布施する貴族とかもいるんですよね?」
「教会の説法に布施する人間なんかいるんですか?」
「それを貴方が言いますか?」
「私なら払わないのでね」

 デント教皇は端的な人間だった。帝国やアルローで見てきたような上流階級者とはまるで違う人種だ。

 計略を駆使して裏を掻こうとする意図がまったく見えない。こちらが気付いていないだけかもしれないが、語られる言葉はすべて本心のように聞こえてしまう。

「十日で終わるとは思えませんね。あのトティアニクス帝は今までにない」
「今までにない?」

 ヘル婆もそうだがデント教皇の年齢が読めない。見ての通りの老人なのだが、六十歳にも八十歳にも、百歳にだって見える。

 醸し出す雰囲気が人間離れしているというか、対面していても目の前にいる気がしないからだろうか。

「今まで何人も見てきましたが、あの皇帝が初めて動いたのは貴方を捕らえようとした時です」
「え? レギオンが発見された時じゃないんですか?」
「あれは先々代の皇帝の治世です」
「…………先々代!?」

 代替わりが早すぎる。情報トピックス誌に掲載された最初のレギオン特集では、初めてレギオンアンプルが見つかったのは十二年前となっていた。今年から数えて十八年前になるが、たったそれだけの期間に二度も皇帝が交代していたのだ。

「まったく知りませんでした」
「帝国貴族でも知っている者はごく僅かでしょう。拝謁を認められているのは十賢者だけですし、私は年次会議以外では用がありませんから」

 元老院の席で代替わりを知ることもしばしばだとか。襲名しても公示は為されず、先代の死亡を確認できる者もおらず、すべて皇帝本人の自己申告に過ぎない。

 国家元首の在り方として不透明すぎるし、それでは謀殺されて入れ替わっていても誰も気付かない。何を以って皇帝であると証明するのかという問題になってしまう。

「偉大な人間ですから」
「猊下まで何をバカなことを……」
「ふぉふぉ。賢者の誰かから聞きましたか?」
「ただ『偉大なお方である』とだけですが」

 それこそが皇帝の証明であり、初対面の賢者たちが無条件に信用して一定の忠義を尽くす理由なのだと言う。

「……前任の委任状とかですか?」
「まさか。そんなものではありません」
「教えてください」
「守秘義務があります」

 守秘義務についてはこちらとしても守ってもらわなければ困るので強くは言えず、モヤモヤしつつも唸って黙るしかなかった。

 胡散臭すぎる皇帝の正体については棚上げするしかなさそうだが『今までにない』という指摘は聞き流せない。

「ニイタカさんと謁見した後からです。精力的に動いています」
「勅令の一斉送信ですか?」
「その前に多くの下準備をやっています。大勢の人間を巻き込んでね。情報部は最たるものでしょう」
「情報部は機能してないって聞きましたよ?」
「ふぉふぉふぉ……ところがドッコイ」
「……どっこい?」
 
 数日前までは確かにハンバルの情報通り、帝国情報部は機能不全に陥っていた。イーシュタルの各分家を天秤に掛け、いくつかのグループに分かれて汚い裏家業に精を出していたと言う。

「全員、東から手を引きました」
「え?」
「翌日には半数がアルロー諸島に向かいました」
「は?」
「残りはカルケル監獄です。ドロシーを放つつもりかもしれませんが、何処にかはわかりません」
「ドロシーって誰ですか?」

 ドロシーは人の名前ではない。

 ムーア大陸内海の孤島には、カルケル監獄という要塞紛いの大監獄がある。収監されているのは重犯罪者ばかりだが、その最下層には存在が異端とされる者たちが囚われている。

 死刑にならない理由は様々だが、実際には罪を犯していないか、情状酌量の余地があるか、時と場合によっては使える人材か、死刑にすること自体が不都合を招くか。

「そのうち貴方も放り込まれるかもしれませんね」
「うぉい!」

 闇に葬られつつ生かされ、世間から隔離され、人知れず忘れられるはずの――制限付きの魔法を使う人間。

 其れらを総称してドロシーと呼ぶ。

「生体魔法適性だけど自分しか癒せないとか、そういう人たちですか? なら別に危険は無いんじゃ?」
「ジョン・ジョバンニング氏のそれは有名ですね。その程度の制限ではドロシーではありません」

 制限付き魔法は五大魔法に劣る。

 しかし、何を基準にするかによって優劣は逆転、否、比較することすら出来なくなる。場合によっては魔力容量の差異も無意味になると言う。それがドロシーなのだそうだ。

「貴方は確実にドロシーです」
「俺のは概念魔法ですから別枠だと思いますが……皇帝は危険人物を檻から出して何かをやらせようとしていると?」
「魔法の質としては加護持ちに近いかもしれませんがドロシーは制御できません。ある種の狂人だと思った方がいいです。しかし……それは正直どうでもいい」
「どうでもいいって……」
「私にはね」

 ドロシーの存在はトティアス全体にとって大した問題ではないということだ。たしかに人数が圧倒的に少ないのであればどうとでも対処できる。

 ひどく局所的な彼らの脅威はさておき、トティアニクス帝が動く時は時代が揺らぐ時。

 その時点で如何に不合理に見えても後に最善の結果が齎される。教皇が言うところの最善であるから、トティアスにとっての最善と同義だ。

「歴代皇帝たちの偉業を追っていくと、必ず即応する対象があることがわかります。謂わゆる古代の危険な遺物です」
「……改造魔獣は危険では?」
「だからこそ、今までになかった失態と言えます。事後処理もお粗末です」
「……」
「そして現在の動き方も歴代にはなかったものだ。キレ者であることは認めますが、随所に無駄や賭けや保険が散見される。とても人間的ですよ」

 過去、皇帝が動く時は誰にも読めなかった。動き方も脈絡が無い。情報ソースも謎に包まれている。まったく関係無さそうな事柄を同時に進めて中途半端なところでやめる。最善の結果が出るのは数十年後だったりするが、動いた皇帝はその頃には死んでいる。故に神の如き神算鬼謀である。

 対して、今世皇帝は動きが読める。情報部の手綱を握り直したことから見ても明らかだが、彼らの動きを追えば何をしたいのかが見えてくる。

「ニイタカさん。トティアニクス帝に何かしましたか?」
「俺は何にもしてませんよ。イーシュタルを支援しろって言うからお断りしただけです」
「覇気で脅されたでしょう?」
「らしいですね。近衛兵が可哀想でした」
「ふむ……これは?」

 これは?と聞かれても何のことか分からなかった。デント教皇はずっと黙っている。何か言った方がいいのだろうか。

「……どれですか?」
「ふむ……おかしいですねぇ」
「なんですか……なんか妙なことしました?」
「フィーアが死ぬくらいの覇気を当ててみました」
「うぉい!」

 異端審問官が死ぬ強度の覇気を、脚気かっけの検査をするくらいのノリで試さないでもらいたい。

「理不尽なことですが、まぁいいでしょう」
「こっちの台詞ですよ」
「話は逸れましたが、要するに、最近のトティアニクス帝は頑張っているということです」
「何をですか?」
「貴方に対抗しているんですよ」
「迷惑ですし理不尽です。パワハラから先方の部下を守っただけなのに」
「お互い大変ですが頑張りましょう。費用についてはお支払いします。大使館に潰れられると面倒なので」

 駄賃はもらえるようだが素直に喜べない。情報部が総勢何人いるのかは知らないが、半数が皇帝の命令でアルローに向かい、その皇帝は自分を敵認定しているらしい。

(VLFSsの建造を急がせないとな……。ギジュメイルの相手だけでも厳しいってのに……ったく)

 大使館に残ったメンバーが気掛かりだが、聖都の長距離通信魔堰を使わせてもらえるので情報共有は出来る。

(まぁ、俺を敵視する分にはいいか。イーシュタルの再興のためにもアルローを潰すわけにはいかないからな)

 どうにもならなくなったらトンズラするしかないが、逃げ場さえ用意しておけば問題ない。チェスカには逃げ支度を最優先するように言ってあるが、想像以上に時間が無いのかもしれない。

「さて。では本題に入りましょうか」
「……え? 本題ですか?」

 皇帝の動きが本題ではなかったようだ。

 大使館にとって緊急性の高い情報をもらえて良かったと思っていたのだが、言われてみればデント教皇にとっての緊急案件ではない気がする。

『バァン!』

 嫌な予感をひしひしと感じて唾を飲んだところで、口を開きかけた教皇を遮るように応接室の扉が開けられた。

「フィーア。ノックをしなさい」
「あれは何?」

 フィーアは四階に残って自室を整理していたのだが、無表情に光る灰の瞳は明らかな怒気を孕んでいた。

「何のことかね?」
「決まってるでしょ。ドライの有り様よ」
「……ふむ。彼の容態を見たのか」
「ツヴァイは何をやってたの? 今どこ?」

 四階は異端審問官たちの宿舎だが無人が当たり前らしい。ヴェルフは常に大陸中を飛び回っていたし、他の上位席にしても任務に就けば長期不在となる。

「あれは何よ。どうヘマしたらああなるの」
「ドライの回復には時間が掛かる。生体魔法ではどうしようもないだろう?」
「それは……そうだけど……」

 フィーアがツヴァイとドライ双方の部屋を訪ねてみれば、ツヴァイはおらず、ドライはベッドに横たわっていた。

 一体何があったのか。ドライはカサカサに乾き、ミイラのように骨と皮だけになっていたと言う。

「ツヴァイは殉教した」
「――なんでよ!?」

 血を吐くように叫ぶフィーアを無視して、教皇は穂積に目を向けた。

 これがデント教皇の緊急案件。もはや明白だが、来てしまった以上は逃げられない。聖都に来るべきではなかったのだ。

「ニイタカさん。今年の夏は暑くなりそうです」

 上位席次の異端審問官はフィーアを除いて全滅した。このままでは魔女の使徒が溢れ出す。

「今年はフィーアに頼もうと思います」

 任務開始は約四ヶ月後――フィーアは臨月である。

「出産が間に合うといいですね」

 デント教皇には、本当に大切なものは何も無いのだ。

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