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第六章

第三四九話 食後会議

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第三五三話 食後会議

 たっぷり一時間かけて重めのランチを平らげ、満腹になった六人は一様に食べ疲れていた。座卓を囲んで茶を啜るまったりとした時間が流れる。

 老人には量が辛かったのか、小さくゲップをして謝るヒラガーから初対面の厳しさは感じられず、ソフィーに茶と甘味のお代わりを所望するオルフェは少し幼く見えた。

 議論はまったく出来ていないが、フランクに話せる雰囲気だけはある。問題はアフターランチミーティングという眠たすぎる会議で何が決まるかだ。

 ナツに用意させた資料は大使館から帝国に向けた提案であり、相手の側に立って考えれば一方的にこちらのアジェンダで進めるのは失礼に当たる。

「どうします? 草案の話でもします?」

 彼らにはそれぞれの立場で必要になるだろう情報を予め共有していた。

 抱えている現実的な問題と照らして、状況を打開するための改正法案を準備してきたはずなので、先ずはその話が優先されるべき事柄となる。

 オルフェは吊り目を眠たげに細めて少し唸り、大福を頬張って茶で流し込むと、やる気の無い感じでぼそりと呟いた。

「ウチは別に。あと六日ある」
「まぁ、そうですねぇ」

 正直なところ草案を見せられても分からないだろう。要約してまとめておくように頼んであるとはいえ、船関連の法規の基本的な内容にしか馴染みが無い穂積には荷が重い話だった。

「先にアジェンダだけ決めちゃいますか? あと六日でそれらは決定しておくということで如何です?」
「それだとあまり意味は無い。ニイタカ殿の提案にあったスマート化について言うならば……」

 各々に忙しい立場であるため、年次会議の期間短縮の提案は渡りに船だった。だからこそ実現した事前会議だが、ヒラガーは短縮できても精々十日、事前会議の日程を加味すれば大して変わらないと言う。

「ニイタカ殿は年次会議が何故長引くと思うかね?」
「疑義の擦り合わせをしていないからでは? 始めから妥結しておけば無駄な時間が省けるかと思ったんですが……」

 その点については全員が頷く。そもそもそれが元老院の存在意義であり、年次会議の目的だからだ。

「しかしながら、最も時間を割いてしまうのが草案の読み合わせ作業なのです。妥結に必要な行程とも言えますわね」
「……それは役人の仕事では?」

 帝国法にはいくつかの階位があり、根幹を成す帝国礎法の改正は一万年の間に数えるほどしか行われていない。そのうちの一回目は元老院の創設である。

「直近の千年では弄られていない。よく改正されるのはその下位に位置する帝国基法と特別法なのだが、殊更に特別法の改正には利権が絡むことが多くてね」
「であれば……拡大解釈の余地が大きい言い回しは避けるべきでしょうね」
「私たちも草案の作成には臣下や専門家の手を借りるわ。今日来ている者らのほとんどはその代表です。ただし、信用できるのは自分の子飼いだけ」
「他の賢者が提起する草案は事前に知ることができないのだよ。故に会議開始後に目を通すことになるのだが……」

 十賢者は法の専門家ではない。一旦、事務方が草案を持ち帰り、精査し添削して、自分たちの陣営に都合の悪い部分があれば変更案を提示する。それを各々が行い、突き合わせて更新され、また持ち帰り、それを何度も繰り返す。

「提起が多ければ、それだけ長くなりますね。今回は特に多いでしょう?」
「そうだ。うんざりする」

 オルフェは大きく欠伸をして座ったまま背伸びをすると、後ろ手を着いて天井に視線を移す。

 彼女は他の十賢者とは少し毛色が違う気がする。探索者としての実務も行うようだし、若くして組合長に選ばれたのには特殊な背景がありそうだ。

「おれが知る限り最長はレギオン奴隷の特別法だ。裏ではクソシュタルと血みどろの暗闘だったからな」
「ノックス殿。なりませんよ。東も相応の血を流しています。出来ればマイルズ殿にはイーシュタルとの問題を引き継がないでいただきたく思います」
「そうはおっしゃいますが、今の東の現状では……」
「ご懸念は理解しておりますわ。領内に東の民が流れてきておりますし」
「封土を守れぬ家を何故……陛下の御心は若輩の身には測りかねる」
「若輩……ですか。領地を治めるに必要な才覚があれば関係ありません。経験の差など瑣末なことです」

 ノックスとメーテルはそれぞれの派閥家に領地が隣接するイーシュタル派閥領の現状と、家を残したまま東の安定を図ろうとする皇帝の真意について話し始めた。

(短くならないの? ダメじゃん)

 動きの見えない皇帝の真意はどうでもいい。元老院が法改正の場である以上は参考人の自分に出来ることなど無いと思い知ったのだが、ここで根本的な疑問をおざなりにしていたことに気が付いた。

(そういえば……俺は何の参考で呼ばれたんだ?)

 改造魔獣の討伐に関する説明であれば真面目な嘘ドラフトは既に用意しているが、デント教皇がそれだけのために大陸まで呼び付けるとは思えない。

 オルフェと同じように天井を見上げ、嗤う木目に想像上の教皇の顔が重なって、嫌な予感とともに冷たい汗が背中を伝う。

「へぇ……やるじゃん」
「はい?」
「ニイタカ大使も気づいたか。さすがだな」

 視線を戻せば、全員がこちらを見てうんうんと満足げに頷いている。

 何か分からないが、賢者たちに認められたようだ。


**********


 法改正のプロセスは短縮出来そうにないわ、食後で眠いわで全くやる気が起きない。

 グダグダ感極まる状況に、何故ランチミーティングなどやろうと思ったのかと後悔しつつ、一同に小休止を提案した。

 オルフェから「なんの休みだ?」とツッコミを受けながら、小上がりの隅っこに置いてある自分の鞄を探り『バグベアー』を六冊引っ張り出して座卓に並べた。帝国行きのせいで色々と忙しく、まだヘンリー作品を読めていなかったのだ。

「皆さんも如何ですか? 面白いらしいですよ?」
「なんだ? 装丁の薄い本だな」
「誰かの自伝かね? どれ……バグベアー? 知らぬ名だ」

 興味を惹かれて見慣れない文庫本を手に取り、ページをパラリパラリと捲る音が六つ重なり静かに響く。

 事前会議は頓挫したかに思えた。


**********


 二時間後――、三時のオヤツもうに過ぎ、ちょうど全員が『魔堰怪盗バグベアー ~スッカスカの機雷物件に物申す!~』を読み終えたところだ。

「ニイタカ大使! コイツは今どこにいる!? 是非とも探索者に欲しい!」
「オルフェさん。巻末の一節を読んでみてください」
「ん? これはギジャミー大公に対する言い訳だろ? そのくらいはウチにもわかる」
「いやいや、ギジャミー大公って誰?」

 小上がりには密やかな笑いが絶え間なく、本を読んで笑ってしまう事実に疑問符を浮かべながら『バグベアー』を読み終えた賢者たち。

 最後の注釈を読んで『なるほどそういう書籍か』と納得したかと思えば、オルフェの勘違いは酷かった。リアルとフィクションをごっちゃにしてしまっている。

 おはなしの舞台は架空の諸島国家。トティアスに実在しないヒョッコリ諸島で巻き起こる英雄譚だ。架空の諸島を股にかける怪盗バグベアーも、とある島の権力者であるギジャミー大公も架空の人物に違いない。

「なぁ、バグベアー紹介してくれ。バグベアーくれたら今日連れてきた組合員は大使にやるから。そこそこ強いし……器量もいいだろ?」
「いやいやいや、組合員のお三方はお綺麗ですけど、魔堰怪盗なんて居ませんからね? もし居たとしても異端審問官に首チョンパされてますって」
「バグベアーが連中に負けるか!」

 オルフェが引き連れてきた三人の配下は全員若い女性で美人揃い。探索者組合の組織運営にも深く絡む才女たちであり、中には改造魔獣の対策を謳った特措法の草案作成を主導した専門家も含まれる。

「ニイタカ大使の女好きは有名だからな。ちゃんと使える綺麗どころを取り揃えた」
「……えーとぉ。二巻は何冊あったかなぁ~? 足りないかもなぁ~」
「ニイタカ殿。二巻をお願いします」

 今まで追加注文以外に一言もしゃべらなかったクグノーがすぐに反応した。次々と二巻を求める声が発せられ、穂積に女を充てがおうとしたオルフェが焦り始める。

「ホヅミ殿、二巻の題名は何だ?」
「『魔堰怪盗バグベアー ~泥舟からの大脱出! 逆不沈船に物申す!~』ですけど?」
「「「「お~」」」」

 鞄から二巻を引っ張り出して、表紙カバーの裏面に書かれている粗筋を朗読する。

「なになに~……『ギジャミー大公は人の皮を被った化け物だった! なんと! その正体は大型陸獣シロアリ! 船殻をスッカスカに食い荒らすシロアリ大公にベアハングが炸裂する!』……なんで間に合った?」

 ヘンリーがサスティナの事件を知ったのは帝国行き間際のはずだ。まさか臨時会議の前に改稿して刷り直したのだろうか。ハインも無茶なことをすると思っていると背後から視線を感じた。

「「「「…………」」」」
「わかってますから」
「ニイタカ大使! 無礼を謝罪する!」
「オルフェさんも、なんか怖いですから」

 二巻を六冊手に取り、五冊を座卓に置くと、シュバっと消えて全員の手に収まった。


**********


 さらに二時間後――、娯楽小説というものを知った賢者たちは会議については一言もしゃべらず、偶にほくそ笑んだり、ぶつぶつ呟いたり。一巻よりも時間を掛けてじっくりと読み進めていた。

「なんと悪辣な……ギジャミーめ」
「クソシュタルの方が可愛げがある」
「まあまあ、あらあら、民草が憐れですわ」
「シロアリか……大型は厄介です」
「……欲しい。バグベアー欲しい」

 五人五色の感想を声に出しながら、小さく笑い、時々、台詞が口を突いて出る。図書館で隣に居たら席移動したくなるタイプの人達だ。

「「「「「ベアハ~ング……」」」」」
「…………」

 最初のシロアリの脳天にベアハングが突き刺さったところで、小上がりの扉がコンコンコンとノックされた。

「ホヅミさん」
「おうナツ。どした?」

 お耳を拝借、と耳元で涼しげな声音がそよそよ流れる。柔らかな胸が肩に当たってムラムラしてきた。

「天井裏に複数の隠密が潜んでいました。いくつかの貴族家が差し向けた者たちです」
「……」

 ムラムラが瞬時に冷めた。

 先ほどオルフェが天井を見上げていたのはそれだったようだ。

 まったく気付かなかったが、他の四人も当然のように察知しており、穂積も同様であると誤解されてしまっていた。

 ここは知ったかぶりで通すべきだろう。

「……首尾は?」
「……何のですか?」

 ナツは少し意地悪に「ふふっ」と笑うと、カッコつけて赤くなっている間夫の背中に胸を押し付けつつ顛末を説明した。

 隠密は全部で二十二人。

「多くない!?」
「……ふぅ。一瞬で制圧されましたので安心してください」

 ヘル婆の飛行魔堰を借りたフィーアと二人、カニの空輸を行っていたリヒトのお手柄らしい。

 二十二人の不法侵入者は全員『風声・爆』の餌食になった。ちゃんと音加減も出来たようで、フィーアが軽く尋問して情報を吐かせてから、各貴族家の帝都屋敷に配達したという。

「なるほど……」
「改正法案のブラッシュアップも終わりました」
「えっ!?」
「……ふぅ。事務方が勢揃いしているんです。ちょっと……ふふっ」

 ランチミーティングはナツの掌の上だった。穂積は十賢者を接待して遊んでいればよかったのである。

 耳元からスッと離れると「以上です」と、まるで経過報告でもしに来たかのように間夫を立てる。もう一生ナツに転がされていればいいような気がしてきた。

「あっ。そうそう、BBQの準備も整いました。裏通りには延々と行列ができてますよ」
「え? もうそんな時間……? うわっ!」

 腕時計を見れば既に五時半を回っている。通りには参加希望の人々が続々と集まっているようで、参加料を徴収するソフィーの元気な声が微かに聴こえた。

「あの~、皆さん? そろそろ平民向けのイベントが始まるんですが……」
「ウチはこの店に泊まる。ヘルメーのババアは金さえ払えば文句は言わない」
「ならば私もオプシリア卿の世話になろうか。少々、肝が冷えるがね」

 結局、全員マーメイド・ラグーンでの滞在を希望した。屋敷があるんだから帰れと言ったが聞く耳を持たない。

「……えらく静かじゃない?」
「皆さん集中してますから」

 廊下に出て暖簾の隙間から店内をそっと覗くと、護衛や従者たちは一心不乱に単行本を読んでいた。

「…………」

 各所のテーブルの上には紙束の山が積まれており、床にはぐしゃぐしゃに丸められた紙が転がっている。

 今回のナツの手管がなんとなく分かった。事務方は『バグベアー第二巻』読みたさに一丸となって草案をまとめ上げたのだろう。

 それでいいのかと思いつつ、最低一ヶ月は掛かる読み合わせ作業をたったの三、四時間で終わらせた実務能力は驚愕するより他に無い。

 しがらみを振り払い、他勢力の人間と協調することを覚えた貴族のなんと頼もしいことか。

 穂積の上流階級者を見る目が少し変わったのだった。

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