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第二章
第一四六話 終わらない仕事 向いてない仕事
しおりを挟む養生処襲撃事件後の夜、オプシー郊外の丘の上に一人の青年が立っていた。
どこにでもいるような平凡な顔立ちの青年だ。平民が着るような古着を着崩して、眼下のバザールの天幕から漏れる光魔堰の灯りを見下ろしていた。
その存在感は宵闇の深さも相まってとても希薄だった。ぶつぶつと独り言を呟き続けていなければ、たとえ近くに寄っても彼に気付ける者は少ないだろう。
「あー、憂鬱、憂鬱だ。早く帰りたい、帰りたい。帰るって何処に? 宿屋にさ。他にも帰る場所はあるけど、帰りたいとは思わないし。とは言え、宿は取ってないんだけど。誰か助けて」
最近のヴェルフは特に忙しかった。そりゃあ、もう、目の回る忙しさだった。忙しい中でもちゃんと平民に変装して任務に励む自分を褒めてやりたい。
「人使いが荒い、荒い、荒すぎる。おかしいよ。おかしいよね? この一ヶ月でトティアス一周分は動いてるもの。この猫の額ほどの大地しかない世界で、船にも乗らず、ひたすらに足を棒にして動き続けているよ。つまりは、大陸から出てもいないのにこの移動距離だ。おかしいよ。誰か助けて」
末席の自分が何故こんな馬車馬のように働かなければならないのか。決まっている。末席の下っ端だからだ。
「なぜ、なんで、どうして? 僕は馬車でも馬でもない。何かって? 人間、人間さ。当たり前だよ。人間だよね? たまに自信が無くなることもあるけど、少なくとも馬ではないはずさ。だって、こうして話せるもの、しゃべれるもの。一体全体なぜなんだ? 誰か助けて」
理由は単純明快にして、当たり前で、しかし、どうにもならない事情。人手が足りない。ただそれだけのことだ。この仕事は誰にでも出来るわけではない。新規に使い物になる人材を得られるかどうかは、女神のみぞ知る。
「『試練』、『試練』さ。偉大なる女神の『試練』だよ。『試練』を乗り越えなければ、そうでなければ、そうあらねば、僕の仕事は務まらないから、だから『試練』を越えてくれ、超えてくれ。もう誰でもいいから、頑張れ、頑張って。僕が過労死する前によろしく。誰か助けて」
ダメなら何者にも成れずに死ぬだけだ。正に『試練』と言えよう。
「『試練』なんて大仰な言い方しているけれど、なに、大したことはない。ちょっと行って帰ってくるだけ。往復するだけ。行けるところまで行って、無理そうだと思ったら帰ってくる。ただそれだけさ。僕は特に、珍しいくらいに、根性が無いからね。びっくりするほど早めに引き返したよ。マジで怖いから。誰か助けて」
そして『試練』を遂げたとしても、大抵は中途半端な結果に落ち着くことが多い。そういう者たちは皇帝に仕えることになるため、あちらにはそれなりの人数が集まっている。
「最近の若いもんは、ってよく聞くじゃない? 聞くよね? 僕もまだまだ若いもんの内に入ってるって、そう声を大にして言いたいところだけど、それは諦めて、敢えて言おう。最近の若いもんは! びっくりするわ! どんだけ根性が無いの? 世にも珍しいほどの根性無しの僕でも、それは無いよ、と思うわけさ。もっと、もっともっと頑張れ。やれば出来る、やらねば出来ぬ、何事も! ホント頼むよ。誰か助けて」
一定以上の『試練』を乗り越えた者だけが、この仕事に就くことが許されるのだ。それが良いことか悪いことかは分からない。自分はこの仕事しか知らないから。
「あちらは人材の流出だってしてるじゃないか。出来ないならそれなりに、ダメならダメなりに、せめて世のため人のために。そう思えないか? あちらがどういう仕事をしてるか分からないけど、偶に現場が被ったときの感じから察するに、やりがいのある仕事では無さそうだよね。この仕事はどうかって? やりがいあるよ。やりがいだらけさ。寧ろ、やりがいしかないのが困りものだ。正直、もうお腹いっぱいなんだ。やりがいはいいから、休暇をください。誰か助けて」
ヴェルフは滑舌良く、情感豊かに、心情を吐露するように呟き続け、自分の気持ちを整理していた。誰も聞いていないが、全く構わない。というか、もし聞かれていたら恥ずかしすぎて死んでしまう。
「聞くに堪えないわ」
「うひゃぁあ――っ!」
独り言にツッコミが入るとは思っていなかった。氷点下の声音と共に突如として真後ろに現れた人の気配に心臓が止まりそうになる。
慌てて振り返ると、目の前には美しい女性がいた。
胸元まで伸びたストレートの銀髪。陶器のような白い肌と灰色の瞳が冷たい印象を与えるが、露出の少ない黒い服に包まれた胸や尻の肉付きは良く、括れた腰に抱きついたら暖かそうだ。
「何を見てるのよ?」
「あ、ええと、すみません」
暗い夜の丘の上でも銀の美しさは陰ることなく、月明かりに照らされた彼女の肢体が男の本能的な部分を刺激する。
最近は忙しすぎてご無沙汰だったことが災いした。自分のような冴えない男に性的な目で見られて、さぞ不快な思いをさせただろう。
「不快よ。死になさい」
「す、すみませんでした」
「相変わらずの人見知り。いい年して情けない」
「……すみません」
異端審問官 第十二席 ヴェルフ――、みそっかすの末席に身を置き、鬼のようにこき使われている。人見知りで根が真面目な彼は、命じられると嫌とは言えない質だった。
ヴェルフの新たな任務は二本のレギオンアンプルの回収。
闇市場に流れたという情報を入手した教会は直ちに異端審問官を派遣することを決定した。
教皇の指導により『レギオン』の回収は教会にとって至上命題となっているため、当然の措置ではあるのだが、白羽の矢が立ったヴェルフは既に三つの任務を掛け持ちしている状態であった。
幸いなのか、不幸なのか、彼の任務はすべて帝国内における事柄ばかりであったため、大陸中を駆けずり回ることで何とかなっていた。
帝国全土に根を張る『黒』を冠する複数の闇組織。その裏で糸を引いているのはイーシュタル公爵家であることは自明の理だが、確たる証拠を掴ませず、いつも辛酸を舐めさせられていた。
そもそもの情報源である帝国情報部の情報がイーシュタルに漏れているのだから、当然のようにすべて先回りされてしまう。
情報部の根性無しどもは仕事が嫌になると裏稼業に逃げてお山の大将を気取る。奴らのずる賢いところは、古巣とのパイプを残してイーシュタルの傘下に収まることで、薄汚いウィンウィンの関係を築いている部分だ。
今回の場合、アンプルは『黒亀』を通じてオプシーの奴隷商人に流れたことまでは突き止めたが、州都イースから全速力で駆けて到着してみれば、時すでに遅し。
双子の奴隷に投与された後だった。何故、よりによって男に『レギオン』を打ったのか理解に苦しむが、おそらく異端審問官が動いていると一報を受けた『黒亀』が使用に踏み切ったのだろう。アンプルを所持していなければ帝国法の適用外だ。
「始末すればいいじゃない」
「無茶言わないでください」
超法規的な活動が認められていると言っても、邪魔者を殺しまくっていいわけじゃない。暗殺するにもそれなりの下準備と後片付けが必要だ。そして、今の自分にそんな時間は無い。
仕方がないので新たなレギオン奴隷の行き先だけでも確認しておこうとオークション会場を張っていたら、彼らに出くわしたのだ。
会場では何故か呆けてしまい、彼らが立ち去った後で気を取り直して、探りを入れようとしたのだが、別の追跡者が邪魔で近づけなかった。
「何やってんのよ」
「下手くそ過ぎて」
そいつの尾行が双子の購入者の一行に勘付かれてしまっていた。当人はそれすら気付かず尾行を続けていて噴飯ものだったが、おかげで警戒が強まって難度が上がった。
遠方から監視を続けてビクトリア号の乗組員たちであることを確認し、その旨を定時連絡に盛り込んだら、教皇から勅令があり、ある男を監視しつつオプシーで待機することになってしまった。
「僕、かなり忙しいんですけど……」
「奇遇ね。私もよ」
「これから優雅な船旅ですよね?」
「私にしか出来ない仕事だもの」
レギオン奴隷の双子を購入したのは、ビクトリア号の乗組員で黒髪黒目の男性である。
この報告に対する教皇の反応はまったくの予想外だった。本来なら今頃、砂丘で異端者を捜索しているはずだったのだ。こちらの方が自分にとっては余程優先すべき事案である。
「どういうことです? 僕の数日間が野郎の監視で消えたんですけど」
「知る必要はないわ」
「いいじゃないですか。教えてください」
「私も知らないもの」
この返答にヴェルフは瞠目しつつ、理解した。彼女が知らないことを自分が知っていい道理はない。
「報告なさい。簡単でいいから」
「簡単でいいんですか?」
「人と喋るの、辛いでしょ?」
「……すみません。では――」
辛辣で酷い言い方に聞こえるが、これは彼女の優しさだ。ヴェルフにとって人付き合いは憂鬱の極みだった。会話が出来ないわけではないが、長く話していると精神的に参ってしまう。彼のささやかな夢は、無人島に一人で暮らしすることだ。叶うはずもないが。
ここ数日の黒髪黒目の男について報告する。行動を箇条書きにしたような端的な報告だったが、彼女は黙って聞いてくれていた。
「血が噴いて腕が宙を飛びました」
「……」
「飛んだ腕が圧縮火球を掴みました」
「……」
「火球が炸裂して腕は消えました」
「……」
「男は右腕を失って気絶し、戦線を離脱しました」
「……」
「以上で報告を終わります」
「……自分で聞くわ」
「……すみません」
異端審問官 第四席 フィーア――、三聖が現場に出張るなど、余程の大事であるとは思っていたが、その彼女にも情報が開示されていなかった。
生き残っている上位陣の中では最もコミュニケーション能力が高い人物ではあるが、彼女は歯に衣着せぬ物言いしか出来ない。内偵には絶望的に向いていない人選と言える。
「やっぱり僕が代わります」
「私にしか出来ないって言ったでしょ」
「ビクトリア号に潜り込むんですよね? 内偵ですよ?」
「猊下がそう言ってたのよ」
ヴェルフも含めて異端審問官は教皇を深く信頼している。席次が上がればその傾向は強くなり、上位席次は妄信と言っていいレベルだった。
「アインスさんが健在なら……」
「きっと戻るわ」
「もう二ヶ月ですよ。あの男、どうなりましたか?」
「牢に繋いでる」
「あいつは何者なんです?」
「知らない」
「……なんで殺さないんです?」
「殺したわよ」
フィーアの答えが理解できなかった。
彼女は嘘が吐けない。嘘を吐かないのではなく、吐けないのだ。
それはつまり、彼女の言葉はすべて、彼女にとっての真実であるということ。
『牢に繋いでる』
『殺したわよ』
どちらも正直に話している。
「死体を牢に?」
「違う」
事実は常識からかけ離れて、真実の枠組みから逸脱していた。
「――殺しても死なないの」
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