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第五章
第二八五話 小姑の前にて
しおりを挟む首長館にサコンとウズメを呼んでもらった。ついでにウズメを教育政策担当に戻したことをアウルムに伝える。
「勝手に人事を弄られては困るぞ」
「申し訳ありません。以後、気を付けます」
実際の問題として、サコンだけでは絶対に無理だ。二人だけでも不可能だ。教育を専門に所管する組織が必要だ。
「役所の新設だと? 不可能だ。そんな人材はアルローにいない」
「公衆浴場で遊んでる貴族がいるじゃないですか。サージュメイルは商人を山ほど抱えているでしょう?」
「たしかに商人なら読み書きも算術も達者だが、彼らの稼ぎと納税が国を支えているのだ。国債の発行は財務大臣が差し止めた。要するに借金だとな」
「即金で家を建てられる者などいない……いるのかもしれませんが、少なくともアルロー政府に教育機関の創設は荷が重いんです。国民から金を集めるんですから、諸外国への弱みにはなりません」
「政府の、ひいてはアジュメイル家の弱みになる。ただでさえ他の貴族派閥に押されているのだ。サージュメイルにこれ以上の力を持たせるわけにはいかん」
貴族社会の中で力を維持する観点から言えばそうなのだろうが、この考え方はどうにもならないのだろうか。
ビクトリアもアジュメイル家に軸足を置いていたら動き難かったに違いないが、これでは本末転倒もいいところだ。
「なら、領軍の方をどうにかできません? 親衛隊を解体して国軍に再編するとか」
「アジュメイルに私兵を捨てろと言うのか!?」
「やってる仕事は一緒じゃないですか!」
「指揮系統が違う! 親衛隊は必須だ! 故に領軍も解体させることなど出来ん! すべての兵を国庫で養うことも不可能だ!」
「なら軍縮です! 兵隊を減らしてその分を教育に回しましょう!」
「イーシュタルが弱ったとはいえ北の脅威は健在だ! 軍縮など出来ん!」
駄目だ。少し落ち着こう。
サコンとウズメもビビっている。
力づくでは何事も解決しない。
煉獄に燃える焔の流れを変えて、別の方策を模索することに向ける。『反連合島の集い』が邪魔なら、焼き尽くしてやろう。
出来るだけ経費を掛けずに。
「ヴァルス要塞の建設計画は事実上頓挫してますよね?」
「そうだな。基礎工事だけの出費で済んだのは不幸中の幸いだ」
「その予算を流用して国内を引き締めませんか? 具体的には北と裏取引している売国奴の一斉摘発です」
「うむ。初日に言っていたな。経済制裁だったか? 有効な手ではある。海賊行為を介した資金の流れを断つための法的根拠にもなる」
「はい、国内で連中との裏取引が横行する原因はそこかと」
貴族が関与しているに決まっている。実行犯は別にいるのだろうが、摘発しても後から後から湧いてくるのは大本を潰せていないからだ。
北への経済制裁を国策にしてしまえば、貴族であろうと逆らえない。証拠が出たなら明確に国賊の烙印を押されることになる。
「よし。それについては進めよう。どれほどの影響があるかわからんが、国家反逆罪は死刑だ。少し罪状を軽めにした方がいいだろう」
「脱税の罪でいいんじゃないですか? 裏取引の利益に追徴課税して搾り取れば一石二鳥です」
「それでいこう。よい献策だ」
「ありがとうございます」
国の政策というのは予算を介してすべて繋がっていることを知った。そこに貴族社会のしがらみと家の面子が加わって、わけが分からない事になっている。
「サコンさん。そういうわけで、学校の方は児童や保護者の意識改革から始めなければならないようです」
「意識改革ですか?」
「はい。将来の可能性を教えてやりましょう。領軍への士官がすべてではないことを説明するんです」
「ちょっとお待ちになって」
そこで、今まで黙っていたルーシーが口を挟んできた。
「将来の可能性とは何でございましょう? 平民の事をおっしゃっているのですわよね?」
少し待ったが、質問のあとに長話は続かない。
「教育政策の目的は兵隊を育てることではありません。これから先は、様々な考え方を持つ人間が、自ら生きる道を模索する時代になります」
「国を乱れさせる者らを、国が育てるということですか?」
思わず目を見張った。
「その通りです。アルローは大いに乱れなければなりません」
ルーシーも目を見張った。
「……何を考えておられるのです? それがお姉様の本意だとでもいうのですか?」
「ビクトリアの目指すところはその先です。国が乱れるのは通過儀礼であり、絶対に避けられない」
ルーシーは視線を落として真剣に考え込んでいる。
アウルムは随分と落ち着いていた。ルーシーの横暴を目溢しするような態度が目立っていたが、三女に向ける眼差しを見て確信する。
(はぁ……この人も狸か。ビクトリアの予備は用意してたってことね)
公に次期首長に内定していたビクトリアがあんなことになって、再起不能かと思われている時に、後継者を失ったはずのアウルムに慌てた様子は見られなかった。
勇猛果敢なビクトリアは見ていて危なっかしい。アウルムの立場を思えば、いざという時の保険は必要だ。ルーシーを嫁に出さずに手元に置いていた理由でもあるのだろう。
「わかりません。教えてくださいまし」
「ルーシー。婿殿に甘えすぎだ」
「……失礼いたしました。ニイタカ様、これまでの無礼は謝罪させていただき、今後は態度を改めます。お姉様の本意、どうかご教示くださいませ」
「いいですよ。どうか一緒に考えてください。みんなが暗中模索ですから」
「ありがとう存じます」
「あっ、サコンさんとウズメさんも良いですよね? アウルムさん?」
「はぁ、どうせ既に漏らしておるのだろう? 好きにせよ」
サコンとウズメは冷や汗を掻きながら帰りたそうにソワソワしている。申し訳ないが、道連れは居てもらった方が気が楽だ。
あと数十年でこの世から魔力が消えることと、その備えを早急に進めなければならないことを掻い摘んでルーシーに話して聞かせた。
「必要なのは新たな時代を生き抜く知恵と、人間社会を支えるエネルギーの開発です。俺を含めて既存の知識ではまったく足りません」
「魔力が消える……。魔堰はどうなりますか?」
「わかりません。突然使えなくなるのか、魔力が切れるまでは使えるのか、という意味ですが」
「最終的にはすべて使えなくなるということですわね……」
「何かあればおっしゃってください」
「通貨魔堰が最も大きく影響しますわ」
通貨魔堰が使えなくなれば、国を含めて金持ちは資産のほとんどを失うことになる。
平民を中心に流通しているムーア銅貨だけでは、量が少なすぎて置き換えることはできない。貨幣経済が崩壊することになるだろう。
「それはマズいじゃないか! ビクトリアめ! そんなこと一言も……!」
「お父様。まさか何の手も打っておられないなんてことは……気付いてもいなかったご様子ですわね」
「い、いや、ビクトリアに言っても仕方ない。帝国を動かさんことにはどうにもならん」
ムーアの発行元である帝国が主導して対策を講じるしかないのだが、魔力消失を信じてもらえるとは思えない。ノーマン公爵家がいくら頑張っても、皇室が動かなければどうしようもないのである。
「これはある意味で良い機会ですよ」
「良い機会? どういうことですの?」
「帝国を当てにせず、アルローだけでやってしまえば良いんです。新たな通貨単位『アルロ』を創設し、国内の決済はすべてアルロー造幣局が発行するアルロ貨幣で行う。通貨魔堰は徐々に廃止して、大口取引にはより価値の大きな貨幣を使う」
「新しい通貨単位? ムーアとは別の……たしかに、それなら国内の経済は回りますわね」
「外国との取引には為替という概念が必要です。とりあえず、一アルロ=一ムーアとした方が混乱は少ないでしょう。よくわかりませんが」
「単位の違う通貨の交換比率の話ですわね」
「マジで賢いですね? 天才ですか?」
「褒めても何も出ませんわ。それとも、わたくしまで口説き落とすおつもりで?」
「やめてください。ビクトリアが復活したら怒られる」
新貨幣経済が軌道に乗るまでは固定為替制で行うことになるだろう。但しその場合、金融政策を実施する上で越えることが出来ない壁が有るとか。
その時になったら変動為替制に移行すればいい。その時の人が勝手にやるに違いない。
「早速ですが、日本大使館の決済は『円』で行うことにします。大使の権限で」
「一エンは?」
「一円=一アルロ=一ムーアです。計算が面倒なんで」
「ずっとそのままではいけませんの?」
「通貨の価値というのは、発行する国の信用度で決まります。金を使う人々が『アルロなんか使えるか』と思えば、実質的に百アルロの価値は一ムーアになってしまいます」
「それを無理に固定すれば……なるほど。不都合が沢山ありそうですわ」
「俺も細かいことは知りません。昔は金や銀を使って貨幣を造り、相応の価値を持たせていたようです」
一番簡単なやり方は、発行する貨幣自体に変動しづらい価値を持たせてしまうこと。金貨や銀貨の導入を提案したら即座に却下された。
「アルロー諸島を売っても必要な金銀は集まりません。論外ですね。そのくらい想像してください」
「これは手厳しい……なら、大使館で何か考えましょうか?」
「何が出来ますの?」
「大使館から付加価値の高い製品を売り出します。大使館はアルロ貨幣を受け付けます。これでアルロ貨幣に一定の価値が付与されます」
例えば、クリスはダイヤモンドを錬成できる。金剛石は極少量だがトティアスでも流通しており、特に高価な宝石として珍重されている。
値崩れしない程度に少量ずつ市場に吐き出し、ダイヤの価値をアルロに変えていくのだ。
「お待ちになって。巫女姫はアルローのものですわ」
「国籍をもらってるわけじゃありませんし、クリスはビクトリアに協力していただけです。既に自分を買い戻したと聞きましたよ? 今や彼女の隷属魔堰は装飾品に過ぎません」
アウルムは「わけがわからん!」とか、「なんだと!?」とか、「アレを手放すわけにいくか!」とか騒いでいるが、もはや会話の主役はルーシーになっていた。
「たしかに、奴隷卒業宣言なる式典待ちだと聞いております。ニイタカ様。それはつまり、巫女姫はニホン国籍を得るのですか?」
「結婚すれば夫の籍に入ります。俺は日本人ですから、そうなりますね」
「なぁ~にぃ~!?」
「お父様。公文書に明記されてましたわ。大使にはニホン国籍を与える権限が委任されていると」
「……っ! こういう事か! 婿殿、お前さん……!」
「だから、危険だと申し上げましたわ。この御仁は始めからこれを狙っていたのです」
だが、要するにクリスが男の籍に入るだけのことで、アルローのために力を振るうことには変わりないのだと、ルーシーはそういう見解を述べた。
「まあ、そんな感じです。何も変わりませんよ。ははは」
「怪しいですわ。まだ何か裏がありますわね?」
「はははは」
少しわざとらしかっただろうか。
ルーシーは訝しみながらも、実利を取ることを選んだようだ。
「アルロ貨幣には新素材を使うことと致しましょう。他にございませんもの」
「錬成魔法は? 広まってますか?」
「まだまだだな。ようやく固体を動かせる者が出て来たところだ」
「強化工具を使えば加工できますわ。巫女姫製品の主要品目である新素材のインゴットを大使館から仕入れましょう」
「……本当に良く勉強されてますね。そこまでご存知とは思いませんでした」
「わたくしなど、大したことは御座いません。お姉様のような力はありませんもの……」
ルーシーの本心を見た気がする。
ビクトリアを尊敬しつつ、アジュメイルとして、彼女の実妹として、求められる役割を全うしようとしていたのだ。
次期首長のスペアでしかない立場で、いざという時に備えるためだけに、学び続けるのは辛かっただろう。
それもあのビクトリアのスペアだ。求められる位置は高く、届かないことを自覚しながら準備だけはしなければならない。
そして、来るはずが無いと思っていた機会が来てしまった。不安で無かったはずがないのだ。
「ルーシーさん。協力してアルローを盛り上げていきましょう。それこそが、ビクトリアの目指した道です」
「それはお父様に言うべきお言葉ですが、有り難く頂戴いたしますわ」
「お前さんら……いい加減にしろよ?」
小姑と少しだけ分かり合えた。
今後、ルーシーは精力的に動くようになり、アウルムは手綱を取るに苦心することになる。
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