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第三章
第一七六話 捜索打ち切り
しおりを挟む日没はとうに過ぎ、捜索は一時中断された。
ビクトリアが上空に太陽をいくつも浮かべて光源を確保し、可能な限り捜索を続けたが、暗闇に揺蕩う海上すべてを照らし出せるわけではない。
夜間の海上捜索は至難であり、下手に進めると目標物を見落として通り過ぎる可能性もある。
高速艇を本船の横に係留して、翌朝、日の出とともに捜索を再開することにした。
「…………」
ビクトリアは船長室で項垂れていた。
大陸棚の南に分布する海流は予想を超えて複雑に入り乱れており、とてもではないが一つに絞り込めない。
その中には捜索網の足並みを乱すほどに強い流れもあった。
「船長。これは以前に本船が捕まった南流に酷似してるわさ。おそらく大陸から南へ流れる離岸流さね」
「トムの報告では海底に向かう下降流もあったらしいぞぉ。上手く離脱したとしても、どこに浮上するか読み切れん」
今も流され続けているとすれば、発見は困難を極める。現状では帝国に救援を要請することも出来ない。
帰船してから教皇と直接通信したが、あちらにも情報は入っていないようだ。教皇は方々に手を回してくれているようだが、帝国側の態度が硬化しているらしい。
「近衛艦隊が壊滅したとなれば仕方ないさね」
「虎の子の艦隊だぁ。皇帝もこうなるとは思ってなかっただろうしなぁ」
「……第四艦隊が動いていないのは助かるがな」
「教皇様々さね。首の皮一枚で繋がってる状況だけど」
本船の主要メンバーが執務室に集まっていた。全員、このまま穂積を見捨てる選択肢は今のところ持っていない。
「……ホヅミは対策していたはずだ。グランマ」
「保存食と水筒がいくつか持ち出されてたわ。船尾楼からは浮き袋なんかが消えてたわね」
「ボクのボートも無くなってました……。ホヅミさまは大丈夫……きっと生きてます……」
「クリスボートか。ならば、まだ希望はあるな」
「リア姉。諦めちゃダメよ。必ず助かるかしら」
「その通りです。ホヅミさまは運が無いですが、悪運は並外れたものをお持ちです」
「当たり前だ」
クリスが翻訳した恋文の効果で、彼女たちはとりあえず落ち着きを取り戻していた。
その格式張った書き振りは穂積のものとは思えず、翻訳家の手腕の問題であると納得して、脳内で甘々に変換している。
図らずも輪姦地獄行きを猶予された形だ。
「アズラとホヅェールは? なんと言っている?」
「あちこちに散った龍涎香の臭いが邪魔らしい……です……。ホヅミさまの匂いを辿れないと……」
「むぅ……」
「持ち出された水と食料を全部確保してるとしても、七日で尽きるわね。二人で分けるなら三日よ」
状況は逼迫しているが、捜索活動に一発逆転の良策など無い。
教皇にはフィーアから通信があったら本船に繋いでもらうように頼んであるが、今のところ連絡は無いとのことだった。
その際、教皇は『教育のつもりが、どうやら効きすぎたようです』と反省の弁を述べていた。命令に反いたフィーアにお灸を据えるためにした事が裏目に出てしまったらしい。
「ともかく、フィーアも追い詰められれば教皇への通信を試みるはずだ。それを待ちつつ、海上捜索を進めていく」
「了解だぁ」
「もう少し海流を精査してみるわさ。法則が掴めれば御の字さね」
この日、ビクトリア号は大陸棚から約一〇〇マイルの海域で仮泊し一夜を明かした。
ありったけのシーアンカーを降ろしていたが、夜間に流されて翌朝の捜索開始位置が変わってしまい、捜索活動の難易度をさらに底上げした。
捜索隊の面々は逃れようのない予感に苛まれていた。
**********
穂積とフィーアの捜索は一週間に渡り続けられたが、持ち出された小型高速艇の残骸や積載物がいくつか発見された以外に目ぼしい成果は得られなかった。
夜間に通り過ぎた海域も捜索しなければならない上に、連日の高速艇運用は乗組員の魔力と体力を大いに削った。捜索中に見つかった水や食料も彼らの希望を打ち砕くに足るものだった。
何よりも、既にグランマの計算した期日を超過し、二人の生存が絶望視される中で、それでも穂積に執着するビクトリアに従い続けることは、頑健な船員たちの忍耐と精神力を持ってしても容易いことではなかったのだ。
「船長……もう、限界だわさ」
「ならん……諦めては……」
ジョジョとセーラを始め、ビクトリア号の全員が忸怩たる思いだ。それはビクトリアにも痛いほどにわかっている。
しかし、どれだけ善良でも、強靭な船乗りであっても、ちっぽけな人間に過ぎない。
体力も精神力も有限だ。船内の雰囲気は悪化の一途を辿り、生産性の無い捜索活動に不満を漏らす者も出始めていた。
**********
捜索開始から十日後――、
「これ以上は抑えが効かなくなる。リア嬢ちゃん。気持ちは分かるが……潮時だ」
「クリスがアズラに確認したわさ。ホヅミの予想通り、船体の匂いは消えた。黒鯨は一度も目撃されていない。外洋で襲われる心配は無くなったさね」
「……ナツ殿は? なんと言っている?」
ナツは疲れた乗組員の不満を解消するために奔走していた。殺伐とした雰囲気を和らげ、愚痴を聞き、酒を飲ませて場を盛り上げ、翌日の捜索に送り出す。
彼女の手腕と精神的な強さに、ビクトリアは何度も救われた。ヨハナやキサラとも協力し、なんとか今まで待たせてきたが、そのナツをして、これ以上は続かないと言う。
「……ダメなのか? どうしても?」
「遊郭組はよくやってくれたわさ。あの子らが居なけりゃ、状況はもっと悪化してたさね」
「……もう一日。明日まで続けさせてくれ」
「リア嬢ちゃん……」
「……頼む」
ジョジョとセーラは強く危惧していた。穂積を失えば、ビクトリアが折れてしまうのではないかと。
いや、折れるだけならまだいい。最悪なのは自棄を起こして、手が付けられなくなること。今のビクトリアはジョジョでも止められない。
正直に言ってしまえば、二人は穂積の生存を諦めていた。しかし、無理強いは出来ない。ビクトリアには自ら納得する形で、幕を引いてもらわなければ困るのだ。
**********
それから、さらに三日が経過した。
ビクトリアの「もう一日」は三回繰り返され、それでも乗組員は船長命令に従った。普通の船なら、とっくに反乱が起きている。
ビクトリアは彼ら、彼女らの献身に深く感謝しつつ、そこに言外のプレッシャーを感じていた。
ゼクシィやクリス、チェスカは、潰れそうなビクトリアを支え続けた。それが穂積の生還に繋がると信じていた。
しかし、捜索はこの日、打ち切られる事になる。
「ビクトリア。これを……」
「こ、これは……どこで? ホヅミは?」
発見されたのは、クリスが造ったF素材ボートだった。
波間に浮かんでいたものをロブが見つけて回収したが、その周辺を徹底的に捜索しても穂積たちは見つからなかった。
空気の入っていないボートを抱きしめて、ビクトリアは膝から崩れ落ちた。視界がぐるぐる回り、立っていられなかった。
「リア嬢ちゃん……」
「ビクトリア……」
ビクトリアの金色の瞳から光が失われ、感情が抜け落ちた虚ろな声音が、何度も飲み込み続けた台詞を呟いた。
「捜索隊を呼び戻せ。全艇揚収ののち針路変更。アルローへ帰還せよ」
「「アイアイ・マム」」
ビクトリアは全指揮をセーラに任せ、船長室へ戻るとベッドに潜り込んだ。
**********
捜索活動を打ち切ってから一週間が経過した。
ビクトリア号はこれまでの波乱万丈が嘘のように、凪でも時化でもない中途半端な海象の中、アルローへの針路を取り順調な航海を続けている。
途中、大陸東岸の耕作地帯沖合で一時ドリフティングし、密かに高速艇を発進させた。艇員はトムが唯一人。
『トーマス……本当に一人で大丈夫なの?』
『心配するなマリーナ。漁村で泊めてもらいながら、ゆっくり北上するさ』
『済まないねトーマス。だが、任せられるのはあんたしか居ないんだわさ』
『わかっています。必ずノーマン公爵領に辿り着いてみせます』
セーラの発案でトムをノーマン公爵の元へ派遣する事となった。セーラが認めた親書を携え、たった一人で大陸沿岸を北上する危険で過酷な任務だ。
『ノーマン公爵に直接渡しておくれ。それと、イーシュタル領の沿岸には寄るんじゃないさね』
『はっ! 了解しました!』
第一艦隊が壊滅し、帝国が態度を硬化させている。このままではアルロー本国まで飛び火しかねず、放置することは得策ではないと判断した。
『ふぅ……よし! 行ってこい! トーマス! ううっ……アルローで待ってるから……絶対に帰ってきて……』
『マリーナ?』
『もう、一人の身体じゃないんだからね?』
『……ま、まさか』
『パパになるんだから』
マリーはトムの子を妊娠していた。
一方、ビクトリアは寝室に引き籠っていた。もう何度読み返したか分からない恋文をベッド中で広げている。
「ホヅミ……」
クリスは穂積の書いた文章を正確に翻訳し直して、三人に渡していた。まさかこんな事になるとは夢にも思わなかった。
ひょっとすると、この手紙が最後になるかもしれないと思い直し、職務に誠実になることにした。穂積に教わった通りに。
「…………」
ビクトリアは動けずにいた。こうしている間にも、他の三人は前に進み続けている。三人とも穂積の生存を信じて疑わなかった。
穂積は自分が死ねば魔力も消えると予想していたが、未だ世界から魔法は失われていない。
それなら、魔力が消えない限り、穂積がどこかで生きていることの証になる。
穂積の予想が正しかったと、そう願わずにはいられない。
一方で、クリスボートが発見された時の絶望感が忘れられないのも、また事実だ。
「艇は大破し、ボートは無かったんだ……」
ゼクシィはニルとハヅキの教育に余念が無い。
チェスカも仕事の合間に梅毒治療以外の生体魔法を学んでいる。
クリスは穂積が残した造水器の開発に着手している。カンナとキサラを配下に加え、錬成魔法を指導しつつ試作機の製造を進めている。
「どいつもこいつも……」
昨日、試作した真空容器の実験に失敗したと報告があった。
造水器の本体はその実験結果を元に設計を変更するようにと、図面に指示されていたためだ。
クリスは開発に心血を注ぐことで、精神の安定を図っている節があるという。
「オレは……そうか……」
誰もが前を向こうと藻搔いている。ここには居ない穂積の期待に応えようと、自分の中に夢を見出した。
ビクトリアにも夢はあった。穂積と出会ってから随分と様変わりしたと思っていたが、何のことはない。
「アイツ以外に欲しいものは無いんだ……」
二人で語り明かした夢はもう叶わない。穂積が消えた時点で、二人の夢も潰えたのだと思えてしまう。
「……はぁ。汗くさい」
寝汗を掻いた肌にシャツがべったりと張り付く。水差しからコップに水を注いで飲み干し、シャワールームに向かう。
船長室のトイレはクリスが改造を加え、温水シャワーが完備されていた。毎晩、汗だくになるので必要になったものだが、これがとても便利な代物だった。
新造船には全居室にシャワーを備え付ける予定らしいが、VLTCの建造はパッサーとヒービンたちがいれば進められる。
「着いたら忙しくなるのか……憂鬱だ」
ビクトリアの役割は本国の重鎮たちを動かす事だが、どうにも興が乗らない。やはり自分が欲しかったのは、穂積と共に追い掛ける夢だったのだ。
為政者としては失格だろうが、アルローの国益など、どうでもよくなっていた。
加熱魔堰のスイッチを入れて、給湯器の加熱を待ちながらぼんやりしていると、目からホロリと涙が溢れた。
「はは……泣いてんのか」
不意に出た涙を拭い、シャワーのバルブを捻って頭から湯を浴びる。
「…………うっ?」
急に気持ち悪くなってきた。我慢出来ずに併設されたトイレに駆け込み嘔吐する。
「オェ――――っ! ゲホゲホッ……」
どうやら心だけでなく、体も弱っているようだ。
「ふぅ……ゼクシィに薬をもらうか」
さっきから独り言が多いなと思いつつ、シャワーを浴びに戻った。
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