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第五章
第二七二話 大学病院にて
しおりを挟む目深にフードを被った怪しい男が夕暮れ時の大通りを歩く。隣を歩く銀髪の女性の美しさも相まって人目を引いていた。
「やっぱり塩味メインだな」
「塩結晶が出回ってるみたいね。美味しいわ」
「醤油ダレも合いそうだ」
途中の屋台で買った揚げパンと串焼きを頬張りながら、味付けについて議論しつつ歩く姿は仲の良い夫婦のそれだった。
現在、穂積は晩餐会をブッチして街中に出て来ている。
『ルーシーに会うのが嫌』『だから外食する』『適当にぶらついてから帰る』『小銭を両替して欲しい』そんな諸々をメイデに相談すると、家令のところに案内してくれた。
首長館は役所のようなものだとイメージしていたので、家令やメイド長という役職があることが不思議だったが、裏手の屋敷と併せてアジュメイル家所有の邸宅としての側面が強いらしい。
家令は屋敷と首長館で働く使用人たちのトップ。家主の不在には留守居役も務める立場なのでそれなりの権力があり、首長館の店費も管理している。
到着早々に無礼なことを言い出した男に呆れつつ、押しの強いメイデの口添えもあり、小銭の両替に応じてくれた。
しかし、晩餐会に不参加の件については、『自分は知らなかった事に』としっかり予防線を張っていたので、融通を効かせてくれた彼の好意を無碍にはするまい。
そういう裏工作の末に、就寝中のビクトリアとリコリスをメイデたちに任せて首長館を抜け出したのだ。
午前中、洗濯場で出会った四人のメイドたち、トレス、ウェイテ、ドリー、スカラーは仕事を速攻で片付けて、リコリスを囲んで静かにキャッキャしていた。
夕暮れの日を浴びて大通りを歩きながら、午後に出向いた場所での一幕を思い出し、フィーアの意見を聞いてみた。
「あなたが召し抱えればいいじゃない」
「召し抱えるって、俺に給料は払えないよ」
「奴隷に給料は要らないわ。彼女たちもそう望んでることだし」
「俺の住む場所すらも暫定で、今は首長館の仮眠室だぞ?」
「アジュメイルの屋敷もあるんでしょ?」
「……屋敷は大阪のおばちゃんが幅を利かせてる」
今後の付き合いが億劫になるマシンガントークを思いながら、少々、憂鬱な回想に耽った。
**********
フィーアを護衛代わりに連れて向かったのは、最近になって創設された大学病院。
場所は通行人に道筋を尋ねたらすぐに分かった。存在自体はかなり浸透している様子だが、中に入ってみると人は疎らで、如何にも金持ちそうな老人と介添人ばかり。
大学病院の一画には、警察病院と言うのだろうか、警備が厳重な隔離病棟があり、アポ無しで簡単には入れない。
ルシオラの名前を出して面会に来た旨を伝えても警備員は渋っていたが、フィーアが覇気を滲ませたらあっさり通れた。
警備の意味が問われるが、ここにビクトリアを入院されるのはやめた方が良さそうだ。
ルシオラは心身の不調という事で、とりあえず入院させるとセーラから聞いていたため、先ずはここを訪れることにした。
アウルムから父性を学べないなら、せめてルシオラから母性を学ばせてもらおうと思ってのことだ。
「こんにちは」
病室をノックするとすぐに返事があったので入室して挨拶した。
扉の前には警備が立っていたが、やはりフィーアにビビって簡単に引き下がったのは本当にいただけない。
「はじめまして、新高穂積です。こちらはフィーアです」
「フィーアよ。この人の連れ」
「ルシオラよ……アジュメイル姓は無くなるかしら」
フィーアを見やり、人外の実力を見切ったのだろう。ルシオラは一瞬だけ緊張して、すぐに諦めたように脱力した。
「ビクトリアは? 貴方が助けてくれたと聞いたのだけれど」
「まだ眠っています。母子ともに無事です」
「そう……無事なのね……! 良かった……良かったかしら! ううぅううう……!」
ルシオラの処罰はまだ確定していないが、アジュメイル家から排されるのは確実であり、ジェシア家へ出戻る目も薄いと聞いていた。
しかし、そんな事はどうでもいいのだ。
ルシオラがビクトリアの母であることは疑いようが無く、彼女が母親として我を通そうとした事実が今は嬉しい。
やり方はマズかったし、世の母親たちが子供のためなら好き勝手していい道理は無いが、それでも自分が知らない母の姿を見られたことに感謝していた。
「お義母さん。また来ますから、お大事になさってください」
「……私を義母と呼んでくださるの?」
「今度は孫も連れて来ますよ。リコリスと名付けられました。セーラさんが名付け親……みたいなもんです」
「……ありがとう」
ルシオラの病室を後にして、次により厳重な隔離区画へ向かった。
どれだけ厳重だろうがフィーアの覇気で通れるのだから意味は無い。こういうところは本気でダメだと思う。
木柵の格子をいくつか抜けて、たどり着いたのは身分の低い重要参考人が閉じ込められている場所。粗末な病室はまるで地下牢のような造りで、同じ病院の敷地内とは思えなかった。
「うがぁああああ~っ! ああぁあああ~っ!」
「鎮静剤が切れたわね。あまり投与したくないけど……」
「こんにちは」
「――あ……すぅ……すぅ……」
「え? あれ?」
木柵の向こう側には薬物依存性の女性と、彼女の介護をするハインの姿があった。奥の簡素なベッドにはバルトも寝かされている。
「ハインさん、どうもすみません」
「あ、ニイタカさん。こんにちは。わざわざ来られたんですか?」
本来ならビクトリアに頼んで大陸に帰してもらうはずだったのだが、事情が変わってしまった。
ビクトリアは意識が戻らず、シュキが改造魔獣を嗾けるという暴挙に出たせいでアルロー政府は態度を硬化させ、彼女を含むイーシュタルの関係者はこのような扱いになっていた。
「……本当に変な人ですね。これくらいは普通です。他国の諜報員なんですから、拷問されないだけ上等ですよ」
「まったくね。拷問する?」
「おまえ、しないから……。ハインさん、申し訳ないですけど、もう少し我慢してください。俺も着いたばかりで右も左も分からない状態なんで」
死体は見つかっていないが、シュキ・イーシュタルの死亡が確認された。三男のキムドゥ・イーシュタルも同様だ。
依存性の女性はハインの実妹だった。名前をリヒトという。
ハインが聞き出したリヒトの証言により、首謀者のシュキや共犯のキムドゥを含む帝国側の関係者の素性が明らかとなった。
結局、全員が改造魔獣に食われて死んだらしい。
「これで御館様に与えられた任務は失敗です」
「失敗じゃなくて、履行不能ですよ。護衛対象が自滅しちゃったんだから」
イーナンから命じられた任務はそれぞれだったが、バルトもハインもリヒトも、最終的にシュキに仕えることになるはずだったのだ。
「イーナン・イーシュタル公爵は本当に困った人ですね。もうちょっと息子と対話すべきだったんです」
「結果から見ればそうですが、シュキ様は昔から誰にも心を開かない方でしたし、キムドゥ様はシュキ様に心酔しておられました。御館様が何を言おうと届かなかったでしょう」
「……これでイーシュタル公爵家は潰えるんですか?」
「分家のどれかが継ぐことになるのでしょうが、いずれも御館様と対立していました。我々の任務はここまでです」
寂しげに笑うハインは同じ牢内に寝ている二人、バルトとリヒトを見て肩を落とした。
「……これからどうするんです?」
「アルロー政府と交渉して……いえ、もう大陸に居場所はありません。帰っても死ぬだけですね」
バルトは目覚めず、回復したとしても、命令が無いと動けない奇病に罹っている。
リヒトは見ての通りの薬物依存性。任務どころか日常生活も儘ならない。
ハインは他国に囚われ、伝手も無く、二人のお荷物と二七人のレギオン奴隷を抱えて身動きが取れない。
レギオン奴隷の女性たちも同じ区画に入院している。具体的には横並びの九つの牢屋に三人ずつ入れられていた。
主人に応じて待遇が変わるのが奴隷。ハインが囚われた結果、彼女たちも罪人のような扱いになってしまったということだ。
「あ、あの……!」
「はい、なんでしょう?」
隣の牢屋から一人のレギオン奴隷が声を掛けてきた。
服を脱ぎ捨て、豊満な胸を丸出して格子に縋り付くと、助けて欲しいと懇願する。
「お願いします……! 誠心誠意お仕えいたします……! ですから……どうか……!」
「服を着てください。それと、俺は奴隷は要りません」
「お願い……お願いいたします……」
他の牢屋からも同じような懇願が聞こえてくる。
現在、彼女たちはハインとの契約があるおかげで、ここに保護されているとも言い換えられる。
既に何人かの貴族から『レギオン奴隷を売り渡せ』と言われたらしいが、ハインは穂積になら奴隷証券を譲渡してもいいと言って断っているらしい。
奴隷証券とは、要するに隷属魔堰の主従契約のことだ。
一応、証券なので書類はあるが、奴隷は隷属魔堰に縛られているから奴隷なのであって、法や書類は後付けに過ぎない。
「……ハインさん。少し時間をください」
「彼女たちの処遇については、ニイタカさんにお願いしたいところです」
「はい……また来ます」
やはり奴隷制度というのは気に食わないと再認識されられて、やるせなさと共に大学病院を出た。
ビクトリアは十分に理解していたし、かなり抜本的に改革を断行したはずだが、それでもアルローはこうなのだ。
「ちっ……黒い巨塔じゃねぇか」
まだまだ少ない新素材製の建物の中でも、一際大きな大学病院の白い壁を見上げて、そう毒吐くしかなかった。
**********
「一風呂浴びて帰るか」
「あなたとお風呂? する?」
「いや、男女別だから」
日本の銭湯を元にした公衆浴場は大勢の人間で賑わっている。
ビクトリアの国内向け政策の目玉として導入されたもので、小銅貨五枚で誰でも風呂に入れるとあって大盛況となり、大通り沿いにはいくつもの官営公衆浴場が建設されていた。
金属が希少なトティアスでは貨幣は銅貨しかない。
大銅貨一枚 一万ムーア
中銅貨一枚 千ムーア
小銅貨一枚 百ムーア
金や銀は専ら装飾品として加工される。それらの高級品は通貨魔堰が利用できる上流階級者しか買わないからだ。
一応、鉄貨という括りもあるが、これは貨幣というより鉄の目方に応じて金銭的価値を得るものであるため、決まった形状は無い。屑鉄や砂鉄を集めてパンと交換する孤児がいるくらいだ。
そもそも鉄は酸化によって重さが変わるため、貨幣として用いるには向かない金属。
見た目のサビが酷いという理由でパンを半分にされる、というのは、スラムあるあるとしてフィーアから聞いた話の一つだった。世知辛いにも程があるだろう。
番頭に二人分の入浴料として中銅貨一枚を支払い、フィーアと別れて男湯の脱衣所へ向かった。
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