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第五章
第二八一話 武術道場前にて
しおりを挟む栗色の髪を左サイドアップにまとめた細身の女性と坂道を登る。
酔い潰れる前のアウルムに学校を見学したいと頼んだら、翌朝、案内人として現れたのが彼女。
教育政策の担当者であると紹介されたサコンだった。
昨日会ったウズメと瓜二つだ。
(左がサコン、右がウズメ。分かりやすいな。いい仕事するじゃないか、言語理解)
朝一で首長館を出たのでルシオラとは会えなかったが、ちゃんとお膳立てはしてあるから大丈夫だろう。
離婚間際とはいえ、夫婦の情を精一杯活かして、上手くやってもらいたい。
「ウズメから聞いております。なんでも道場の教育方針に懐疑的だとか」
「そうですね。何らかの是正措置は必要だと思っています」
「正直ですね。構いませんよ。なんでも遠慮なくおっしゃってください」
「ありがとうございます」
「是正可能かは、お約束できかねますが」
この様子を見るに、胸襟は開きつつ、取り付く島も無いといった感じだろうか。
だったら受け入れ姿勢を見せる必要も無い気がするが、よく見ると薄らと目の下にクマが浮かんでいる。
「なんですか? 私の顔に何かついてます?」
「はい、目の下にクマが。お疲れですか?」
「……本当に正直ですね。化粧で誤魔化したつもりでしたが」
「もしかして、サコンさんも分かってたりします?」
そう指摘してみると、少し驚いたようにこちらを見て、ちょっとウルっと目から汗が。
「し、失礼しました」
「あの、差し支えなければ、別にあってもいいんですが、話してくれますか?」
ビクトリアの教育政策として急遽始められた学校の設立だが、予算はあっても現場にはどうにもならない問題があった。
アルローの各島に必ずある武術道場は、貴族から平民まで、身分の別なく受け入れられる数少ない場所の一つ。
平民階級の受け入れを推し進めたのもビクトリアだが、そこに身分差があるのは事実であり、貴族が幅を利かせる現実がある。
「道場主……師範や師範代の中にも貴族が混じっています。彼らが道場に勤める目的は、領軍への志願者を募ることです」
領軍とは、貴族の私兵のことである。
アルロー海軍や憲兵隊のような正規の軍属ではないが、貴族は領島の治安を維持するために、ある程度の兵力を抱えることを認められている。
つまり、国軍とは別の指揮系統を持つ軍が同じ島内にいるのだ。親衛隊はアジュメイル家が抱える領軍に当たる。
「なるほど。才能の青田買いということですね」
「はい。魔力容量が大きくても、身体が貧弱では実戦で使い物になりません。物理的に強ければ、魔法の才を覆すことも可能です」
「その理念は正しいと思いますが、トティアスでは一般的でないのでは?」
「その通りです。アルロー諸島のみの特徴かと思います。まぁ、魔力容量が大きいに越したことはないんですが」
魔力容量の大小で人生が決まるという不文律はあるのだろうが、アルローではそれとは別の尺度も認めており、それが全島に行き届いている。
何気にすごいことではないだろうか。
ビクトリアが全国民向けの教育制度を取り入れるに当たり、道場にあやかろうとしたのも頷ける。
「でも、それが問題になるんですか?」
「本来、道場は武術を修めるための場です。そして、そうした人材が求められています」
「だから、稽古偏重になると? 座学にも協力してくれるんですよね?」
「読み書きや算術が出来るのは貴族の師範代たちです。彼らにとっても、強くて頭の良い人材の方がいいので協力はします。しかし、求めているのはあくまで兵となる人間。稽古を減らすことは許されません」
「……一日のノルマを午前中に詰め込んでるって事ですか?」
頷くサコンも悔しそうだが、確かにそれはどうにもならないかもしれない。身近にプロスカウトがいる強豪校のイメージだ。
「貴族の師範代に引っ張られることを子供たちは望んでいるんですか?」
「……それはその通りです。家格にも寄りますが、同じ島の正規兵よりは好待遇でしょう」
「うーん、難しいですね。全体の何割がその道に進めるんです?」
「一つの道場から年に一人程度です」
「狭い! 狭き門にも程がある!」
「そうなんです。領軍は各貴族家が賄いますから、国からの補助は出ません。財政面で苦しくなるので、余程の才を示さなければ師範代も二の足を踏みます」
専門職養成校の中に、大勢の普通科の学生を入れて一様に競わせる。
教育機関としては非効率な体制だが、道場以外に適した環境が無い。新たな教育の箱を設ける予算も無い。
(おっと、これは詰んでないか?)
ただ、サコンの憔悴の原因はそこではない気がする。何故なら、彼女一人が頑張ってどうにかなる問題ではないからだ。
これはもっと上の、ビクトリアや財務大臣、教育委員会などが検討すべき話で、現場の担当者が考えてもあまり意味がない。
「サコンさん。アルローの教育制度はどこが所管しているんですか?」
「所管ですか? ビクトリア様では?」
「え? ビクトリアが言い出しっぺではあるんでしょうが、これはもっと大きな枠組みの中で話し合うべき問題です。この件に関わっているのはどこの役所です?」
「ビクトリア様でないのなら私です。私……私だけ……私一人で、偏屈な師範代全員の相手をしています」
「……今までお疲れ様でした」
せめて、島に一人は担当を置けばいいのにと言うと、依頼文伝にお断りの返信があったとのこと。
つまり、誰も真剣に取り組もうとしていない。首長館と同じだ。
その中で変えようと努力して、割りを食っているサコンは稀有な存在なのだろう。
道場の良いところと、悪いところを知って、サコンの不遇を知って、フィーアの『碌なところじゃない』という感想を思い出して不安を募らせていると、高台にある道場の門扉が見えてきた。
門を潜る前に早速見つけた子供の列。
朝っぱらから石を運んでヨタヨタ歩いている。
「あれがウズメさんの言ってた……」
「石運びですね。今やっているのは個人の体力づくりと身操の稽古。この後は合力。複数で行う連隊動作の基礎鍛錬です」
「……見て来ていいですか?」
「どうぞ」
年齢はバラバラの、大勢の子供が、大きな石を抱えて運んでいる。
みんな真剣に取り組んでいて、声を掛けるのも憚られるが、転んで膝を擦りむき血が出ても続けさせるのは如何なものか。
「サコンさん」
「はい」
「師範代は何処で見ているんですか?」
「石運びは朝の日課です。全員が自分の石を持っていますから、特に指導も必要ありません」
「……」
「本人が出来ると思えば、より大きい石と交換できます」
場所は高台の上。
草木も疎らな岩が覗く固い砂地。
子供の波を避けて端の方まで行くと切り立った崖があり、振り向けば五メートル先を小学校低学年くらいの女の子がふらふらと石を運んでいる。
「道場の立地は農業に適さないからですか?」
「その通りです。道場はこうした高台の上にあることが多い……いえ、全島がそうですね」
「死亡事故が起きたりしないんですか?」
「残念ながら道場の門下生の死亡率は低くありません。成人するまでに全体の約一割が何らかの理由で死んでいます」
「……ダメだな」
くるりと振り返って、数百人の子供の群れに向かって声を張り上げる。
「ニルネル! ムヅキ! ミズキ! ハヅキ! 石を置いてこっち来い! ゆっくりだ!」
サコンが呆気に取られて固まっている。
まったく以って、甘く見ていた。
(別の尺度? 体育偏重? 俺が馬鹿だった!)
教育政策は国家の屋台骨。大赤字を出してでも新たに整備すべきだったのだ。ビクトリアも分かっていたはずだが、これが当たり前の世界なのだから気付かなくても仕方ないのかもしれない。
「サコンさん。この制度が始まってからビクトリアは視察に来ましたか?」
「い、いえ。ビクトリア様はVLTC計画とダージュメイル家の粛正、国内の不穏分子への対応で手いっぱいでした」
「そうですか。良かったです」
「よ、良かった?」
やがて列の最後尾に向かって流れに逆らい、ひょっこり出てきた五人の子供たち。
「「ホヅミ様! お久しぶりです!」」
「ホヅミさま、ようこそ!」
「ご無事とは聞いてましたが、心配しました」
ニルネル、ミヅキ、ハヅキの四人。カンナはクリスの工房にいる。
「ホヅミ様。お忙しいのに、どうされました?」
「ムヅキ。ここに入った時、ナツは何か言ってたか?」
「……ナツ姐さんは心配しておられました。カリキュラムもまったく消化できていません。私が捜索隊に加わったのは、その検証も兼ねてのことです」
「わかった。お前ら、すぐに荷物をまとめて来い」
「もう、まとめさせてあります。ナツ姐さんの指示です」
「よし! 帰るぞ!」
五人を宿舎に向かわせて門前で待つ間に、サコンと話を付けることにした。
「どういうことでしょう? 視察、あるいは査察にいらしたのでは?」
「ここを見に来て本当に良かったです。ご案内いただきありがとうございました」
「……ご満足いただける状態でないのは理解しています。しかし、もう少しお時間をいただけませんか?」
サコンに一つ、言っておかねばならないことがある。彼女の努力を無に帰すことになるのだから、疲れ果てた泣きそうな顔が心に刺さるが、それが筋というものだ。
「サコンさん。俺はこれから、教育政策へ割り振られている予算を凍結させるために全力で動きます。貴女にはそのことを知っておいていただきたい」
「えっ!?」
ここの現状はビクトリアの想定したものではないし、それ以前に想定が甘すぎる。
国による初等教育の一元管理など、アルローには荷が重すぎたのだ。
ビクトリアも一旦始めてしまい、予算案が通ってしまった以上、後には引けなくなった。
近い将来、国を支える人材の育成は待ったなしの主要課題。例え自分の手が回らない状況になったとしても、進めた方がマシだと考えたのだろう。
「ここは子供を死なせることを許容する場です。領軍に士官するために覚悟して入るなら、それでもいいのかもしれません」
「……」
「しかし、今求められているのは十年後、二十年後、魔力が消えた世界を支える人材の早急な育成です。だから、対象はすべての子供たちとなっています」
「は? ま、魔力が? 消える?」
「これからは貴族だろうが、平民だろうが、スラムの孤児だろうが、拾える才能はすべて拾って育てなければアルローは沈みます。帝国も沈みます」
「どういうことなんですか!? 予算は!? 凍結!?」
「ここはダメなんです。ここに子供を集めたらダメです。危険ですから、制度自体を抜本的に見直さなければなりません」
「何を勝手な! あなたは何の権利があって!?」
「貴女の努力には感謝します。ビクトリアを支えてくれた。しかし、彼女も間違えた。人間ですから当然です」
「そんな……私の半年間は……何のために……」
「一緒に来てください。ちゃんと説明しますから」
ムヅキたちが門から出てきた。
イマイチ分かってない顔でポカンとしているニルネルとは違い、元禿の三人は波風が立たないように、ちゃんと総師範に挨拶してきたらしい。
「流石だなぁ、ホント偉いよ」
「当然です。ニル兄さんは馬鹿ですから」
「仕方ないんです。ネル兄さんは阿保ですから」
「「ちょっと! どういうこと!?」」
「ほら、行くよ。兄さん達を揶揄わないの」
「「はーい」」
ムヅキはナツの薫陶を得て、ミヅキとハヅキは実地で、それぞれに見定めていたのだ。
そして見切った。ここにいても、稼げるようにはならないと。
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