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第二章
第一四三話 第二射? やらせはせんぞーっ!
しおりを挟む我ながらなかなかの威力だ。
目論見通り、あの気味の悪い腕は跡形も無く消し飛んでくれたようだが、至近距離であれだけの爆発があったにも関わらず、荒屋も屋外に出ていた女たちも無傷だった。
「ちっ!」
ゼーク・ジェシアが目標地点に移動を始めたので、わざと発射を遅らせた。あわよくば巻き込んでやろうと思っての措置だったが、そう都合よくはいかなかったようだ。
ナナシは次射に向けて再び魔力を練りながら、右腕から大量に出血し倒れている男を見下ろす。
(……それにしてもわからん。腕一本でどうやって範囲攻撃を防ぎ切ったんだ?)
『圧縮火球』による砲撃は着弾後、内部に溜め込んだ熱量を一挙に放出することで、全周に高熱を伴う爆風を発生させる遠距離攻撃魔法である。艦隊戦における遠距離砲狙撃戦で用いられる魔法であり、その威力と射程距離は使い手の魔力に依存する。
ナナシが得意とする魔法でもあり、その火力は直撃すれば駆逐艦を一撃で沈めるほどの威力がある。熱量魔法の使い手にも様々なタイプがいるが、この砲撃において、自分は帝国でも屈指の実力者であると自負していた。
(奴の右腕にはオレの圧縮火球と同等以上の魔力が宿っていたということか?)
撃ち出された火球を止めるには、より強力な遠距離攻撃で迎撃するか、あるいは熱量魔法で相殺するかだ。さもなくば、着弾前に使い手を殺すしかない。
前者の場合は、別適性の魔法でも、砲魔堰の砲弾でも、何なら大岩をぶつけても構わないが、接触時点で誘爆する。
(あの腕は火球を掴んで止めた。つまり、何らかの熱量魔法ということだが……空飛ぶ腕が熱量魔法? 意味がわからん)
後者の場合は、双方の魔法が減衰し、少しでも込められた魔力の勝った方が残留する。
(だが、あの爆発はオレの想定通りの威力だった。魔法が減衰した気配は無かったのに、敷地内に被害はなし……か)
帝国情報部に籍を置いていた頃、最新の魔法理論を学び、腕を磨き、実戦で使える知識を蓄えた。自分の理解に間違いはないはずだが、そこから外れる魔法を行使したとなれば、あの男の価値は計り知れない。
(つまり、新種の複合魔法である可能性が高い! くくっ、面白い! 二聖でも新たな魔法を創造できる者などそうはいない!)
これまで観察した限り、本人の戦闘能力は皆無と言っていい。隙を見て攫うことが出来れば重畳だが、ゼーク・ジェシア・アジュメイルが張り付いているので今は無理だ。
配下の奴隷商は捕まったが、隠し倉庫に隷属魔堰のストックがあるはずなので、捕らえさえすれば後はどうとでもなる。
ひょっとしたら、他の『黒』やイーシュタル公爵家すら出し抜けるかもしれないと、薄暗い笑みを浮かべて策謀を巡らせながら、「死んでくれるなよ?」と感情の伴わない声音で呟き、黒髪の男を見下ろした。
荒屋から必死に離れる一団が見える。黒髪の男に合流し、慌てている様子が見て取れた。
「くくっ……蟻のように逃げ出して、よほど恐ろしかったと見える」
スラムに駆け込んでくる男たちが目に入った。少数だが増援が到着したようだ。
これ以上の長居は無用。ジョン・ジョバンニングが来て、多数に包囲されれば突破も難しくなる。
「少々、魔力の練り上げが甘いが、やむを得んか」
ナナシは右手を掲げて巨大火球を創り出し、魔力を注ぎ込んで圧縮していく。目標の建物程度であれば粉微塵に出来るほどの圧縮火球だ。
敷地内のすべてを焼き払うことは無理だろうが、荒屋さえなければ憲兵隊を黙らせることくらいは出来るだろう。今現在、奴らが積極的に動いているのは、『黒亀』との繋がり、賄賂や汚職の証拠を握り潰すために過ぎない。
金を受け取った幾人かの憲兵や役人の顔を思い浮かべ、あっさりと手の平を返した面の皮の厚さに殺意を覚えると共に、これから始まるであろう雌伏の時に辟易しながら、前方に向けて火球を照準した。
「本当に面倒――ぐあっ!?」
ナナシの肩に真白の長剣が突き刺さった。
「これ以上はやらせん!」
視線を下方に移すと、高台の下から一人の中年男が投擲姿勢でこちらを睨みつけていた。
「く、くそっ!」
自らの生み出した火球の光によって視界を制限され、敵の接近に気付かなかった。
猿のようにスルスルと小屋の柱や屋根を足場に登ってくる小柄な男から逃れるように、予め決めていた逃走経路を走る。
(不覚! オレも焼きが回ったものだ! だが、あの場所だけは消さなければ! 何としても!)
ここまで追い詰められるとは予想外だったが、このまま逃げるわけにはいかない。あの荒屋は存在してはならないのだ。『黒亀』の再起の邪魔になるから。
再度、火球を照準して撃ち出そうとしたところで、足元から男が飛び出してきた。この下は三メートル以上の絶壁だったはず。だからこそ退路に選んだのに、どうやって上がってきたのか。男が腰の短刀を抜いて躍りかかってくる。
『パシュッ』
男を砲撃の射線に巻き込むように至近距離で放つが、地面を舐めるように身を伏せて躱された。
「諦めろぉ――っ!」
「うおおおおおっ!」
『ドスッ』
身体をぶち当てるように、チックの構えた刃がナナシの胸部を深々と貫いた。
「がふっ!」
荒屋に向かって飛んでいく火球を見送りながら、ナナシは己の人生に思いを馳せる。
(ああ、最後はこんなにも呆気ない)
裏社会の人間としてそれなりに上手く泳いできたつもりだが、結局は大貴族の手足に過ぎなかった。
(くだらない一生だった)
情報部の構成員として懸命に働いた時期もあったが、汚いものを見続け、何もかも嫌になり、イーシュタルの犬になることを良しとした。
(素直に売られて奴隷になっていた方がマシだったかもな)
ナナシは州都イースのスラム出身だったが、幸か不幸か、両親に愛された。彼らは自分を連れて身を隠し、結果的にナナシは異端者として捕縛された。両親は抵抗してあっさりと焼き殺された。
(恐ろしかった。アレより恐ろしかったことは、他にない)
異端審問官に捕まったことでも、目の前で両親が殺されたことでもない。その後、連れて行かれたとある場所で味わった、気が狂いそうなほどの気持ち悪さと底冷えするほどの怨念。自分の人生は、その纏わりつく恐怖に支配されていたのだと、今なら分かる。
(養生処……だったか? スラムにあんな場所を創るとは、何を考えてるんだか)
雑然としたスラムに、ポツンと開けた土地が一つ。その敷地にある木造平屋、物干し台、小さな水溜め、変な形の白いオブジェ。
その景色は初見のはずだが妙に懐かしく、優しかった両親と庭を駆け回る幼い自分を幻視した。
「あ……」
遠ざかっていく風景と、自ら放った火球に手を伸ばす。
(本当に……くだらない……)
火球が養生処に着弾する、その瞬間、――ナナシの魔法が消滅した。
(……ははっ。なんで消えた? まぁ、いいか)
胸に突き刺さった刃が心臓に届く。
その直前、彼は恐怖から解放された。
**********
二射目の『圧縮火球』は養生処の寸前で消滅した。
「き、消えた?」
「チックさんが間に合ったんだ! ちょっと様子見てくるぜ!」
「よ、良かった!」
今度こそ、養生処は守られたのだと安堵して、カゲロはドサリと腰を下ろした。
ゼクシィの生体魔法により穂積の出血は止まったが、顔色が悪く、血圧も低い。
「トム! ホヅミンを本船に運べ! 大至急、輸血が必要だ!」
「ホヅミくんには『レギオン』があるのでは?」
「右腕も再生していない。原因は不明だ。とにかく急げっ!」
「りょ、了解!」
トムは穂積を背負って、ゼクシィ、チェスカと共にビクトリア号へ急ぐ。
念のため、周辺クリーニングが終わるまで養生処には近づかないよう指示して、その場はトリオとナツに任せた。移動中に鉢合わせた乗組員に状況を説明し、スラムの見回りと残党の捜索に当たらせた。
**********
穂積がビクトリア号に担ぎ込まれたとき、船内は大変な騒ぎになった。遊女を身請けして葬儀に参列し、昼には戻ってくる予定で意気揚々と出て行ったと思ったら、数時間後には利き腕を無くして帰ってくるのだから、その衝撃は計り知れない。
「――ホヅミさま? ホ、ホヅ、うううでで、腕ぇ、えぇっええ? ホヅミしゃまぁ……し、死しし死屍死んじゃうぅうううう……い、いや、いやぁ~、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……いやぁあああああああああああああああああ!」
特にクリスの取り乱し様が常軌を逸しており、ファンタスマゴリアを暴走させて手が付けられなくなり、別件で帰船していたジョジョが本気で取り押さえる事態となった。
「誰だ誰が誰に、ホヅミさまを、ボクのホヅミさま、うで、う、腕をきぃ~いいい……よくもよくもよくもよくもよくも……死ねぇええぃいやぁああああああああああああああああああああ――っ!!」
クリスの壮絶なヒステリーは広範囲に、特に遊郭・スラム方面に向けられた殺気と共に敢行され、ニルネルと、既に乗船していたヒービン船舶管理の四人を絶望の淵に叩き込んで気絶させ、一生消えないトラウマを植え付けた。
この日、第一桟橋の周辺で起こった集団気絶事件によってクジラの解体作業は一時中断し、その後の職場放棄、というか恐怖のあまり引き籠ってしまった作業員の補充に時間を要し、本船の出帆予定も遅延することとなる。
精神的に不安定になったクリスをチェスカに押し付けて、医務室で穂積とビクトリアが横並びで仰向けになっていた。
「リア姉、いいかしら?」
「要るだけ持ってけ。早くしろ」
「輸血を開始するわ。気分が悪くなったら言ってね」
緊急時に備えて全乗組員の血液はクリスの精製魔法によって分析済みであり、その結果に則り、輸血の可否について組み合わせは判明している。穂積の血液と適合するのはビクトリア、グランマ、スターキー、マリー、パゼロの五人だった。但し、これは穂積の『レギオン』罹患前の結果である。
後天性魔力不全症候群を発症した者の血液成分は『レギオン』罹患前後で変化することが知られており、その変化量は個人差が大きい。そして、通常であれば『レギオン』保有者に輸血は必要ない。機能の一環として血液は生産されるし、大量出血した場合はまず助からないからだ。それ故に、本船の『レギオン』持ちはゼクシィも含めて、罹患後の血液検査をしていなかった。
「ゼクシィ、本当に大丈夫なのか?」
「……分からない。ホヅミンに何が起こっているのか。可能なら先に分析したいけど」
しかし、現在の穂積のバイタルは輸血の必要性を示しており、右腕も自動再生されていない。一旦、血中に侵入した『レギオン』は排出不可能であるはずだが、まるで体内の『レギオン』が消えてなくなったかのような状態になっている。
「クリスがあの状態ではな」
「ええ、あまり猶予もないわ」
「……いいぞ。始めてくれ」
まず、ビクトリアから輸血を始めた。廊下ではグランマ、スターキー、マリーが控えている。スラムへ向かうマリーを捉まえて、輸血のために帰船させていた。パゼロはメリッサに同行しているため不在だ。
ゼクシィは現場に居合わせながら、出血量の予測すら立てられない自分に辟易していた。あの時の腕が穂積のものであることは分かったが、未だにあの現象が理解できない。
「…………大丈夫。拒絶反応は出ていない」
「そうか。良かった」
「リア姉……その……」
「わかっている。見たままを聞かせろ」
ゼクシィはポツポツと自分が見たものを語り始める。養生処の襲撃から穂積たちの救援、彼の右腕を切断した敵と、その後の熱量魔法攻撃、『圧縮火球』を掴んだ空飛ぶ腕に、降り注ぐ血の雨――。
自分で話していても、何を頓珍漢なことを言っているのかと思う。荒唐無稽もいいところだ。
「カカっ! よく分かったぞ。ゼクシィはよくやった」
「ありがと……でも、何が分かったのかしら?」
「何も分からんという事がだ。『レギオン』の力なのか、新手の魔法なのか、それとも全く別のナニカなのか」
「ふぅ……そんなことだろうと思ったわ」
ゼクシィから顔を背けて、隣で眠る男を金色の双眸が誇らしげに見つめる。
「確かなことは、ホヅミは何も変わっていないということだ」
「……そうね」
最近、めっきり可愛くなった義姉の言葉に、以前とは比べ物にならない力強さを感じて微笑した。
真っ赤な癖っ毛の向こう側で、目尻から一筋の涙が伝ったことには、気付かなかったことにしておく。
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