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第五章
第三一九話 客間にて
しおりを挟むサスティナ島に到着して三日後、ようやくこの島の伝統的な林業に関する導入資料を読み終えた。
「ニイタカさん、今日は森に入られるので?」
「そうだな。バッサスさんはオーケーしてくれてたし」
「了解しました。私から離れないようにお願いします」
「わかってる。獣は怖いからな」
「いえ、そうではなく、離れると私がパーになりますので。山師や獣畜生に股を開きかねませんので」
「怖すぎる! どんだけだよ!」
リヒトは本当に四六時中、護衛者として張り付いていた。
領主館や役場、女神教会、アルロー海軍・憲兵の出張所への挨拶回りや、南町の各街区の散策など、外出時には付かず離れず着いてきて、偶に怪しい人間を見つけてはコッソリと報告してくる。
あまりにも報告件数が多いので試しに捕まえさせてみたら、ギジュメイル派閥の間者だった。
各町に数人ずつ潜入していると吐いたのでバッサスに報告すると、厳つい男たちが出て来て間者を引っ立てていき、それ以来、怪しい人間は見つからなくなった。
「それにしても、貴族の計略ってのはああいう人たちが居て成り立ってんだなぁ」
「下っ端の隠密は魔力容量が並以下の領軍出身者が多いそうです」
「潜伏先に見つかったらどうなるの?」
「おそらく使い捨てでしょう」
「狭き門を潜ってきたのに……。せっかく領軍に入っても最後は魔力容量次第か。世知辛い」
この数日間ずっと一緒に居たからだろう。リヒトとかなり気安い関係になったと思う。
食事もトイレも、水浴びですら付いてくるのだから仕方ないのだが、護衛者との間にプライバシーは存在しない。
もう全部見られたのだから、遠慮するのも馬鹿馬鹿しい。
要人警護のSPとは違って公私の境が無いため、私生活の手伝いも仕事のうちらしい。隻腕の自分にとっては正直ありがたい存在だった。
これほど身近で親しく接する人間に隷属魔堰を着けさせ、ましてや薬漬けにして縛ろうとするとは、シュキの神経は常軌を逸していたと言えるだろう。
「アイツはヤバすぎましたが、似たようなことをする貴族はいますので」
「自分の命を預ける相手なのに、なんで?」
「だからこそです。ニイタカさんのように護衛者にすべてを晒す人物は初めてですから」
「え? ずっと居るんだから仕方ないじゃない」
「それが嫌だから何らかの方法で行動を縛るのでは?」
「理不尽すぎるでしょ。護衛者って仕事の様式の問題じゃないの?」
「……言われてみればそうです。気付きませんでした」
「そんなトコまで変わろうとしないのはどうよ?」
怪しい人間はたしかに居た。しかし、その備えとして護衛者はやり過ぎではなかろうか。
「トイレだけは勘弁してください」
「了解しました」
初日の夜は大変だった。
客間の隅に丸椅子を置いて座り、室内のすべてが見渡せる位置取りで「おやすみなさいませ」と言うので「寝ないの?」と問うと「そうです」と言う。
さすがにそれは無理だと言い含め、ちゃんと寝るように説得すると、座ったまま目を開けて寝るという、少し懐かしい技を披露してくれた。
「ただし、夜は助けてください。暴走するので」
「……それ、ホントにクスリのせいなの?」
翌朝、起きたら下腹部に柔らかい感触があり、掛け布団を捲ると薄紫の頭があった。
夜半過ぎに暴走しかけて慌ててベッドに潜り込み、症状を抑え込んだところで寝落ちしたと言うが、毎晩同じことを繰り返すのはどうなのか。
「クスリのせいですが?」
「全裸になる必要はある?」
「気付いたら脱いでるので」
「はぁ、まったく……俺だから良いものの」
護衛者とは、一体何なのか分からなくなりそうだが、コチラにはEDの加護があるのでリヒトを襲ったりせずには済んでいる。
「…………そうですねぇえ~。ニイタカさんはぁ~、EDですからぁああ~~」
リヒトは思い出したように頬を紅潮させると、口元がだらしなく緩み、イヤらしく目を細めて舌舐めずりをした。
「何? その間は? その貌は?」
「――いえ。何でもありませんので、お構いなく」
暴走の一歩手前で踏み止まって、人間失格な貌をすぐに引っ込める。
「……実はリヒトがスケベなだけなんじゃ?」
極限の暴走状態を知っているだけに可哀想とは思うが、先ほど垣間見えたのは嫌でもそう考えてしまうほどの、ドが付くスケベな貌だった。
「たとえ、そうであっても私はパーですし、パーなのは私の責任ではないので。実際のところ、ニイタカさんから離れると頭がこんがらがって、脳みそが勝手に薬を求めてしまいます」
「クスリとナニが一緒って……最悪の刷り込みじゃん……」
「そんなわけで、私の人生はお先真っ暗ですので。頼みますから私より先に死なないでください」
「それを護衛者が言う?」
「命を賭けてお護りします。将来が不安なので」
「動機! よく聞くカッコいい台詞だけど、動機がすっごい後向きだよ!」
護ってくれるのはありがたいしリヒトは信用できるが、彼女の意気込みの出処は忠誠心でも親愛の情でもなく、クスリの禁断症状。
(シュールだよ……。普段の雰囲気はボンドガールだけども、根本的になんか違う……)
リヒトの装いは黒を基調とした目立たないものだが、何処となくエージェントっぽさを醸している。
ただし、外套を脱いで装備を外せば、極度にエロい。
上はノースリーブの短いレザーシャツで肩出し・ヘソ出しルック。丈が短すぎて下乳まで見えそうだ。
下はゼロ分丈のホットパンツで太腿の肌色が露わになっている。切れ上がりすぎて尻まで見えそうだ。
(大変よろしい、否、けしからん!)
客間のプライベート空間では、そのけしからん格好で傍に控えるものだから、護衛とは一体何なのか疑問は増すばかりだ。
「脚をご覧いただくのは結構ですが、どうして山師の仕事を知りたかったんです?」
「前半の部分いる? 目のやり場に困りすぎるから仕舞いなさい」
「姉さんから、二人きりの時はできるだけこの格好でいなさいと命じられましたので」
「ハインさんは何をさせたいんだ……」
「将来を不安に思ってるのではないかと。パーな私の」
「……そんなサービスしなくても突然解雇したりしないから」
「そういうことではないので。誤魔化さなくていいですから、ご自由にお使いください」
もちろんハインの考えは理解している。いつまで経っても改善しない妹の禁断症状に付き合っていくにしても、大使館がずっと存続できるかは分からない。
それを最も実感しているのは陰日向に大使館を切り盛りしている彼女だろう。
『消える領域』は絶対安全ではなく、物理的には何の意味もないただの雰囲気に過ぎないし、マジックキャンセラーも特定の場所に紐付いたもの。
リヒトを生涯あの土地に縛り続けるのも現実的ではないし不健全だ。
「ずっと俺の護衛をやってれば、ある程度の自由はできるからね」
「そうです。ですからコレは地賃みたいなものなので」
「地賃……エロがかい?」
「私はなんでも出来ますので」
「……マジでクソ野郎だな。死んだから文句も言えんが」
「……マジでクソ野郎でした。死んだからどうでもいいです」
本当に大変な置き土産を残して勝手に逝ったものだ。
ビクトリア、リヒトにハイン、バルト、他にも大勢の人生を滅茶苦茶にして、それでも生きているだけマシという状況を、たった一人の貴族が誰にも止められることなく実現したという事実は空恐ろしいものがある。
「普通なら人を喰う化け物を見つけて育てようとは思わんし、必要があったとしても心が拒絶するもんだろ?」
「アイツが特殊だったのではないかと」
「そうなのかもしれんが……死人に口なしか……」
「私は忘れることにします。パーな脳みそは忘れるにはうってつけなので」
「リヒト、お前はパーじゃない。大丈夫だ」
「……ありがとうございます。ニイタカさんは、大丈夫ですか?」
「あん!? 俺がパーだってか?」
「いえ、パーは私の専売特許ですので」
今日は午後から山師の作業を見学させてもらうことになっている。
チェーンがガイドを務めてくれるらしいので、昨晩読み終えた資料をさっと復習し、要点を確認して、聞くべきポイントを整理しておくとしよう。
「チェーン様にカッコつけるためですか?」
「違ぇよ。俺の常識が山師の非常識だったりしたら危険でしょ。現場を見学させてもらうんだから、怪我でもしたら仕事の邪魔になる」
「何故、山師の現場を見る必要があるので?」
「現場を見ないと何もわからない。机上の数字も必要だけど、大事なものは大抵現場で見つかる」
「諜報活動と同じということであれば協力しますので」
「あー、そうなの? そうかも。じゃあ、要点だけ共有しておく」
サスティナ島の林業の基礎が記された資料には、木材が出来るまでの工程に沿って作業の詳細が記載されていた。
まずは、木の子どもである苗木を植える。その木を世話しながら育て、木が大きくなったら切って収穫し、そしてまた新しい苗木を植える。この繰り返しだ。
一年目
地ごしらえ:新植の邪魔になる枝や木を取り除く。
新植:苗木を一本一本手で植える。
下刈り:苗木の成長を邪魔する雑草や蔓を取り除く。
~二年目
除伐:少し育った木の成長を邪魔する周りの木や蔓を取り除く。
~三年目
枝打ち:節の無いきれいな木材を作るため枝を切る。
二年目~
間伐:植えた木々が成長し森の中が混雑してくると、日光が届きにくくなりすべての木の成長が遅れるため、曲がったり枯れたりしている木を間引く。
五~六年目
主伐:成長した木を材木にするため伐採する。
玉切り:間伐や主伐で切った木を丸太にする。
職業体験で紹介されていた日本の林業とまったく同じ手順だが、新植と主伐のインターバルがたったの五、六年しかない。
「日本の約十倍の成長速度ってことだ」
「ニホンの木が弱すぎるのでは?」
「トティアスの植物がおかしいんだ」
「そういえばニイタカさんも弱かったです。納得しました」
「おい」
これらは山師小屋に近い林を対象とした若手向けの指南書にあったもので、原生林に近づくほどに事情は変わってくる。
「下刈りと除伐が重要になる。延々と、それこそ毎日のように邪魔な草木を刈り続けなければならない」
「呑まれないためにですか。全域でやるとなれば人手が要りそうです」
「人口も少ないからな。時間を節約するために山師小屋で寝泊まりするらしい」
「町に男が少ないのはそういう事ですか」
この島に生まれて運動魔法適性を持つ男は、ほぼ山師になる。
女性の山師も相当数おり、男女が同じ場所で寝食を共にし働く必然として、山師同士で結婚する者が多く、彼らの子供はそのほとんどが『鑑定の儀』で運動魔法適性を示す。
「聖痕は遺伝しないのでは?」
「聖痕と適性は無関係なのかもな。リヒトの親御さんは?」
「父が運動、母が精製でした。二人で砂丘を耕してましたが、砂をかき混ぜて真水を撒いても無意味でしたので」
「そうか……。南方砂丘の出身か」
「スラムよりはマシと考えていたんでしょうが、飢えはどうしようも無かったですので。父の屍肉を娘に与えるくらいには」
「――」
とんでもないカミングアウトを、リヒトは平然と語る。
母親の遺言は『私を食べろ』だったそうだ。
ハインとリヒトの姉妹は文字通り親の脛を齧って生き延び、母を食べ終えたところで、待ち構えていたように現れた異端審問官に捕縛された。
「……腹減ったら言えよ? たらふく食わせてやるから」
「ちゃ~んとぉ、たっぷりといただいてますのでぇえ~……ぺろり」
三日月のように双眸を細め、笑って舌舐めずりするリヒトの貌は人間性をかなぐり捨てた醜悪の極み。
素面の彼女はそれをよく理解しており、忌避していても低きに流れる自分を抑制できないようだ。
大使館に来たばかりの頃、ハインは報告がてら執務室を訪ねてきてはよく愚痴をこぼしていた。
(ハインさんも辛いところだ……これじゃ外で生活できん)
禁断症状を発しクスリと男を求めて暴れるリヒトを隔離病棟で看護しながら、殺害しようとして思い止まり、強力な鎮静剤を打ち続けたという。
妹の将来を不安に思うのも当然のこと。誰だってこんな風に笑う人間と一緒にいたくはない。
「ならいいが……その貌は何?」
「――いえ。何でもありませんので、お構いなく」
こうして意識的に引っ込められるのは自分の近くにいる時だけらしいが『消える領域』の残り香でもくっついているのだろうか。
(遺言が『私を食べろ』。たぶん親父さんも一緒か……?)
そうまでして子供を売ることを拒絶し、最後まで共に生きることを選んだ両親の愛は深海の水圧ほどに重い。
(どうなってんだ……)
それほどの業を背負って挑んだ『女神の試練』も中途半端な結果に終わり、帝国情報部に流れ、イーシュタルに流れ着いた彼女たちは悪徳に手を貸すことも多かったという。
やはり、トティアスは何処かおかしい。
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